あまり適していないかもしれないですね・・・
どうも、めたかです。
いえ、CD店では発売日の前日に手に入りますけど、
アマゾンだと当日で、
しかも仕事のある身では当日に受け取るのが難しいので。
うん、ちょっと後悔しています。
他の参加者の方々もちょこちょこ書かれていますが、
土曜日は、オフ会をしていました。
小島さん、幹事どうもありがとうご ざいました。
夕方5時スタートだったんですけど、
結局、終電まで飲んでいました。
大阪の方々は帰り大変だったようですが、
一番心配だった方も、無事に家まで 帰れたそうです。
(電車が遅れた事が良かったそうですね。
そういう事もあるって事で・・・
もっとも、私はすっかり酔っぱらっていて、
現場では事態を飲み込めていなかったのですが。^^;;)
って話を枕に持ってきたのは、
今日の記事では「ネットとリアル(現実)」の話を
しようと思っているから、です。
ネットは「バーチャルの世界」なのか?
良く「ネットはバーチャルの世界だ」と言われます。
でも、それは本当でしょうか?
まぁ、疑問系で書いていますので、
「違うだろう」ってのが、私の結論なんですが(苦笑)
とりあえず、順に論を進めていきます。
まず「バーチャルの世界」ってどういう意味でしょう。
辞書的な意味から検討してみましょう。
まず、「バーチャル」から。
バーチャルって、「仮想」って訳するんですが、
「仮想」って何か・・・
とりあえず、一番良く使われるのが
「バーチャルリアリティー」だと思いますので
(「バーチャルな世界」と言う場合、
「バーチャルリアリティー」を想定していると思うし。)
その意味を辞書で調べてみると、
>コンピューター技術や電子ネットワークによってつくられる
>仮想的な環境から受ける、さまざまな感覚の疑似的体験。
とあります。
ですから「バーチャルの世界」って、
つまり「疑似的な世界」であるって事でしょう。
それで、
ネットって「擬似的な世界」なんでしょうか?
でも、
ネットの向こう側には、確かに「人間」が居るんですよね。
つまり、
「人間が作っている世界」ではある訳で、
それを「擬似的」というのは、違うと思うんです。
多分
「バーチャルな世界」と言う場合、
人工知能とかコンピュータプログラムのような
「人間でないもの」を相手に、人間を相手にしている
みたいになる事を指すと思うんですね。
だから
「テレビゲーム」について「バーチャルな世界で」
とか言うのは、合っていると思うんです。
(恋愛ゲームとかでバーチャルな恋愛
ってのは、それにあたるでしょう。)
インターネットの特殊性って何か?
でも、
「ネットはバーチャル」って言う場合、
「実際に人と会う体験の擬似的なもの」って事を
指して言っているんだと思うんです。
つまり、その「間接性」をもって
「バーチャル」としているんだって。
だけど、
もし、そう言うなら、「電話」とか「手紙」とかも
同じですよね。
何か、間接的なものを介しての「人との対話」じゃ
ないですか。
でも、
「電話」や「手紙」に対して
「バーチャルだ」と言う人は、居ないと思うんです。
(いや、そう言うんだったら、
「ネットもバーチャル」というのも、
合ってるとは思いますけどね。)
ネットというのも、
電話や手紙と同じ「間接的」な人と人との対話ってだけで、
その「間に挟まるモノ」が異なってるだけだと
思うんですよね。
もちろん、
ネットにはネットなりの「間に挟まるモノ」の特徴ってのが
あると思っていますよ。
それは「ほぼ日を読むのは基本」で紹介した
「インターネット的」で考察されている通りですが。
そして、
その「特徴」によって、人付き合いの仕方ってのは、
変わる場面ってのは、あると思います。
でも、
それを言うなら、「電話」や「手紙」でも、
その特性によってやり方が変わる事もあるでしょう?
電話を例にしますと。
電話って、相手の顔が見る事ができませんね。
なので、相手の表情が分からないですから、
その分、伝わりにくい所があるし、
反応も伝わってこない事も多々あります。
(もっとも、実際に会っていても、
反応の分からない相手とか、いますけどね・・・)
だからこそ、
普通に会って話す場合とは違った「気配りやマナー」が
ありますでしょ。
でも逆に「電話だから」こそ言える事なんかも、
あったりします。
ネットも同じ事だと思うんです。
だから、
ネットの特性は特性として「利用」して、
充分に楽しめば良いと思う。
だけど、
「ネットの手軽さ」を「バーチャル」と勘違いして、
その向こうに人間がいる事を忘れちゃイケナイって
思うんですよね。
あと、
私にとって、
ネットって「気軽に」って所ではないですね。
そうじゃなく、普段にはやらない程「気を使って」います。
というのは、
実生活での会話は、せいぜい数人相手ですから、
どう伝わるかもだいたい予想できますし、
その反応を伺いながら「対話」する事ができますよね。
でも、
ネットの方では、伝える相手の数か全然違うでしょう。
実生活でも、大勢の前で話すとかだと、
それなりに緊張もするし気も使うじゃないですか?
それがまた、例えば社内とかの「身内」ならともかく、
外の世界で「発表」しなければならないってなると、
それなりに準備もして考えていかないと
とてもじゃないけど、出来ない。
私にとって
ネットって、そういう場所だなぁって、思っているんです。
(これは「私にとって」であって、
人によって思っている事、感じている事は違うでしょう。)
つまり、ですね。
ネットにはネットなりの「特徴」というものがある、
それだけの話だって、思うんです。
それに対し
「バーチャル」って言うのは、
幻想に過ぎないのではないかなぁって思う。
「気軽に」色々とできるって言うけど、
その向こう側では、
確かに人間が居て、笑ったり怒ったり涙を流したり
しているんですよね。
それは、今これを読んでるあなたが
色々な「感情や思い」を抱くのと同じ事なんですよね。
そこに想像力を持てるかどうかってのは、
大きいって思うんです。
そこを「気を遣いたくない」と言う人は、
ひょっとすると、コンピュータか何かを相手にしている気に
なってるんじゃないかなぁ。
私には、そんなふうに思っちゃいます。
(もっとも、
私も「ネットで不必要なストレスをあまり感じたくない」
ってのはありますね。
だからこそ、事前に色々と気を配るんですが・・・)
というか・・・
これって、良く指摘されている
「自分の仲間以外の人間は『風景』と同じ」
とかいう「当世の若者気質」と関連づけて論じる事ができる
そういう話なのかなぁ。
(要するに「自分の身内」の人間以外は
人間とは見なしていない、
だから電車の中で化粧もできるし電話もできる、
みたいな話です。反論・異論はあるでしょうが・・・)
って事で、次の「ネット内のコミュニティー」の話に
繋がるんですが・・・
ネット内でのコミュニティー
インターネットって、
自分と同じ趣味趣向の人、気が合う人、近い価値観の人を
探しやすい世界だなぁって思いますね。
これは、ネットの素晴らしい特性の1つと言って良いと思う。
この特徴によって、
ネットでは、近い趣味趣向・価値観の人が集まる
「コミュニティー」が作られやすいって思う。
実際に、インターネット上では、
既に、たくさんの「コミュニティー」と言える所はあります。
しかし、
このコミュニティーに対し、
外部の無関係な人間がやってきて、その場を「荒らす」事が
良くあるようです。
それって確かに不快なものですよね。
ただ、だからと言って、
「異なるコミュニティー同士は触らずに
互いに無干渉でいきましょう」
というのは、私は違うと思うんです。
と言いますのは・・・
ネットで価値観が蛸壺化していく事に対し
危険ではないか、と指摘する議論があるんですよね。
詳しくは、昔書いた記事で取り上げて論じていますので、
そちらを読んで下さい。
・インターネットと「バカの壁」
ここでも取り上げた意見では、
ネットにおいて、異なる価値観をことごとく排除していく事は
「民主主義の敵」ではないかって
言われ方がしているんです。
だから、
ちょっと冷静になってほしいんです。
コミュニティーが没交渉になり価値観が蛸壺化していく事が
果たして良いことなのか?
考え直して見て欲しいんですね。
1つのケーススタディー・ゴーログの場合
で、
この件を考える1つのケーススタディーになるのではないか
って思うことを、過去に経験しているんですよ。
それは、木村剛さんのブログ(ゴーログ)での
「BLOG of the Week」のルールについての事。
詳しくは、
「閉じてるコミュニティーと開いてるコミュニティー」
と
「「BLOG of the Week」の新しいルールを支持します」
を読んで欲しい
(とりあえず、私の過去記事だけを貼っていますが、
そこからリンク・トラックバックを辿って
他の方の考えも読んでいただきたいです。
色々な参考になると思います。)
んですが、簡単に振り返ると
ゴーログの読者の間では普通にされていた「ルール」が
外部の人から「著作権上の観点」「ネットの常識の点」
でオカシイのではないか、という指摘がされたんですね。
それに対し、どう対応すべきかって問題です。
(で、
木村さんは、ブロガー達の意見を賢明にも取り入れて
ちゃんと「外の世界」も留意した「新しいルール」に
変更されたんですよね。)
私は、こういう態度が大事なのではないかって
思うんです。
というのは、
ネットって「開かれた世界」なんですよね。
つまり、
全然関係のない人も見る事ができるし参加できる、
そういうものでしょう。
ですから、
「外の世界」からの意見を全て拒絶するってのは、
我がままだって、私は、思う。
それなら、閉じた世界でやってなよって思いますよ。
(mixiとか、MLとかね・・・)
あと、
そういう「コミュニティー」に、
後から「新しい人」が入ってこようとする場合も
当然ある事でしょう。
ネットは「開かれた世界」ですからね。
その人は当然「暗黙のルール」なんて知らないし、
だから、「暗黙のルール」に反する事だってあるでしょう。
また、
知らされた時に、疑問を持つ事もあると思うんです。
その際に
「ルールを守らなかった」事を非難したり、
「このルールがイヤなら入ってくるな」というのは
どうなの? って・・・
「荒らし」みたいなのは否定して当然です。
でも、
ちゃんと耳を傾けるべき事は傾けるってした方が
「開いているコミュニティー」だと思うし、
少なくとも私は、その方が好きですね。
(強調しておきますけど、
これはあくまで「私の好み・趣向」ですからね。
閉鎖的なのが好きって人を
否定するつもりは、ないですけどね。
ま、「なんでネットなの?」ってのは思いますけど。)
で、結論なんですが・・・
それで、
この記事の「結論」ですが
冒頭に「オフ会」の事を書きましたよね。
実は、それが「結論」なんです(笑)
知らない方のために簡単に「言葉の説明」をしますと・・・
「オフ会」というのは、
ネット上で知り合った人間同士で、リアルで(オフラインで)
飲み会なんかを行う事です。
ネットを介する「対話」は「オンライン」であり、
それを介さない、リアルで会うってのは
「オフライン」であるって事から、
そういう飲み会なんかを
「オフラインパーティー」とか「オフ会」とか
言っているんです。
私のつたないネット経験では、
オフ会こそがネットで一番面白く楽しい事だったり
するんですよねー。
ネットで気が合う人たちとの、美味しいお酒を飲む楽しさ。
また、ネットとは違った面を見せてくれる人とかもいて、
その楽しさも格別ですし。
ネットで知り合った仲ですから、
年齢の違った人たちとも「対等の仲間」として
話をできる事も、なかなかに無い経験ですしね。
だから、
ネットで関わり合う人に対して、
「いつか、この人ともオフ会で会うかもしれないな」
(まぁ、会わないかもしれないし、
その可能性の方が大きいですけどね)
って事を考えのうちに入れておくと、
例えば酷い事なんて、言えないと思うんですよねー。
それに、
オフ会をすると「ネットの向こうに人が居る」という事を
実感を持って感じる事ができるようになるんですよ。
ある意味では、ネット上での(モニター上での)
「記号」にすぎなかったハズの相手が、
実際に、目の前に居る訳ですからね。
と言う事で
「オフ会をする」と言う事、
少なくとも、その可能性を念頭においている事、
それだけで、ネットへの関わりってのが
随分と「人間的」になるって
思うんです・・・
でも、
その上で大事じゃないかって事として。
その「オフ会」を、コミュニティー内部でやるだけじゃなく
それ以外の人とも「会う」可能性があるんだ
そう思っておく事が、大事かなって思うんですね。
「この人と会うかもしれないな」って人に対して
酷い事なんて、言えないじゃないですか。
ですから
反対意見をコメントしてくる人とも「オフ会をしよう」
って方が、面白いんじゃないかって、
思っていたりするんです。
(だから、
○○で暴れている××さん、オフ会に参加しませんか?
私の所では、歓迎しますよ(笑))
#↑様々な影響を考えて、一部、伏せ字にしましたが、
#それぞれ、色々な固有名詞を入れてお楽しみ下さい。
あと、
この系統の話題なら、下記記事も面白かったですね。
・リアルな世界とインターネットはどっちがリアル?
######
追記部分はmo_uraさんへの「お答え」です。
まず、
私が思う「いい世界」をいいと思わないというのは、
(私の「いい世界」を、どのように「推測」されているか
ちょっと分かりませんが。)
そういう方がおられるのは当然でしょう。
残念だとは思いますけども。
でも、それはしょうがない事ですよね。
で、
一般論としては、既に充分に論じたって思いますから、
その事より、
こちらでの私のコメントを踏まえてって事ですので、
その「具体論」の方を書きましょう。
まず、そのそもacoyoさんの記事において、
「祭り」ってのが何を指しているのかがあいまいで、
それに同調している(コメントされている)方々が
何を指して「祭り」としているのかも
明示はされていなかったんですが。
だけど、私には、
集団で一人の人を叩いているように見えました。
それが、イヤだったんですよ。
(まず、そのように見えるってのは、
意識された方が良いと思いますよ。
私の誤解なのかもしれませんが、
そう誤解させるようなものになっています。)
だけど、明示されていない事を推測で書いても
しょうがないので、
「抽象的」な、あの手の言説一般に当てはまる
「違和感」に対して書いたのが、あそこでの意見です。
いえ、ですから、
あちらのコメント欄が、コメントスクラムみたいな状態で
「祭り」みたいになっていた、というなら、
私はまた、全然違う事を書いていたって思います。
だけど、
(私から見れば)あそこで「祭り」とされた人は一人の人で
どう見ても「多勢に無勢」じゃないかって思ったから
だから「多勢」の方に、もの申そうって。
それに、
見ていただくと分かりますけど
私はその一人に人に対しても
違うって思う事については反論もしているんですよね。
だから、「その人を庇おう」って意図じゃなく、
あくまで、そこの空気がイヤだったって事で。
(要するに、平たく言えば
「被害者ぶってるけど、やってる事はイジメじゃないの?」
って事ですね。)
#って、
#「一人の人」って、ここにもコメント下さる
#marcmsさんですけどね。
#でも、marcmsさんだから庇ったって訳じゃないです。
#もっとも、marcmsさんのブログの方に書いてる事で
#意図が理解できたからってのはありますけど。
#そのすれ違いが悲しいなってのもありましたから・・・
でも、私は
「自分の規範を、そこの集団に押しつけよう」
と思ったんじゃないんです。
というより、一人でも「ぎくっ」ってしてくれれば
良いなぁって思って書いた訳で。
で、こうやって、こんな所にまで「苦情」を言いに来る人が
居たって事は、成功だったかなって思います(笑)
#もっとも、ここまでぶっちゃけた事は
#書きたくなかったんですけどね・・・
まぁ、だいたい論としては出尽くしたって思いますので、
あとは自分で考えて下さい。
あまり書くと、また「規範を押しつけようとしている」
って言われちゃいますし(笑)
前にも書いたように
「本当に大事な事は、自分で気づくしかない」
って思いますから。
それより、2、3、言い訳じみた事を。
まず、元々の「ほぼ日を読みのは基本」の追記部分は、
確かに、acoyoさんのコメント欄の事は想定にありましたが、
「続き」を書いたって訳じゃ、ないんですよ。
その件以外にも、色々と「なんだかなぁ」ってのが
あった事で思っていた事も含めて、
もっと一般的な事で書いていた訳で。
それに
「自分の価値観で人を裁かない」とか
「もっと他人の意図を読みとる努力を」みたいな事って、
私、自分のブログに何度も書いてるんですよねー。
だから多分、私のブログをずっと見て下さってる方には
「また、めたかの繰り言が始まった」
くらいのものだったって思うんです。
それから、この記事も、
mo_uraさんへの「反論」として書いたのではなくて、
元々はオフ会をしながら、
「オフ会の事を踏まえたネット論を書こう」
って考えていた事が、
たまたまmo_uraさんに言いたいことに
合致したってだけですよ。
まぁ、「コミュニティー」の話をくっつけたのは、
mo_uraさんに対してっていう部分がありますが、
これも、昔論じていた事の焼き直しですし・・・
(それに、これは実は、随分先に出てくる話への
伏線って意味合いもあるんですよ・・・)
最後に、一点だけツッコミを入れますね。
mo_uraさんの書かれた
>一番してはいけないことが、
>「既存のコミュニティのルールを変えようとすること」
>だと思います。
は、
「(インターネットに)外的であれ、内的であれ
規制やルール、あるいはガイドラインを設けること」
にはあたらないのでしょうか?
元々あなたの考え方を変えようとか、大それたことを考えてここに来たわけではありません。「そんな気分じゃないからよそでやってくれ」と言っている人に対して、子供を諭すような正論を吐くあなたにビックリして、どんな人か興味があってやってきただけですから。でもまぁ、この文章を読んで、めたかさんにも若干の遊び心があったのだとわかっただけでも収穫です。僕が釣られてやってきたように(笑)。
まぁ、ここまで考え方の違う人もいる、ということを認識してくれたらそれでいいです。実際僕は電話や手紙もバーチャルだと思っています(特に文通は否定派です)。オフ会で、初対面なのにインターネットと最初から同じ調子で馴れ馴れしい人にはどうしてもなじめません。体育会系なので(笑)。
この長文にこうやっていちいち反論していると反論のかたまりになるのでこれ以上は控えますが、民主主義の敵、的表現は民主主義を絶対権威化しているようでどうもなじめません。民主主義なんて、いろんなイデオロギーの中でどれもだめだけどいちばんまし、ぐらいのものだと思ってますんで。
それから、私に対しての直接のツッコミですが、「(インターネットに)外的であれ、内的であれ規制やルール、あるいはガイドラインを設けること」というのはあくまでも全体に共有化されたものを想定して書きました。「既存のコミュニティのルールを変えようとすること」がいけない、と私が思うのはマイルールですんで、何人か「そうだな」と思う人がいればそれでいいです。つまり、ご指摘のようなツッコミにはあたりませんのでご心配なく。それでは。
お考えは了解しました。
>「そんな気分じゃないからよそでやってくれ」と
>言っている人に対して、
>子供を諭すような正論を吐くあなたにビックリして
この部分は、自分への深い戒めにしたいと思います。
その上で、
「考え方が違うからこそ」話し合う価値があると思う私として
言わせて頂ければ、
mo_ura さんは
「民主主義を絶対権威化」とか
「そこに規制やルール、あるいはガイドラインを設けること」
のように、私の意見を拡大解釈して反論するって
感じました。
「民主主義の敵」という部分も、
「こういう考え方もある」という形で
ある考え方に別の考え方をぶつけて視野を広げよう
という意味合いで使ってるってのもありますし。
そういえば、めたかさんはまだ私の中ではリアルな人になってませんね〜。(笑)
そう言えば、「オフ会って、言った人には盛り上がる楽しいものなのですが、参加してない人にとってはこれほど楽しくないものは無い」と話してましたよね。
コミュニティが閉鎖的になることもありますし、「例の・・・」という会話が良くないんでしょうね。
自分でも気をつけないとと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。
私の表現が、そう受け取られてしまう
稚拙なものだったというのは受け止めないとイケマセンね。
その上で
>少なくとも一人はこういう人がいたということで。
そんな事は分かっているんですが。
mo_uraさんがそう受け取ってしまった事は分かっていて、
それに対して「それは違う、拡大解釈だ」って
言ってるんですけど・・・
mo_uraさんは、自分の言葉が拡大解釈された上で
批判されて、嬉しいですか?
ヤースさん>
あぁ、それ私が言っていたんですね。
オフの話ばかりすると参加しなかった人を
拒絶する事になってしまうって。
気をつけます。
こちらこそよろしくお願いします。
ヤースさんの中で私が「リアル」になれるよう励みます(笑)
何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
あなたが私を「拡大解釈して反論する人だ」というような書き方をされたので(この時点で私はもう嬉しくありません)、拡大解釈した訳ではないですよ、とお答えしただけです。拡大解釈が仮にあったとしても、あたかも読み手である私に拡大解釈の責任があるような書き方はやめてもらえませんか?
>mo_ura さんは
>「民主主義を絶対権威化」とか
>「そこに規制やルール、あるいはガイドラインを設けること」
>のように、私の意見を拡大解釈して反論するって
>感じました。
どう読んでも私への人格批判ですけど。これ。
んっと・・・
1.めたかはAと言っている(事実)
2.Aだなんてけしからん(批判)
この構図の批判ならば受け入れられるんですよ。
だけど
1.めたかはAと言っている(事実)
2.それはつまりはBと言う事だ(解釈)
3.Bだなんてけしからん(批判)
この構図で批判されても、こちらとしては責任持てない
って言ってるんです。
(物事、悪く解釈しようと思うなら
いくらでもできますからね。)
今回の事も、
私は「(そういう)人だ」とは書いていませんね。
それを「人」だと受け取って人格攻撃とするのは
あくまでmo_uraさんの解釈。
私が責任持てるのは
「mo_uraさんは私の意見を拡大解釈して反論している」
って部分まで、です。
私は、自分の意見(A)が自分の意図とは違う事(B)で
批判されているって感じている訳です。
でも、「拡大解釈」かどうかは
AをBと解釈するのが妥当かどうか、によりますね。
だから、「拡大解釈」という表現を
「私の意図と異なる解釈」に訂正します。
(ただ、私の側からは、それが「拡大解釈」に
なるってのは分かりますよね。)
だから私は「自分はそういう意図で書いたのではない」
って何度も書いている訳ですよ。
それをmo_uraさんは
「しかし私はBと受け取った」って主張される・・・
でも、Bという解釈が妥当かどうかはともかく、
少なくとも私が「そういう意図ではない」と
言ってるのですから、
それは認めて下さらないと話が先に進まないと思う。
(だって、私の意見を知るために
私の文章を読んでいるんでしょ?)
具体的に説明しましょう。
私が良いと思う事を主張している(A)のを
「規範を押し付けようとしている」というのは
それはあくまでmo_uraさんの解釈でしょう。
(つまりB)
だから、私はそういう意図ではないって
言っていたんですが
それに対してmo_uraさんはさらに
「(インターネットに)
規制やルール、ガイドラインを設けることに反対」
って仰る。
そうなると、私の立場からは
「自分が否定したもの(B)にあくまでこだわって
批判してきている」になる訳です。
(それに、mo_uraさんが始めから
「自分の主張はあくまでマイルールで
共感する人が居れば良い」って思っておられたなら
私の主張も、そのように受け取って下さっても
良かったのではありませんか?
規範の押しつけなんて解釈されずに・・・)
「民主主義の絶対化」も同様です。
もっとも、この2例だけで「一般化」してしまったのは
マズかったと思います。
(もっとも今回、3例目が出てきてしまったのですが。)
それが、「人格批判」なんて受け取られ方を
されてしまったのかなって。
(どう読んでもって・・・そうとう極端な読みだと
思いますけど。)
以上、
「mo_uraさんは私の意見を拡大解釈して反論している」
という部分の、
私の悪かった点と自分の意図の説明です。
例えば「民主主義の敵」という言葉は、ある種の人間にとって非常にインパクトがある言葉で、水戸黄門の印籠のような効果をもたらす象徴的な言葉です。本当にそう思ってないと軽々に使うのは危険である、と私は思っているのであのように書いたまで。
「インターネットに規制云々」というのは、あなたのブログの文章から感じた訳ではなく、某所で書かれたコメント、そのものでもなく、あの場であれを書いたという「行動」からそう受け取ったわけです。「そんな気になれないからよそでやってくれ」と言っている人に対して、「そこから何を学ぶかが重要で、どんな態度の悪い人の文章でも裏の意図を汲み取らなきゃいけない」というようなことを言うってことは、めたかさんは「全ブロガーがそういう態度を取るべき」と考えているんだろうな〜と私は受け取りまして、「全体に共有化された規制やルールには賛成できません」と書いたわけです。
このようなことをわざわざ書き続けているのは、「意図と異なる解釈をされるのにもちゃんとした理由があるのです」ということを少しでもあなたに伝えたいだけです。あなたの考え方そのものについて云々しようとは最初から思ってませんので、実は禅問答にもなりません。
最新記事をTBしたのですが、私が言いたかったことは全てめたかさんのこのエントリーに書かれていました、笑。
ザウルスは、ちょっとだけ使い勝手が悪いのです、笑。
つまり、
mo_uraさんは私の考え方ではなく
表現について忠告して下さっていたって事ですか。
それは気がつきませんでした。
それで、
私は自分の表現の「誤解を招きかねない部分」については
適宜、訂正し反省もしてきたつもりだったんですが
mo_uraさんの「少しでも」の少しって
どの程度の事を指しておられるのでしょう?
「Bと受け取られても仕方のない文章だ」ですが、
仕方のないってほどmo_uraさんの解釈は一般的ですか?
私は、なるべく色々な方に自分の文章を受け取って欲しいと
思っていますから、参考にはさせて頂いていますが、
相当に極端な解釈だって思っているんですけど。
それから、
「ある種の人間」ってどのような人を指しているのですか。
文章からは「民主主義はもっともマシなだけ」と捉えているmo_uraさんの事ではないと受け取ったのですが。
つまり、
mo_uraさんが「めたかが民主主義を絶対化している」
と思った訳ではないって事ですよね。
(違っていたら言って下さい。)
そう思ってしまう人がいるだろうから
気をつけた方が良いよって事でしょうか?
あざらしサラダさん>
どうもありがとうございます。
最新記事、拝見しました。
またそちらに書かせて頂きますが、
そちらの記事には、この記事に書かれていない視点が
あるかなって思います。
(重複コメントは削除させて頂きました。
ザウルスでのネット、大変ですよねぇ。)
ある種の人間、とは典型的リベラル主義者とその周辺の人たち、ってことですかね。言葉で言うと。つまり「民主主義を絶対視」している人達。こういう人達は「民主主義の敵」というレッテルを貼られることをものすごく恐れてますから、ディベートのときにこういう言葉を使うことによって相手を萎えさせる、という非常に戦略的な言葉だと思っています。
こういうある種「卑怯な言葉」を使うと誤解を生むことが多くなるのではないでしょうか?ということです。
もちろん私はめたかさんが民主主義を絶対化していると思った訳ではありません。それは仰る通り。
めたかさんと私で全く相容れない部分は、インターネットにおける「読み手責任論」か「書き手責任論」か、という部分だと思います。私は読み手には全く責任はない、と思ってますから、誤解したら誤解したままその情報を捨てるだけです。その意図を汲み取ろうと努力するなんて作業は必要ないしやらない。インターネットは単なる道具ですから。これ、かなり一般的な考え方だと思いますよ。
私はオリジナルのコメントで「mo_uraさんは<中略>拡大解釈して反論する」と書かれていたのでそう感じました。後のコメントで自然に訂正されていた「mo_uraさんは私の意見を拡大解釈して反論している」だったら私は人格批判とは感じなかったと思います。「反論している」は特定の行為を指しているのに対し、「反論する」は一般化しています。そういうことで。
「読み手責任論」か「書き手責任論」か
の話だと思います。
これについては、そのうちエントリを書こうと
計画していますが、
簡単に書くと、読んでいるだけなら
読み手に責任なんて全くないでしょう。
でも、読んだ事に対して
批判とか反論とかをするのなら、
責任ってのが出てくるって思います。
(この事を分かってらっしゃらない方が
特にネットには数多くお見受けしますので、
前々から記事を書こうって考えていたんです。)
その点に関しては一致してますね。