2004年10月14日

論理と情緒

スピッツって、秋の音楽だよね。
(なんか、秋っぽい、詩っぽい事を書こうかって思ったんだけど、
 やめとく)
めたかです。

えっと、
この記事がスゴく面白いなぁって思って、
その前後の日記とかも読み込んでいたんですが。
こいつの言ってることは正しいかもしれんけど何か気に食わん。
(「narkoの日記」より)
面白いです。
この内容については、
前日の日記を先に読んだ方が分かりやすいでしょうね。
華氏911については、
私は見ていないしその予定もないんですが、
このM2での宮谷さんの批判は、
私も「それはないなぁ」って思ってた。
あと、
私自身は
「右と左」とか「タカ派とハト派」いう対立項自体が
「仕組まれたもの」だって感じていて、
なんで「冷酷なハト」なんて方法論自体、
ナンセンスなものって思う訳で。
(つまり「ハト」として「タカ」に勝たないといけない
 って考え方じゃ、ないですか。
 勝つとか負けるとかじゃ、ないと思うんです。)


話がズレましたね。
で、注目したいポイントは、
「論理と情緒」という点。
そこで、対比したいのが、ほぼ日のこの記事。
論理と情緒
(『ぼくは見ておこう』松原耕二の、ライフ・ライブラリー。より)

ただね、
私実は、ほぼ日のこの記事を読んだ時、
「これはないなぁ」って思ったんですよ。
ほぼ日には箇条書きで感想を送っていて、
ここにそれを書いてみますと、
・論理の裏の情緒的側面に目を向けたのは共感
・でも「論理より情緒」というのはちと違うと思った
・情緒も「1つの方向に流れていく」ことがあるのでは?
・つまり「情緒の幅の広さ」が大事
・だから「情緒」というより「感性」「感受性」でしょう大事なのは
・あと「論理的」と「科学的」は異なる
・「科学的」が必要だと思うんだけど・・・

これについては、
別の人は
>「情緒力の低下が国を滅ぼす」とは思うけど、
>「情報化社会の中で最も重要なのはむしろ
> 過剰な情緒に溺れないように
> 情緒の中身を見極める能力だ」と言いたい。
>そのために情緒力を鍛えるんだと。
>その方が筋が通っているし、
>情緒と論理をバランスよく鍛えましょうという議論にもなる。

と言っています。

うーんと、
narkoの日記さんについては、
「発信側の留意点」って感じなのかなって思うんですね、
「論理と情緒」って問題においての。

で、ちょうど、私も
こういう事を書いているのですが、
それは、
「受信側」の方の問題点を書いてるのかなって思いました。

まあ、どっちも大事な事なんですけどね。


あと、
「科学的が必要」って事については、
次の記事で。
posted by めたか at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | うなずく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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