2004年06月10日

『「政治アレルギー」の正体』の反響より

CCCD・輸入権関連について、
書きたいことは溜まっているんですけど、
まとめる余裕がないので、
一番安直な記事の作り方をします。
ふふっ・・・


おかげさまで、
前に書いた『「政治アレルギー」の正体』に
色々な所でリンクを貼って頂きました。
(そんな多くないんですけど、
 始めたばっかの弱小ブログには珍しい事、なんです。)

この件って、
とても大事な事を書いていると思うんですが、
でも、誤解されそうなトコもいっぱいある話だって思うんです。
それで、
リンクしてくれた記事に、
私の説明を補足してくれていたり、
別の視点から見ていてくれたりしますので、
それらを拾って、
もう少しこの件について書いてみようと思います。


まず、
トラックバックしてくれた
facethemusicさん、
この方は、実は毎日この記事にリンクを
貼ってくれているんですよー。
で、初めの日の記事で、
大事なポイントを補足して下さっています。
私は、あまり意識せずに
「コミット」って言葉を使ってしまっていたんですけど、
その言葉を実に明確に定義付けして下さっています。

>コミットとは「自分の立場を明らかにする、言明する」の意

そうですね。
「政治的な事」に関わっていく場合、の、
第一歩目になるのが、
この「自分の立場を言明」ですよね。
ブログで取り上げるってのも第一歩ですよね。


次はoutsider reflexさん
6月5日分topics

>そうやって「利害調整の場」から逃げるって事は、
>「自分の利益」を放棄するって事な訳で。そうなると、
>誰もそんな人の「利益」を代わりに守ってあげよう、
>なんて人間はいない、でしょう。そうすると、
>政治的にどんどん「損をする」って事になるんですね。

>……というような話はわりとサヨクな人達が
>よく言うことと似通っていて、
>この部分には目新しさを感じないのだけれど、

>私たち日本人の感性って、
>「自分の利益ばかりを声高に主張するのは行儀悪い」
>ってものですよね。だから、
>政治に深く関わっている人は、
>そういう「行儀悪い事をしている人」
>って思っちゃうんでしょうねー。

>という部分には「おっ」と思った。
>言われてみればそうかも知れない。

これは、
一番届いてほしいタイプの人に、
一番ひっかかって欲しい部分でひっかかってもらえたなって。
それで
「目新しさを感じない」って部分を少し補足しますと。

私が、
政治を遠ざけてる人に政治に目を向けるように
って事を書いているのは、
そういう人って、
私と利害の多くが共通してるだろう
そういう人が多そうだ、
と思っているから。なんですね。
つまり、
こういう人が政治に興味向けることが、
私自身の利害にも役立つんじゃないかって。
そう、
だから、別に人のためじゃなく、
自分のため、なんですね。

なんかねー、
悔しいじゃない?
組織作ってがっちりスクラム作ってる、
そういう「行儀悪い人たち」の利益ばっかり、
守られるってのは。
「自分たち、行儀悪いかも」
という遠慮だけで、
遠慮のない人たちに譲らないといけない、なんて。


次は、No! CCCD Diaryさん、
この方の記事でも重要なポイントが。

>投票する、という以外の政治参加の方法論を
>僕らは模索する必要があるかも。

そうなんですね。
で、
思ったんですけど、「投票」だけの政治参加って、
受身な態度、人任せな考えじゃないかって。
今、高橋健太郎さんが文化庁の人に話しに行ったり、
とかが、「投票以外の方法」の例なんでしょうけど、
そうやって、
やれる事、思いついた事をどんどんやって、
選挙もその一手段として位置づける、
そして、その時々で最善の選択をする、
そう考えたら、
「ウチの選挙区には良い候補が居ない」
とか
「投票したいのがない」
なんて人任せな事を言わなくて済むんじゃないかって。
(だって、じゃあ、
 「良い候補が居た」なら、
 その人に全て任せられるって事じゃない?)


次に、これもトラックバック送って下さった
ま、こんなもんでしょうさん

>異議あり!
>ってスグ言える姿勢。それを作り上げるには、
>自分の中でその問題に対して
>確固たるモノを持っていないとダメな訳で。
>それをあっさり論破される様じゃダメな訳で。

いや、論破されても良いと思うんですよ。
別に、
「コミット」は、誰かを論破するためにする訳じゃないし。
「議論」する事で、
自分の考えが変わったなら、それはそれで良いでしょうし。
だって、
初めの自分の考えが正しいとは限らないでしょ?
それを修正する良い機会と考えれば良いわけで。
「コミット」しないと、
そういう機会すらないままだと思いますよ。
それに、
そういう中で鍛えられて作られていくものだと思うんですよ、
「確固たるモノ」って。


あとは、
「反・輸入盤規制法案」テーマについていろいろ。

これは、私の記事とは関係ないのですが、
「不買運動」について、ちょっと書いておきます。
「不買運動」は、「不買」って表明する事こそが、
大事なんだと思うんですね。
実際に「不買」にしなくても、
かまわないのではないかって。
だって、
「不買」を表明している人が、
本当に買ってないかどうか、
分からないわけですし。
だから、
「不買」表明している人でも、
実際に買いたいものがある人は、
買って良いと思うんです。

それと、
この文章にもあるんですけど、
「運動」をしない人や消極的な人への
攻撃的な言動をするって事は、
やっぱり問題あると思うんですね。
実は、
「シリーズ:CCCD問題の深層」の
次の記事に書こうと思ってるのが
この件だったりするので、
そこでちゃんと考察しますけど、
昨日の記事に書いた
「全体の事を見ることができない」
行動になっちゃってるって、
意識して頂ければって思うんですけど。

でも、
私個人としては、
「不買宣言」って、なんか芸がないなって
思っていたりするんです。
それで私は、次のような「宣言」をしています。

志なきものに一銭のお金も払いたくない!



何に志を感じるか、は、
それぞれに考えれば良いと思います。
でも私は、
少なくともCCCDでのリリースに志は感じないです。


最後は反響ではなく、
私の方が「反響」するんですが、
高橋健太郎さんのブログより。

国家権力は監視をしていないと必ず腐敗する

> 政治に関わることを嫌うシニシズムが、
>僕個人の中でも、今回の経験を通じて、
>大きく後退した。それも驚くべきことでした。
>たぶん、多くの人にとっても、
>そうであったのではないか。
>この数日、普段の仕事に立ち戻る中で、
>そう感じたりもしている。一言でいえば、
>そんなにカッコワルクなかったわけです。
>国会まで行って、意見陳述するのも。

それは、
「目的」がはっきりしていて、
それに向けてやっているってのが明確だから、
だと思うんです。
「目的」に向けて努力するって事が
カッコ悪い訳はないでしょう?


今回、
法案については残念でしたけど、
でも、多くの人を呼び覚ましたって事は、
それでもお釣りが出るくらい、
大きい出来事なんじゃないかって
個人的には思ったりするんです。
自分も含めて、ね。
今までの私は、色々な事に興味は示すんですが、
実際の運動ってのはハードルが高かったんですが、
色々やってみても良いなぁって、
思い始めています。
posted by めたか at 22:04| Comment(2) | TrackBack(1) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。

時々読ませていただいています。
政治的な発言や意見という趣旨と関連するはずですが、
情報の情報というのは気がひけますが、

こういうことがイギリスでは起きているようです。<a href="http://www.100shiki.com/index.php?20040608" rel="nofollow">http://www.100shiki.com/index.php?20040608</a>
既知でしたら、すいません。

Macいいなぁ。
Posted by yoshi at 2004年06月11日 09:59
コメントありがとうございます。

その記事はチェックしていませんでした。
面白いですねー。
どうもありがとうございました。
また。こういうネタがあったら教えて下さい。
Posted by めたか at 2004年06月11日 20:50
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