2005年06月26日

みのもんたとビオフェルミンの件について

ここ3ヶ月くらいは忙しい予定のめたかです。
ブログの更新頻度は、やや落ちますが
元気にしていますので。
(その分、1つ1つの記事は気合い入れます)


えっと。
いつのまに、武富士がTVCMを再開してますね。
もう「ミソギ」は済んだって事なんでしょうか。
あちこちの「メディア」に
裏金みたいなのを出しまくってた事も
明らかになっていますけど、
その事の「ケジメ」は、大丈夫なのかなぁ。
しかも、
このCMに出演してるのが佐藤寛子。
うっわぁ・・・
また、リスキーな仕事、引き受けたなぁ。
もっとも、
こうやってCMやってメディアにお金と落としていけば
「問題」があっても報道されにくくなる
って事かもしれませんけども・・・

って話を枕に持ってきたのは、
そういう話をするからです。
そう、メディアリテラシーの話ですね。

タマにコメントを下さる要さんが
重要な指摘をしています。

ディフォルト地点が「マイナスの世界」へ

ポイントは、この辺かな。
>「広告主を叩けないテレビ」批判ではなく
>「広告主を叩いてしまったテレビ」
>批判になっているということ。
>今となっては広告主に配慮することが
>ディフォルトなのだ。

(中略)

>従来、ディフォルトだったゼロ地点が下落して、
>マイナスの世界へ下がってきた。
>「広告主を叩いてしまったテレビ」批判には
>ディフォルトそのものがオカシイという
>指摘は見られない。凄すぎる。

要するに
「報道」って、スポンサーに都合の悪い事は
報道されないって事なの
って事ですよね。

そうすれば、
「報道されたくない企業」は
CMを出せば良いって事になるでしょう。

それって、「報道」として、意味あるのか?
って話、ですよね。

まぁ、理屈としては、
こういう事を理解している人は多いと思うんですが
実際の問題の時に、
すっ飛ばして考えてしまう人は
多いのかもしれません。
それだけに、
要さんのこの指摘は
重要だと思いました。
(私? 私、最近、時事ニュースに弱くて
 何も考えてなかったです、コレに対しては。)


・・・この要さんの記事を読んだ上で
私が考えた事を書きます。

私がまず思ったのは
ビオフェルミンって、製薬企業ですよね。
ちゃんとした治験のデータ、
持ってなかったのかなぁって事。
ちゃんとした治験データを持ってるのなら
それを示した上で
まともに反論すれば良かったのにって思う。

いやね、というのは、
これって、「製品の効果」に自信があれば
チャンスなんですよねー。
だって、自社製品をアピールする格好の機会でしょう。

多分、ビールなんて
マトモな治験データなんてないでしょう。
そこに、科学的にちゃんとしたデータを示して反論すれば
みのさん、反論なんてできないと思いますよ。
そうすれば、
逆に「ビオフェルミンって効果あるんだな」
って思ってもらえるじゃぁ、ないですか。
(その際に、反論を取り合ってもらえるために
 スポンサーの立場を利用すれば良い)

要するに
「言論を封殺するやり方」ではなく
「言論で」反論・抗議すれば良いと思うんです。
その方が、風通しが良い。

みのさんの「発言」は
確かに褒められたモノじゃ、ないと思う。
でも、
ビオフェルミン製薬の、このやり方は
私は良くないと思いますね。


#治験については、解説中ですね。
#(カテゴリの生命倫理をクリック下さい。)
#続きは、もう少し、お待ち下さい。
posted by めたか at 00:04| Comment(4) | TrackBack(0) | メディアリテラシー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トラックバックありがとう〜^__^
Posted by かなめ at 2005年06月30日 04:22
いえいえ。
お互い、良い記事書きましょう。
Posted by めたか at 2005年06月30日 07:09
みのもんたによる夕張偽善レポートのテーマ選択に不備がある!
税金無駄遣いならば、何よりも石原慎太郎の都政私物化問題を槍玉に上げるべきであろう。
現都知事はフランス語を「数も計算できない。国際語にならないのもムベなるかな」と評したそうだが、4×20+10=90式の計算方法はフランス人自身にとっては日常生活では全く支障が無く、キャトゥルヴァンディスは固有名詞である。寧ろ、本来4桁単位の日本人が、アメリカ式に3桁単位を採用している方が不合理であろう。しかも、日本人に取ってこの植民地根性丸出しの3桁単位は不便この上無い。逆に、志賀直哉は「フランス文法は日本文法より整然としているから、日本人は日本語を捨ててフランス語を母語とすべきだ」と言ったそうだ。こうした馬鹿げた発言をした者が両方とも作家であるのは非常に興味深い。
分不相応な地位に就いた小人物は、職権乱用・暴言・恫喝でしか自己存在をアピールできないのは世の常である。現都知事は、昔、「ババア」発言で物議を醸したそうだが、若い連中のバンカラ気取りは可愛げがあるものの、ジジイがその真似をするのは老醜以外の何物でもない。『石原慎太郎という生き方』という本が出るのもムベなるかなと言えるだろう。
血税浪費の点では、改革と称する売国こそがその最たる物と言える。
アメリカを想い、この国を潰すポチ如きに「根っからの親米派」発言をされたのでは、飼い主であるアメリカも堪った物ではあるまい。日本をブッ壊してでもアメリカの経済発展に貢献した挙句、将来、アメリカから「二極化已む無し」として真っ先に斬られるのは他ならぬポチの国であろう。津波被害援助に莫大な税金を投入することの是非は問わないが、日本国内にも人道支援を必要とする切り捨てられた弱者は沢山いる。多額の資金援助で経済的にガンジカラメにすれば精神的植民地化効果が期待できるという発想に、敗戦の教訓は見事に活かされている。
「時代の寵児」とやらの化けの皮が剥がれるのも最近は随分と早くなったが、それに伴い、血税私物化連中の往生際の悪さも目立つようになった。「責任を取って辞める」が「職責を全うするために辞めない」という小学生レベルの詭弁に取って代わられ、こうした論理が罷り通るならば、過去、汚職や醜聞に塗れて自殺した連中の死は犬死に以外の何物でもない。平成の坂本竜馬の葬儀当日、故人のオモニの発した「ミンナやってるじゃないかっ!」という言い分の方が、まだしも犬死にせし者達にとっては救いとなろう。雨後竹的「平成の坂本竜馬」連中は、その名に恥じぬ非業の死を選ぶべきであり、先人の死を無駄にせぬためにも、政治家・官僚・茶坊主・ハイエナ・小判鮫ドモはそろそろ襟を正すべきではないだろうか?
Posted by 日本人 at 2007年02月21日 16:54
一応、メアドは入れているようですので
削除はしませんが
内容と関係しない(みのもんたって事が共通なだけ)
ご自身の意見の開陳は迷惑ですので
ご自身のHP・ブログ等でやって下さい。
(守って頂けない場合は書き込み禁止にします)
Posted by めたか at 2007年04月04日 23:29
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