・ブログは「パーソナル」でかつ
「パブリック」なメディアである
・受け取った情報で一人一人の行動が変わる
・ブログは発信者の変革も促す
・ブログは新たな繋がりも作り出す
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アップルのiMac G5欲しい!
どうもめたかです。
電車の中で化粧をする人に対して
前々から思っていたのは
「怖くないのかなぁ」って事。
だって、電車って揺れるじゃん。
失敗したりしないのかなぁ
コレ読んでる人で電車中での化粧経験のある方が
もしおられれば
そんな不安はどうなのか、教えて!
で、本論です。今日は長ーいです。
二日かかってますから。
覚悟して読んで下さい(笑)
最近、ネット論、メタブログ論的な事を
結構書いてきているんですが
それの、ある意味、総括と言える事を
今回、書きます。
先に書いておいた方が良い記事が
いくつかあるような気がするんですけども
とりあえず
今回、書く内容が
自分の中で古びてしまわないうちに
書いてしまおうと思います。
ブログは世の中を変えるのか
まず、最初に料理の「材料」とさせて頂くのは
小島さんの次の記事です。
・ブログ・ジャーナリズムを読んで
ちょっと材料にしちゃうのは申し訳ないですが
小島さんの続編記事で「関連記事を書け」
って依頼された事もありますので・・・
元記事中に、次のような記述があります。
しかし、最近は更新頻度が落ちています。
内容も「環境」については、
ほとんど書いていません。
多忙や諸事情という理由もあります。
ただ、最も大きな理由は、
今までブログで世の中を変えることができる
のではないかと自分なりに考えていたことが、
最近は、ブログで書くよりも、
実際に自分なりに少しでもできることを見つけ、
それを行動に移し、実際に変化させる、
変えていく、そしてそれが必要であれば、
効果的であると判断すればブログで発信すれば
良いのではないかという考えに傾倒しています。
(強調は引用者・めたかがしています)
コレ読んで思ったのは
「何か、昔の『ロックで世界を変える』
って論争みたいだなぁ」
って事です。
昔、ロックがもっと
「カウンターカルチャー」していた頃
多分、特にジョンレノンが存命中の頃なのかなぁ
「ロックが世界を変える」
みたいな事が本当に真剣に考えられていたようです。
や、私は良く分かってないんですけど。
(真心ブラザーズ『拝啓、ジョン・レノン』
に共感する世代ですから)
その「結論」がどうだったのか、は
私は分からないんですが
ある意味では「変えた」と言えるでしょうし
また
別にある意味では「変えなかった」と言えるでしょう。
多分
いくら凄い音楽であったとしても
「ロック・ミュージック」が
いくらたくさん、かかっていた所で
世の中なんて何も変わらない、と思う。
でも
「ロックが世界を変える」
って本気で考えていた人だって
そんな事は百も承知だったと思うんです。
じゃぁ、
どういう事で「ロックが世界を変える」
ってのが実現できると思っていたか
・・・と言うと
「ロック」を聴いた人が
自分の価値観を変え
そういう人がたくさんになれば
結果として、世の中が変わるんじゃないか
恐らく、そう考えていた
って思うんです。
そういう意味では
「ロック」を始めとする60年代、70年代の
カウンターカルチャーを浴びて
「価値観の変わった」って人が
ある程度たくさん居て
そういう人が、その「変わった価値観」で
世の中を生きてきているって意味で
「世界は変わった」と言えるかもしれないですし
「大して変わらなかった」とも言えるかもしれない。
それは
私には、ちょっと分からない事なんですが。
ただ。
そういう話を知っている人間としては
「ブログで世の中が変わる」
ってのは
「ブログ」とか「ネット」だけで完結する話じゃ
もちろんなくて
「現実」との関わりの中で意味を持つ
それは「当然の事」でしょうって思うんです。
ブログはどういう「メディア」か
話を変えましょう。
タイトルにも書いた通り、
「ブログ」はメディアです。
ちょっと前に良く議論されていて
自分もその議論に関わったりしていたのに
「ブログがマスコミの代わりをするか」
みたいなのがあったんですが・・・
その議論の「結論」とは関係なく
ブログって
本来的な意味でも「メディアだ」って思うんです。
「メディア」にも色々あります。
新聞や雑誌も「メディア」ですし
近所の井戸端会議だって、
「メディア」だと言えるでしょう。
雑誌メディア、ネットでの「ポータルサイト」
他にも
フリーペーパーとか、近所の掲示板とかだって
「メディア」だと思っています。
「機能」の面からも「メディア」を考えましょう。
「受け手」にとって
メディアって、情報を受け取るためのもの
ですよね?
で
ニュースで流されてる事で、色々な事を知る
と同時に
近所のうわさ話で知る事だって、あるでしょう。
「アスベストの問題」なんかを
近所の人との話で知った、なんて人も
きっと、いっぱい居ると思いますしね。
それで
「メディアで情報を受け取る」というのは
まぁ、単に「ふーん」と思ったり
親しい人との会話の材料にしたり、だけの事もあるけど
「その情報によって自分の行動が変わる」
って事も、あると思う。
そんな大げさな事でもなく、
「みのさんの番組で言ってたからココア飲もう」
みたいな事だって
「受け取った情報によって行動が変わった」
って事ですよね。
そして
そういう意味においては「情報」は
マスコミから受け取ったものであろうと
噂話のような「別のメディア」からだろうと
無関係だって言えるでしょう。
そうやって伝わった「情報」によって
個人個人が「行動を変えた」事の積み重ねが
結果的に「社会を変える」事だって、
あり得る、とは思う。
分かり易いのは、選挙なんでしょうけど。
近所の人との井戸端会議で
投票する人を決めるって事も、あるでしょう。
って事でなくても
物を買うって事なら、いっぱいありそう。
それで、何が売れるか、とか
それが大きくなれば「流行」を生み出す事も
あったと思う。
そんなの、ミクロな現象だって?
いやいや、噂話の伝播力って侮れないものですよ。
ネットって
基本的には、この「噂話」レベルのメディア
なんだって思う。
だけど
それが「世界規模」でやれるってのが
単なる「噂話」と異なってる、というのと
『インターネット的』で考察していた
ネットの特徴の1つに
「情報源を簡単に辿れる」というのがありました。
噂話では、広まっていく途中で
伝言ゲームで内容が少しずつ異なっていく
という事がありました。
でも
ネットで、リンクで繋がり、伝わっていく事は
そのまま情報がコピーされるので
「間違い」は少なくなるし
リンクによって元情報が簡単に辿れる
そのため
元の情報が、より広まっていきやすい
という「特徴」があるんですよね。
マスコミのようなメディアは
「パブリックなメディア」
一方
噂話とか伝言板とかのメディアは
「パーソナルなメディア」
としたならば
インターネットというのは
「パーソナルなメディア」でありながら
「公的な性質」も兼ね備えるメディアだって
言えると思います。
(もう少し細かな考察は追記部分でやります)
こういう特徴を踏まえたならば
単純に「ブログがメディアの代わりをする」
と言うのは
ちょっと議題設定として適当ではなかったのでは
って思えます。
そもそもの「性質/特徴」が異なるのですから
単純に「替わり」とはいかないでしょう。
それぞれの特徴を活かした「共存」が
きっとある事でしょう。
実際
「噂話」なんかも、そのソースは
「みのさんのテレビ」だったりする訳で
ブログでも
マスコミのニュースが元になってる事も
いっぱいある訳ですね。
・・・ぼちぼちまとまらなくなってきたので
次にいきましょう。
ブログは「個」を変える
次にテーマとして取り上げるのは
26日に取り上げた岡田斗司夫さんのブログ。
次のエントリが、ホント、素晴らしかったんです。
・プチクリとはなにか?
コレに対しては
「クリエイティブ」って事について
反応したい事もあるんですが
とりあえず、ここでは「ブログ」って事に絞って。
誰にだって好きなものはある。
つまり、誰にだって才能はある。
特にブログを書いている人。
いったいどれだけの才能が自分にあるのか
わかっているんだろうか?
ここに続く部分を、特に読んで頂きたい。
ブログを書き続けるって
それだけで凄い事なんですよ。
(だから、この記事は
ブログやってる人を元気づけると思う)
そして(ここは少し長く引用します)
いま、ネットを見ている人の大部分が
「見ているだけ」の人たちだ。
そういう人たちから見たら
「自分の好きなこと」「気になった日常の話」
を書いて表現できるあなたたちは、
「自分と違う才能のある人」なんだよ。
でも、そんな「見てるだけ」の人たちの中で、
行動を起こす人は必ずあらわれる。
誰かのブログを見て
「やっぱり自分もやりたい!」と思って、
ブログをはじめる人がきっとあらわれる。
みんなだってそうでしょ?
有名人のブログじゃなくて、
本当に普通の人が書いてるブログ見て
うらやましくなって、
それではじめたんじゃないの?
それと同じ。
みんなが書いているブログを見て、
どこかで誰かの生き方が変わる。
「じゃあ、私も書いてみよう・
描いてみよう・表現してみよう」
ブログが今も増殖中なのは、
そんな連鎖があるというなによりの証拠だ。
・・・こういう事なんだと思う。
私がこの記事で伝えたい事を
言い尽くしてくれてんなぁって思う。
「自分の文章が誰かの背中を押すのかもしれない」
って、素敵な事だと思いませんか?
(個人的には一度あったけど
やっぱり嬉しかったですよ。)
それに、ですねぇ。
そうやって日常的に「表現する」って
自分自身にとっても意味のある事だって
思うんですよ。
というのは・・・
これからの時代ってのは
ますます、「表現力」ってのが問われていく
いや既にそうなってきているって思う。
その時に
日常的に「表現」をして、誰かに伝えようとしている
その事が
プラスにならない訳ないよって思う。
(参考記事
「アイディアの出し方とブログの効用」)
また
昔に書いた、こういう事もあると思う。
・自分を変えられる人だけが、この世界を変えられるんです
だから
「世界を変えたい」って思うなら
まず、自分を変えていかないとイケナイ
というのと
「世界を変える」ために、自分が何をするか
って事を、考えていかないとイケナイ
んだって思う。
なんか
「誰かが変えてくれるだろう」って事ではなく。
(あと、「小論文教室」の最新の記事も
個の価値観を揺さぶるって意味で
押さえておきたいです。)
ブログが作る新たな「繋がり」
そして、もう1つ重要な事があります。
ブログは、リアルの社会ではあり得なかった
「人と人との新たな繋がり」
ってのを作り出す役割も、果たしている
と思う。
この事は、既に色んな所で色んな人が
論じている事ですから、
ここでは改めて論じません。
だけど
小島さんの記事も、その元記事の私の記事も
この事に主点を置いた記事だったと
思います。
まとめ、らしきもの
ぼちぼち、強引にまとめに入ります。
ブログは「メディア」です。
特に「個人」というのが前面に出る「メディア」だ
という特徴を持ってる、と思う。
だからこそ
「受け手」に、よりダイレクトに伝わる部分が
あると思いますし
同時に
「発信する側」の変革も促す事になる、って思う。
そして
そういう「個人」の新たな繋がりを
作り出す機能も持っているって思う。
もちろんコレは
「ブログ」のみの特徴ではなく
ネット全般の特徴なんだって思いますけど
「ブログ」はそれを
多くの人に公開した(敷居を下げた)って意味で
やっぱり大きかったと思う。
「表現する側に立つ人が増えた」って事は
それだけ上記の特徴の影響を大きくしたと
思うんです。
最後にessaさんのこの記事を。
・The Net の構造計算書
"The Net"を構築し運用するに足るだけの
「思い」を人類は持っている。
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