2004年12月20日

やっぱり「子供は大人社会の鏡」だと思う

『チキンライス』って、
浜ちゃんじゃなく、松っちゃんに歌って欲しかったな。
だってこの歌詞って松っちゃんそのものでしょ。
めたかです。


さて、
の記事の最後に

「現在の教育に対するアツい議論」と言うと、
小島さんの記事に寄せられている多くのコメントには
触れる必要があるでしょう。

って書いたんですけど、
それを、こちらに書こうと思います。
(なんで、
 まずは小島さんの記事とそのコメント欄をご覧下さい。)

まず、
ちょっとヤだなって感じたのは、
なんか「父兄やPTAが悪い」って話になっちゃいそう
って事です。
そういう意図ではないでしょうけど、
でも、
「学校や先生を悪者にして」問題は解決しないように、
「父兄やPTAを悪者にして」も問題は解決しない
って思うんです。

いえ、
現に「父兄がこういう要求を学校にしてしまう」
現状はあるのでしょう。
ですが、
「それで父兄が・PTAが悪い」ってのではなく、
そういう要求をしてしまう因ってのを、
見つめていきたいなって思う訳です。

と言っても、
これ以上、深く分析するための「材料」を
私は持っていません。
なんで、
「今の社会を生きている人間」として感じている事を元に、
ちょっと独断で「現状分析」をしてみようと思います。


###
私自身がその話を聞いて思ったのは
「世の中、それだけ余裕がなくなったのかなぁ」
って事なんです。

勝ち負けに対して大らかでいられなくなったのは、
「勝ち負けが全てではない」と感じられなくなった
からじゃないかなって、思うんです。
それは、世の中の傾向が、
そうなってしまってるって意味で。
社会が、勝ち組・負け組のような
「勝ち負けが全て」みたいな価値観が
支配的になってしまっているから、
学校現場の他愛のない「勝ち負け」すら
「シャレにならなく」感じられてしまう、
そう思えるんです。
(バブルがはじけた頃から、
 学校がこうなったってのも、
 この分析と合ってると思う・・・)

前に「子供は大人社会の鏡じゃないの?」と言った
1つの側面が、ここにも現れてると思います。
つまり、
昔だったら、たとえ「負け」ってなったとしても
「それだけが全てじゃないよ」って
思えたんじゃないかなって。
それが、そう思えなくなっちゃうほど、
余裕がなくなった
私にはこう、感じられます。

あとね、
学校や先生の方にも、
余裕というか、自信がなくなってきてるかもって
思いました。
私の頃だって、そんな事を言う親とか
政治家とかも、居たんですよマジで。
(共産党系だったかな。
 子供心に「つまんねー」って思ってたけど。)
でも、
そんな意見、学校がまるで相手にしなかった。
ちゃんと学校側が、「違うよ」って言えていたと思う。

それが言えなくなっちゃったって事は、
学校側も、
言えるだけの「根拠」みたいなのを
持てなくなっちゃったって事かなぁって。


###
ただね、
コレ書くと、誤解受けちゃいそうなんですが、
運動会とかで「負けて」傷つく生徒さんの気持ち、
私、わかるなって。
だって
私も運動苦手で、運動会とか苦痛だったからなぁ。

いやね、
こういう事を書いたのは、
さらに誤解を受けちゃいそうですけども、
なんか
「今は競争社会なんだから、
 子供の頃から競争させるべきだ」
みたいな意見っての、
ちょっとイヤだなぁって思うんで。
だってね、
それじゃぁ、教育現場が、
ますますギスギスしそうだし・・・

いやね、
私も「教育現場で競争すべきでない」
って考えじゃ、ないんですよー。
でも、
「教育現場にも競争を」って意見が
「今は競争社会なんだから、
 子供の頃から競争させるべきだ」
みたいな考えの元になされるのだとしたら、
ちょっと抵抗したいなって感じで。
この辺、上手く伝わるか、自信ないんですが・・・

要するにですね、
「教育」の理念の元になるのって、
「どういう世の中にしたいのか」
って事だと思うんです。

例えば
「激しい競争社会を生き抜く
 たくましい子供に育てたい」
のような「教育への希望」って、
「現在の激しい競争社会」ってのが前提としてある訳で。

それってどうなの?
ってのがあるんです。
いや、もちろん「適度な競争」はあるべきなんです。
でも、
「勝ち組/負け組」それが全て
みたいな最近の風潮って、嫌な社会だなぁって。


今の世の中ってのを考えると、
「勝ち負けで負けた子供」って、
私の頃なんかよりも、ずっと深く傷つきそうだなって
思うんです。
自分がそういう立場に立たされたなら
果たして耐えられるのかなって
運動会で負けてきた私は、思うんですよ。

だから
私も「教育現場に勝負や競争を排除すべきでない」
って思います。
でも、
「勝ち負けが全てじゃ、ないよ」
って事も、同様に伝えて欲しいなって思う。
そんな世の中であるように・・・


###
同時に、
「私たちの社会の問題」として見返りたい事があります。
それは
「父兄とか教育現場とかを、
 そこまで追いつめているものは何か」
って事です。
「勝ち負けが全て」って風潮に、
自分もどこかで加担していないか、
って事に、自覚的でありたい。
スポーツで言うなら、
勝負にも、もちろんこだわりますが、
それが全てじゃなく、
「初芝」の価値も認められるように・・・
そんな自分でありたいなって思う。


最後に、
純粋な勝負の世界で生きるサッカー選手の
大好きな言葉を。

「勝ったチームは、負けたチームにも幸あれ、と祈ること。
 プロでもアマチュアでも、これはキミたちがサッカーを
 続けていく限り、絶対に忘れちゃいけない約束だよ」

にも取り上げましたが、
 「ボールは丸い。だから、敗者にこそ幸あれ」より)


追記
ゴーログの「子供は大人を映す鏡である」にTBします。
いや、
ようやっと「大人社会の問題」として、
自分自身の問題として捉えられるようになったのは、
良い傾向だなぁ、とは思っているんですが、
もうちょっと踏み込んでって意味で、
この記事、意味あるかなって思うので・・・
posted by めたか at 23:57| Comment(10) | TrackBack(3) | 受験・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小島愛一郎です。
私なりにめたかさんのTBを受けて、エントリーしました。

基本的には、私もめたかさんもこの記事だけでなく、
前後のめたかさんの記事についても同感です。
個々の想いではなく、社会がどう想うかがポイントだと考えています。

また、私のサイトででもコメント下さい。
しかし、JUGEMは重い。。。
Posted by 小島愛一郎 at 2004年12月21日 14:31
小島愛一郎です。何回もコメントすいません。
とうとう告知が来ました。
JUGEM緊急メンテナンス
平成16年12月21日(火)19:30?? 平成16年12月22日(水)早朝だそうです。
すいませんが、今しばらくお待ち下さい。
あるいは、めたかさんブログで私の記事論評を。
(といいながらも私の記事見ることできないか)
Posted by 小島愛一郎 at 2004年12月21日 19:28
コメントありがとうございます。
今、読ませて頂きました。コメントはそちらにさせて頂いています。

jugemさんも、これでなんとか、重さが解消されると良いですよね。
Posted by めたか at 2004年12月22日 07:42
めたか樣、始めましてこんにちは。
木村剛氏blogより辿って参りました。

「子供は大人社会の鏡」には全く共感です。
しかし私見を追加しますと
「だからといって子供は大人の真似する必要もないし、
真似するべきでもない」
と考えます。

大人と子供との間の大きな溝を埋めるのは、
子供の側であり子供に課せられた数少ない義務です。
大人はそれを知らしめ手伝い導く義務はありますが、
その溝を埋めてくれという権利は子供にはないと考えます。


また、
競争の件ですが、
受験競争や運動競争から何を学ぶかは子供それぞれでしょう。

将来の激しい競争社会の予行演習と捉えても良いし、
自分自身との競争を学ぶためと捉えても良いし、
勝ち負けから生じる楽しさ悔しさなどの感情を学ぶとしても良いし、
競争の不毛を悟るのも良いでしょうし、
何でもありでしょう。

やはりそのためにも教育には競争が必要だと思います。
子供が自分で何かを学び取る「叩き台」として。

学校における競争は、目的でもあり、手段でもあると考えます。

私は、学校における競争から
競争の厳しさに耐えることを学びました。
Posted by Yy at 2004年12月25日 13:24
めたか樣、申し訳ございませんが、
もうひとことだけ追記させて下さいませ。
めたか樣のblogを拝読し、考えさせられました。

衣食住にもまず困らない、
徴兵制度も無い、そのうえ
学校における程度の競争を無くしたら、
子供は何から
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」力を
身に付ければ良いのでしょうか。

激しい大人の競争社会のため云々ではなく、
ひとりの人間性としてみた場合、
過酷な競争から「挫折」「傷心」「思いやり」などを
学んでいる人間は素敵です。

私は我が子には目一杯競争と我慢をさせようと
考えています。
Posted by Yy at 2004年12月25日 13:51
コメントありがとうございます。

確かに「何を学ぶかは子供それぞれ」というのは、その通りですね。

ただ、
私が言いたいのは、大人社会や周囲の大人が
どういう価値観を持っているかってのが、
「子供が色々な事から何を学ぶか」に大きな影響があるんじゃないかって事なんです。
例えば、
周囲の大人が、「挫折」「傷心」「思いやり」を大切にしていなくて、
どうして子供が、そういう事を学んでいけるでしょう? って事で・・・

あと、
やっぱり「最初の前提」が、異なるのかぁって思いました。
つまり
何か溝があったとして、その溝を埋める義務が一方のみにあるとは
私は考えないんです。
というか、
「自分ではなく一方的に相手側の義務だ」って考え方、好きじゃないんです。

相手に対して、何かを要求するって事よりも、
自分が何をするか、何をできるかってのを、考えていきたいって思う。
その方が、意味あるし、大事なんじゃないかなって思うんですよ。
Posted by めたか at 2004年12月25日 14:25
あ、それから
教育現場に競争は、あった方が良いと思いますよ。
ただ、
それが一番大事な問題とか、本質的だとかじゃないのでは?
って思っているだけなんで・・・

あ、
私も、子供には「我慢の大切さ」は、教育するかなぁって思っています。
気が変わるかもしれませんが・・・
Posted by めたか at 2004年12月25日 14:41
書き込み有難うございました。

最初にめたか様の書き込みを目にした時、正直「?」という思いが在りました。「社会に出たら厳しい競争が厳然と存するのに、何故?」と。でも、この記事を拝読させて戴いて、めたか様の言わんとしている事が良く判りました。

今の世の中、世論と呼ばれるものが一気に一方向に流れる傾向が在りますが、教育の場に於いても、「勝者=絶対的な正義、敗者=絶対的な悪」という極度に偏った考え方が横たわっていて、その反対軸どころか、中庸的な考え方すらも排除されている様な傾向が強いというのは、自分もおかしな事だと思います。

価値観というものは多種多様で在り、Aという価値観からすれば認められない事でも、BやC、或いはDといった価値観の中から、自分に合ったものを見出す事も出来るんだよといった教育は在って良いかと。

様々な価値観を尊重し、認め合う社会を作るには、皆(教師や生徒、親のみならず、社会を構成している全ての人々)が与えられた情報を鵜呑みするのではなく、自らの頭で”咀嚼”し、自分の知識を介して”肉付け”するといった訓練を積んで行く必要が在るとも思っています。

一つの進路が断たれたから、もう自分の人生はお終いだという様な、狭い視野ではなく、多角的&複合的な視野を持った子供が育成される教育がベターなのではないでしょうか。
Posted by giants-55 at 2005年03月08日 10:40
絵画教室をしていて思うのは、競争は自分の努力のものさしに過ぎないってことです。
難しい事はわかりませんが、競争か、平等か、の二つではなく両方必要なんですよね。
例えば親にウケる作品(賞をとる作品)と子供にウケる作品と違うんですよ。
最初は商売ですし、子供に逃げられちゃいけないと(笑)子供にウケる作品作りばかりしたのですが、技術も身につかないし第一親にほめてもらえなくて作る事に張り合いがなくなってくるんです。
個性も大事だけど、見る人に理解してもらう作品作りも大事なわけで、最初は悩みました。
で、三回に一回は親ウケのするものを作る作戦をとると成功しました。

何にでもさじ加減が大事なんですけど、さじ加減するには子供をしっかり見ないといけません。
先生も親も「忙しい」って言い過ぎなんじゃないですか?
忙しくしていないと怖い強迫観念が一番大人を追い詰めているんだなあと思うのです。
わけわかんないコメントですみません。。
Posted by risa-ferunandesu at 2005年03月08日 23:05
giants-55 さん>
こちらの分かりにくい意図を汲み取って下さって
ありがとうございます。
そうですよね、
「多様な価値観」を認め合える、その為には、
何が必要なんだろう? って事を教えてくれる、
そういう教育が、必要なんじゃないかって、思いますね。

risa-ferunandesu さん>
わけわかんなくないですよ。
>さじ加減するには子供をしっかり見ないといけません。
ホント、そう思いました。
ありがとうございます。
確かに、今の時代、みんな忙しくし過ぎているんですよね。
(って、自分もギクって思っていますが^^;;)
私は「退屈な忙しさ」って言ってるんですが・・・
吉本隆明さんが、
現在の色々な問題は週休3日制が定着すれば大抵は解決する
って言ってるそうなんですが、
確かに、色々な事に時間をかけられるようになったなら、
もっと色々な事が好転するかもしれないですよね。
Posted by めたか at 2005年03月08日 23:58
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