書きたいことは溜まっているんですけど、
まとめる余裕がないので、
一番安直な記事の作り方をします。
ふふっ・・・
おかげさまで、
前に書いた『「政治アレルギー」の正体』に
色々な所でリンクを貼って頂きました。
(そんな多くないんですけど、
始めたばっかの弱小ブログには珍しい事、なんです。)
この件って、
とても大事な事を書いていると思うんですが、
でも、誤解されそうなトコもいっぱいある話だって思うんです。
それで、
リンクしてくれた記事に、
私の説明を補足してくれていたり、
別の視点から見ていてくれたりしますので、
それらを拾って、
もう少しこの件について書いてみようと思います。
まず、
トラックバックしてくれた
facethemusicさん、
この方は、実は毎日この記事にリンクを
貼ってくれているんですよー。
で、初めの日の記事で、
大事なポイントを補足して下さっています。
私は、あまり意識せずに
「コミット」って言葉を使ってしまっていたんですけど、
その言葉を実に明確に定義付けして下さっています。
>コミットとは「自分の立場を明らかにする、言明する」の意
そうですね。
「政治的な事」に関わっていく場合、の、
第一歩目になるのが、
この「自分の立場を言明」ですよね。
ブログで取り上げるってのも第一歩ですよね。
次はoutsider reflexさん
6月5日分topics
>そうやって「利害調整の場」から逃げるって事は、
>「自分の利益」を放棄するって事な訳で。そうなると、
>誰もそんな人の「利益」を代わりに守ってあげよう、
>なんて人間はいない、でしょう。そうすると、
>政治的にどんどん「損をする」って事になるんですね。
>……というような話はわりとサヨクな人達が
>よく言うことと似通っていて、
>この部分には目新しさを感じないのだけれど、
>私たち日本人の感性って、
>「自分の利益ばかりを声高に主張するのは行儀悪い」
>ってものですよね。だから、
>政治に深く関わっている人は、
>そういう「行儀悪い事をしている人」
>って思っちゃうんでしょうねー。
>という部分には「おっ」と思った。
>言われてみればそうかも知れない。
これは、
一番届いてほしいタイプの人に、
一番ひっかかって欲しい部分でひっかかってもらえたなって。
それで
「目新しさを感じない」って部分を少し補足しますと。
私が、
政治を遠ざけてる人に政治に目を向けるように
って事を書いているのは、
そういう人って、
私と利害の多くが共通してるだろう
そういう人が多そうだ、
と思っているから。なんですね。
つまり、
こういう人が政治に興味向けることが、
私自身の利害にも役立つんじゃないかって。
そう、
だから、別に人のためじゃなく、
自分のため、なんですね。
なんかねー、
悔しいじゃない?
組織作ってがっちりスクラム作ってる、
そういう「行儀悪い人たち」の利益ばっかり、
守られるってのは。
「自分たち、行儀悪いかも」
という遠慮だけで、
遠慮のない人たちに譲らないといけない、なんて。
次は、No! CCCD Diaryさん、
この方の記事でも重要なポイントが。
>投票する、という以外の政治参加の方法論を
>僕らは模索する必要があるかも。
そうなんですね。
で、
思ったんですけど、「投票」だけの政治参加って、
受身な態度、人任せな考えじゃないかって。
今、高橋健太郎さんが文化庁の人に話しに行ったり、
とかが、「投票以外の方法」の例なんでしょうけど、
そうやって、
やれる事、思いついた事をどんどんやって、
選挙もその一手段として位置づける、
そして、その時々で最善の選択をする、
そう考えたら、
「ウチの選挙区には良い候補が居ない」
とか
「投票したいのがない」
なんて人任せな事を言わなくて済むんじゃないかって。
(だって、じゃあ、
「良い候補が居た」なら、
その人に全て任せられるって事じゃない?)
次に、これもトラックバック送って下さった
ま、こんなもんでしょうさん
>異議あり!
>ってスグ言える姿勢。それを作り上げるには、
>自分の中でその問題に対して
>確固たるモノを持っていないとダメな訳で。
>それをあっさり論破される様じゃダメな訳で。
いや、論破されても良いと思うんですよ。
別に、
「コミット」は、誰かを論破するためにする訳じゃないし。
「議論」する事で、
自分の考えが変わったなら、それはそれで良いでしょうし。
だって、
初めの自分の考えが正しいとは限らないでしょ?
それを修正する良い機会と考えれば良いわけで。
「コミット」しないと、
そういう機会すらないままだと思いますよ。
それに、
そういう中で鍛えられて作られていくものだと思うんですよ、
「確固たるモノ」って。
あとは、
「反・輸入盤規制法案」テーマについていろいろ。
これは、私の記事とは関係ないのですが、
「不買運動」について、ちょっと書いておきます。
「不買運動」は、「不買」って表明する事こそが、
大事なんだと思うんですね。
実際に「不買」にしなくても、
かまわないのではないかって。
だって、
「不買」を表明している人が、
本当に買ってないかどうか、
分からないわけですし。
だから、
「不買」表明している人でも、
実際に買いたいものがある人は、
買って良いと思うんです。
それと、
この文章にもあるんですけど、
「運動」をしない人や消極的な人への
攻撃的な言動をするって事は、
やっぱり問題あると思うんですね。
実は、
「シリーズ:CCCD問題の深層」の
次の記事に書こうと思ってるのが
この件だったりするので、
そこでちゃんと考察しますけど、
昨日の記事に書いた
「全体の事を見ることができない」
行動になっちゃってるって、
意識して頂ければって思うんですけど。
でも、
私個人としては、
「不買宣言」って、なんか芸がないなって
思っていたりするんです。
それで私は、次のような「宣言」をしています。
志なきものに一銭のお金も払いたくない!
何に志を感じるか、は、
それぞれに考えれば良いと思います。
でも私は、
少なくともCCCDでのリリースに志は感じないです。
最後は反響ではなく、
私の方が「反響」するんですが、
高橋健太郎さんのブログより。
国家権力は監視をしていないと必ず腐敗する
> 政治に関わることを嫌うシニシズムが、
>僕個人の中でも、今回の経験を通じて、
>大きく後退した。それも驚くべきことでした。
>たぶん、多くの人にとっても、
>そうであったのではないか。
>この数日、普段の仕事に立ち戻る中で、
>そう感じたりもしている。一言でいえば、
>そんなにカッコワルクなかったわけです。
>国会まで行って、意見陳述するのも。
それは、
「目的」がはっきりしていて、
それに向けてやっているってのが明確だから、
だと思うんです。
「目的」に向けて努力するって事が
カッコ悪い訳はないでしょう?
今回、
法案については残念でしたけど、
でも、多くの人を呼び覚ましたって事は、
それでもお釣りが出るくらい、
大きい出来事なんじゃないかって
個人的には思ったりするんです。
自分も含めて、ね。
今までの私は、色々な事に興味は示すんですが、
実際の運動ってのはハードルが高かったんですが、
色々やってみても良いなぁって、
思い始めています。
時々読ませていただいています。
政治的な発言や意見という趣旨と関連するはずですが、
情報の情報というのは気がひけますが、
こういうことがイギリスでは起きているようです。<a href="http://www.100shiki.com/index.php?20040608" rel="nofollow">http://www.100shiki.com/index.php?20040608</a>
既知でしたら、すいません。
Macいいなぁ。
その記事はチェックしていませんでした。
面白いですねー。
どうもありがとうございました。
また。こういうネタがあったら教えて下さい。