2006年01月06日

「誤読の責任」はどちらにあるのか?

「読み手責任論」か「書き手責任論」か
そのような「用語」があるかどうかは知りませんが。

ネット上に限らず
「言論」というのをやっていると
自分の書いた文章を「誤読」されて批判される事が、
まま、あります。

その事について
「ちゃんと読まずに/読解せずに
 批判するのはオカシイ」
という批判もあります。
一方で
「誤読を招くような表現をした
 書き手にも責任がある」
という批判も、あります。

「誤読」は読み手と書き手のどちらに
責任があるのでしょう?


「読み手」には全く責任がない
とする人も、居ます。
曰く
「ネット上で全世界に発信しているのだから
 誤解されないように表現する責任がある」
とか
「ネットは単なる道具だから
 相手の意図を汲み取る必要はない」
とか。
そして、それが一般的だと主張する人も、居ます。

一方
「誤読するような人には
 人を批判する責任資格はない」
とする人も、居ます。
「相手の文意を読み取るのは
 批判する際の一般的なマナーだろう」
というのが常識だと言う人も、居ます。


ただし
私は、そのような「責任追及」は無意味だ
と思うんです。

大事なのは
「責任追及」ではなく「誤解を解く事」
ではないでしょうか?

互いに「責任」をなすり付け合う暇があれば
書き手・読み手の双方が誤解を解くように努力し合う、
その方が、
ずっと建設的だ、と思うのです。


そして、これは
「何の為にネットをやるのか」
の問題だと、私は思います。
「相手を言い負かす」事は目的と化してるから
『責任追及』という発想が
出てくるのではないでしょうか?
「相互理解」を目的としていたのなら
その前に「誤解を解こう」と考えるのが
当然の事でしょう。


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posted by めたか at 00:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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