「サイエンス・コミュニケーター」
の事を
「サイエンス・ファシリテーター」
と書きまつがえてしまっていました。
いや、
それ自体は「単なるまつがい」なんですが
今の私の読書傾向が現れてしまってるのが、イタいなぁ。
(興味のある人は、自分で調べてね)
この話題については、
「なんか、ある小説家が猫を殺して
それを2chとかネットで糾弾されている」
みたいな事自体をどこかで聞いていて
関わりたくないなぁって思って
スルーしていました。
まず
「ネコ殺し」自体が「キモっ」だし
それを大勢で「私刑」してる事も
私には耐えきれない事でもあるし・・・
でも
いつもチェックしてるhideakiさんトコと
essaさんトコ両方で取り上げられていたので
読んでみたんですが・・・
えっと・・・
まず、この件は、非常に生命倫理的な話題だと
思います。
だからこそ、私はとりあげる責務があるだろう
と言う事で、
こうやってエントリを上げているんですが・・・
まず、まとめとしては、
hideakiさんトコで紹介されていた以下の頁が
まとまっていると思います。
・坂東眞砂子氏コラム「子猫殺し」関連のまとめ
(まだ紹介してる記事の全てを
チェックできていませんが・・・)
その上で、読んでもらいたいのは
以下の3つの記事。
(これも最初2つはhideakiさん紹介)
・そこに空地があるから
・動物の間引き
・「子猫殺し」コラムについての一愚考〜私はこういう人とは関わりは持ちたくない
こういう「ある意味、擁護側」の記事を
メインに紹介しているのには
意図があります。
私の願いとしては、どうか、この問題について
簡単に結論を出さずに
疑問を持ち続けて欲しい、という事です。
適当な「理屈」に飛びついて
「胸の支えが取れた」「胸のすく思いがした」
とか
「モヤモヤとしたものが晴れた」
とか言わないで
その「モヤモヤ」を持ち続けて欲しい、と。
そうしてくれたなら
(その上で、様々な意見を読んでいく事は)
「生命倫理」の非常に良いレッスンになる、と思うから。
敢えて「挑発的」な事を言うのなら
そうやって「理屈」で自分自身を納得させているのは
単純に「ほっとしたい」だけじゃないのか、
そうして「モヤモヤ」から思考停止したいだけじゃないのか、
そう言ってみたいです。
そういう意味では
誰か、生物学に関して知識があって
ディベートが得意な人が
「敢えて」この作家側に立って議論してもらえると
面白いんですけども。
(私は・・・最近、そういう体力が無くなってきて(涙)
時間的余裕もないし。
この人は、生物学は知らないだろうしなぁ・・・)
私見ですが、批判する理屈については
かなりの部分は「相対化」できるんじゃないでしょうか。
ここの読者の方に
とにかく色々と考えてもらいたいので
私自身の「坂東氏への意見」は
控えようと思います。
ただ、1点だけ。
元々の坂東氏に文章自体に
「ネコに避妊手術をするべき」
という(普通の)価値観を「裁く」側面が
あったと思います。
その事が、
ここまでの反感を買っている理由なのかな、と。
ただ
規定の価値観に疑問を提示する事自体に
「規定の価値観を裁く側面があるのではないか」
と言われてしまうと
私は二の句を継げなくなってしまうのですが・・・
(参考:当ブログの関連記事)
・罪を憎んで人を憎まず
ラベル:生命倫理
生命倫理的問題といいますと、多くの人が、子猫ではなく人間の子供を避妊せずに産んでは殺すことを考えたらどんなに悪いことかわかるじゃないか、といって坂東真砂子さんを非難しますが、それなら、もしもペットと同様に人間に避妊手術をすることを法律で決めるとしたらどうか、と思います。
歴史上、一定の条件のもとで人間に対して、本人の意志によらずに避妊手術を受けさせてきた事実があります。
将来、たとえば「最大多数の最大幸福」などの理由をつけて、ある条件のもとにある人間には避妊を義務付ける、などの法律ができたらどうでしょう。
猫に避妊手術を受けさせることを義務付けたフランスや日本の法律を遵守している人々が、坂東真砂子さんのことを、犯罪者だから処罰されるべき、と言っていますが、私は、そんなに法律を笠にきてもいいとは思えないのです。
うーん、やっぱこの種の問題って難しいですよね。
書いて下さった事はとても参考になりましたし
本当にその通りだなぁと思うのですが
それだけでもない、とも思うのです。
つまり
この種の議論を続けていくなら
いくらでも「ああ言えばこう言う」という反論が
できそうに思うのですよね。
・・・ってスミマセン、せっかく書いて下さったのに
こんな事言っちゃって。
(でも、擁護されてる方の方が私の言う事を
ご理解頂ける可能性は高いと思いますので書いています。)
つまり、
こういう事で大事なのは
「堂々巡り」の議論を続ける事ではなくて
もっと別の事を、自分がどう生きるか、
を考える事ではないか、と思っているんです。
ただ
その為には「堂々巡り」をやってみせる必要がある訳で・・・
で・・・。
この問題取り上げたくなかったw
てか、吊るし上げ的雰囲気が好きじゃなかったから・・・。
なんで間引きっつうものがあるのか〜。
で「てるてる日記」の方が書いているように
どうせ飼い猫の数を調整しなければならないのなら、なじみの方法でやりたかったんじゃないかと思う。
って思いました。
それでそれ以上も無いかな?
まあ、自分では到底出来ないって事は確かです。
あと
私の願いとしては、どうか、この問題について
簡単に結論を出さずに
疑問を持ち続けて欲しい、という事です。
↑よ〜くわかります。
不買運動吊るし上げだけで終われる問題でもないと思っていますし、短絡的に考えちゃいけねーなと・。
http://blog.livedoor.jp/japaneasy/archives/50559015.html
あと、このねた的ブログのエントリには笑わされましたw
実のところ、私自身
この作者の行為に生理的な嫌悪感を感じる面は
あるんですよ。
で、そういう感情をごまかしたり抑圧する必要は
ないと思っていて・・・
(その辺、少しずつ、書こうと思っていますけど。)
でも
「吊し上げ」はイヤですよねー。
吊し上げしてるような人に対して思うのは
人間、そんなキレイな存在じゃない、って事ですね。
良い人も居れば悪い人も居る
自分の中にも「良い人」の要素もあれば
「悪い人」の要素もある
って事が分かっていれば
他人を裁くなんておこがましいと考えるんじゃないか
って、私なんかは感じてるんですけども。
(というか法律で「刑」が決まってるのは
「私刑」を禁止する為じゃないのかなぁ?)
>http://blog.livedoor.jp/japaneasy/archives/50559015.html
こうやって笑いて相対化していくのも良いですよね。
>坂東さんのエッセイを、7月7日の連載から順番に読んでいきますと、彼女がなぜ猫エッセイを書くことになったのか、そのいきさつが読者にも、ある程度分かるようになっています。そして、猫を間引くあの話は、猫を飼わない者にとっても、ひとりひとりの死生観、現代文明のあり方について、鋭く問いかける内容を含んでいます。
>連載を最初から読まれることをおすすめします。タヒチ島の人々の暮らし、自然環境、坂東さんのユーモアを味わうことができる箇所もあり、エッセイの連載全体は、陰鬱なものではありません。
とのことです。
実は、昨日の段階で、eireneさんのブログを
チェックしていまして、
それで早速、今日図書館に言って日経の連載を
今までの所すべてをコピーしてきました。
読んでみての感想としては
その意見に賛同するかどうかはともかく
これら連載の流れを読んだ上で判断すべきだってのは
私も思いました。ハイ。
(それについては記事を上げるかも。)
あと、週刊ポストでも取り上げられていましたね。
思っていたより冷静な記事でしたよ。
いやはや「流れの中でのあの文章」だったんですね〜。
もう最近ネットは(特に2ch)はピックアップして猛烈劣化の如くアンチキャンペーンだからな〜(苦笑)
反対意見ならば「非国民」「非人」扱いだからなぁ〜最近w
ちょっとこの問題ほとぼり冷めたら書こうと思いますw
一連のエッセイの中で判断した方が良い文章だと
私も思いました。
まぁ、だからって「良い」訳じゃないとも
思うんですけども。
2chの短絡批判の傾向は
今に始まった事じゃないですけど
本当に困ったものだなぁと思っています。
一旦、批判の流れになっちゃうと聞く耳持たない点が
もっとも困った所、だと思ってるんですけども。
今週のコラムはまだチェックしていませんが
良いテーマをもらったと思っています。
この件については、もうちょっと突っ込む予定ですので
良かったらご覧下さい。