2005年10月29日

「経済」って基本的に「集団心理学」にすぎないって思う・・・

(この記事の概要)
・多くの人が「(値段が)上がる」と思った株が
 本当に(値段が)上がる事になる
・そのように
 「多くの人がそう思った事」が
 本当にそうなる事になる
・そういう意味で
 「経済」って「集団心理学」でしょう


###
テレビ欄を見ると
今日、日本シリーズが続いていれば
まったりとそれを観ていたハズなんですよね。
そう思うと、ちょっと寂しかったりします。
どうもめたかです。
(原巨人で4連勝したシリーズも
 「もうちょっと観たかったな」って思った
 そういうファンですので・・・)

こちらで約束した通り
最近、経済・特に金融関係の事について
関連する本を読んだりしています。
まぁ、本格的な勉強とは程遠いんですが
そのレベルでの知識で言うのもなんなんですが
・・・大して難しくないですね。

だって
何だかんだ言ったって、結局は人間のやってる事を
「お金」という「数字」の面で解析する
それだけの話な訳で。
だから
「算数」をしっかり理解できていたなら
大した話じゃぁ、ないんでしょう。

って事で
今日、ホームページから持ってきた文章
数学について、です。

創意工夫で数学を楽しく!

と、少し宣伝を絡めてしまいましたが(笑)
でも
数学/算数って、結構大事だと思うんですよね。
なんで
上記記事を参考に、色々と遊んでもらえれば。
(それで数字への抵抗感を
 減らして頂ければ・・・)

そういう事を感じながら
ファイナンス系の本を読んでいたりするんですが。
で、思ったのは

「経済」って
基本的に「集団心理学」なんだな

って事です。

というのは。

多くの人がそう思ったなら
そのようになる


ってのが基本的な原則なんですよね、経済って。

例えば。
多くの人が「この株が上がる」って思ったなら
その株は上がるんですよ。
逆に
多くの人が「この株は下がる」って思ったなら
その株の値段は下がる事になる。

マーケットって
そういう意味で、多数決みたいなものなんですよね。

「多くの人が、そう判断している」から
それは正しいんだろう
って事のようなんですけども・・・

なんで
「しばらく後に、多くの人が判断するだろう事」
を先読みして投資出来れば
大もうけができるって事なんですね。

これは、株に限らないんですよ。
例えば土地もそうですよね。
いくら「土地は今が底値でこれから上がる」
と言ったからって
多くの人が賛同しない限り
土地の値段は下がり続ける訳です。
だけど
後に、「上がる」って思う人が増えてくれば
本当に上がってきて、大もうけができる。


経済って、基本的に
そんなふうに動いてるんだなって・・・
それって
「集団心理」を読むって事だよなって。

「恐慌」って
なんで、ある意味、集団パニック現象と
言えるんじゃないでしょうか。

「景気」って
ある意味「雰囲気」とも言えるんじゃないかって。


・・・この辺りの事って
今までも、色んな所で言われてる事ですよねぇ。
別に目新しい事でもないか。

だけど
こういう視点で、今の楽天を見ると
株価が激落してるのって
マーケットの多くの評価は
今回の事ってマイナスなんでしょうねー。
posted by めたか at 23:05| Comment(16) | TrackBack(0) | 社会・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今の日本の「経済」はってことですよね。                     資本という商品のレベルで日本ではここ三、四十年、アメリカでも五、六十年ですか?                        近代資本主義(?)からしてアダム・スミス『国富論』も『道徳感情論』とセットですからね。                          しかも歴史は元来重層的だし、グローバルスタンダード自体が様々な経済の基層(古層)を活性化させていくんじゃないですか?
Posted by ココア at 2005年11月01日 23:37
コメントありがとうございます。

>今の日本の「経済」はってことですよね。

いや、日本に限らず、経済一般が
そうじゃないでしょうかって話で。

>近代資本主義(?)からしてアダム・スミス『国富論』
>も『道徳感情論』とセットですからね。

だそうですね。
昔、紹介した三田さんの記事にありました。
http://blog.mita.minato.tokyo.jp/archives/2005/05/post_141.html

>グローバルスタンダード自体が様々な経済の基層
>(古層)を活性化させていく

どうでしょうねぇ。
それって「グローバルスタンダード」の
意味するところによるんじゃないでしょうか。
単に「会計監査の国際基準」ってだけなら
そこまでの効果ってあるのかなぁって・・・
Posted by めたか at 2005年11月02日 22:20
めかたさんの「経済」は特殊歴史的地理的、それこそ新?自由主義経済が日々発酵してる表層での現象じゃないかな。                       もちろん実際的ですよ、なにしろ世の中金がものを言う。                            僕が言いたかったのは、白いお米を日本人が普通に食べれるようになったのがここ六、七十年の事であるように今の現象を普遍的なものに演繹したら間違えるってことです。                            それに関連してアダム・スミスを引いたのは、自由を責任や義務で規制させるみたいに「道徳」と経済行為を対立させて捉えるのではない考え方(めかたさんの引用された箇所では主観的にはともかく、正反対の考え方が示されてましたよ)は自由主義経済が生誕し育っていく過程でずっと有効だったと思うし、これからも新自由主義を乗り越えていく地味だけど貴重な戦略だと思うんです。                             まだ論点残ってますが(株主万能主義という規範を規制緩和していくとかもありですよね)とりあえず。
Posted by ココア at 2005年11月02日 23:53
えっと、細かな部分で良く理解できてないんですが
>今の現象を普遍的なものに演繹したら
>間違えるってことです。
それは確かにそうですね。
私は「今の事」しか分からないし、
それだけで判断してしまってる部分はあるかな
って思います。

ちょっと整理すると・・・
資金の供給が過剰で、かつ
生産力も上がったためモノの供給も過剰
って状況は、今の特殊な状況と言えますね。
私の書いてる事って
そういう状況でのみ、成り立つって事でしょうか。

確かに、そういう部分はあるかな。
では、その条件を外すとどうなるのか
・・・その辺、どう考えれば良いか
ちょっと分かりません。

後段に書いてる部分も、
ちゃんと理解できていないです。
いえ、書いてる事自体は分かるんですけど
それを整理して考えるには
やっぱり学問をちゃんとやらないとイケナイのかなって。
・・・何にせよ
もっと勉強しないとイケナイですね>私
Posted by めたか at 2005年11月04日 00:40
>そういう状況、でもあてはまらないかもしれない、、、、                          、経済って人間だけでやってるもんじゃないでしょう、、、、                          内田樹・平川克美『東京ファイティングキッズ』に「起業家候補の若者たちの言葉づかいは投資家の言葉づかいになった」「そして、起業家の言葉づかいというものがみえなくなってきた」(pp.37,43)ってあります。                         経済が集団心理にみえる対極のところに、かつてはるか遠くの南北問題が国民経済あるいは市民社会へと内在化、浸透化している姿がみえる。                             グローバリズムを自らの痛みとして引き受ける覚悟が先進国に生きる者の責務では?                           少し抽象的に過ぎますかね。文意が明晰でないのは考え抜かれてないからです。すいません。                             要は、経済は集団心理学に収斂しないと思います。                               
Posted by ココア at 2005年11月08日 00:44
ん?
経済って人間だけでやってるんじゃ?
他に何が関わってんでしょう?

なんか、ちょっと良く分からないですね。
まぁでも、元の話が漠然とはしてるし・・・

>要は、経済は集団心理学に収斂しないと思います。
「収斂」はしないかもしれないですが
そういう側面は強いって事は言えないでしょうかね?
って話ならどうでしょ?
南北問題にせよ国際問題にせよ
人間(の集団)が動かしてる訳ですし・・・
Posted by めたか at 2005年11月08日 22:56
「経済って基本的に集団心理学にすぎない」と断定されるから「収斂しない」って書いた訳で、めかたさんの記事は「そういう側面が強い」って程度の話じゃあないと思いますが、どうでしょうか。                        経済は歴史貫通的には、人間と自然の物質代謝過程だという意味で「人間だけじゃない」って言いました。正面きって「他に何が」と言われても、、、、、                         『人間の集団』学と『人間の集団心理』学とでは大違いだろうし。
               
Posted by ココア at 2005年11月09日 23:11
え? ちょっとなんか・・・
決定的に「議論」が噛み合ってなかったんじゃないかって
思ったんですが。

まず
>経済は歴史貫通的には、人間と自然の物質代謝過程だという意味で

そういう意味だったんですか。
それは了解しました。
でも、そういう事を言うなら、なんだって言えるって思うんですけども。
「人間のやること」って「全く自然が関わらない事はない」訳で
例えば「心理学」だって「人間と自然・周囲の環境との相互作用だ」とも言うことはできる訳でしょう?

いえ
「自然の物質量」がlimiting factorになる事がある
という意味なのは理解してるんですけども
でも「それが限界要因だ」という事に対して
人間がどう捉えるのかってのが
「価格」という「数字」を決める訳ですよね。
(つまり
 「物が足りないからこの値段は高いぞ」と。
 金などの貴金属の値段ってそういう事でしょう?
 でも他に「稀少なもの」でも
 金より安いものはある訳で、って考えると
 私の言ってることが分かると思うですが。)

経済って
色々なものに対して「お金」という「数字」で
人間が「価値」というのを認識し決定する
そういう「お金」という数字の面から物事を見る
というものですよね。
その「価値決定場面」という部分を見ると
人間の「集団心理」というのが主要なファクターになってるのではないか
というのがこの記事の視点な訳でして。

その「価格決定場面」の背後の部分に
「物質的な部分」が限定要因として関わってる
そういう事はあるよってのは
1つの指摘としては分かるんですけども
「価格決定場面」を「集団心理」という視点でみる
という事に対して「ケチを付ける」というものに
ならないんじゃないかって思うんですが・・・
Posted by めたか at 2005年11月10日 12:42
 前段その通りです。
 議論がかみ合ってないのは分かってるんですよ。
 株やら土地で先読み投資してもうけるのが出来るのを知るのが経済を知る事なんですか?                       それは経済現象を分析する出発点であれ到達点じゃないと思うし、その地平から跳んでほしいってコメントしてるわけです。                             「多くの人がそう思ったならそのようになる」って「そのようになったのは多くの人がそう思ったから」ってひっくり返しても反論できない、トートロギーで現状を追認してるだけじゃないですか?                           それと「多くの人がそう思ったらそのようになる」って論理は「多くの人がそう思ってもそのようにならない」事があると成立しないんですよね?アダム・スミスの経済学の問題意識もこの辺りにあって、だからこそ経済学、社会科学の成立する所以ですよね。                            「価値決定場面」とか「価格決定場面」とかいった事柄をこのような問題意識を持ちつつ考察すること自体、商品経済社会の発展を背景にして人類史上初めての経験です。
 経済自体はそれ以前からずっと営まれてましたよね。どう定義されますか?今も昔も自然が物として人間(心理)の背後にある訳じゃない。




Posted by ココア at 2005年11月12日 18:45
噛み合ってないのを分かっててって・・・
なんだかなぁ。

>株やら土地で先読み投資してもうけるのが出来るのを
>知るのが経済を知る事なんですか?
それは言いがかりに近いんじゃありません?
だって、別に金儲けじゃなくても
「価格(価値)決定」は経済の基本でしょ?

あと
「多くの人がそう思ったならそのようになる」

「そのようになったのは多くの人がそう思ったから」
って論理的には全然、ひっくり返ってないんですが。
「原因・結果」の順序は同じままですよ(^^;
でも、たとえひっくり返っても別に良くて
「そうなった<から>多くの人がそう思った(と見なす)」
だとしても
要するに「価格」が「多くの人の心理の反映」という事は
同じだと思うんですよ、
どっちが原因でどっちが結果だろうが・・・

それと
「現状追認」の何が悪い(オカシイ)のか
分からないんですけども。
いや、だって学問って基本的に
「現状の分析(追認)」から始まるものでしょう。
(そこから「変える」ための提言って
 現状を正確に把握してからの話な訳で。)
ちゃんと「現状を把握(追認)」できてれば
良いんじゃないですか? まずは。

>「多くの人がそう思ったらそのようになる」
>って論理は
>「多くの人がそう思ってもそのようにならない」
>事があると成立しないんですよね?

それはそうですよね。
「価格決定」という事で、その例外があります?
あるなら、それを分析すれば
色々と見えてくる部分はあるんですが・・・
昔の「経済」の
「物質的な限定要因があった場合」でも
「人間の心理」ってのが関わってたんじゃないか
ってのが私の前の書き込みの趣旨ですが。
(それに対する反論はないですよね?
 具体例を示さずに「アダムスミス」とか言われても
 私、分かんないですよ。)


それでですね・・・
コアラさんのツッコミを参考に
「昔から現在への経済の流れ」を私なりに整理すると。

昔の「経済」でも人の「集団心理」が
主要なファクターだったけれども
その「集団心理」を決定する「限定要因」として
物質的な要因や生産の限界などがあって
それをメインに「分析」した方が
「集団心理」のような分かりにくいものより
分析し易かったため、そちらで分析がされていた
だけど
それが「限定要因」にならなくなった現在では
その分かりにくい「集団心理」を考えないとイケナクなった・・・

こんなふうに捉えたんですが。

こんなふうに捉えた時に
「経済を集団心理学と見る」という視点には
歴史的な視点が欠けている、という指摘が
何か新しい視座を生むかって、って点が
全く見えて来ないんですけども。
ココアさんが私をどこへ「跳ばそう」としてるのか?
全く示してもらってないように思うんですけども・・・
(いや、途中までは
 「自分の見落としていた視点を示してもらえる」
 と思ってわくわくして議論してたんですが
 一向にそれが出て来ないんで・・・
 だんだん、飽きてきました、正直。
 物質的な限定、みたいな話は
 「需要と供給の関係」って中学で習ったし…)
Posted by めたか at 2005年11月14日 23:40
 論理的にひっくり返ってない点はその通りでした。言われるように「そうなった<から>多くの人がそう思った(とみなす)」とすべきでした。ただこの同義反復をどう評価すべきかで見解が分かれてるって事でしょうか。「現状追認」との表現は価値判断の意味合いをもって受けとられたようですので「現状追随」にしときます。                    さて、「価格」が「多くの人の心理の反映」かどうか、めかたさんが示された例は投機(投資)的な場面に限定されるのでは。別にめかたさんが金儲けが経済だって言ってると指摘した訳じゃないですよ。                         集団心理的なアプローチにしても「多くの人がそう思ってないのにそうなってる」とか「多くの人がそう思ってるがゆえにそうなってない」とかいろいろなケースがある。前者は雑多あるでしょうが例えば100円マックとか100円ショップとかでの価格決定。後者ではアダムスミスの「見えざる手」による重商主義政策批判は典型的ではないですか。                          跳んでいって欲しい所は、もちろんイスタンブール、、、、、、「新しい視座」を示せる程の卓見があればそっちの専門に転向したいものですが、前にも引きましたけど、今『東京ファイティングキッズ』の読書と並行しながらコメントを書いてるので、そちらに譲ります(「ビジネスモデルにおける原因と結果の倒立」pp.238-246)。「『わかる』というのは、むしろ『わからないもの』を受け容れ、自分の中に未聞の言明や心性をむりやりねじ込んでゆくプロセスではないか』(p.12)                        岩井克人氏の本が採り上げられる予定とか、またコメントさせてください。 
Posted by ココア at 2005年11月16日 00:26
「イスタンブール」に跳ぶ事は出来そうにないですが(苦笑)

投機的な場面だけに限定するんですかね?
例えば100円ショップの場合でも、
「高い」と思われたらそのモノは売れない、訳ですよね。
という意味で、「価格設定」は売り手がするにしても
「売り上げ」という形で反映されるんじゃないか、と。

岩井氏の本・・・現状では取り上げるのは難しそうです。
どうもスミマセン。
一応、リストには入ってますけど、
あの中では優先度が低いですので・・・
(それでなくてもネタが溜まり過ぎていて、
 多分、あの中の2冊くらいしか書けないと思う)
Posted by めたか at 2005年11月22日 05:58
とても遅いコメントごめんなさい。

このエントリ、実は興味深いと思っています。めたかさんとココアさんの間の議論を完全に理解は出来ていないのですが、簡単に言うと、専門家の間で、「自己実現的期待」(self-fulfilling expectation)と呼ばれているものを、めたかさん流に書かれたものだと思います。

専門家の間では、経済(特にマクロ経済)というものは「ファンダメンタルズ」と呼ばれる基礎的経済条件によって、経済の(均衡)状態が遷移するという古くからある考え方と、それだけでは全ての経済変動を説明できない、ファンダメンタルズによって起こりうる経済の状態は複数あり(複数均衡)、そのどれが実現するかは人々の期待によっており、場合によっては、人々の期待したからその状態が起こる可能性があるという考え方があります。両方とも理論モデルとして定式化されており、ひとつの論争点であるとは思います。

ファンダメンタルズ派は、自己実現的期待派のモデルはありえるけれども、少し条件を与えてやれば、均衡はひとつになるので、自己実現的期待はあまり重要でないと指摘します(根本には、自己実現的期待の結果論的な説明に対する気持ち悪さみたいな感情もあるかもしれません(笑))。自己実現的期待派は、現実的な条件の下では、複数均衡となる可能性は非常に大きく、その均衡のいずれが実現するかは人々がどのような期待を抱いているかに大きく依存する可能性を指摘します。

ファンダメンタルズ派、自己実現的期待派という言葉は、それほど一般的な呼び方ではありませんが、分かりやすい区分と思って使いました。この論争は現在さまざまな分野でありますが、自己実現的期待派が必ずしも優勢であるとは、思わない部分もあります。あと、期待形成に関する心理的側面も、この論争ではあまり深くは議論されません。(つまり、自己実現的期待形成派も、このような期待が存在するとすれば、このような状態になり、異なればまた別というようなモデルを見せるにとどまっていて、心理学的な分析を取り入れているわけではありません)

現在、「自己実現的期待」と「経済」でgoogleでヒットするもののいくつかに興味深い話題があるかもしれません。(「自己実現的期待」だけだと自己実現という臨床心理学の用語(?)で引っかかるものが多いようで、経済とは関係ないものが多いかもしれません)

最近、めたかさんのコメントに頓珍漢なことばかり書いてるので、ひやひやしながら書いてますが(笑)長文コメントですみません。
Posted by netwind at 2005年11月30日 10:21
コメントありがとうございます。
頓珍漢なんてとんでもないです、
いつも参考になっていますが、今回のは特に
参考になりましたよ。

要するに、ここでの「論争」の類型が
専門家の間での論争でもあるって事なんですね。
その論点を整理し噛み砕いて説明できれば
結構、需要があるかもしれないですね。
(少なくとも私は、読みたいです)

心理学的な分析を取り入れるのは
「心理学」というのがまだまだ未発達な現状では
難しいんだろうって思います。
ただ、その視点だけは頭においておきたい
って感じなんですけども・・・
Posted by めたか at 2005年11月30日 22:53
 子供の学習で久しぶりにインターネットをのぞいたら面白いコメント。また時間が出来たら参加します。
Posted by ココア at 2005年12月08日 22:10
参加も何も、netwindさんとは「議論」してるんじゃなくて
ここでの話の背景を教えて頂いた
っただけなんですけどね。
ちなみに今、「自己実現的期待」と「経済」で
google検索してみると、ここが一番上に検索されちゃいました(苦笑)
ありゃま。
他のひっかかったページについては
またゆっくり見てみようと思っています。
(さらっと見るには難しそうなページばかりで)
Posted by めたか at 2005年12月10日 22:49
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