実は最近、あまり音楽を聴いていなかっためたかです。
最近、イヤホンが辛くなってきたこともあって、
ウォークマンを持ち歩かなくなった事が
大きいですね。
だから今は、耳がすっぽり収まるでっかいヘッドホンも
iPodと一緒に持ち歩いています。
荷物になりますが、これだったら
辛くならずに聴き続けられますね。
それで、あまり聴いていなかった「最近の購入物」を
まず優先的に入れて回っています。
定番もの(自分の中での)を入れるのは、後回しですね。
さて、本題です。
すんごく遅くなってしまいましたが、
「トラックバックについて」のまとめ記事、いきます。
「
適当主義の勧め」でのecotakaさんとのやり取りは、
私にとってはトラックバックについての議論というより
このまま切れちゃうのがもったいないなぁって事で
色々言っていたって感じだったんですが、
ecotakaさんの方が、
今回の事を前向きに総括された記事を
まとめられたんですよね。
なんで、
私の方でも、この事について、ちゃんとまとめて返そう
ってのがこの記事の狙いです。
でも。
実は、私はトラックバックについては、
それなりに思ってる事はありますが、
そんなにちゃんとした「原則」があるって訳でもないんです。
というか、
自分の中で「揺れてる」んですよね。
なんで、色々とごちゃごちゃした結論になっちゃいそう
なんですけども、
なるべくすっきりとまとめようと思います。
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まず、
「トラックバックに関して各ブロガーの考え方は様々であり、
今後とも共通化することはない」
というのはその通りだと思います。
というか、「共通化」させるべきかどうかってのも、
良く分からないんですよねー。
特に私は「
多様性こそ善」という思想の持ち主なので、
「ブログの言論空間の多様性を守りたい」ってふうに
思っているんですよねー。
色々あるトラックバックの作法には、
それぞれに一長一短があると思う訳で、
それを無理に統一するよりも、色々な作法が混在してる方が
多様な言論空間が生まれるような気も、するんですよ。
(ま、本当にそうなるかどうかは、
ちょっと分からないんですけど。)
そういう訳で
「トラックバックについての考え方を
無理に統一する事はない」
と言う事は、賛同したいと思います。
ただし、
「統一しない、バラバラのまま」の場合、
考え方の違いからの「摩擦」ってのは避けられないって
思うんですよねー。
そこで、
ecotakaさんは「各自のTBへの考え」ってのを
分かり易く明示しようって提案されていて、
そのための「アイコン」を作るって事も、提案されています。
そのアイデア自体は、買いたいと思います。
ですが、
「そんなすっきり、分けられるモノなのかな?」
って事も、思うんです。
先ほど「自分の中で「揺れてる」」と書いたように、
そんな簡単に「マーキング」できるものでも、
ないんですよ。
小島さんは今回の騒動の「
総括記事」で、
「トラックバックは定義できない」
と書いておられます。
それは、人によって考え方が異なるって事だけでなく、
一人の人間の「考え」というものも、
揺れてくるし、そんな簡単に「定義」とか「アイコン」
みたいなシンプルな形で表現できるのかなって
そういう事も、思うんです。
(それに、
全てのブロガーに
「トラックバックに対するスタンスを明確に決めろ」
って事を強要できるのか? って話もある。)
って事を言ってると
「シンプルに済ませる事ができる事もあろうに、
何をめたかはややこしい事を言ってるのだ?」
と思われる方も、おられる事でしょう。
なので、
まずは試しに、私の「基本的なトラックバック観」を
書いてみましょう。
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私は、トラックバックを「対話」だと思っています。
だから、
ちゃんと「対話」として成立してるかどうかってのが、
1つの判断基準かなって考えていますね。
その場合、何をもって「対話」と見なすのか、が
問題なんですが、
まぁ実生活での「会話」として、そんなにオカシクないか
って事で判断しています。
この「判断基準」でいくなら、
「無関係TB」ってのは、相手の言ってる事を全く無視して
関係ない事をしゃべってくる人、みたいに思える訳ですね。
一方、
文中に自分の記事をちゃんとリンクしていて、
その記事について言及があるって場合
(最も理想的と考えられているTBの作法でしょう)
は、それこそ「会話/対話」になっているでしょう?
他の色々な場合も
「それが会話/対話になっているか?」
って考えていけるんですね。
例えば、
「万博の弁当持ち込み」について話している所に
「弁当持ち込みによるゴミ問題も考慮しよう」
って話をしていくのは「会話」としてもおかしくはない。
だけど、
「そもそも環境って視点から開催には疑問だ」
って話をしている所に
「万博の弁当持ち込みのゴミ問題が」
って話していくのは、会話としてどうなんかなって
思う訳ですね。
(スミマセン、引き合いに出して。
だけど分かり易い例だと思いますので・・・)
あとですね、
この「基準」だったら、
「初対面」の場合と、やり取りのある人とでは、
おのずと「距離」も違ってくるよねって話にもなるんです。
初対面の人に、いきなり「関連の薄い話題」を話かけるって
やっぱり少し失礼って感じますし、
でも「親しい間柄」だったら、
多少関連が薄くても、「会話」としてならアリかなって。
「○○と言えば、アレどうなった?」
みたいな感じで話題が逸れるのもアリでしょう。
でも、それを全く知らない人からされたら・・・
みたいな感じで。
やっぱり、初対面で話しかけるんですから、
「あなたはこんな事を書いてるんですが、
その事については私はこう思うんです」
ってふうでないと、なんやねんって思いそうですよねー。
という感じで、
私の「TB判断基準」としては、
「会話としておかしくはないか?」って事にしているんです。
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でも、ここまでは実は建前ベースの話。
本音ベースで言うなら
実は「面白ければ何でもオーケー」なんですよ。
いくら「全然関係ないじゃん」ってTBでも、
読んで面白ければ、読んで良かったって思うし。
と言いますのは、
私の経験上から言えば、
キーワードだけでTBを大量に送ってる人
そういうTBって、
つまんない/情報価値の低いのが多いんですよ。
新聞記事を全文コピペして一言感想書いてるだけ、とか。
そういうTBが10個も20個も付くと、
げんなりしてくるんですよねー。
私が「無差別トラックバック」が嫌いな理由は
そういう事情もあるんですよ。
大量にTB送る人たちで、面白い記事を書く
ecotakaさんのような方は珍しいですよ、マジで。
そして多分、面白い記事を書ける人って、
だんだんそういうTBをやらなくなってくるって
思うんですよね。
だって、そういう人は、周りが放っておかないもの。
そうなると、コメントの返事やらTBへの対応に追われて
「大量TB送信」なんてやってられなくなるんだと思う。
(これは予言しておきます。)
そうじゃないトラックバックって、
送付されれば一応は見に行きますけども
(例外はあるんですが、それについては、
ここでは触れません。)
「時間の無駄だった」って思うんですよねー。
そういう「時間の無駄TB」がいくつも付いた日には、
かなり機嫌が悪くなりますね。
それで。
私のサイドバーを見て頂きたいんですが、
「最近のトラックバック」の項目を消しているんですよ。
それは、
私のブログへのトラックバックへの「メリット」を
減らすって意味合いなんですよね。
これなら、トップページからリンクされませんから、
アクセスやらグーグルランクなんかの「メリット」は
だいぶ減ってしまう事になる。
それでも良ければ、
トラックバックして下さいってつもりなんですね。
多分、トラックバックしても私しか見ないと思うけど、
宣伝としての役割はほとんどないですよって意味で。
それで
「宣伝目的のトラックバック」への防衛としているつもり
なんですよねー。
というか、
そんな「無差別トラックバック」を受ける事への不快感を
そうする事で、減らしているんです。
(要するに「ま、いっか」と思える、みたいな。
はい、私って結構、ケツの穴が小さいんです(苦笑))
(実は、gooではコレ、消せないみたいなんです。
最初、移転先としてgooを考えていたんですが、
その理由で止めたんですよねー・・・)
あと、もう1つ、
「トラックバックを消す事への抵抗も減らす」
って意味合いもあるんです。
トップページにどういうTBが来たかの一覧があると、
消したのも分かり易いですよね。
そうすると、消す事の抵抗も、ちょっとあるんですが、
トップページに表示していなければ、
割と気軽に消す事もできるかなって。
トラックバックって、送る自由もあると思いますけど、
「消す自由」も、あると思うんですね。
消すという機能もあるんですから。
なので、
私は割と気軽に消しています。特に断らずに。
一応、先に書いた「文中引用リンクもなく」
「会話としても成り立たない」トラックバックは、
(それで、面白くもないものね)
自分としては「消しても良いもの」と位置づけていますね。
消すとは限らないんですけどね、
放置しておくものも、ありますけど・・・
(消すのも面倒ですしね)
私ね、ちょっと提唱したいんですが、
トラックバックって、どんどん「消して」良いと思うんです。
だって、
送る側が、これだけ気を使わずにガンガン送ってるんですから
受け取った側も、気を使わずに
「ガンガン消して」良いと思うんですよね。
そこに気を使う必要など、ないと思うんです。
それで、
普段は「相手はこちらの記事を読んでないな」って思う
失礼な記事に対しては、
黙って削除するだけなんですけども、
一度だけ文句言った事があるんです。
マイナスイオンに関して、
私は否定的な事を何度も書いてきているんですよ。
「あれはオカシイ」ってね。
そういう記事に対して、
無邪気にマイナスイオンを信じている記事をTBされて・・・
いや、
ちゃんとこっちの記事に「反論」している記事なら、
全然オッケーなんですけども、
明らかに、そういうのではなく
こっちの記事を読んでなくてキーワードだけで送ったでしょ
って記事で。
それに対して
「もし、これで私の記事を読んだ上で送ってるんだとしたら
それこそ「良い根性してるやんけっ!」って思うねー!
論争だったら、付き合っても良いですよん」
って書いてTB返したんですけどもね。
(大人げなかったかなって思いますけど・・・
でも、オカシイでしょ、こんなTB)
*ちなみに、そのブログは今はなくなっていました。
*なので、探さないで下さいね。
ま、一応「受け取る側」としてのトラックバック観としては、
こんな所ですけども・・・
それで、自分がトラックバックを送付するって番になると、
また色々と考えてしまう訳で・・・
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って事で、今度は「トラックバックを送る側」から
考えてみますね。
トラックバックって、
「アクセスアップ」が目的って人は別にしましょう、
それ以外では、「送付先に読んでもらいたい」
って事で、送ると思うんですね。
で、それならちょっと、立ち止まって考えて欲しいんです。
どうして「読んで欲しい」って思うんでしょう?
それは、
自分の考え、意見を知って欲しい、
そして、できれば賛同して欲しいとか、
感想や気付いた点を言って欲しい、とか、
何らかの「ポジティブな反応」が欲しいって事ですよね。
(反論でも、建設的なものなら有り難いですし、
そういうのも「ポジティブな反応」と言えるでしょう。)
その際に、ですねぇ。
せっかく読んで頂く「相手」に、
あらかじめ不快感を与えてしまっていたなら、
自分の考え・意見を真面目に読んでもらえるだろうか?
って事も、思うんです。
というか、自分自身が「なんだよコイツ」って思ってる
そんな人間の意見を、真面目に聞こうと思うか?
って話な訳で。
トラックバックに対する考え方はそれぞれで、
ひょっとすると、自分の記事引用のないトラックバックを
不快に思う人なのかもしれない、
そういう人に「読んで下さい」ってTB送っても、
せっかく素晴らしい意見を書いていても、
まともに読んでもらえなかったり共感してもらえないかも
しれないですよね?
いや、
「トラックバックを喜ぶ人」だけが共感してくれれば良い、
そういう考え方も「アリ」かもしれませんが、
それって「始めからTBを不快と思う人を排除」した
考え方じゃないかなって・・・
そう思うから、
私はあまり積極的にTBを送らなくなってきた
って部分も、あるんですよね。
まぁ、それもちょっと縮こまり過ぎだなって思いもあって、
なんで色々と「揺れている」んですけども・・・
######
さて、どうですかね?
なんか、色々考えてるなぁって思うでしょ?
さすがに一年もブログをやってると、
色々な事を思うんですよ。
ここまで書いてきた事を、
上手く「アイコン」として表現できるかなぁ。
標語としては
「トラックバックは『対話』です」
みたいになるのかな?
でも、単なるお道徳の題目みたいで、
具体的に何を意味するかがイマイチ不明な標語ですよね。
あと
「そのトラックバック、ちょっと待ったぁ!」
「トラックバックの向こうはどんな顔?」
「私に貴重な時間を使わせるだけのものなの?」
「面白ければ許す!」
「でも結構、基準が揺れる事もあるんで・・・」
うーん、色々あり過ぎてイマイチよー分からんって感じか。
って事で、
結局は上手くまとまらず、
単にecotakaさんの記事にいちゃもん付けただけ、
みたいになっちゃったかもしれませんね。
ただ、
これだけは言いたいってのがありまして・・・
トラックバックを送るって事は、
その相手に対して、何らかの「働きかけ」を行った
って事は、まずは間違いはないですよね。
そうすると、
それを行った「責任」ってのは、伴うって思うんですよ。
だから、
「摩擦を減らそう」って試みも、とても素晴らしいんですけど
でも、起こってしまった「摩擦」に
どれだけ誠実に向かい合うかって事も、
大事じゃないかなって思うんです。
150人にトラックバックを送ったのなら、
その150人にちゃんと向かい合う「覚悟」ってのも、
必要だと私は思う。
だって、
あなたの側から「話しかけた」んですからね。
自分から話しかけておいて「知らん顔」ってのはね。
というか、
少なくとも「誰に話しかけたか」くらいは、
自分で把握しておいた方が良いと思うんですよね。
つまり、
TB送付先に居るのは「人間」なんだって事です。
あと、もう1つ。
ブログって、
ecotakaさんは『鍵のない家』に喩えれらっしゃいますけど、
もっとちゃんと喩えるなら、
私は「お店」なんだと思うんですね。
「会社」みたいに考えておられる方もおられて、
そういう側面もあると思うんですが、
(だから、社長である小島さんとか、
マーケティング専門の大西さんなんかが、
運営方針が「ブレない」んでしょうねー。)
みんながみんな、そんな「経営」的な視点で
ブログをやらなくても良いとも思っていまして・・・
(いえ、ブログをあまり「敷居の高い」モノに
したくないんですよ、私は。
もっと身近なモノにしたいんですね。)
だから、もっと良い喩えがないかなぁって
考えていたんですけども・・・
「お店」って、ちょうど良い喩えじゃないかなって
思うんです。
そうすると「お店」の運営って、
色々あって良いと思いますから。
こじんまりと、常連さん中心で運営しても良いし、
もっと大きく、沢山の不特定多数のお客を捌く
そのための「運営スタイル」ってのもアリでしょう。
「一見さんお断り」だってアリだし(笑)
また、
出す商品(専門分野)が違うと運営スタイルも違ってくる。
「お店」が多様なように、
ブログも多様であって良いと、私は思うんですね。
その交流の手段として「トラックバック」がある・・・
そうすると、
その「交流の仕方」も色々じゃないのかなって
思うんですよねー。
(なんとなく、ですが、
アイコンのアイデアって
「訪問販売お断り」の張り紙みたいなものですよね。
でも、それがホントに迷惑かどうかも
ケースバイケースですよね。
飛び込み営業が全てダメって訳じゃ、ないでしょうし。)
えー次の記事に、
「今の所の私の結論っぽい事」を書く予定です。
そちらも合わせて読んで頂ければって思います。