2004年07月30日

狂気こそは世の中を変える(中島らも追悼)

昨日のイトイさんの「今日のダーリン」について、
昨日書いたんですよね、
リンクしてるって。それ、わかるって。
だけど、
違うって思う事もあるって。
それを、書きます。

でも、
イトイさんの今日のダーリン、更新されちゃって、
29日の分はもう読めないんですよねー。
一応、自分のファイルには保存してあるけど、
それを全文引用しちゃうのはルール違反なんで、
一部引用して、あとは要約します。

だいたい、要旨としては
「熱狂を自慢するって違うんじゃないか」
って話でして。
それで、
>ぼくは、いまだからわかるのだけれど、
>野球に熱狂していたことがあってさ。
>ものすごく巨人ファンだったわけですよ。
>いまだって、巨人ファンだとは思うのですけれどね。
>ある時期、熱狂と言えるくらいに巨人ファンでした。
>いま思うとね、自分ではどうしょうもない虚しさを、
>心のなかに抱えててさ、それを埋めるために、
>熱狂を呼び込んでいたんだと、思うんです。

とご自身の事を書いた上で、
何かに過剰に熱狂するのはおかしいって事を
書いておられた、んですね。

それは、そうだと思う。
だけど、
中島らもファンとしては、
「おかしくて何が悪い」って事も、思うんです。
(別に喧嘩を売ってる訳じゃないんですけど。)

私は、らもファンとしては、
中島らもさんに距離を置いて見ていた方、だと思う。
らもさんに過剰に思い入れて、同一視しすぎて、
おかしくなっちゃってるような人もいるし。
そんな人なんかに比べると、
私は薄いファンだったし、
ちゃんと距離を置いて眺めていた、とも思う。
同じ風には、生きられないし、生きたくもない。

よく「ジョンレノン的存在」なんて言い方もしたっけな。
らもさんにも直接、こういう事を言ったんだけど。
要するに。
ジョンレノンって、世間で思われてるような「いい人」なんかじゃない、
世の中の普通の、モラルから言えば、
はみ出した事をいっぱいやってる
とんでもない人なんだ、
だけど、
そんな人だからこそ、照らし出せる真実ってのがあって、
それが、
「普通の生き方」をやってる私たちにも、
何かを教えてくれる
らもさんも、私にとって、そういう存在なんだって。
(あと、一番そういう感じなのは喜納さんだな、
 喜納さん、国会議員、似合わねー!)

らもさんは、
ホントにどうしようもない人だった、と思う。
大麻で逮捕ってニュースを聞いた時も、
別に支持とか思わなくて
「ホント、しょうがないなぁ、あの親父は」
くらいに思っていた。
(でも、それ以上に「あちゃー」って思ったのは、
 牢屋から出てきた時にフライデーでやった
 土下座、でした。
 あれには失望した。でも、しょうがないなぁって思った。)
だけど、
そんな無茶苦茶な人にしか、見えない、
教えてもらえない真実ってのは、確実にあったって思う。


狂気こそが、
世の中を変えたり既成のものを揺さぶったりするって
そういう側面も、あるって思う。
例えば、
スポーツ選手たちは、
確かに真剣ではあっても熱狂はしてないのかもしれない、
だけど、
少なくとも一時期は、狂気とも言える程、
そのスポーツにのめり込んだ時期があったハズだと想像する、
そういう時期もなしに一流になった人なんて、
あんましいないと思うんです。

狂気って事に、溺れてしまってはいけない、
それは、人に誇る事なんかじゃない、
恥ずかしい事だって、思う。
その通り。
だけど、そういう事を経ないと、
変わらない、変われない事も、あるんじゃないかって。
・・・そんな事、私に言われなくったって、
イトイさんも分かってるって思いますけど。


###
あと、
心の中が虚しさという穴ぼこだらけでも、
かまわない、って言うと、変に肯定してるな、
しょうがないって、事も思う。
だって、
心の中に穴ぼこも開いてない、そんな完璧な状態の人って、
そんなにいないとも、思うし。

らもさんはいつも、
心の穴ぼこを抉り取るような文章を書いていたと思う。
そして、もし、
私に、誰かの心に響くような事が書けるとすれば、
それは、自分の心の穴ぼこに触れた時、なんだと思う。
それが、
私がらもさんから教わった、数少ない事の1つだ。

別に、
心の穴ぼこの腐臭を開き直ろうなんて思っていない。
だけど、
私が誰かの心に触れたって思う時って、
そんな心の穴ぼこを知った時、だったなって。
そして、
誰かを愛するって、そういう穴ぼこを愛おしく思う事だったなって。


###
確かに、私がこのブログでやってる事は過剰だし、
書いてる文章も、どこかおかしい、過剰なものだと思う。
だけど、
それは、中島らもなんて人にはまってしまった、
しょうがない事なんだって、思う。
もちろん、
私はらもさんとは、違う。
だけど、
その過剰さって点では、彼の遺伝子を受け継いでいるんだろうな
そんな事は、思う。
posted by めたか at 22:56| Comment(4) | TrackBack(1) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
遅ればせながら追悼。

気持ちが定まらなかったというか、整理できなかったので。

中島らもに憧れたのは高校時代
ただ毎日が退屈で、鬱積した日常の塊を
どこかに吐き出したかった頃
中島らもの本を見つけた。

そしてそこに吐き出していた。

そういう意味で中島らもは
ボクの中では高校時代の象徴で
ある意味青春の要素だった。

そんな彼が死んだときボクは
「似つかわしい」と思った。

心にぽっかりと穴の空いたような
良くある言い回しの気分の中で
「似つかわしいよなぁ」と思った。

子供の頃、植村直己の伝記を読んだ。
世界に誇る登山家である。

彼は登山中亡くなった。

彼の死を多くの人が悼んで
多くの人がそれに涙したけれど
彼の死を皆「似つかわしい」と思った。

無駄死にだとも無念だとも
思わなかったに違いない。

植村直己の遭難死と同じくらい
中島らもの死は「につかわしい」

悲しくもありつらくもあり
喪失感もあるけれど

彼という人生劇場のクライマックスは
あきれるほどの似つかわしさだった。

中島らもは今
あの世で頭を掻いているに違いない。

「かっこわるいよなぁ」

何ていいながら。

酒をちびりと飲みながら。
Posted by kakuidori at 2004年08月03日 16:36
コメント、というか、何か詩的な文章、ありがとうございます。

そうですね、ファンそれぞれの人が、
それぞれの思いってのを抱いていたんだなって事が、
そして、それが、それぞれの人に「似つかわしい」って、
なんか思いました。
私も、らもさんは、最期はこんな死に方なんじゃないかって、
思っていたかもしれません。
Posted by めたか at 2004年08月03日 21:57
やってきました。
なんか言葉がいっぱい出て来過ぎて、私の文章力では処理しきれないです。
かなり前の記事をトラバさせていただきました。
よろしくお願いします。。。。
Posted by risa-ferunandesu at 2005年04月10日 19:14
どうも。
見て頂いてありがとうございます。
まぁ、供養ですね、この記事は。
またそちらでコメントさせて頂きます。
Posted by めたか at 2005年04月11日 07:06
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Excerpt: このブログの題名を考える時ふと目を上げると、本棚に中島らも著「獏の食べ残し」があったので、拝借した。{/book/} 昭和40年生まれ、青春時代にサブカルチャーの洗礼を、ど真ん中直球で受けた。 おか..
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