これなら、明日も大丈夫だな。
さて。
駒大苫小牧の事件に関して
「体罰論とすり替わるのは間違ってる」
というのは、ホントにその通りだと思うんですけど
でも、
この件に関して
「体罰肯定」的な意見が山ほど出てくるのを見ると
やっぱり、言いたくなっちゃうんですよね・・・
(別館でも、そんな話になっちゃってるし。)
ただ、こういう話は、もう
「スポーツについての話」じゃないなって思うので
こちらに書きます。
で、1つ目は体罰論(苦笑)です。
というのはね、
やっぱり、「体罰は当然だ」みたいな論調が
多いんですよね。
それが行き過ぎると「戸塚ヨット肯定」とかに
なっちゃうんでしょうけども・・・
例えば、私の巡回先にあったこの記事。
・高野連、マスコミ、父親、にモノ申す
この記事に、こんな事が書いているんです。
ハッキリ言ってやる。
口で注意して解からない反抗的な男子には
時として「殴る蹴る」も必要である。
キレイ事だけで教育が成り立つなら
誰が苦労するものか。
いや、でもねぇ。
素朴な疑問として思いますけど
それじゃぁ
「口で注意して解からない反抗的な女子」は
どうなんですか?
そんな女の子を教育するには
「殴る蹴る」は必要ないんですか?
女の子は殴る蹴るのは可哀想だから
何とか、別の手段で言い聞かせようと努力する
っていうなら
その努力は、男の子にだって、できるでしょう?
それをやらずに、単に「殴る蹴る」で済ますって
単に安易なだけじゃ、ないでしょうか。
(それとも「分からず屋の女子は放っておくしかない」
というなら、男子も放っておけば良いでしょう。
男子には特別にやらないとイケナイってなら
それは、別の問題がありそうです・・・)
こういう「暴力肯定」の人に読んでもらいたいのが
次の記事です。
・体罰は「一方的な暴力」
毎度おなじみ、ジユウノツバサの佐々木さんですが。
まず
「大前提として『体罰は悪』と認識すべき」
というのに賛成です。
「必要だ」とか言って肯定するのではなく
まず「悪い事なんだ」と認める事。
全てはそこから、始まるんだと思います。
その上で、どうしても体罰をするって時は
それでも体罰が必要だというのであれば、
暴力を振るう側は
「自分がどんな非難や処分を受けたとしても、
この子に解って欲しい事なんだ」
という信念と覚悟を持つべきでしょう。
信念あってこそ
「安易な体罰」は行なわれないでしょうし、
体罰に対する十分な事後説明も
できるというものです。
という事だと思うんです。
佐々木さんの記事のコメント欄に私、書いてるんですが
金八先生で、体罰を振るった回があります。
第5シリーズだったんですが。
「命を粗末にしない」という「約束」を破った
生徒たちに、体罰を振るったんですが
その後、金八は辞表を提出したんです。
つまり
「首を覚悟で殴った」んですよ。
体罰って、それくらいの覚悟でなされるものじゃ
ないでしょうか。
(いや、そこまでの覚悟じゃなくても
それに近い覚悟は欲しいモノだって思いました。)
あと、「さよなら、小津先生」という
田村正和がやってたドラマで1つ名言があったんです。
「体罰は、愛情じゃない、感情だ」
って。ホント、その通りだって思う。
まぁ
「感情をぶつける」事も良い場面はあるとは思う
だけど
基本的に、それは、独りよがりになりがちなモノで
だからこそ
「事前に、生徒との強い信頼関係が必要」
で、
「事後に、ちゃんとしたフォロー」が不可欠でしょう。
ちょっと重くなっちゃったので
もう少し軽めの、私の考えを追記部分に書きましょう。
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