2005年02月22日

[at]論理に必要なのは「注意力」と「疑問を持つ心」である

レギュラー・・・
めたかです。


さて、久々の「論理シリーズ」です。
では、前々から予告していた鳥越さんの記事の問題
解説しましょう。

「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」

この「論理」にオカシイ点はあるのか?
って事を検証するのですが・・・

鳥越さんは
>競合他社と当社は会社の内部事情も違うんだから
>他社がやっているからといって
>当社もやることの理由にはならない・・・
>当社にとってIT導入を必要とする
>事情を明らかにしない限りは
>競合他社の事情だけで決めることはできない・・・・
と指摘しています。
確かに、こういう「論点」も、検討する必要はありますね。

でも、
それ以前に、この「論理」には、致命的に欠けている点が
あると私は思っています。
それは・・・

競合他社は、ITを導入する事で
業績が上がっているとか、業務が大幅に改善されている
などの「大きなメリット」があったのだろうか?

そういう部分があって、初めて
「当社もITを導入する」という事が検討課題に上がるって
思うんです。
つまり
「競合他社が(ITを)導入している」
という事と
「当社も(ITを)導入するべき」
という事は、「論理的に繋がらない」と思うんですね。
それを繋げるには
「競合他社が、業績を大きく上げている
 (それで当社が取り残されかけている)」
とか
「競合他社が、業務を大幅に改善している
 (それで、今後の競争に大いに不利になりそうだ)」
と言った事項がなければならないでしょう? って。
(その上で
 他社と当社の内部事情の違い、などを検討する事に
 なるのではないかなぁ。)

でも、ですね。
いわゆる「日本的社会」においては
「周りがみんなやっている」
から
「自分もやる(やらないといけない)」
というのは、
説得力のある論理に、なってしまっているように思うんです。
「○○君も持っているから私も買って」みたいな。

「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
これが、論理的にオカシクないと思ってしまう訳は、
多くの日本人にとって、
そういう「周りと合わせる」という考え方が
染み付いているからじゃないかなって思うんですね。

前に
「論理にも色々ある」って話で
「多くの人にとって『ちゃんとした順番』と思う
 そういう『判断』が共有されていたなら、
 その人たちの間では「共有できる論理」に
 なってしまう事もある」
というような事を書いたのですが、
その重要な具体例が、これなんですね!

多くの日本人にとっては
「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
のような「論理」が、当たり前のものとして
まかり通ってしまっているのは、
こういう事情なんじゃないのなかぁって。

だから
「常識」とか「当たり前に思う」とかって
「論理」を検討する事には、
却ってマイナスだったりするみたいですね。
だから、
「論理」って事については、
「注意力」とか「疑問を持つ心」ってのが
重要になるのなかって、思います。
「その常識は本当なのかな」って
疑問に思えないと、常識に流されてしまう訳で。

と言う意味で、
今日の教訓。
「論理に必要なのは注意力と疑問を持つ心」
常識を疑い、本当に「論理的に繋がっているか」を
疑問を持って検討する事が、大事なんですね。


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まぁ、とは言っても
「周りがやってるから自分(たち)もやる」
というやり方で、上手く行ってきた部分もあるから、
こういう「日本的なやり方/考え方」が
ずっと残ってきた訳ですよね。
つまり
「周りがみんなやっている」

「自分もやる(やらないといけない)」
の間の『繋がり』も、全くない訳ではないのでしょう。
それはきっと、こういう事なのでしょう。

要するに
「周りと同じ事をやれば上手く行く」場合と
「周りと違う事をする方が上手く行く」場合が、
あるのだと思います。
例えば
競争でも、多くの人が「勝ち組」に入る事ができるものなら
「周りと同じ事をやれば上手く行く」のでしょう。
でも、
「勝つのが一人(もしくは一部の人間)だけ」
の場合は、周りを出し抜かないとイケナイ訳でしょう。
そんな時には「周りがやってるから自分もやる」
なんてやってると、上手く行く訳がない。
つまり、そういう事なんでしょうね。
(他にも
 「仲間はずれを作る/生け贄を決める」みたいな
 「一部の負け組を決める」ような場合も
 「周りと同じ」という戦略は生き残りに最適でしょう。)

こんなふうに
「どんな場合に『繋がり』があって
 どんな場合は『繋がりがない」のか」
を検討する事が、論理的に考える場合に重要になるんですね。
このやり方を「場合分け」って言うんですが、
それはまた、ずっと先に数学の論理の解説で説明しますね。
ただ、
このように、「論理の繋がり」をきっちりと検討する事が
「論理的に考える」際の基本になるんだって事を
知っておいて下さい。
posted by めたか at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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