2006年01月14日

人を殺してはイケナイ理由

今、日テレでやってるテレビで
若い女の子が何人も
「殺人は悪い事じゃない、アリだ」
と言ってるんですよね。

前にも、似たような番組で
「殺人は悪くない」とか言ってる人間が居て
その時にも思った事なんですが・・・

なぜ「殺人はイケナイのか」
について、説得力のある理由を言えない
って事もあるかもしれないなぁって
思ったので、
それを、ちゃんと書こうと思います。


まず、今テレビで
「殺人は悪くない」なんて言ってる人に
言いたいんですよ。
テレビのような公共の場で
殺人を肯定する事を公言するって
もの凄い「怖い」事なんですよって。
それはですね、
下手したら、社会からハブられるよって意味で。

だって
「殺人が悪くない」と思ってる人間と
例えば、一緒に仕事なんて出来ないですよ。
なぜなら
一緒に仕事をしていたなら、
お互いにイヤな事だって言い合わないとイケナイ事も
ある訳です。
そうじゃないと仕事を進めていけない。
なのに、
それで「腹が立った」からって殺して良い
なんて人間とは、仕事が出来ないでしょう。

分かります?
つまり
「殺人を悪いと思ってる人間」同士でないと
社会を一緒に構成する事が出来ない

と思うんです。

だからね、
私が会社の採用担当だったなら
「殺人は悪くない」と言ってる人間なんて
絶対に採用しないし
会社の採用担当にも、
そういう人間を採用するのは勘弁してくれ
と思う。

また
オウムなんかを地域社会が「出て行け」
と受け入れないのも
殺人を肯定するような教義を持ってる集団と
一緒に地域社会を構成なんて出来っこない
って事でしょう。
(受け入れ拒否の是非はあるでしょうけど
 感情的には理解できるのは、
 そういう事だと私は思っています。)


でも
「殺人がイケナイ」なんて
もう理屈じゃ、ないですよね。
私自身、殺人って事に
生理的に言いようがない「嫌悪感」がある。
だから
たとえ、人をもの凄く憎んだとしても
その人を殺すって事に無茶苦茶でかい抵抗感がある。

多くの人って、
そうじゃないのかなぁ?
そう思ってるんだけど。
そう願ってるんだけど。

そして、自分をそのように育ててくれた
親とか、周りの人たちに
感謝、していますね。
理屈じゃなく、殺人を嫌悪するように
育ててくれた人たちに。


###
ただ、番組を観てると
「殺人を悪くない」と言ってる子たちって
自分の命自体を、大切に思ってない
みたいですよね。
そういう子たちに
「殺人を悪いと思ってない人とは
 一緒に社会を構成できないんだ」
と言うのは、
理屈としては正しくても
いや、正しいからこそ、逆に残酷かもしれない
って思いました。
つまり
私(たち)はあなた(たち)とは違うんですよ
と、拒絶するような意見ですから。

だからこそ
「命の重さ、大切さ」を説く
って事なんでしょうけども・・・
posted by めたか at 23:36| Comment(10) | TrackBack(0) | 社会・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前読んだ論理学の本で、

「人を殺してもいい」という命題が成立には、それを承認する倫理が必要である

しかし、この命題が肯定されると倫理そのものが成立しなくなる。よって矛盾が生じる

この命題は偽である

という内容の(うろ覚えなので多少違うかも知れませんが)背理法の証明があって、私自身はそれで十分納得しています。
で、これをできるだけ噛み砕けば「人を殺してもいい」という人にも分かってもらえるんじゃないかなぁ、と思っていました。
ただ、めたかさんのエントリを読む限り、どうやらそうじゃなさそうですね。
社会の中で生きていくとか、そもそも生きていかなければならないという意識がなければ、上の証明は通用しないわけですし。

個人的には「命の重さ、大切さ」よりも、「死」について正面から向き合う教育が必要なんじゃないかと思っています。
他者の死を悼む気があれば、人を殺したいとはあまり思わずに済むでしょうから。これも少々甘い意見だとは思いますが……
Posted by ルパート・ジョーンズ at 2006年01月15日 07:53
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
ということを短い言葉で説明できるほど
自分のなかでまとめることは難しいのですが
ただ、「殺人はアリ」と考える人に逆に聞いてみたいです。
「じゃあ、自分が突然誰かに殺されてもアリなんですか」って。
彼氏とのデートの待ち合わせ場所に向かう途中で、誰かに殺されてもいいの?
明日海外旅行へ行くのだとうきうき準備している時に殺されてもいいの?

もちろん「自分はいつどんな殺され方をしても平気」な人なら殺してもいいだなんてことを言っているわけではありませんが。

命を大切にするという感覚がどうしてここまで希薄になってしまったんでしょうね。
若い人だけじゃなく、大人や老人でも最近は簡単に人を殺していますよね。
ということは「育ち方」だけの問題でもないのかもと思うことが最近はよくあります。
Posted by さいん at 2006年01月15日 22:17
コメントありがとうございます。

ルパート・ジョーンズ さん>
非常にキレイな論理だと思います。
それを咀嚼したのが、このエントリになってるかな
って思ってるんですけども。

ただ、仰る通り、この「論理」の前提条件が
若い子たちにないようなんですよね。

んで・・・
>「死」について正面から向き合う教育
って、「命の重さ、大切さ」を説く事と同義だと
思ってるんですよ。
番組では、肺がんで余命1年だったライターさんが
紹介されていて、その方が
「死期が近いからこそ当たり前の事が幸せ」
と語っていたんですよ。
その方は、昨年の4月に亡くなったそうですが
最後、自分の小説を出版するという夢を実現して
亡くなった、との事です。
単に死ぬって事だけではなく、
限られた命を精一杯生きた方だからこそ
胸を打つものがありました。
こういう事が、何かヒントになるのではないか
と思っているのですけども。
Posted by めたか at 2006年01月15日 22:44
さいんさん>
それがですねぇ・・・
>「じゃあ、自分が突然誰かに殺されてもアリなんですか」
なんですが、アリらしいんですよ、番組によると。
それは「運が悪かった」なんだって。

それで、ですねぇ・・・
話を聞いてると、そういう子たちって、
自分自身を「承認」されたって記憶がほとんどない
ようなんですよねー。
だからこそ、自分の命も他人の命も、粗末に扱えるのかなって。

番組では、安田美沙子が
「悩んで自殺を考えた事がある」って告白していて、
「でも親の事を考えたら思いとどまれた」
と話していたんですよ。
この子の場合、親の愛情を受けていたからこそ
そういう時に思いとどまる事が出来たって事じゃ
ないのかなぁって。
これも、何かのヒントになるかなって思うんですが。
Posted by めたか at 2006年01月15日 22:49
>なぜ「殺人はイケナイのか」

あまりにも当たり前のこと過ぎて説明する言葉が見つかりませんねえ。
前にうちで書いた「娘さんを殺されて時効になってしまったT先生」の話をしても彼女達は多分わからないんでしょうね。。
ただ一つ思うのは、この子たち本当に美味しいもの食べてるのかな?ってことです。
美味しいもの食べてたらこんな事思わないですよ。お上から押し付けられる「食育」は嫌いですが、食の乱れって影響あるのかもしれない。
多分この子達は牛乳も嫌いに違いないし・・。
Posted by りさふぇるなんです at 2006年01月18日 23:24
どうもありがとうございます。

>この子たち本当に美味しいもの食べてるのかな?
あー! 私もそれ、思ったんですよぉ!
美味しいもの食べたりとか、
キレイな音楽聞いたりとか、
面白いマンガ読んだりとか、
どんな小さい事でも「楽しい事」があるでしょ?
みたいに思ったんですよね−。
そういうの、さえもないのかな? って。

>多分この子達は牛乳も嫌いに違いないし・・。
コーヒー牛乳じゃなくて?
(って今は「コーヒー牛乳」って死語でしたっけ?)
Posted by めたか at 2006年01月18日 23:40
この話題は触れなければ、とずっと考えていました。

僕が一昨年あたりから書いていたこの話題。
http://marco.blog3.fc2.com/blog-category-1.html
ネットバイオレンスですが、このカテゴリの
特に最初の10個くらいは、そういうことに関連した
事を書いています。

あまりに深い話題過ぎて、自分も情緒不安定となり
ネット上のトラブルにも発展、
本家の日記と分離せざるを得なくなった、という
いわく付きカテゴリです。

で、本題ですが、
死を軽く見る人の傾向は、みなさん想像のとおり。

自分のことが大切ではないので人のこともどうでも良い、
つまり人の痛みを自分の痛みとして理解できない、
ということに尽きると思う。
これは自分もそうでしたから判るのですね。

上記ネットバイオレンスで語っているとおり
親や周りの人から大切にされたという記憶がない、とか、
身近な人や動物(ペット)の死に直面したことがない、とか、
人やモノを失っても冷徹に反応する親しか見ていない、とか、
そういうことです。

カレーパンを食べたことのない人に
カレーパンとはどういうものかを説明する。
そんな面白い話題を
創難駄クリキンディーズさんが書かれてましたね。

つまりそれと似ていて、人や動物の死とか
それらを失った時の感情とか。
経験のない人、味わったことのない人に
説明するのは難しいです。
それを教えるのが親というものなんでしょうけど
親がそれを出来なければ子供もわからないままです。

ですので、そう教わってない以上
それを判れ!というのも酷な話だ、と。

一生理解することはないのか、というと
それは違うと思う。
僕がそうだったように、いつか理解できる時が来ます。
本当に大切だったものや人を失くした時とか。
心から誰かを愛した時とか、ですね。

でもそれも紆余曲折の繰り返しです。
そういう人は愛し方も屈折してますからね。
極端な話、ストーカーになったりとか
憎さ百倍になって命まで奪おうとしてしまうとか。

長くなった割にはなかなか本質的なことが語れず
自分の至らなさに歯がゆい思いがします。
でも、なんとなく言いたいことは判っていただけたでしょうか。

最近のめたかさんの書かれた文では
人をどうこうするより、まず自分だ、という宣言?
とても個人的に共感しました。
自分の言いたいこともそれだからです。
カレーパンを食ったことのない人に
カレーパンを知らないオマエは馬鹿だ、と言わず
まず自分が美味そうに食ってみる。
美味そうに人が食ってるのを見たら
その人も興味を持つかもしれません。

でも、持たなかったとしても焦らない。
時間が経てば人も状況も変わるかもしれない。
そんなことを思っている、
あいかわらずの夢見がちな青二才であります。笑

ps
裏ブログをやめたのは、あれ以上突っ込むと
この話題に抵触してくるからですね。
既に語っている内容であること(ネットバイオレンス)。
あとは、いつか時間のある時に
ちゃんと語りたいと思っていた、ということでした。
ということでした。

きっかけを頂いて感謝しています。
あ、きっかけはテレビか?(笑)。
面倒なお話、蒸し返したようで気が引けますが
とりあえず書き込みますね。
Posted by kara@mrcms at 2006年01月23日 07:18
追記です。

この話題は、そういう個人個人の想いは別にして、
TVという公共の電波でそういうことを言う、
というのはどうでしょう?という
ある種、倫理的な部分も混ざってますよね。

それは僕がいつか裏ブログで書いた、
DJミックスは好きだし認めているが
なんでもパクってサンプリングするぞー、と
いい大人が宣言するのはどうかと思う、
という話題に似ています。
そう言っていたのは社会人(多分)だったので
憤慨して僕も怒ったわけですが
タレントの場合ちょっと異なると思うのです。

タレントやアーティストというのは
ある種の「フリーク」だと思うのです。
決して人の規範となるような人物ではない。
つまり、メディアで見られる姿は
反面教師とすべきなんじゃないか、と。
そう捉えています。
当該番組がそういう視点だったのかはわからない。
でも、たとえば視聴者の親とかが
子供に対してちゃんとそういうものだと説明すれば
それで済む気がします。
この人たちは「一芸」で生きているのよ、
(たとえそれがどんなつまらないものでも)
その本職がまっとうなかわりに
どこかずれているのよ(笑)、と
しっかり教えることが必要ではないか、と。

そんなことを思いました。

久々に長文書いた気がする。
それではまたです。
お忙しそうですがお身体気をつけてくださいね。
Posted by kara@mrcms at 2006年01月23日 07:31
コメントありがとうございます。
まぁちょっとプライベートで色々あって
忙しいですが、身体だけは元気です。
じっくり読ませて頂きました。
コメントの内容に「反応」するよりも、
私自身の思いを書いた方が相応しいと思いましたので、
それを書きますね。

私自身が、こういう話題を取り上げてしまうのは
「生命倫理」という事を考える上で避けられない話
だと思っているからです。
ただ、私自身も「怖い」という思いもありますので
なかなか、取り上げる機会は少なかったりするのですが。
「生命倫理」って
深く考えていくと、どうしても、
人の心の奥底とか、ひょっとすると心の闇なんかに
触れざるを得なくなる部分はあるようでして、
でも、だからこそ
人が生きる上で大切な事を見つめるきっかけになる、し
また、簡単に「触れて」はイケナイ、
つまり「答え」を人に押し付ける事なんて出来ない

少なくとも、そういう事は言いたいなってのは
私の中にあるんです。
ですから
「人をどうこうするより、まず自分だ、という宣言」
は、ここに繋がってる/繋げてるつもりですし
その「宣言」は、自分に言い聞かせてると同時に
読んで下さる方々へのメッセージでもある
そう書いてるつもりです。

私も臆病な人間ですので
こういう話題はどうしても引けちゃう所があるのですが
引かずに頑張らないとイケナイなって。


あ、それから、
「追記」の部分の話ですが
あれを言っていたのはタレントさんじゃなく
素人の女子高生・大学生だったんですよ。
まぁ、ああいう所に出てる時点で
「タレントだ」という考え方はありますが。
(もしくは「仕込んでる人間だ」とか。
 案外、どこかの事務所に所属してたり、みたいな。)
Posted by めたか at 2006年01月23日 22:54
成る程、人を殺してはならない理由はコミュニティ内で人を殺さない者同士であるという合意が必要だということ、社会契約的な話ですね。

確かにそれは平和な時代においては十分に機能したでしょう。

が、今はどうですか?正直者が馬鹿を見る、まじめに就活してる連中は職にあぶれる。資格を取っても資格に統一性がないとか言うw糞な理由で不採用。野に落ち生活保護を受け取るにも住所がなければ受け取れず、そこに手を差しのべるのはその金をむしり取るためにあばら家を用意する貧困ビジネスの連中・・・。

何もせずとも死ぬより他がない人間に、あなたはおなじ事を言えますか?
Posted by at 2009年11月08日 23:25
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