2005年08月21日

悲しみを見つめる事だけが争いを癒す

さて、
センチメンタルな日曜日です。
日曜の夜になると、
そんな事を書きたくなる訳です。
(ま、今日は仕事だったんですけどね・・・)

ま、色々な争い事って、ありますよね。
それって、とても悲しい事だって思うんですけど。
それは、
客観的に悲しいってだけでなく
それぞれの当事者にとっても、
辛く悲しい事だろうなって思うんです。

だから、ホントなら争いなんて
したくないハズだって思うんですけど、
それでも争いをしてしまう
その因って、何なんだろうって・・・

例えば
今の自分から遠い事なので例に出しますけど
イスラエルとパレスチナの「争い」には
イスラエルの方にも
「悲しみ」ってのがあって、
それが、争いとか憎悪とかに駆り立ててる
って思うんですよ。
一方、パレスチナの方にも
「悲しみ」があり
それが、争いや憎悪に駆り立てる。
このままじゃぁ、
どちらかが滅びるまで、争いが終わる訳が
ないですよね。

多分ね、
それぞれの側が、「自分の」悲しみしか
見ていないんだと思うんです。
相手の「悲しみ」を見つめる事ができれば
それを認める事ができれば
なんかね、もっと、マシな展開はあるだろうって
思う訳ですよね。

そして、
第三者にとっても、この「争い」を見る時に
単に「そんなふうに争うのは悲しい事だ」
で終わるのではなく
それぞれの「悲しみ」ってのを
見つめていかないと
あまり意味あるものではないかもしれない
って思うんです。
もっとも
「悲しみを見つめた」からと言って
何が出来る訳じゃない
とは思うんですよ。
でも
「悲しみ」を見つめない(第三者の)言及って
なんにもならないって思う。
「悲しみ」を見つめた言葉だけが
争いを癒す事ができるだろうし、
それがなければ
何も進んでいかないのではないか・・・


イスラエル・パレスチナの事を
例にしましたけど
でも、他の色々な事も
「争い」って観点から見た時に
こういう視点って大事なのではないか・・・


最近、そんな事ばかり、考えています。
posted by めたか at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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