2004年09月15日

「謝る」ということ

こないだの「行列のできる法律相談」は、
これまでの名場面集とかだったんですが、
その中に
「北村弁護士が丸山弁護士に向かって
 口パクで「バカ」って言った」
ってのがあったんですけど。
その時の相談内容が
「法的に相手に謝らせる事ができるのか」
って話だったんです。

その時の丸山弁護士の主張が
「たとえどういう形であれ、
 相手からの謝罪の一言が
 どれだけの人の心を救うと思うのか」
って事で
それに対し、北村弁護士が
「心からの謝罪でなければ
 何の解決にもならない。
 (それで、心の問題に法律は立ち入れない)」
だった訳です。

その議論の是非はともかく、
「なるほどなぁ」って思う所はあって。


前にフリューゲルスの時の話を書いた時にも
思った事なんですが、
結局のところ、
経営陣がちゃんとファンや選手たちと向かい合い、
詫びるとことは詫び、
私たちの「割り切れない思い」から逃げない態度を取っていたなら、
随分と違っていただろうなぁって。
しかし、
オリックスの宮内オーナーなんて
ストを「不思議なスト」なんて言う訳で、
現場やファンの「割り切れない思い」の事なんて、
これっぽっちも想像できないんでしょう。
・・・こんな経営者を
「有能な経営者」なんて、絶対に言わないです。
(それについては、
 マネジメントという視点からも書こうと思っていますけど、
 それについても、また。)

別に、形式的に謝ってくれって思っちゃいないです。
だけどね、
「謝る」ということは、
単に形式的にお詫びの言葉を出す事なんかじゃない、
ちゃんと相手の立場なり気持ちなりを
認める事が基本だと思いますし、
その上で、ちゃんと相手に向き合うってのが、
最低限、必要な事でしょう。

(だから、
 フリューゲルスの時が充分だったって訳ではない、
 でも、
 今は、それすらもされていないって事ですよ!)


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前に
「ストがへたれな収束に納まってしまった、としても、
私は選手たちを見捨てようとは思わない」
と書いた時に、
でも、1つ条件があります
と付け足した、それは
「その結果をちゃんと謝って欲しい」
って事なんですね。
ファンの無念さを慮り、
「力不足だった」って態度で撤退するのなら、
「何もかも捨ててでも戦え」
とまでは、私は言えないなぁって。


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そして、
音楽の件でも、同じ事がありますよ。
前に
もしあなたがミュージシャンでCCCDを出さざるを得ないなら
って聞いた事の、
私だったら、の回答は、
「とにかく謝る」って事です。
再生保証の無い音源で不便をかけてしまうこと、
ファンを不快に思わせてしまったことを、
とにか詫びるだろうって。
その際のポイントは、
コピーがどうこう、などの
言い訳がましい事とか一切言わない。
(それだったら謝った事にはならない、でしょ?)

でも、
それって、謝る事の基本じゃないのかなぁ。
謝る際に、
相手の非を指摘したなら、
それって謝った事にならんでしょう。
たとえ相手にも非があったとしても、
「謝る」のなら、
その非を指摘しては、いけないですよねー。

あなたは、どう思いますか?
posted by めたか at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | アート・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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