上記記事のコメント欄にも書いた
「匿名性が守ろうとしている言論の自由って何?」
って事、疑問に思っちゃったんですね。
例えば、
拉致被害者の家族会に対して
「首相に失礼」とか言って批判のファックスやら電話やらが殺到した
というニュースがありましたよね。
でも、
そういうった批判の多くは「匿名」だったって事で。
というのは、
ブログとかで家族会に対してあからさまにバッシングしている意見って
あまりないと思うんです。
(私が知らないだけかも、ですけど。)
何が言いたいかって言いますと、
家族会に対してバッシング的な意見を浴びせられるって、
「匿名」だから、じゃないのか?
例えば自分のホームページやブログで、
堂々と批判したら、
反撃されるかもしれないですもんね。
そんなふうに思うと、
「匿名性の役割」って、
単に悪いことをする為じゃないの?
って、思えてきたんです・・・
って時に、
圏外からのひとことの記事に、
関連した事がありまして。
このリンク記事の「市民以外とは何か?」の部分、
これが
「匿名を必要としているものは何か?」を
考察しているって言えるでしょう。
それを読みながら、
ずっとずっと、考えていたんですけど。
essaさんが述べる「市民以外」は、
「個人の中の悪」と、
「社会・制度によって『悪』にされたモノ」
って考えることができるのかなって・・・
そうした時に
「悪って、いったいどうやって決まるのだろう?」
って思ったんですね。
こう考えると、
「悪って、完全に排除できるものではないよなー」
って思ってきた訳です。
・・・え、中途半端ですが、
とりあえず、ここまでで公開することにします。
あと、
例えば私、ペンネームを使ってるんですけど、
こういう「匿名性」の意味、とか、
そういう問題を、自分の問題として考えたり、
そういう話と、さっきの話を繋げたりして、
もう少し論じようと思っていたんですが、
息切れです。
とりあえず問題意識だけでも伝われば良いかなって事で。
(他にも書きたいネタが目白押しですので・・・)