『バカの壁』の第一章の書評を書いたんですが、
ちょっと説明不足だなって思ったので、
この「反証主義」ってのをもう少し説明してみます。
科学ってのは、
「あらゆる反論を受けて立つ態度」なんですね。
別の言い方をすれば
「あらゆる反論に対して開かれている」ものが、科学。
なので、
科学の場に何かを発表するって事は、
様々なところからの反論にさらされるって事なんです。
ただ、
どんな反論でも良いって訳ではない、ってのがミソでして。
それは何故かというと、
科学の場で「反論をする」って事も、
「科学の場で(反論を)発表をする」って事なので、
同じように
「あらゆる反論にされされる」って事なんですね。
だから、
とんちんかんな反論は意味をなさなくて、
検討する意味のある反論にさらされるってなる。
で、
単に「反論される」ってなら、
どうしようもないんですが
(どっちが正しいか、分からない事が度々ってなる)
そこで重要になるのが
「検証」であり、
そのために「実験」ってのが必要になる、んですね。
つまり、
「実験」とは、「検証」のためのもの、なんですね。
なので、
誰もが真似の出来るものでないといけないのです。
それが、
「再現可能性」って事で、
これのない「検証実験」は意味を成さないって、
科学ではみなされるんですね。
こういう検証にさらされてきたものが
「科学」なんです。
で、
他に、ここまで厳しい検証にさらされてるものって、
ないと思うんです。
多分、「科学の絶対性」って、
これが原因だと思うんです。
要するに、相対的に他よりも確実だって事で、
でも、
それってあくまで「他と比べて」って事であって。
だから、
「科学の絶対性」って、
例えば、技術が進化して新しい検証ができるようになったり、
そういう
「これまでされていない反論」にあった時に、
覆される可能性があるモノなんですね。
ただ、
大抵の反論って、誰かがこれまでに思いついてされていたりするんで、
ちょっとやそっとで覆ることはないんですけどね。
これが「反証主義」ってヤツの正体です。
一言で言えば
「科学の信頼って、厳しい反証によってもたらされている」
って事かな。
そのことを踏まえた上で、バカの壁の一章を読んでいただければ、
「地球温暖化」の話も、良く分かると思います。
(要するに、炭酸ガス仮説って
検証の難しい仮説なんですよ・・・)