陸上の国際グランプリ、ビデオ撮るの忘れてたぁ!!!
はぁ、参ったなぁ。
室伏と末続が出場回避して目玉がなかったとは言え、
この春一番の大レースだった訳で、
観ておきたかったなぁ。
気を取り直して・・・
今日のお題は、メディアリテラシー。
メディアリテラシーって
「メディアの仕組み(からくり)を知る事によって、
メディアの受信や発信に自覚的になり、
より良いメディアとの関わり方を学ぶ事」
と言えると思います。
それについては、旧ブログでもやってきたんですが
(アーカイブ整理中。でも、ブログ人が相変わらず重くて、
ちょっと時間がかかりそう・・・)
その続き、というか、
実は、メディアリテラシーについて取り上げようと
最初に考えた事について、
ホームページの目次部分にだいたい挙げておいたんですが
その項目は、今の所だいたいは取り上げたんですね。
でも、1つだけ、取り上げてない項目があって、
それを少し、書いてみようかなって事です。
2つほど、エピソードを挙げてみます。
まず、バブル経済崩壊直前の頃、
友人と、ちょっと深い話をしていた時に
彼がポロッとこぼした一言。
「恋愛って、どうしてこんなにお金がかかる事に
なってるんすかねぇ・・・」
実際、そうだったんですよね。
「恋愛」しようと思うなら、要するに「モテたければ」
おしゃれにも気を使わないとイケナイし、
色々とお金のかかるものを持ってないとイケナイ
そういう風潮がありました。
「車を持ってないとダメ」みたいな・・・
また、恋愛の中でも、プレゼントやら何やらで、
いっぱいいっぱい、お金を使わないといけなかった。
そういう背景の中で、出てきた言葉だったんですが・・・
でも、
今でも当時ほどではないにせよ、
恋愛って「お金のかかる」ものだと思う。
次です。
あるアダルトビデオの、監督やってる人だったかな、
その人が語っていた一言。
「今の時代、普通の女の子がテレビやメディアの情報に
曝されていたら、AV女優になるしかない」
ちょっとドキッとする一言ですが、
一応、理屈は付いていまして・・・
つまり、
今の時代、メディアの情報をマトモに受け取っていると
欲しいモノばかりになってしまう、
普通の家庭の女の子が、それらを全て手に入れようとすれば
お金が続く訳がない。
そうなると、膨れ上がる欲望・次々と続く欲望を満たそうと
するならば、AV女優にでもなるしかない・・・
というもので。
まぁ、極端な意見だって思いますけども、
でも、ある意味では説得力はあるとも思うんです。
この2つの話に共通するのが、
表題の「メディアは欲望の増幅装置だ」って事ですね。
メディアって、
「欲望」を刺激し、増幅するような「情報」を
好んで流す傾向が強いんですね。
メディアって「スポンサーのお金」によって成り立ってて、
そして「スポンサー」は、メディアに広告を出す事で
自分の商品・サービスが売れる事を目的としている訳ですね。
だから、
「原理的に」メディアって、「お金が使われる」事を
助長する傾向があるんです。
メディアが、やたらと人に「恋愛をさせたがる」のは、
「恋愛をしていない人間はおかしい」とさえしてしまうのは、
恋愛をしていると、よりお金を使うから、だと思う。
そう考えると、すっきり説明がつく。
資本主義の社会ですから、
そういう事情は、ある程度は仕方ないでしょうね。
でも、
こういう「からくり」は、
意識しておいた方が良いと思うんです。
参考
・その欲望は誰の欲望か
それで・・・
その「からくり」を知った上で、
では、個人としてどう行動していくべきかって事ですね。
それについては、
実は、ずっと前に「提言」しているんです。
・志なきものにお金なんて払いたくない
つまり、
毎日の「消費行動」を、「志への投票」と考え、
その志に共感できるかどうか、で、自覚的に「お金を払う」
そういう意識を一人一人が持つって事ですね。
自分が何を求めているのか、
自分がどういう社会を望んでいるのか、
自分が共感するのはどういうモノなのか、
自分が志すのは何か・・・
例えば、
「野球が好きで盛んになって欲しい」から、
野球にお金を使う、ってのでも良いですし・・・
自分が本当に欲しいものって、何なのか・・・
それを意識する事が
「メディアのマインドコントロール」から解ける
良い方法だって思うんです。
子供の頃のことを考えると、まったくフラットな状態で例えば聴きたい曲などを選べただろうか、と考えます。何かしら付随な条件があり、それと含めた上で楽しんでいた気がする。
そういう意味では優れた選択者というかセレクトショップ的なメディアは必要だと思います。今の状況はどう見ても「優れている」と思えない選択者とかメディアなんでみんな怒ってるんでしょうね。
気持ちはすごく分かるが、それをまったく排除するとオレらはお飯の食い上げやがな、と思うのも本音なんですね。
自分のブログで書こう書こうと思っていて書けないネタがあります。それはめざましテレビなんです。
オレはめざましテレビを開始直後から見ていました。時事ネタやニュースのスタイルは今までとそれほどは変わっていなかったが、めざましの特徴は芸能やファンションネタがあったことなんです。軽部氏が選んでたのか別にブレーンがいたのかわかりませんが、ともかくなかなか良い所を付いてくるネタや題材が多くて、いつも感心して見ていました。
それが2年後くらいから変わってきてしまったのですよ。どこにでもあるようなありきたりのネタが増えて視点の新鮮さが消えました。
原因を考えてみたんですが、これは勝手な想像ですけど、視聴率が上がったことではないだろうか?と思ったのです。
つまりめざましテレビの人気が上昇してしまい、メディア各社の間で「めざましテレビは使える」という認識が広まってしまった。メジャーなアーティストや事務所がこぞってCXに営業に訪れ、結果的にめざましが取り上げるものもメジャーでどこにでもあるものになってしまった、と。そんな風に考えました。
テレビに限らず、メジャーになったものがとかく面白みを失うのはそんなところにも理由があるのかもなあ、なんて思ってます。
メディアがインデペンデンスというか単体独立でいるのはとっても難しいかもしれない。でもDLとかネットラジオという形もあって、今後は変えることも出来るかもしれない。例の巨大法人をどうにかするのは大変だと思いますけどね。
昔コンビニのバイトをやってたときに、その途中で経営者が辞めて本社直営に変わったんです。前の店長は堅実にやってたんですが、新しい本社からのマネージャーはすごいやり手?で、まず何をしたかというと、棚に入りきらないくらい膨大な量の弁当惣菜おにぎりを発注したんです。もちろんそれまでの来店数から言っても到底はける筈のない、本当にとてつもない量だったんです。
オレらは毎日毎日、期限切れで大量に余る弁当をゴミ用の大ポリ袋に入れて持ち帰りました(本当は禁止)。それがとても悲しくてね。忘れられないです。
彼の言い分は「あまるくらい入荷しなければどれくらいの需要があるのか分からないではないか」というものでした。バブル時代ならではの感覚ですよね。
客としては提示されたものを全て買う必要はない。しかしどうせ買うならばたくさんの中から選びたい、選択肢はたくさんあったほうが良い、とも思うわけです。
ここまで書くと、拙宅ブログで書いた堀江氏の理論と近くなってきますね。情報提供者は「選んじゃいけない」。選ぶのはこっち。ってことになります。
ということで長々とスイマセンでした。こんなところで終わるなよ、と言われそうですが。実は自分自身この後の結論は考えてないんです(笑)。でも良いきっかけが出来たので、これちょっと考えてみようと思って。
いろいろアリガトウでした。ではまたです。
めざましテレビの話は、本当にあちこちでありそうですね。
その中で、如何に「面白さ」を保っていられるか、
は難しい問題なんでしょうね。
セレクトショップという観点で言うなら。
多分、私を含め、多くの「消費者」にとっては
選択肢が多すぎても選べないって思うんですよ。
それだけに、
あらかじめ「信用できる」選び手さんに、
ある程度、絞り込んでおいてもらいたいってのは
あると思うんですよね。
ただ、どの「選び手さん」を選ぶのか、が消費者に託されてる
という事なのではないかなって。
なんで、
私としては「選び手の多様性」が大事じゃないかなって
思うんですよ。
どの選び手も、似たようなものばかり選んでる状況だと
つまらないなって思うので。
コンビニの例で言うなら、
私の家の近所に、セブンイレブンが3軒もあるんです(苦笑)
その3軒は当然、ほぼ同じような品揃えになりますよね。
これが、それぞれに個性的だったら嬉しいんですけど。
だから「1つくらい、ファミマにならんか」なんて
言っているんですけどね。
まとめますと、
だから確かに「選ぶのは消費者」って思うんですが、
それぞれの提供者の方で、あらかじめ絞り込んでいる、
その「絞り込み方」が多様なら、
それが最も「消費者にとって多様な選択肢がある」
って事なのではって思っているんですけど・・・