2005年08月02日

差別とは・その3 の続き

えー?
ハードル低く思われた方が良いじゃん?
あ、めたかです。

昨日「続きは明日。」って書いた
差別の話の考察を書きましょう。
(別記事にしました。
 皆さん、この件、考えられました?)


まず、
事例が2つありましたね。
確認しておきましょう。

「賃貸住宅をピンクに塗った韓国人が
 いたのでうちは韓国人お断り」
という主張は差別です
という話に対し
実際に不動産業者の経験で
韓国人に貸すと上記のようなトラブルが
起こるリスクが高い、と考える場合
このような行動は合理的じゃないのか

という反論がある、という話でしたね。

で、2つ目の私が出した事例は

職場に居た2人の外国人が
3つ残ったお土産を
私が居るにも関わらず残さず食べてしまった
「日本人だったら残してくれた」
って思った、という話、でした。

まず、2つ目の事例ですが
「具体的に相手に向けた言動が無い段階では
 差別とは言えない」
って事は言えるんですが
「差別に繋がる心にはなるのでは」って事で
進めて行きたいと思います。

で、
ここで「論点」になるのは
「日本人だったら残すけど
 外国人は残さない」
という考えが合理的かどうか、だと思うんです。

これは
「日本人なら必ず残す」って訳じゃないし
「外国人(西洋人)は必ず残さない」
って訳でもないんですけども、
「日本人では残してあげる」のが一般的で
でも、外国人には、そのような慣習はない
と考えられるのではないか

ってのが根拠になるんでしょうけど、
でも、それって本当か?
って事が、問われないとイケナイでしょう。

そこを判断するには、
相手の国の文化とか社会通念とかを
ちゃんと理解していないと
できないなって思います。
本当に、西洋の国では
「周りを見て、みんなに行き渡るように考え
 自分の分を取る」
そういう習慣はないのだろうかって。
例えば
色々なものを「シェア」しようって事は
西洋でもあるみたいなんです。
だけど
ここまで細かく気を配って分けよう
という文化は、ないんじゃないかなって。
でも、どうなんでしょう・・・


###
で、問題の韓国人の話に行きましょう。

論点となるのは
「韓国人とは不動産のトラブルになりやすい」
というのが合理的かどうか
でしょうね。

これは
韓国人の全てが不動産トラブルを起こす訳ないし
日本人の全てが不動産トラブルを起こさない
って訳でもないですけど、
日本人では
「人様から借りたものは丁寧に使うべき」という文化がある
でも、韓国人にはそういう文化はなくて
「借り手だろうが自分の主張を通そうとして
 相手の都合は考えようとしない」
そういう人が一般的(それが悪いとされていない社会だ)

同じように考えるのなら
このようになる訳で
これが本当かどうか、が問われないとイケナイでしょう。

でもね、
これ、本当なんでしょうか。
私は、それほど韓国通って訳じゃないですけど
でも、さすがにこんな事はないだろうって
思っているんですけど。
だって
韓国も基本的に「儒教文化」ですよね。
それで、こんな利己的な社会通念には
ならないんじゃないかって・・・

上記のように考える人って、
韓国の事を、どれくらい知っているんでしょうか?
韓国に長く滞在していた経験があった
とか、そういう上で、こういう事を言ってるのかな?


###
前にも書いたように
差別って、無知と偏見から生まれる
って思うんですよ。

だから
実際に不動産業者の経験で
韓国人に貸すと上記のようなトラブルが
起こるリスクが高い、と考える場合
このような行動は合理的じゃないのか

なんて考える人は
何らかの理由によって
韓国が上記のような社会だって
偏見を持った人なんじゃないかって
思うんです。
(って、これは私の考えですけども。)

お土産のお菓子を残す例の方も
もし
「西洋ではそこまで気を使って
 分けようとする慣習はない」
というのが間違いで、合理的じゃなかったなら
「西洋にはそんなのない」
って思っている私の偏見が、
理由になってる訳ですよね。
だけど
これは、偏見ではなく「正しい理解」かもしれない。

だから、
色々な判断をする根拠となった考えが
正しいのか、偏見に過ぎないのか
を検討する必要が、あるんでしょうね。
(それは、韓国の例の方でも同様。)

あと
これがもし、偏見だった時
そういう偏見を抱いた元となった情報は
どこから来たのかってのを
検討する必要があるかなって思う。
いや
「正しい」(と考える)場合なら
その「考え方」が何を根拠としているから
ってのが、あると思うんです。
(いえ、だから私は
 偏見ってメディアが作る事が
 結構あるって思っていまして。
 あと、これからはネットが作る事も
 あるだろうなって思う・・・)

ま、こんなトコですね。
あとは前に紹介した「30日間イスラム修行
の韓国版として、韓国にホームステイしてみたら
って事かな。
だいたい、言い尽くしたって思うんですけど。
posted by めたか at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この2つのエントリ、非常に重要なことが書かれていると思ったのですが、どのようにコメントするかちょっと考えてしまいました。

ある社会や集団にとって“一般的なこと”というのはなかなか分からないものですね。特別な例から一般化される「偏見」は少なくないものです。僕としては、“お友達”を増やすことが一番いいと思うのですが、「棲み分け」というのは“お友達”をつくる機会を減らしてしまうように思うのです。

まあ、めたかさんの前のエントリは、文脈が違うと思うのですが、同じ言葉なので、どのように違うのかなぁと少し気になっています。あまり、重要な問題でないのかもしれませんけれども。。。
Posted by netwind at 2005年08月04日 22:09
コメントありがとうございます。

あぁ、ネット言論の「棲み分け」の話ですね。
確かに、完全に「棲み分け」してしまえば
偏見を生み出す土壌になってしまうかもしれないですね。
ただ・・・

この辺、微妙な話になるのですが、
「棲み分け」というのがなければ
多様性というのも無くなって均質化してしまう
という側面もあると思うんです。
この辺、進化論などでも論じられてる事ですが。
(あと、この辺りも参考になると思います。
http://www.h5.dion.ne.jp/〜japling/main/difficulty.htm

そういう意味では
「棲み分け」と「異なる世界に橋を架ける」
という両方が必要で、そのバランスが大事って
なると思っているんですが。
(それで、
 私は、人は複数の世界に属すべきだって思っていて。
 そうすれば、そこが「中継点」になる訳で
 中継点がいくつもある事になりますし・・・)
2chを見ながら、固定ハンドルで対話もする人ってのが
居て良いと思いますし・・・
Posted by めたか at 2005年08月04日 23:35
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