・ニセ科学シンポ:血液型性格診断など議論 愛媛大で開催
物理学会の告知はこれ。
・物理学会でのシンポジウム開催のおしらせ
しかけ人は、田崎晴明さん。
この関係では有名な方ですね。なるほど。
リンク先にあるように、血液型・マイナスイオン・水からの伝言などの
「科学を装うが科学とは似て非なるもの」
に、科学がどのように対応していくべきか、を
話し合うシンポジウムだそうです。
「科学」として、やるべき事は
色々とあるでしょうが・・・
「受け手」としてやれる事という意味での
私の答えが
「マイナスイオン不買運動」なんですけども。
(本文記事だけでなく、
コメント欄で私が書いている
「自分にとって、どういう益があるか、を
ちゃんと見定めて選ぶ必要がある」
ってのも重要。手前味噌ですが。
そういう態度を「政治」に対して取ろう
というのがコレになるんです。)
まぁね、血液型くらいは、罪はないと思いますよ。
真剣に信じてる人も、そうは居ないでしょうし。
その辺りのバランス感覚は、
quimitoさんと共通するかもしんないけど・・・
物理学会でのシンポジウムとのことですが、ニセ科学でも占いなどは政治や経済にも関わってくるので、この辺りでは社会科学者も貢献すべきという気がします。
>「科学」として、やるべき事
田崎先生のおっしゃることと共通すると思いますが、要は「批判的に物事を見ることの大事さと、そのための方法を伝える」ということに尽きると思います。
ただ、昨今は大学教育ですら既存の知識や技術の習得に重点が置かれているようで、それが残念です。
もっとも、大学によっては学生のレベルの問題上、まずは基礎的な知識から教えないといけないという事情もあるのでしょうが……
でふと思ったのですが、ここでのニセ科学の定義で行くと「神学」というのは科学になるんでしょうか?
根本的な部分で「信仰」という(善悪はともかく)科学的でない部分を持ちながら、体系としてはそれなりに論理的に出来上がっているわけで、
ふと疑問に思いました。
記事を読み、また1つ知ることができました。
科学者もこういう話題に関心を寄せていたのですね。
エセではなくニセ。リンク先の
>「ニセ科学」は単に科学の仮面をかぶっているだけでなく、一般社会に「科学」として認知されているのである。下世話に言うなら、「科学」と「ニセ科学」とは同じ市場を奪い合う関係にある。<
を読んで、さらに納得。
専門家が検証した事例は、高校レベルでしっかり教えておく必要があると思います。消費者教育の一環として。それでどの程度の判断力が養われるかはわかりませんが、無防備で世の中に送り出すよりはましでしょう。
めたかさんが書くような記事をよませたい人は、ブログを読んでくれない、というジレンマがありそうです。そういう意味で、テレビの影響力は大きいのかなと。
ルパート・ジョーンズさん>
「批判的に物事を見ることの大事さと、そのための方法を伝える」
そうですよねー。
で、そうならば、神学は
「批判的に物事を見る」事はないという意味で
科学にはならないかなって思っています。
quimitoさん>
なんか、学校の先生が「ニセ科学」を区別できない
というのが、マズいなぁと思いますね。
水からの伝言しかり、ゲーム脳しかり・・・
でも、ブログでも
今回の記事に「キーワード」だけで
マイナスイオン礼参の記事のトラックバックが来ています(苦笑)
議論、ふっかけてみましょうか(笑)
http://blog.goo.ne.jp/risa-ferunandesu/e/124b3397c4b5ba20bf0517b6521b5669
このやさぐれたエントリで挙げた「病は気からです。気持ちがきれいなら病気は逃げていきます」などと言い放って、子りさを傷つけた担任のその時の授業が、「水の結晶」と「脳内革命」を題材にした授業だったんです。
本当にもう、どうしたらいいか、ですよ。。家に来て謝りましたけど。
子りさを傷つけたこともアレなんですが、しょうも無いことを子ども達に教えたことも罪だったんですねえ(−−;;)
めたかさんのこのエントリ子りさに読ませました。
スッキリしたみたいです(^^)
あー、そちらのエントリを読んだ時に
なんかイヤな予感というか、そんな感じはあったんですが
やっぱり「水伝」でしたかぁ・・・
改めてちゃんと書いておこうと思いますが、
ニセ科学を教育の場(しかも公教育の場)で教える教師は
教師失格だと、はっきり思います。
文部省が本当なら、ちゃんと指導すべき事だと
思うんですけどねー。
でも
こういう事に無頓着な教師は
生徒の心にも無神経なのかもしれないなぁって
ちょっと思っちゃいました。