2006年09月02日

あなたの選択・・・思考のレッスンとして(子猫殺しの件)

ちょっと今日は、
変わった事をやってみましょう。
(と言っても
 昔やった事の焼き直しだったりしますが・・・
 ここでもやっていたので3回目か・・・)


○あなたは、どちらを選びますか?
どちらの方が「自然」に思いますか?
どちらが「許せる」と思い、
どちらが「許せない」と思いますか?

A)子猫を育てる事が出来ないので
 ネコを去勢手術して子供が産めなくしてしまう

B)子猫を育てる事が出来ないので
 生まれてきた子猫を殺してしまう。


○自分の子供だったら
あなたは、どちらを選びますか?
どちらの方が「自然」に思いますか?

A)遺伝子が原因の重い病気になってしまうので
 受精卵の段階から遺伝子治療を受けさせて子供を産む

B)遺伝子が原因の重い病気になってしまうけど
 生まれてから重い病気を抱えた子供と生きていく


○では、これなら
あなたは、どちらを選びますか?

A)遺伝的要因の強い重い病気にかかったので
 遺伝子治療を受ける(効果は絶大)

B)遺伝的要因の強い重い病気にかかったが
 従来の治療を受け続ける


○では、こういうのはどうですか?
あなたは、どちらを選びますか?
あなたの子供だったら、どちらを選びますか?

A)重い病気にかかったので臓器移植を受けた

B)重い病気だったが臓器移植は
 「自然の摂理に反する」と思ったので受けない


○もうちょっと極端にすると・・・

A)治療の上で血液が足りなくなったので
 輸血を受けた。

B)治療の上で血液が足りなくなったが
 輸血は「自然の摂理に反す」ので受けない。


○じゃぁ、提供するというのでは、どうでしょう?

A)死んだ後、様々な臓器を提供する。
 (心臓、角膜が主ですが、他の臓器も)

B)臓器の提供はしない


○一方、こういうのは?

A)生きている時に、骨髄を提供する。

A')生きている時に、腎臓1つを提供する。


○話をがらっと変えてみましょう。
こういうのはどちらの方が許せますか?
許せないなら、どうして?

A)オリンピックで勝つ為に
 ドーピングで筋肉を増強する

B)オリンピックで勝つ為に
 お金をかけて審判を買収する


この「ドーピング」というのを
「血液ドーピング」とか「遺伝子ドーピング」とか
また
「審判を買収」を、「服や靴などを進化させて」
とかに変えて見ると、どうでしょう?
結論が変わったとしたら、それはどうして?


○では、こういうのは?
あなたはどちらを選びますか?

A)オーディションに受かるために
 整形手術をした

B)オーディションに受かるために
 プロデューサーに体を売った

この「体を売った」を
「買収した」に変えたとしたら?
「整形」じゃなく
「遺伝子治療で肌をキレイにして」なら?
(まだ、そんな技術はないと思いますけど(苦笑))


○またガラッと話題を変えてみましょう。
どちらの方が良いと思いますか?

A)世界的な食糧難になったので
 農薬をたくさん使って農作物を増産した。

B)世界的な食糧難になったので
 遺伝子組み換え作物を使って農作物を増産した。

これだと「個人的な選択」にはならないですね。
なら
「生き残る為にどちらを食べますか?」
にしてみたら?
または「子供に食べさせるなら?」では、どうでしょう?



・・・「選択」はこの辺にしましょうか。
追記部分には、思う所を書きます。
(読む必要はありません)


###
と、書くと、読むんですね。
えっち(笑)


えっと
これらの設問は「人の道徳観念」という事を
意識して設定したつもりです。
その上で
それら「道徳観念」というのが
どういう所から来ているのか?
・・・というのを内省するきっかけにして頂けると
こんな嬉しい事はありません。


あとは
これらの設問にブログで答えて下さった方は
トラックバックして頂けると幸いです。
全部に答える必要はありません。
答えたいものだけ、答えて頂ければ。
特に
坂東氏に批判的な方が、どう考えたか
というのが知りたいなって思います。はい。


とりあえず、まとめサイトにトラックバック。
ラベル:生命倫理
posted by めたか at 00:06| Comment(5) | TrackBack(0) | 生命倫理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

A)子猫を育てる事が出来ないので
 ネコを去勢手術して子供が産めなくしてしまう

B)子猫を育てる事が出来ないので
 生まれてきた子猫を殺してしまう。

→Aです。実際うちの実家の猫がそうですし。


A)遺伝子が原因の重い病気になってしまうので
 受精卵の段階から遺伝子治療を受けさせて子供を産む

B)遺伝子が原因の重い病気になってしまうけど
 生まれてから重い病気を抱えた子供と生きていく

→Aです。病気になるのは自分じゃなくて子どもなので、自分以外の人間に負担を強いる選択はしたくないです。
だからといって、病気や障害を持った子どもへの偏見が正当化されるべきではないということは強調させていただきたいと思います。


○A)遺伝的要因の強い重い病気にかかったので
 遺伝子治療を受ける(効果は絶大)

B)遺伝的要因の強い重い病気にかかったが
 従来の治療を受け続ける

→う〜ん、遺伝子治療の具体的内容が分からないので、パス。



A)重い病気にかかったので臓器移植を受けた

B)重い病気だったが臓器移植は
 「自然の摂理に反する」と思ったので受けない

→自分であれ自分の子どもであれ、生命が助かる可能性があるならばAです。



A)治療の上で血液が足りなくなったので
 輸血を受けた。

B)治療の上で血液が足りなくなったが
 輸血は「自然の摂理に反す」ので受けない。

→Aであるというのを明確にした上で、一言申し上げれば……
この問題だと、人によっては「Bと答えると某宗教の信者と思われる」という理由でAを選ぶ人が出てくるのではないでしょうか。
となると結果にバイアスが掛かるわけで、生命倫理に関する設問としては、ちょっとどうかと思います。むしろ、その某宗教の信者かどうかの踏み絵になりかねないのではと。

○A)死んだ後、様々な臓器を提供する。
 (心臓、角膜が主ですが、他の臓器も)

B)臓器の提供はしない

→A、ただし心停止後なので、心臓は除外されます。ドナーカード持ってないけど(笑)


○A)生きている時に、骨髄を提供する。

A')生きている時に、腎臓1つを提供する。

→Aかなぁ。ただ、骨髄移植にも不安はありますが。


A)オリンピックで勝つ為に
 ドーピングで筋肉を増強する

B)オリンピックで勝つ為に
 お金をかけて審判を買収する

→Bの方が納得しかねますね。ドーピングは、まだ本人が代償を払う感じがありますし。
個人的には、審判買収>ドーピング各種>服や靴の進化という順で、認められないと思っています。
用具の進化は、いうなれば各自の努力によるものであって、競技自体の進化にもつながるでしょうし、ルールに反しない限り認められるべきでしょう。



A)オーディションに受かるために
 整形手術をした

B)オーディションに受かるために
 プロデューサーに体を売った

→Aです。項目を変えたとしてもAです。
整形した顔や身体は、その後も売れていくための財産になるでしょうが、一時プロデューサーに媚びただけでは、自分に残るものは内容に思います。


A)世界的な食糧難になったので
 農薬をたくさん使って農作物を増産した。

B)世界的な食糧難になったので
 遺伝子組み換え作物を使って農作物を増産した。

→Bです。遺伝子組み換え作物で、土壌汚染はなさそうに思いますので。間違ってたら済みません。
で、「生き残る為……」ですが、そういう状況でA,Bの選択が可能なのかという素朴な疑問が(^^;)
ただ、選択できるとすればBですかね。
「子供に食べさせるなら?」も、Bです。

諸事情からブログでは書きづらい内容を含んでいますので、コメント欄にて長文失礼しました。
Posted by ルパート・ジョーンズ at 2006年09月02日 06:11
どうもありがとうございます。
コメントでもありがたいですよ。
それで
少しだけ、補足させて頂くと
>この問題だと、人によっては「Bと答えると某宗教の信者と思われる」という理由でAを選ぶ人が出てくるのではないでしょうか。

この設問は、その某宗教の事件を想定した「冗談」です。
スミマセン。
ただ、ホントにその事件を笑えるのかなって事を
言外に込めたつもりです。
例えば、昭和天皇の晩年、手術を受けた時に
「ご神体にメスを入れるなんて許されない」
なんて言ってる一部ご老人が居て
子供だった私は、それを笑っていたんですけども、
でも、将来の人から見ると
今の時代の「遺伝子治療を忌避する人たち」というのが
同じように見えるかもしれないな
・・・という意味なんですけども。
(そういう事を論ずるための補助線として
 この件は使っているんです。)

>遺伝子組み換え作物で、土壌汚染はなさそうに思いますので。

土壌汚染はありません。大丈夫です。
ただ、「環境汚染」はあり得るかもしれない
とは思っています。
どういう事かと言いますと
周囲の生物に、組み替えした遺伝子が「流出」する
という事は起こり得る、という事で。
(ちなみに私が遺伝子組み換え作物に反対している
 メインの理由が、コレです。)
Posted by めたか at 2006年09月02日 07:49
設問に関しては可笑しいくらいルパートさんと回答がかぶるので、省略します。
尚、輸血は受けます。

「自然の摂理に反する」と言い出すと、人間が文明的な生活を送っていること自体が「自然の摂理に反する」気がしてきりがないので、そういう「言い訳」は使わないことにしています。
そんな人間の中で「自然の摂理」に添っているものがあるなら、
「生き残りたい」「死にたくない」
って気持ちではないかとふと思いました。
ならば、そうする為の選択は私にとっては最も「自然の摂理に反しない」選択ではないかと思います。

猫殺しの件に関しては私も色々思うことがあるのですが、この質問群を見ていて思ったこと。

最初の設問で
(B)=子猫を殺す
を選択した人は、最後の設問で
AでもBでもなく

「今生産できる食料でまかなえないだけ人間が増えてしまったのだから、『人間』を減らすべきだ」

という考えに至るのかもしれないなぁ…
って。
Posted by さいん at 2006年09月23日 00:47
ちょっと補足です。
「生き残りたい」「死にたくない」
と思うあまり、
「他の人間」を殺せるか?

……という選択ならば、さすがにそういう場面に遭遇しないかぎりわかりません。
Posted by さいん at 2006年09月23日 00:53
コメントありがとうございます。
(このコメント読めただけでも
 このエントリを書いた甲斐があったと思いました。)

>そんな人間の中で「自然の摂理」に
>添っているものがあるなら、
>「生き残りたい」「死にたくない」
>って気持ちではないか

そうですね。
それが最も原始的な「感情」であり「生理」だと
思うんです。
生命倫理関連の話をしているといつも思うのが
皆さん変に理屈付けようとし過ぎてるのではないか
もっと、感情とか生理とかに正直にあるべきじゃないか
そんな事を思うんです。

>「今生産できる食料でまかなえないだけ人間が
>増えてしまったのだから、『人間』を減らすべきだ」

>という考えに至るのかもしれないなぁ…

あー!
確かに、そう考えそうですね。
坂東氏は、そういう事を言い出しそうな感じです。
坂東氏に対する言いようが無い不快感は
これで随分、言語化されたんじゃないでしょうか。
(少なくとも私にとっての「不快感」は
 かなりの部分、こういう事のような気がする。)
Posted by めたか at 2006年09月23日 08:50
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