切込隊長との議論については
チェックはしていて、何らかの反応をしようとは思っていましたけど、
ある程度まとまってからって考えていたら、
なんか、タイミングを逸してしまいそうだって思ったので、
あんましまとまんないけど、思うことを2、3・・・
利得にも色々あるんじゃないかな?
ジャーナリズムとか記事ってものが、
ちょっと大層なものに成りすぎてない?
みたいな問題意識については、別の方々も指摘してるみたいなので、
別の方面から。
別に「利得」って、
経済的なものに限らないんじゃないかなって。
例えば、
プロ野球ファンにとっては
「面白い野球が、より長く、色々な所で楽しめる」ってのも
「利得」って言える訳で。
音楽ファンにとって、
「世界中の音楽を手に入れる事ができる」
ってのも、ね。
レコード輸入権について、
様々なブログとかで、情報提供されたり議論されたりしたのって、
そういう「利得」を守ろうってのも、
あったと思うんですけど。
この「問題意識」については、
もっと色々と突っ込んで話したいんですが、
とりあえず、議題として出しておきましょう。
次いきます。
(んーと、ほぼ日関連の文書とか、
チェックして頂ければって思います・・・)
広い意味での「ポジショントーク」
隊長の議論を読んでいて思うのは、
「ポジショントークってのに対してナイーブ過ぎないかな?」
って事なんです。
例えば、
全て、とは言いませんが、多くの言論は
「広い意味でのポジショントークだ」って見方も、
存在するって思うんですよ。
ポジショントークって、
広い意味でとれば
「自分のポジション(立場)を良くするための言論」
って意味になると思うんですが、
それって、色々なものが、そうだって考えることもできませんか?
例として
マリーンズファンが檻オーナー宮内氏の言論を批判するってのも、
「ポジショントーク」って言えますよね。
あと、
湯川さん始め、マスコミ業界の人がメディアについて論じるのも、
広い意味においては、ポジショントークって言えるでしょう。
というのは・・・
湯川さんたちは、
単に「新聞を擁護」しようって訳ではなくて、
新聞に対する批判をしっかりと受け止めて
新聞をより良いものに改革したいって事で、
色々な「議論」をされている訳、ですよね?
だけど、
それって、
そうすることで「新聞を守る」というか、
新聞ってモノが、社会にとって意味のあるものにしたい、
自分の仕事が社会に役立つものであって欲しい
という事を求めている・・・
そういう「ポジショントーク」って考える事も、できるでしょう。
そして、
こういう「広い意味でのポジショントーク」と
今、狭い意味で悪い意味で捉えられてる「ポジショントーク」の間に
線引きをするって、難しいと思うんです。
「微妙」ってものが、いっぱいありそうです、
先の「マリーンズファンの言論」なんて、微妙って言えるでしょうし。
だから、
「ポジショントーク」って事を、変に毛嫌いする必要って、
ないかなぁって思うんです。
じゃなくて、
「この言論は、どういう『ポジショントーク』となるのかな」
ってのが、ちゃんと分かる事が、大事なんじゃないかって。
(で、
それが「メディアリテラシーの意味」なんかなって・・・)
湯川さんたちの「ポジショントーク」って、
私にとっては「良いポジショントーク」だって思っていて。
だって、
そうやって、新聞を良くする事で、自分の仕事を意味あるものにしたい
(そして、社会的な影響力のあるものにしたい)
それで「自分たちの立場を良くしたい」
というのは、私にとっても悪い事ではないですから。
それに、
私が「生命倫理について議論したい」って言ってるのも、
同じような動機ですから・・・
(まぁ、その辺は隊長もわかってはるとは思いますけど。
だから最初に「自らのポジション」を明示されたんでしょうし。)
こんなところですかね。
あと、議論について、ですが、
>議論は、そこから自分が学ぶため、
>また相手の学びを手助けするためにするものである。
ってのは分かるんですが。
それだけだと、ちょっと可能性を損ねてるように思うんです。
なんで、
私は「弁証法的止揚を目指すもの」
って考えてるんですが・・・
で、
家に帰ってきて確認したら、
隊長のトコにはTBが入ってない・・・
サイド送信してみるものの、受け付けてくれないみたい。
でも、
ここであんまし頑張り過ぎて、また前みたいに複数入っちゃうとマズいんで、
今回はお見送り
(一応、送ろうとはしたけど受け付けてくれなかったって事のみ付記)
あと、
議論については、隊長のその後のエントリに
対応するものがあった事も付記します。