を、いくつかのサイトで取り上げて頂きまして
その反応から
補足したい事がありましたので、
少しだけ。
・まなめはうす様
ゴールAを求めるために、
仮説Bがあれば「B→A」が証明できるならば、
じゃあ次はBを証明すればいいじゃないか
という帰納的問題解決思考
これは「帰納的」の部分ですよね。
(帰納的の説明としては簡潔で分かり易いです)
それで、理系では、
「仮説からゴールへ」の演繹的思考もある
と思います。
生物では「帰納的」を用いる場面が強いので
ああいう書き方になりました。
というのは、
生物学は、まだまだ「仮説」の部分が未成熟ですので。
・"理系的、文系的"
モデルとその検証、が理系的な作業で、
「戦争」という、絶対悪、
「戦争」に限らず絶対的な概念を導入し、
そこに自論をひっかけて
なにかやらかすのが文系的だとおもうのだが。
あ、このまとめ分かり易いですね。
つまり
上で言う「帰納的」だろうが「演繹的」だろうが
「モデル(仮説)とその検証」という思考をするのが
「理系的」って事ですね。
(で、こういう意味で
生物学は「純理系的」と思ってるんです。)
一方
文系の方は、「概念」とか「命題」そのものを
問題にして思考する、って感じでしょうか。
(もしくは「より根源的な命題を探す」とか。)
その辺は、文系の方は
フォロー下さるとありがたいですねー。
(ただ、自分の中では
かなりクリアになりました。
こういうの、嬉しいですね)
#こういう意味では
#経済学はかなり「理系的」じゃないかなぁ。
#また一部の社会学も
#「モデル検証型」の学問をやってるような・・・
特に理論経済学になればほぼ100%数学の世界ですから、むしろ文系的な考え方の余地はなかったりします。
で、「概念」とか「命題」そのものを問題にして思考するのが文系的、という部分も大いに同意します。
ただ、絶対的な概念を導入して云々、というのはどうなんでしょうね。
本来あらゆる概念や命題(あるいは命題の真偽を問うという行為自体)を問うていくのが文系のあるべき姿だと思うんですよ。
上の例で言えば、
「絶対的な悪という概念は成立するのか?そもそも絶対的な悪とはなんなのか?」
というところまで考えるべきなわけでして。
なので、そういう思考をすっ飛ばして価値判断に走るのは、文系的というのとは違うはずだと思いますね。
むしろ文系理系という軸ではなくて、政治的かどうかという軸で見た方がいいかも知れません。
ただ、現実には「文系」扱いされる左派系学者にそういう類の人が多かったわけで、そんな人たちの影響で一般的な文系のイメージが作られているような気がします。
あー、やっぱりそうなんですねー。経済学は殆ど理系ですか。
どうもありがとうございます。
文系ってやっぱり「概念」とか「命題」そのもの
を扱うって感じなんですねー。
あと、
リンク先の事は私の引用の問題でして、
引用部の後に「より根源的な命題」とかがあるので
ルパート・ジョーンズさん指摘の事も
分かっておられると思いますよ。
「一般的なイメージ」は、どうなんでしょうねー?
多分、世間の多くの人は
「自分は文系だ」と思ってるように気がするんですが。
「一般のイメージ」なら理系の方が悪い気がしますし。