ホームページで「メタ」という概念について
説明した後で書こうと思っていたネタだったんです.
その上で書こうって、
ずぅっと前からとっておいた話なんですけど。
でも、
最近の言論状況に、ちょっと我慢ができなくなってきたので、
少し不親切ではありますが、書いてしまいます。
「メタ」って事がピンと来ない人には、
イマイチわかりにくい文章かもしれませんが・・・
(後日追記。簡単にですが「メタ」について書いてみました。)
「偽善」という言葉の意味は、わかりますよね。
インフォシークの国語辞典では
「本心からではない、うわべだけの善行」とあります。
まあ、「偽物の善」とでも言っておけば良いでしょうか。
「善い人ぶる」って感じかな。
一方、
「偽悪」というものも、出てきました。
これは逆で、「悪ぶる」って事になりなす。
で、
世間一般では、
「偽悪」というのは、「偽善」の反対だと思われがちみたいですね。
だけど、
違うと思うんです。
「偽悪」は「偽善」のメタじゃないかな?
つまり、
「偽悪」は「偽善」の反対なのではなく、
「メタ」なんじゃないかって趣旨の文章です。
だから、「メタ」って事がピンと来ないと難しいんですけど・・・
ただ、
「偽悪」という言葉、考え方は、
「偽善」ということがあって、
初めて作られたものなんだって事は、
わかると思うんです。
「偽悪」って、「偽善」を前提に作られたものだって。
別の見方もしてみましょう。
「偽善」をする人って、
善人って思われたいって事ですよね。
言葉を変えれば、悪人って思われたくないって事で。
それでは、
「偽悪」をする人って、
悪人って思われたいって事なのは、そうだと思うんです。
でも逆に、
「善人」って思われたくない、んでしょうか。
違うと思うんです、
「偽善者」と思われたくない、のではないでしょうか。
つまり、
「偽悪」ってのは、
あらかじめ「偽善」という物事の捉え方があって、
それに対する「恥ずべき事」のようなネガティブな印象があった上で、
それならば、
「偽善」と思われるより「悪」と思われた方が良い、
そういう行動じゃないかって、思うのです。
これが、
「偽悪」は「偽善」のメタである
って事の意味です。
でも、
素朴に「偽悪」を「偽善」の反対と捉えるなら、
違ってくるんですね。
「偽悪」というのは、
実は善なのに悪のように振る舞う。
偽善は、悪なのに善のように振る舞う、
とするなら、
偽悪をしている人の方が実は善人で、
偽善者こそが悪人って捉え方になる・・・
だけど、
少し引いて考えてみたいんです。
偽善というのが何故、批判的に捉えられるのか、というと、
その行為によって、ではないと思うんです。
だって、「善のように」振る舞っている訳ですから。
そうではなく、
「善人と思われよう」という、その意図こそが、
批判されるんだと思う。
でも、
その「他人からの見られ方をコントロールしよう」というのがイヤらしい、
とするなら、
それは「偽悪」の側も、その意図としては全く同じではないでしょうか。
つまり、
偽悪をしている人の方が実は善人で、偽善者こそが悪人
って訳ではない、
どちらも同じようなもの
(ただ、どっちがより自覚的かってだけ)
なのでしょう。
(だから、
「偽善」っていうのは、
「善と悪」のメタであって、
そのさらにメタが「偽悪」って捉えられるのでしょう。)
でも、
思うんですよ、
誰しも、他人に「こんなふうに思われたい」ってのは、
多少はあるんじゃないかって。
だから、
こういう心の動きを、あまり批判しても・・・って。
だから、
もう今後は「偽善」という批判は
ナシにしましょう!
って思います。
もう、これからは、
「偽善」って事だけで人を批判はできないって。
そうではなく、
その行為が本当に「善」になっているか、
具体的にきちんと検討した上で、必要なら批判する、
そうありたいと思います。
また、
誰かに「偽善」って言葉を投げつけるだけで
批判した気になっている人に対しては、
この文章を紹介して、
もう、そういう批判は有効ではないんだよって、
そう言おうと思います。