2005年09月21日

「知性」とは元々不完全なものじゃないかな

(この記事の概要)
・知って元々不完全なものだと思う
・「大衆蔑視」とかの人って
 知を実像以上に大きく捉えてないか?


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しかし
やり取りのあるブログなんで
消すのもなんだかなぁって感じですが
リンクも無く関連性も薄い記事を
トラックバックして来られても
困るなぁって感じです。はぁ。
あ、どうも、
めたかです。
いやぁ、しかし、
私のTBポリシーとかご存知だと
思っていたんですけどねぇ。はぁ。
それに、
どうせ巡回先ですから
別にTB送って来なくても
読んでるんですけどねぇ。はぁ。

ま、いいや。
(ここで独り言のように愚痴っておけば
 伝わるかもしんないし。
 文句を言いにいくのも角が立ちますしね。
 これで伝わらないんなら
 うちのブログをろくすっぽ読んでない
 (のに、そんな事をする)って事なんで
 次からは消せば良いし・・・)


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本題です。
essaさんが
「finalventさんはひと味違う」
と言って紹介していたのが
次の記事なんですけども。

単純な話で言うと…

この記事は
大衆は馬鹿だと」「しかし…
と続く一連の話の最後ですね。
続きで読んだ方が分かり易いって思います。
で、
「大衆蔑視」とか「知性」とかについては
アカデニズムから降りて
こういう事をしている私としては
興味深く読みました。

でも
私にとって、結構、違和感アリアリな
部分も結構あったので
ちょっと内省しながら書いてみようかって・・・


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私が違和感を感じた、というのは
最初の記事で引用されていた
吉本隆明さんの言葉、ですね。

高度なところを頂点として、
知識の秩序とか系列とかが全部を覆っている
イメージを想定するとします。
僕にはどうしてもどこかに知識の空隙、
あるいは亀裂みたいな空間を生んじゃって、
そこだけは知識の糸が覆いきれない個所が
存在すると思うのです。


言いたい事の方向としては
賛同しているんですよ。
私も吉本さんの影響は、それなりに受けてる人間ですし。
ただ
そもそも「知」に対するイメージ自体が
かなり違ってるなぁって思う。
「知」って、そんなに高度なものかなぁ
違うと思う
「知」ってもっと不完全な
ツギハギだらけなものじゃないのって
思うんです。
だから
「知識の糸が覆いきれない箇所が存在」
って感じより
「覆いきれない所だらけだ」
というのが、正確なトコじゃないのって
思うんです。


「大衆は馬鹿」とか言ってる人って
そういう事を、どこまで分かってるんだろう?
って思うんですよ。
じゃぁ自分はどこまで分かってるのか?
ですよね。
それって別に、吉本隆明じゃなくても
ソクラテスの「無知の知」でも良いですし
割と「知」では常識レベルの話じゃないのかな?


なんか
「知ってスゴい。こんな事も分かるんだ」
って感じるのって
知に触れる始めの段階じゃないの
って思うんですよ。
ある程度、勉強していくと
「こんな事も分からない」という
「知の限界」って事が
どんどん見えてくるって思う。

いや
確かに、その「限界」を越える為に
どんどんと知は進んでいくものでは
あるんですよね。
だけど
それで「どんどん分からなかった事が分かる」
って訳じゃ、ないと思う。
その「限界」を越える為に
膨大な量の「知」が積み重ねられ
それで、やっと少し
「限界が前に進む」程度のものだってのが
一時期でも、知の最前線に居た私の
印象なんですけども・・・


そういう実感を持ってる人間としては
そもそも「知」って
そんな特別なモノじゃないって
思うんですよね。
それを言うなら
「美味しい野菜を作るノウハウ」
を持ってる人とか
「絶好の漁場を知ってる漁師」
だったり
「どこの店で何が安いか」などを
押さえている主婦とか
そういう、様々なノウハウなんかと
同じようなものじゃないのって。



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posted by めたか at 23:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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