ブログ人重過ぎです。めたかです。
昨日は投稿を諦めました。
(だって自分のブログが見れないんだもん。
ブラウザの調子もおかしいし・・・)
最近ツボなのが
「
ガ島通信さんは最近切れ味を失った」
みたいな感じのフレーズ。
『
究極超人あ〜る』というマンガで、
突然出現した「妹」に「お兄さま、あなたは堕落しました」
と言われたシーンを思い出しましたよ。
いやはや、大変ですねぇ、有名人は(苦笑)
真面目に書くと、
ガ島通信さんに期待するのは勝手ですけど、
自分の勝手な「期待」を相手に投影して、
そこからズレたら「ダメになった」みたいに言うのって、
何だかなぁって思う。
多分、こういう人って「他人任せ」なんだろうね、
「自分が」頑張ろう、じゃなくて
誰かが「やってくれる」みたいに思ってるから、
その「誰か」が期待から外れてしまうと、
こういう反応をしちゃうのかなぁ。
まず「自分がどうするか?」って考える人なら、
こんなふうには言えないって思うんですけども・・・
(いや、個々に記事に「それ違うんじゃない」ってのは
自然な反応だと思いますけどね。)
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さて、こういう話を枕に、ゴーログにトラックバックネタ
いくんですが・・・
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[ゴーログ]立花隆先生は一体どうしてしまったんでしょう?あと、カトラー氏も「
立花隆はどうしてしまったのか」
という記事を書いていますけど、
申し訳ないけど、なんだかなぁって思った。
だって、「どうしてしまった?」も何も、
元々立花氏って、結構トンチンカンな事を
いっぱい書いてる人ですよ。
私が理系だってのも大きいのかもしれませんけどね。
立花隆氏って、科学ジャーナリストとしても名高いですが、
理系の私から見ると「おかしいぞ」って事が
結構見受けられていたんですよ。
それで、
同じ事を思っていた人は結構居たらしくって、
何年か前に、立花氏のそんな「おかしな点」を指摘した
立花隆批判本が、いくつも出版されたんですよね。
その中で、決定版だと言われているのがこの本。
『
立花隆先生、かなりヘンですよ』
結構、話題になったと思うんですが、
ご存知ない方もたくさんおられるんですね。
上記の本は、比較的読み易いし、とても面白いので、
一読をオススメします。
こういう本を読んでいれば、
立花氏に、過剰な期待を抱いてないと思うんですよね。
「また、おかしな事を書いていたんだ」
くらいのもので。
だいたい、立花隆氏って、膨大な量の本や文献を読んで、
膨大な量の仕事をこなしているそうなので、
なんで「エラー」も膨大な人って言えるみたいですよ。
そういう認識を持っていれば、
「立花隆というブランド」に惑わされずに、
良い事を言ってる時は良い、おかしい時はおかしいって、
1つ1つ判断できるし、そうしていかないといけないでしょ。
で、
本当なら、誰に対しても、そうでないとイケナイと
思うんです。
でも、実際には「誰それが言っているから」みたいな判断で
済ましてしまう人が、多いんでしょうねー。
なんか、その辺りがスゴく「他人任せ」な気がするんです。
立花隆氏が、「知の巨人」として持てはやされたのは、
様々な事を「自分で」ちゃんと考えずに
こういう人に全て「任せてしまう」という人たちから、
ではないのかな。
特に理系関係って、「なんか難しい」って思ってる人
多そうだし・・・
だからこそ、理系関係の話題を手広く扱ってくれる氏を
(その仕事ぶりをちゃんと検証する事なく)
「知の巨人」に祭り上げてしまったのではないでしょうか。
そのあげくに、梯子を外すように
「最近の氏はどうしてしまったのか?」
みたいに言ってる状況に、私には思えるんですよねー。
大切なのは、
「誰か」を英雄に祭り上げる事ではなく、
「自分が」どう考えるか、どうするか、だと私は思います。
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だいたい「ガ島通信」さんって、
「切れ味」で勝負してる人だったっけ?
って事も思うんですよ。
いや、「切れ味鋭いジャーナリスティックな分析」も
もちろんありましたけど、
それは彼は、「プロのジャーナリスト」だったんですから。
彼の最大の特異性は
新聞記者として、様々な「新聞の問題」に
他人事としてではなく、あくまで「当事者」として引き受けて
論じていた事だったと私は思っています。
(だからこそ「新聞の最後の良心」なんて
賞賛されていたのでは?)
そう、
「誰か」がどうするって問題ではなく、
あくまで「自分が」どうするかって事に立脚していた事、
そこから逃げなかった事こそが、
「
ガ島通信」
だって。
その読者の人が、
「最近切れ味悪いよ」みたいな事を言うなんて、
今までガ等通信の何を読んできたんだ? って事も
思うんです・・・