2005年04月28日

[at]JRへのバッシング、ちょっと待ったぁ!

ブログ人、重過ぎです。
今の自分のブログにアクセスできない状況です。
ですが、
何故かブログ人トップには行けて、ログインもできる・・・
なので、
記事の投稿はできます。
普通、逆じゃないかと思うのですが、
実はここ一月近くの夜間に見られる現象です。
(いや、マジなんですって。
 もう移転するので文句も言っていませんが・・・)

って事で、
コメントの返事より先に、新しい記事を書くんですが・・・
(やっとアクセスできたので、
 コメントの返事を先に書きます。)


今から書く事は、
ひょっとすると物議を醸す事かもしれません。
移転前に、そういうのを書くのって気が進まないんですが。
まぁでも書きます。

(あ、でも、
 私は、建設的なものなら「批判」は歓迎ですよ。
 渦さんがご指摘の通り
 最近、考え方の近い人としかやり取りしてないかなって
 反省もあります。)


宝塚線の事故で、JRへの批判が激しいですね。
確かに、定かでない「置き石説」を匂わせたり、
やる事がセコいなって事もありますし、
「ちゃんとした説明責任を果たしていない」
とか
「各所の被害者への対応がなってない」
とか、
色々とあるんだろうと思います。

でも、
そららの事での「過剰なバッシング」ってのは、
ちょっと待って欲しいと思うんです。
いえ、
「批判するな」という事ではありません、
そうではなく「待って欲しい」って事なんです。

と言いますのは。
今は「非常事態」ですよね。
まだ全員の「救出」さえも出来ていないみたいですし、
JRも、色々な対応に追われている状況ですよね。
そういう「余裕のない状況」にあるんだと言う事、
まず認識してあげて欲しいんです。

余裕のない状況ですから、
どうしても「対応」に行き届かない所があったりとか、
あると思うんです。
もちろん、
「被害者」の方々にしてみれば、
ちゃんと「対応」してもらわないと、
「仕方がない」という訳にはいかないですよね。
だから、
そこを「ちゃんと対応する」ように持っていくように、
色々言ったりとかは、必要だと思います。
ですけど、
その事で「過剰に批判する」ってのは、
JRの様々な「対応」の、
邪魔にしかならないのではないでしょうか。
(「邪魔」じゃない、「助け」となるような事なら、
 どんどん言って良いと思いますけどね。)

今の状況での「至らない点」は、お目こぼししようって
主張している訳ではないのですよ。
その事については、ちゃんと記憶して、記録しておいて、
後で、JRが「初期対応」が終わって
「今後の検証」のステージに移った際に、
いくらでも批判すれば良いと思う。
「今後、このような事が繰り返されないように」
とか
「JRの企業体質が改まるように」
とか、
ガンガンやって良いと思う。
ですけど、今は「その時」ではないと思うんです。

自分がJRの人間だったら、
今の状況で、色々と批判されるのは辛いだろうなって思う。
「やらないとイケナイ事」を
「ちゃんとやるように」言われるのは当然だと思いますけど。
posted by めたか at 22:52| Comment(7) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。確かに最近重いですね、ココ。

JRへのバッシングもそうですが、この事故の報道に関しては運転士とそのご家族が気の毒だと感じています。

東京では某夕刊紙が「暴走運転士」の見出しをつけて運転手の写真を1面で晒していました。本人がおそらくすでに息絶えて、事故車輌の中に閉じ込められたままというその時にです。これには憤りを禁じ得ませんでした。

この事故に関して彼に何らかの非があったのあれば、然るべき時と場所で批判され、裁かれるべきでしょう。ただ、それが今であるとは思わないし、まして彼を裁く役目が下衆な夕刊紙にあるとは考えたくない。事故を起こした列車のマスコンを握っていたとはいえ、親兄弟にとっては大事な家族の一人のはず。その亡骸すら救い出せず悲しみに暮れているご家族の胸に、そういう無責任な輩のバッシングはどれだけ深く突き刺さったを考えると、非常に悲しいです。
Posted by 佐々木大悟 at 2005年04月29日 02:12
あ。引っ越すのやめたかとおもってました…。
Posted by Lefty at 2005年04月29日 09:07
コメントありがとうございます。

佐々木さん>
そうですよね。運転手の方への「欠席裁判」は、
私もイヤな感じです。
なんか、「叩く相手を捜している」ふうに感じるんですね。
ホント最近、TV付けたくないって思っちゃいます。

Lefty さん>
今日の予定だったんですが、
あと3本、ここに書く予定の記事があります。
いつ終わるんだろう?
実は4月最初にgooでアカウントを取ったんですが、
それでいきなり、あの重さで・・・
その上で色々と検討した結果、
別の所にしました。
もう場所は、作っています。
Posted by めたか at 2005年04月29日 11:47
>ですけど、今は「その時」ではないと思うんです。
でもって、「その時」には、熱も冷めてるので対して報道はされないと…。
今まで災害時の報道不信なんてそう感じなかったんだけど…。
ここ数年でひどくなってるのか、ネットの普及などで私でも気付くようになったのか…。
Posted by Lefty at 2005年04月30日 08:18
>でもって、「その時」には、熱も冷めてるので対して報道はされないと…。

という事ですね。

多分、ネットの普及の方が原因としては大きいと思います。
酷くなった面もあるかもしれないですが。
ネットをするようになってから
メディアのおかしい点について知ったり分かったりした事が
私もたくさんありますから。
(このあたりの事が「ネットがメディアを殺す」って思ってる話で。
 メディアがちゃんとしていればネットに殺される事なんてないと
 私は思うんです。)
Posted by めたか at 2005年04月30日 10:22
はじめまして。こんにちは。最近になってこちら、読ませていただいております。
私も同感です。運転士とそのご家族が気の毒だと感じています。
最近、その人がその職業を選んだのはなぜだろう。と考えることがよくあります。
彼が運転士になったのは、きっと電車が好きだったからだと思うのです。電車が好きで運転してみたくて、運転士になった。いざなってみたら大変な事の方が多くて、あの事故の時には、報道にあるパニックになっていらしたこと、容易に思い至ります。
その職業を選んだ最初の動機、好きだから、は重要なことで、何か事が起こったときに自分の取るべき道標になるんじゃないかと思っています。
今回も、運転士は右手を計器盤の上にこぶしをにぎるように置いていた。あるいは両手は下げていた。運転席と計器盤の間に立っていた状態。との報道がありました。これは、自分の身を守るような、例えば手で顔を覆うとか、そんなことはしていなかったということですよね。これが、最後の最後の瞬間で、運転士としての意識の表われでなくてなんでしょうか。その仕事の過酷さを思い涙が出ます。
私自身に、運転士に限らず、自分のできない仕事に就く人への畏敬の念があるからなんですが、つまらんことを書いてしまいました。
引っ越しされるとありますが、引っ越し先はこちらからでも入れますか。何分ネット初心者なもんで。
Posted by mariko at 2005年05月03日 17:28
コメントありがとうございます。
「つまらんこと」なんかじゃないですよ。
「自分のできない仕事に就く人への畏敬の念」って
大切な感情なのではないかって思いました。
(あと、『ブラックジャックによろしく』というマンガも
 思い出しました・・・)
そうですよね。
結局、始めから悪い事をしようと思ってやる人は
あまり居ないと思うんです。
ましてや、過失による事故だった場合は特に。
だからと言って許していいって話ではないんですけども。
言うべき事は言わないとイケナイでしょうけど、
でも、それにも言い方とか順序があるでしょうと思いますし、
少なくとも運転手のご家族に向けるのは筋違いでしょうね。

引っ越し先ですが、こちらです。
<a href="http://at-most-countable.seesaa.net/" rel="nofollow">http://at-most-countable.seesaa.net/</a>
まだ何もありませんが
(そして、このブログは当分消さないので
 トップページから行けるようにしておきます。)
もし良ければ、今後ともよろしくお願いします。
Posted by めたか at 2005年05月03日 23:11
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