2006年09月18日

祖母の死去で「老い」について考えた

祖母が死にまして
葬式を行ったり、色々していまして
しばらく実家に戻っていました。
(それで、しばし更新が止まっていました。
 コメントの返事も遅れていました)

別に落込んでるとかはないですよ。
ご心配、ご無用です。
(その辺の心理は、下に書きます。)

そういう訳で
ネットからすっかり離れていました。
ブログとかも全然、見てないですが
色々、思う事、ありました。
ちょっと陰鬱な内容でもあるので
読みたい方だけ・・

祖母は80を越えていて
そういう意味では、大往生というか
充分に生きたと言えるでしょう。
最後、半年以上入院していて
いつ逝ってもおかしくないって状況でした。
なので
介護というか世話をしていた母は
ずっと大変だったと思います。

実家に帰って、祖母を見舞うのは
正直、苦痛でした。
もう老いて体力も気力も無く
良くなる要素の無い人を
しかも、見舞う度に悪くなっていってる人を見舞うのは
やっぱり暗くなる、というか・・・
どこが悪いとか何の病気だ、とかじゃなくて
老いて体のほぼ全ての機能が悪くなっていって
良い部分が全然ないという感じで弱っていってる
そういう意味で
「病気で亡くなった」というより
「老いて亡くなった」というべきだったでしょう。
(一応、死因は「肺炎」となっていますが
 それは老いて全て悪い中での事と言うべきで・・・)

病気で亡くなるのは辛い
なので
天寿を全うして老いて老衰で自然に死にたい・・・
みたいな事が、良い事のように言われていて
私もそう、思っていたんですけど
でも本当にそうなのかな?
って、祖母の「死に様」を見送って思う事なんです。

祖母にとってどうだったのか、は
私には分かりません。
ただ、傍から見守る人間にとっては
弱っていく人を見送るのは辛かったし
現実問題、看護・介護も大変でした。

入院する前も
家で介護する事ができなくなって
何年も、介護施設に世話になっていました。
そこで
日本の介護施設の現状というのも
思い知らされるって面もあるんですけど
(全ての介護施設が
 そういう訳じゃないんでしょうけど
 ただ、いくつもの介護施設をたらい回しにされた
 (これも制度的な面があったらしいんですが
  詳しく調べていないので分かりません)
 ので、複数の所を見る事になった訳ですが、
 少なくとも私には、老後をここで過ごしたい
 とは思えない所ばかりでした・・・)
それ以上に
祖母の様子というのが・・・

元々、そんなにしゃべる人でも
自己主張する人でもなかったんですけど
(私は同居もしていなかったし
 あまり会った事もなかったので
 詳しくは知らないんですが)
入所してからは、
「自分の希望」というのを
ほとんど意思表示してくれなくなりました。
だから
何をしてあげるのが、祖母にとって嬉しい事なのか
全然分からなくて・・・

それはもちろん
だんだんと老いていったって事も
あったとは思います。
なんというか「老いると赤ん坊に戻っていく」
みたいに・・・
なので基本的な「快・不快」のみは
表明してくれたんですけど
ホント、それだけでした。
だから
そういう祖母に、どう接すれば良いのか
ずっと戸惑っていました。


祖母を見ていて思ったのは
老いて、ボケたりしていき
体も自由がきかなくなって
やれる事も減っていくし
って中
何を楽しみに生きていけば良いんだろう?
何が喜びだったんだろう?


なんか
「老いる」って事を
祖母はリアルに見せてくれたんだって
そんな事を今は思っています。


ラベル:生命倫理
posted by めたか at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 生命倫理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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