(なんか、秋っぽい、詩っぽい事を書こうかって思ったんだけど、
やめとく)
めたかです。
えっと、
この記事がスゴく面白いなぁって思って、
その前後の日記とかも読み込んでいたんですが。
・こいつの言ってることは正しいかもしれんけど何か気に食わん。
(「narkoの日記」より)
面白いです。
この内容については、
前日の日記を先に読んだ方が分かりやすいでしょうね。
華氏911については、
私は見ていないしその予定もないんですが、
このM2での宮谷さんの批判は、
私も「それはないなぁ」って思ってた。
あと、
私自身は
「右と左」とか「タカ派とハト派」いう対立項自体が
「仕組まれたもの」だって感じていて、
なんで「冷酷なハト」なんて方法論自体、
ナンセンスなものって思う訳で。
(つまり「ハト」として「タカ」に勝たないといけない
って考え方じゃ、ないですか。
勝つとか負けるとかじゃ、ないと思うんです。)
話がズレましたね。
で、注目したいポイントは、
「論理と情緒」という点。
そこで、対比したいのが、ほぼ日のこの記事。
・論理と情緒
(『ぼくは見ておこう』松原耕二の、ライフ・ライブラリー。より)
ただね、
私実は、ほぼ日のこの記事を読んだ時、
「これはないなぁ」って思ったんですよ。
ほぼ日には箇条書きで感想を送っていて、
ここにそれを書いてみますと、
・論理の裏の情緒的側面に目を向けたのは共感
・でも「論理より情緒」というのはちと違うと思った
・情緒も「1つの方向に流れていく」ことがあるのでは?
・つまり「情緒の幅の広さ」が大事
・だから「情緒」というより「感性」「感受性」でしょう大事なのは
・あと「論理的」と「科学的」は異なる
・「科学的」が必要だと思うんだけど・・・
これについては、
別の人は
>「情緒力の低下が国を滅ぼす」とは思うけど、
>「情報化社会の中で最も重要なのはむしろ
> 過剰な情緒に溺れないように
> 情緒の中身を見極める能力だ」と言いたい。
>そのために情緒力を鍛えるんだと。
>その方が筋が通っているし、
>情緒と論理をバランスよく鍛えましょうという議論にもなる。
と言っています。
うーんと、
narkoの日記さんについては、
「発信側の留意点」って感じなのかなって思うんですね、
「論理と情緒」って問題においての。
で、ちょうど、私も
こういう事を書いているのですが、
それは、
「受信側」の方の問題点を書いてるのかなって思いました。
まあ、どっちも大事な事なんですけどね。
あと、
「科学的が必要」って事については、
次の記事で。