2005年02月14日

[at]論理には「国語的論理」と「数学的論理」がある

めたかです。
緊急うそニュースです。
2月24日を「セント・ババイノキ・デー」と制定し、
男性から女性へ、プロレス格闘技のビデオDVDをプレゼント
して愛を告白する日とする事に決まったそうです。
「女性から男性への告白の日」だけあるのは不公平だ、
と、男女差別を無くす団体からの勧告により、
この日が制定される事になりました。
お返しの日は、一月後の3月24日になりますが、
どのような日になるか、は、まだ未定です・・・

いやですねぇ、
ろぷさんのこの記事
> 女性はチョコが大好き(な人が多い)んですけど、
>男性はチョコがそれほど好きでもない(人が多い)って事
>なんですね。
>だから、
>ひっくり返してみるなら、
>例えばプロレスのビデオをプレゼントして
>男性が女性に愛を告白する、
>みたいな感じがするんですね。
ってコメントを残したんですよー。
そこから思いついた事なんですが・・・


本論、行きましょう。
あ、明日はこの「論理シリーズ」休みです。
代わりに別の事を書こうと思っていますので・・・


前回は、
論理には、色々あるって話をしたのですが、
それで済ませてしまうと発展性がないので、
もう少し、その「色々ある」ってのを突き詰めてみましょう。

その「色々ある論理」ってモノの中で、
ちゃんとした「論理」としては、
国語的論理」と「数学的論理」が、あると思うんです。

国語的論理というのは、
「読む力」とか「書く力」と言った「言葉を扱う事」に
つながる論理だと思うんですね。
一方、
数学的論理ってのが、私が今後解説しようとしている事
なんですが、
簡単に言うと
「論理の構造/枠組み」についての話なんですね。
つまりは「内容なんてどうでも良い」ってモノなんです。
一方、
「国語的な論理」というのは
「言葉の意味」ってのと深く関わる訳で、
つまりは「内容に関わる話」になる訳です。
(ま、これも随分乱暴な区分けなんですけどね。)

「国語的論理」については、私は詳しくないので、
とりあえず、スルーさせて頂きます。
(どなたか解説して下さい。)
で、「数学的論理」ですが・・・

前に「数学の本質は抽象的思考」と書きました。
要するに
様々な事の『共通の性質』のみを抽出して考える
という事、なんですよね。
そして、「論理」について「抽象化」して考えるなら、
その「中身」については、
時と場合によって大きく異なる事になる訳です。
だから、
「中身・内容」と関係ない「構造/枠組み」の部分のみを
抽出し、考察する訳です。

そんな「中身に関わらない」で、
何か意味のある「考察」が出来るのかって、
疑問に思う人も居る事でしょうねー。
でも、できるんですよ!
(それについては、先の「解説」をお楽しみに!)

それに、
「中身に関わらない」事ですから、
どんな「中身」についても当てはめる事ができる訳なんです。
つまり、
それだけ「汎用性のあるもの」になってるんです!

私が
>数学の論理こそが、最も汎用性のある論理だと
>信じています
って書いたのは、そういう事なんです。


###
あ、また鳥越さんの記事についてスルーする所だった。
今日は、この記事についても書きますね。

第867回 ニッポンの学力 論理的に考える力に弱さ


この記事では、
東京理科大の次の入試問題が取り上げられています。
『背理法とは何かを20字以上100字以内で説明せよ」
背理法というのは、
数学の論理の代表的なものの1つなんですが、
それを「言葉で説明せよ」という問題、ですね。
記事では、こういう問題を出した意図なんかも
説明されているんですが・・・

ただ、
私はこの問題を、悪問だと思いますね。
それは、ですねぇ・・・

「数学の試験」って、そもそも「数学の論理力」を問う
そういう試験だと思うんですよ。
でも、この問題は「国語の力」を問う問題でしょう?
要するに
「数学的論理力」と「国語的論理力」を混同してしまってる
そんな問題だって思うんです。

「数学の論理力」と「国語の論理力」は
別に鍛えないとイケナイものだって思うんですねー。
「日本語の書く力」ってのは、
確かに必要で重要なものだと思いますけど、
それを「数学の試験」で問うってのは、
あまり感心はしないですねー。
(まぁ、数学を勉強するのにも、
 「国語力」が必要なんだって意思表示の意味合いも
 あったんでしょうけど・・・)

多分、
この問題が解けなかった受験生の中にも
数学の問題を解くのに背理法を使いこなせる学生は、
たくさん居ただろうと思います。
そして、
「数学のテスト」では、そういう能力を問うべきって
私は思います。
(国語力は「国語のテスト」を課せば良いと思う。
 まぁ、受験科目が多いと受験生が逃げて行くって面も
 実はあって、その辺で苦労しているんでしょうけど・・・
 東京理科大は、国語の試験、なかったと思うし。)


参考:記号論理学
   形式論理学


###
次回は、鳥越さんの記事にある
「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
って問題(どこに論理のオカシイ点があるか?)を
考えたいと思います。
もし良ければ、この問題、ちょっと考えてみませんか?
posted by めたか at 23:55| Comment(2) | TrackBack(1) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
めたかさん、こんにちは。

ちょっと遅くなってしまったのですが、この話題少し気になっていました。「国語的論理」と「数学的論理」。う??ん、国語と数学は勉強の仕方が違うというのは分かるのですが、論理に種類を作るのは、あまりよくないのではないかと思うのです。

伝統的論理学は言葉の構造を問題にしていましたし、論理学は日本語にも英語にも数学にもある、論理とは何かを考えてきたのだと思います。

極論すれば、数式で示される「正しいこと」は日本語でも表現可能である、と僕は思うのです。

とすると、東京理科大の問題も、数式の上で分かっているだけでは不十分だよ、日本語でも表現できるようになってね、という意図は、大切なように思います。

勉強の仕方とか、いろいろ考えるべきことはありますが、“論理に種類がある”という点が、僕は気になってしまいました。

めたかさんの論理シリーズ楽しみにしています。
Posted by netwind at 2005年02月20日 13:01
どうもお久しぶりです。
確かに
>数式で示される「正しいこと」は
>日本語でも表現可能である、
と思います。
ただ、ですね・・・
私がこれから説明しようと思っている
「数理論理学(の一部の形式論理学)」には入らない事が
「国語的論理」(修辞法とか修辞学とか言うのかな?)
にはあるんですよね。
レトリックとか意味論とか・・・
だから、
「数学的論理」と「国語的論理」には共通部分も
たくさんあるんですが、
そこに含まれないものもある訳で、
それはちゃんと言っておかないとイケナイかなって思いまして。
(一応「数理論理学」と「修辞法」って分け方は
 論理学においてはそれなりに一般性はあるみたいですよ。
 私はそんなには詳しくはないんですけど・・・)
論理に種類を作るのは、良くないですかね−?
ただ
「論理」とされているモノの全てが
「形式論理」に当てはまる訳じゃない訳で、
それを全て「論理じゃない」って言うのは
少なくとも現状に置いて現実的じゃないと思うんです。
例えば、前にも書いた
「法学の論理では形式論理に当てはまらない例がある」
とか、ありますし。
<a href="http://at-most-countable.mo-blog.jp/at_most_countable/2004/10/post_54.html" rel="nofollow">http://at-most-countable.mo-blog.jp/at_most_countable/2004/10/post_54.html</a>
まぁ、その辺の話もまた、次に書く記事で考察する予定
なんですけども・・・

理科大の問題ですが、
生物の問題を作ったり採点バイトをしていた経験からすれば
やっぱり悪問だと思いますよ。
というのは、言葉で表現するって、また
全く違う「技量」だったりしますので・・・
(生物では論述問題は白紙が多いんですよ。)
いや、出題意図は理解できるんですけどね。
だけど、この問題を持てはやすのは
あまりに教育の現状を知らなさ過ぎるって思うんです。
Posted by めたか at 2005年02月20日 22:01
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