2005年06月19日

Amazonアソシエイト、始めてみます

ブログを始めて14ヶ月
めたかです。

週末、忙しかったうえに
飲みも入って
(一応、酔っぱらってブログはやらない
 マイルールです。)
間が空いちゃいました。
コメントの返事も溜まっていて
今日は、お返事を書いているだけで
一日が終わっちゃいそうですが、
まぁでも、簡単に。
(カレンダーの空いてる日を
 少なくしたいって事もあるし)

タイトルに書いたんですが、
このブログでAmazonアソシエイトを始めます。

一応、このブログを1年以上やってきて
この程度のブログでも、
それなりに、経験とかノウハウってのは
積んできたって思っているんですよ。
記事も、もう、700近く書きましたし。
(クソ記事もいっぱいあるけど、
 基本的には1つ1つ長く濃い記事を
 いっぱい書いてきた訳で、
 その量たるや、自分で自分を褒めてあげたいです。)

それで。
アソシエイトとかって
あまり興味はなかったんですよ。
ネットでお金儲けしようって気は
なかったですし。

では、なんで「やってみよう」と思ったかと言うと
たけくまメモの影響が大きいですね。
ここで
「こういう本を紹介したら
 これくらい売れた」
みたいな事を書いているのを読んで
なるほど、これも1つの「ノウハウ」だなって
思ったんですね。

つまり
自分自身の文章の中で
こういう文章でこういう本を紹介したら
それで、その本を読んでみようと思ってくれる人が
どれくらい出てきてくれるか、
というのが、わかるんだなって。
(全ての人がアマゾンで買う訳じゃないでしょうが
 1つの指針にはなるでしょう。)

そういう「ノウハウ」を積みながら
わずかでも、お金の足しにはなるって事なら
やっても良いかなって思ったのが1つ。

あと、
ネット広告には抵抗あったんですが、
Amazonアソシエイトなら
それで「広告」するものが
自分が良いと思ってる、
それどころか、薦めたいと思ってるモノだ
という意味で、
「心理的な抵抗も小さいな」
ってのも、ありますね。
それで「買い物」をしてもらう事で
自分も嬉しいし、アマゾンも儲かる
買った人にも、良いって思ってもらえるだろう
(と、私が思っているものを薦めるので)
という「みんなにとって良い」
と、自分に思える事なので
それだったら、やっても良いかなって。

あと、
書評とか、CD評とかを
今後、ブログでどんどん書こうというのも
あるんですよ。
それなら、アソシエイトもついでにやるってのも
記事を書くモチベーションにもなるかなって
そういうのもありますから。

という訳で
Amazonアソシエイトを始めます。


それで・・・>
posted by めたか at 23:57| Comment(2) | TrackBack(0) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

私の望む「ネクスト・ブログ」

前に書いた
何でもオープンにする会社(はてな)
という記事で
「自分の未成熟な考えやアイデアを
 とりあえず公開しておけば
 誰かが、それを元に
 素晴らしいものを考え付くかもしれない」
という考え方を紹介しました。

んで、
この記事は、その考え方に沿った
「アイデア放り投げ」記事です。


###
もう、誰のどの記事だったか
メモしていないし覚えてもいない
探すのも大変なんで、リンクしませんが、
「ブログの終わりを言う人は多いけど
 それなら『ブログの次』のビジョンが
 語られても良いのに、それがない」
みたいな事を言ってる人がいたんです。

私は別に「ブログの終わり」って事は
言ってないんですけど
でも「ブログの次のビジョン」って事は
考えている事がありますので、
それを少し、出してみようと思います。

まず、参考記事として、こちら。
blogとは?(netwindさん)
この記事のコメント欄に、
私はこんな事を書いているんです。

「HPは全てブログになる」というより
「HPとブログの境がなくなる」
って思っています。
HPにブログ的な機能が付いて
ブログ的になって行って、
同時に、ブログも多様化して
今のような日記形式じゃなく、
表紙があって
ツリー形式に体系化したものも出てくる。
特に鍵になるのがRSSって話があって、
これは私がRSS導入後に書こうと思って
取っているネタなんですが、
今後、RSS配信をしないウェブは
見向きもされなくなるって話もあるんですね。
なんで、普通のHPもRSS配信をするように、
なるんじゃないでしょうか。
そうなると、
あとトラックバックの受付が出来れば、
もうHPとブログの境なんて、
ないってなるでしょ?


これが、私の考えている「ネクストブログ」
なんです。

つまり、
これはブログの長所でもあり短所でもあると
思っているんですが
記事の並び方が「日記形式」なんですよね、ブログって。
なんで、
古い記事は、どんどんと流れていってしまう。

これは
「体系的な事」をやろうとするには
ちょっとマズイ特性かなって
思っていたり、するんです。
個別の記事をリンク貼って整理すれば
「体系的」にまとめる事も可能、ですけど
面倒なんですよねー。
やっぱり、書きっぱなしは楽だし、
その「楽さ」が、ブログの持ち味でもある。
だけど
「記事の並び方」については
もう少し、多様性があっても良いように
思うんですよね。
理想は「読み手が並び方を選べるようにする」
なんですけど、
それを動的に管理するって
技術的に難しいのかな?
(もともと、ブログが技術的にどうやってるか
 全然、理解していないので、
 判断のしようがないんですけど。)

でも、
多分、ブログの特性で
「トラックバック」と「RSS配信」は、
今後、どんどんと「普通のHP」でも常識になっていって
ブログと、そうでないHPの区別が
どんどん、あいまいになっていくと思うんですね。

その中で
私の理想としては
「普通のHPをブログ的に更新できる」
というサービスが提供されるようになる
(しかも、個々のページにトラックバックが出来、
 更新毎にRSSも出す)
と、良いなぁ
(乗り換えるかも・・・)
って事を、思っていたりします。


追記部分では「体系的な事」に拘る理由を>
posted by めたか at 23:53| Comment(6) | TrackBack(1) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月15日

何でもオープンにする会社(はてな)

町山智浩さんが
スターウォーズ評を
配給会社に「検閲」されたそうです。
オレの書いた「スターウォーズ」評を配給会社が検閲!

まぁ、その事の是非はともかく、
今の時代って、こういう事が
出そうと思えばすぐに表に出せてしまう
って事ですね。
配給会社が、自分に都合の悪いと思う「評」を
検閲して削ったとしても
その評が、検閲した事実とセットになって
表に出されてしまうって事。
今はもう、そういう時代だって事ですね。

この話を枕に持ってきたのは
今日は、「はてな」という会社の
「何でもオープンにしていく事」について
ちょっと書いてみようと思いましたので。
と言っても、
私自身、この件について
自分なりの考察をしようって訳ではないんですが・・・

[はてな] 何でもオープンにすることについて
[はてな] 何でもオープンにすることについて(つづき)

すでにネット上では話題になっていますが、
この、はてなという会社のあり方は
すごいラディカルだと思いましたね。
特に、naoyaさん
「知られてしまったら
 競争優位性が失われてしまうなんてものは、
 もともと競争優位性としては脆すぎるのであり、
 それを企業の中に隠し持っていたって、
 あっという間に突き崩されてしまうんでしょう。」
というのは、すごい。

ただ、公開する事の利点についても
きちんと語られていて
その中で特に分かりやすいのは
kawasakiさん
「(自分の考えを発表する事で)
 多くの人に見てもらう可能性を増やすことで、
 ひょっとしたら私のエントリーをみて、
 よりブラッシュアップしたエントリーを書いて、
 トラックバックしてくれるかもしれないからです。
 ブラッシュアップしたエントリーは
 自分のためにも、人のためにもなるので
 一石二鳥だと。」
の部分ですね。

うーん、なんか
インターネット時代の
新しい会社のあり方なのかもしれないなぁって
ちょっと思いましたね。

ネット時代というのは、
情報が、あっという間に広まってしまう訳で
「隠す」事が、だんだんと難しくなってくる
というのが1つの側面で。
もう1つは、
情報が広がるスピードがものすごく速い事で、
情報を出す事の「意味」ってのも
出てくるんだって事ですね。

それで思い出すのは
ソフトウェアの開発での
オープンソフト・プロジェクトです。
その辺の話については、
伽藍とバザール」などの
エリック・レイモンドの一連の解説(山形浩生氏・訳)
を読んで頂けると分かると思います。
無茶苦茶、長ーいんですけどね。
もっと端的な解説も
どっかにあったと思いますけど・・・
要するに、
ソフトウェアの「ソース」(情報)をオープンにして
フィードバックをもらうって方が
より良いものが出来て良いって事ですね。
(って、無茶苦茶、乱暴なまとめですけど。)

はてなの「オープンさ」には、
これに通じる思想を感じます。
つまり、
オープンソース的思想を
企業活動という事にも広げていっているのが
「はてな」という会社なのかなぁって
そんな事を、思いました。


だから続きを読む
posted by めたか at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月10日

グーグルの顧客対応があまりにもなってない事について

今日は、ちょっとネットに時間を割けないので、
ご紹介ネタでお茶を濁します。

Google AdSense顛末記(一)
Google AdSense顛末記(二)
Google AdSense顛末記(三)
Google AdSense顛末記(四)
Google AdSense顛末記(五)
Google AdSense顛末記(六)
Google AdSense顛末記(七)
Google AdSense顛末記(八)
Google AdSense顛末記(九)
Google AdSense顛末記(十)

Google AdSenseについては、
結構多くの人が
「突然、アカウントを削除され、
 何の説明をしてくれない。
 まともに対応をしてくれなかった」
という苦情を述べていて、
(その中には、竹熊さんや
 サイエンスライターの森山さんも
 含まれている)
だから、そこをしつこく追求していけば
まぁさもありなんって話ですが、
結末は・・・こりゃぁ、酷いなぁ。
東芝クレーマー事件以来の衝撃です。

googleって、
google八分の件とかで
(未だにgoogle八分してるよ、
 「圏外からのひとことを」・・・)
信用できないなぁって思っていたので、
アドセンスの件も、
まぁそうだろうなぁって思っていましたけど、
ここまで顧客対応が酷いとは・・・

ただ、
こんな事が広まってしまったら、
壊滅的な打撃を受けるって思うんですけど。
どうなるんでしょう?
まぁ、
google八分の件と合わせて、
皆さん、知っておいて下さい。


と思っていたら・・・>
posted by めたか at 23:44| Comment(2) | TrackBack(1) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月02日

『棲み分け』が大事(ネット言論の多様性を保つために)

「人を信用させるホルモン」ってニュースが
「人を信用させるホリエモン」って見えて
あぁ、私、疲れているなって気がつく毎日、
いかがお過ごしでしょうか。めたかです。
(あ、ホルモンのニュースは、話半分に聞いた方が
 良いような気がしますね。
 ちょっと、該当する論文を
 時間があればざっと見てみようかなって思いますが、
 こういうのって、データの取り方で
 ひっくり返ったりしますし・・・)


で、
お休みしている間に話題になっていた
匿名性の話について、
ちょっと書いてみようと思うんですが。
でも、シーサー重くって、
いつもはブラウザでブログに直接、ちょこちょこ書きながら
アップしていくんですが、
昨日は途中で書くの、諦めてしまいました。
今は、エディターで文章を書いていますけど・・・
なんか、ブログが重いと書く気がなくなりますよね。

そう言わずに、始めましょう。


まず、
私の「前提的な価値観」を先に述べておきましょう。
それは「多様性こそ重要」というモノです。
よって、
どうやって多様な言論空間というのを保つか、
というのが、私の発想の根っこになります。
少なくとも私は、そういう視点で論を進めようと
思っています。


###
匿名性の議論で、
2ちゃんねるの意義を指摘しておこうと思っていたら、
先に、書いている方おられましたね。

名無しのメリット - 2chという場

そうそう、私も「2ちゃんねる研究」を読んでいて
なるほどなぁって思っていました。
2ちゃんねるという場の有用性について
良く説明している文章だと、思います。

詳しくはリンク先を読んで頂きたいと思いますが、
ここでも簡単にポイントを挙げておきましょう。
・匿名によって、誰だかわからない事によって
 感情的な後腐れがない(ので、気にせずに議論できる)
・罵倒のホワイトノイズ化
この2点が重要なんでしょうねー。

それで、
私が思っているのは、
2ちゃんねるという特徴的な場によって、
初めて出て来るようになった「言葉」というのが
あると思うんです。
2ちゃんねるというのは、
そういう意味で「意義あるもの」って私は思うんです。

固定ハンドルを用いたやり取りの意味について説いた
松岡さんの労作
これはこれで、重要な指摘だって思うんですが、
でも、これに乗っかって言うなら
「世間体によって抑止されてしまう『意味ある言葉』も
 あるのではないか」
って事なんですね。
それが、吐き出される場を得たというのは
意味ある事じゃないかって、思うんです。


でも、
2ちゃんねるのような場でないと
出てこない「言葉」というのは、
確かにあると思う。
だけど、同時に
2ちゃんねるのような場によって、
抑圧されて出てこなくなってしまう
「言葉」というのも
確実にあるって、私は思うんです。


具体的に言うと、
ああいうのに引いてしまう人って、
あそこでは発言できませんよね。
でも、
「あそこを耐えられないような神経の人間には
 発言の権利はない」
と言う訳では、ありませんよね?
「2chのような場は居心地が悪い」という人にも
発言できる場所って、担保されるべきだって思う。

だからこそ、
大事なのは棲み分け」じゃないかって
私は思うんですね。

色々な「発言の場」ってのが、あって良いと思うんです。
多様な「発言の場」というのが
保たれている事が、大事なんじゃないかって。
だって、
人によって「発言しやすい場」ってのは
異なっていると思いますから。


少し脱線しますが。
(実はそんなに脱線じゃないんですけどね・・・)
私が「コメントスクラム」とか「ブログ炎上」について
「炎上しても仕方がなかった」のような言説に批判的なのは
頓珍漢な事を言ってしまった人にだって
「発言の場」というのは与えられるべきだって
思っているから、なんです。
いくら「間違った事を言った」としても
「間違った対応をしてしまった」としても
それで、発言の場を奪われる必要はないでしょう。
いや、
「反対意見」を言うのは自由ですよ、
でも、別に「そこ」でないとイケナイ訳でもないでしょう。
「そこ」に書いても良いにしても
ブログ主が耐えられなくなって閉鎖してしまう程まで
「そこ」に書く必要は、ないでしょう。
他にも「発言の場」はあるハズですし・・・
でも、ブログ主にとっては
「自分のブログを閉鎖させられる」というのは
著しく「発言を抑えられる」と感じるでしょう。


匿名には、匿名の「意義」ってのは
確かにあると思います。
でも、
「匿名」の許容される場と、許容されない場ってのが
両方あって良いと思うんですね。

そして、
そこをどういう場にするか、は、
そこを管理している人が、自由に決めて良いって
私は思う。

前にも書いたんですが、
ブログとかホームページ、掲示板は
お店に喩えられるって思うんですね。
そこは確かに「公共の場」ではありますけど、
でも、「どういうお店」にするか、は
オーナーの自由だって話で。
「一見さんお断り」の店にしたって良いし
「常連客向けの店」でもオーケー
一方、観光客向けとか、スーパーみたいな
どんな人でも入ってくるようなお店にしたいってのも
それは、そのお店をやってる人が、決める話でしょう。

もちろん、
そこは「公共の場」でもありますから、
お店に苦情を言う事は、アリだと思います。
でも、
お店の経営方針に口を挟むまでの権利は、ないでしょう。

だから、
そのブログ主さんが「匿名は禁止」って言うなら、
それは尊重されるべきだと思う。
匿名で発言したいって人は
そういう方針の場で発言すれば良いし、
匿名でない、実名や固定ハンドルで
罵倒が抑制された場」で発言したい人は
そういう場で発言すれば良い。

そう、思うんですよね。


って事で、改めてこのブログの運営方針と追記を・・・>
posted by めたか at 22:36| Comment(2) | TrackBack(0) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月19日

ネットも「現実」の一部である

アマゾンって、新譜を予約して買うには
あまり適していないかもしれないですね・・・
どうも、めたかです。
いえ、CD店では発売日の前日に手に入りますけど、
アマゾンだと当日で、
しかも仕事のある身では当日に受け取るのが難しいので。
うん、ちょっと後悔しています。


他の参加者の方々もちょこちょこ書かれていますが、
土曜日は、オフ会をしていました。
小島さん、幹事どうもありがとうご ざいました。
夕方5時スタートだったんですけど、
結局、終電まで飲んでいました。
大阪の方々は帰り大変だったようですが、
一番心配だった方も、無事に家まで 帰れたそうです。
(電車が遅れた事が良かったそうですね。
 そういう事もあるって事で・・・
 もっとも、私はすっかり酔っぱらっていて、
 現場では事態を飲み込めていなかったのですが。^^;;)

って話を枕に持ってきたのは、
今日の記事では「ネットとリアル(現実)」の話を
しようと思っているから、です。


ネットは「バーチャルの世界」なのか?


良く「ネットはバーチャルの世界だ」と言われます。
でも、それは本当でしょうか?
まぁ、疑問系で書いていますので、
「違うだろう」ってのが、私の結論なんですが(苦笑)
とりあえず、順に論を進めていきます。


まず「バーチャルの世界」ってどういう意味でしょう。
辞書的な意味から検討してみましょう。
まず、「バーチャル」から。
バーチャルって、「仮想」って訳するんですが、
「仮想」って何か・・・
とりあえず、一番良く使われるのが
「バーチャルリアリティー」だと思いますので
(「バーチャルな世界」と言う場合、
 「バーチャルリアリティー」を想定していると思うし。)
その意味を辞書で調べてみると、
>コンピューター技術や電子ネットワークによってつくられる
>仮想的な環境から受ける、さまざまな感覚の疑似的体験。
とあります。
ですから「バーチャルの世界」って、
つまり「疑似的な世界」であるって事でしょう。

それで、
ネットって「擬似的な世界」なんでしょうか?
でも、
ネットの向こう側には、確かに「人間」が居るんですよね。
つまり、
「人間が作っている世界」ではある訳で、
それを「擬似的」というのは、違うと思うんです。

多分
「バーチャルな世界」と言う場合、
人工知能とかコンピュータプログラムのような
「人間でないもの」を相手に、人間を相手にしている
みたいになる事を指すと思うんですね。
だから
「テレビゲーム」について「バーチャルな世界で」
とか言うのは、合っていると思うんです。
(恋愛ゲームとかでバーチャルな恋愛
 ってのは、それにあたるでしょう。)


インターネットの特殊性って何か?


でも、
「ネットはバーチャル」って言う場合、
「実際に人と会う体験の擬似的なもの」って事を
指して言っているんだと思うんです。
つまり、その「間接性」をもって
「バーチャル」としているんだって。

だけど、
もし、そう言うなら、「電話」とか「手紙」とかも
同じですよね。
何か、間接的なものを介しての「人との対話」じゃ
ないですか。
でも、
「電話」や「手紙」に対して
「バーチャルだ」と言う人は、居ないと思うんです。
(いや、そう言うんだったら、
 「ネットもバーチャル」というのも、
 合ってるとは思いますけどね。)

ネットというのも、
電話や手紙と同じ「間接的」な人と人との対話ってだけで、
その「間に挟まるモノ」が異なってるだけだと
思うんですよね。

もちろん、
ネットにはネットなりの「間に挟まるモノ」の特徴ってのが
あると思っていますよ。
それは「ほぼ日を読むのは基本」で紹介した
「インターネット的」で考察されている通りですが。
そして、
その「特徴」によって、人付き合いの仕方ってのは、
変わる場面ってのは、あると思います。
でも、
それを言うなら、「電話」や「手紙」でも、
その特性によってやり方が変わる事もあるでしょう?

電話を例にしますと。
電話って、相手の顔が見る事ができませんね。
なので、相手の表情が分からないですから、
その分、伝わりにくい所があるし、
反応も伝わってこない事も多々あります。
(もっとも、実際に会っていても、
 反応の分からない相手とか、いますけどね・・・)
だからこそ、
普通に会って話す場合とは違った「気配りやマナー」が
ありますでしょ。
でも逆に「電話だから」こそ言える事なんかも、
あったりします。

ネットも同じ事だと思うんです。
だから、
ネットの特性は特性として「利用」して、
充分に楽しめば良いと思う。
だけど、
「ネットの手軽さ」を「バーチャル」と勘違いして、
その向こうに人間がいる事を忘れちゃイケナイって
思うんですよね。

あと、
私にとって、
ネットって「気軽に」って所ではないですね。
そうじゃなく、普段にはやらない程「気を使って」います。
というのは、
実生活での会話は、せいぜい数人相手ですから、
どう伝わるかもだいたい予想できますし、
その反応を伺いながら「対話」する事ができますよね。
でも、
ネットの方では、伝える相手の数か全然違うでしょう。
実生活でも、大勢の前で話すとかだと、
それなりに緊張もするし気も使うじゃないですか?
それがまた、例えば社内とかの「身内」ならともかく、
外の世界で「発表」しなければならないってなると、
それなりに準備もして考えていかないと
とてもじゃないけど、出来ない。
私にとって
ネットって、そういう場所だなぁって、思っているんです。
(これは「私にとって」であって、
 人によって思っている事、感じている事は違うでしょう。)


つまり、ですね。
ネットにはネットなりの「特徴」というものがある、
それだけの話だって、思うんです。
それに対し
「バーチャル」って言うのは、
幻想に過ぎないのではないかなぁって思う。
「気軽に」色々とできるって言うけど、
その向こう側では、
確かに人間が居て、笑ったり怒ったり涙を流したり
しているんですよね。
それは、今これを読んでるあなたが
色々な「感情や思い」を抱くのと同じ事なんですよね。
そこに想像力を持てるかどうかってのは、
大きいって思うんです。
そこを「気を遣いたくない」と言う人は、
ひょっとすると、コンピュータか何かを相手にしている気に
なってるんじゃないかなぁ。
私には、そんなふうに思っちゃいます。

(もっとも、
 私も「ネットで不必要なストレスをあまり感じたくない」
 ってのはありますね。
 だからこそ、事前に色々と気を配るんですが・・・)


というか・・・
これって、良く指摘されている
「自分の仲間以外の人間は『風景』と同じ」
とかいう「当世の若者気質」と関連づけて論じる事ができる
そういう話なのかなぁ。
(要するに「自分の身内」の人間以外は
 人間とは見なしていない、
 だから電車の中で化粧もできるし電話もできる、
 みたいな話です。反論・異論はあるでしょうが・・・)
って事で、次の「ネット内のコミュニティー」の話に
繋がるんですが・・・


ネット内でのコミュニティー


インターネットって、
自分と同じ趣味趣向の人、気が合う人、近い価値観の人を
探しやすい世界だなぁって思いますね。
これは、ネットの素晴らしい特性の1つと言って良いと思う。

この特徴によって、
ネットでは、近い趣味趣向・価値観の人が集まる
「コミュニティー」が作られやすいって思う。
実際に、インターネット上では、
既に、たくさんの「コミュニティー」と言える所はあります。

しかし、
このコミュニティーに対し、
外部の無関係な人間がやってきて、その場を「荒らす」事が
良くあるようです。
それって確かに不快なものですよね。

ただ、だからと言って、
「異なるコミュニティー同士は触らずに
 互いに無干渉でいきましょう」
というのは、私は違うと思うんです。
と言いますのは・・・

ネットで価値観が蛸壺化していく事に対し
危険ではないか、と指摘する議論があるんですよね。
詳しくは、昔書いた記事で取り上げて論じていますので、
そちらを読んで下さい。

インターネットと「バカの壁」

ここでも取り上げた意見では、
ネットにおいて、異なる価値観をことごとく排除していく事は
「民主主義の敵」ではないかって
言われ方がしているんです。

だから、
ちょっと冷静になってほしいんです。
コミュニティーが没交渉になり価値観が蛸壺化していく事が
果たして良いことなのか?
考え直して見て欲しいんですね。


1つのケーススタディー・ゴーログの場合


で、
この件を考える1つのケーススタディーになるのではないか
って思うことを、過去に経験しているんですよ。
それは、木村剛さんのブログ(ゴーログ)での
「BLOG of the Week」のルールについての事。

詳しくは、
閉じてるコミュニティーと開いてるコミュニティー

「BLOG of the Week」の新しいルールを支持します
を読んで欲しい
(とりあえず、私の過去記事だけを貼っていますが、
 そこからリンク・トラックバックを辿って
 他の方の考えも読んでいただきたいです。
 色々な参考になると思います。)
んですが、簡単に振り返ると
ゴーログの読者の間では普通にされていた「ルール」が
外部の人から「著作権上の観点」「ネットの常識の点」
でオカシイのではないか、という指摘がされたんですね。
それに対し、どう対応すべきかって問題です。
(で、
 木村さんは、ブロガー達の意見を賢明にも取り入れて
 ちゃんと「外の世界」も留意した「新しいルール」に
 変更されたんですよね。)

私は、こういう態度が大事なのではないかって
思うんです。
というのは、
ネットって「開かれた世界」なんですよね。
つまり、
全然関係のない人も見る事ができるし参加できる、
そういうものでしょう。

ですから、
「外の世界」からの意見を全て拒絶するってのは、
我がままだって、私は、思う。
それなら、閉じた世界でやってなよって思いますよ。
(mixiとか、MLとかね・・・)

あと、
そういう「コミュニティー」に、
後から「新しい人」が入ってこようとする場合も
当然ある事でしょう。
ネットは「開かれた世界」ですからね。
その人は当然「暗黙のルール」なんて知らないし、
だから、「暗黙のルール」に反する事だってあるでしょう。
また、
知らされた時に、疑問を持つ事もあると思うんです。
その際に
「ルールを守らなかった」事を非難したり、
「このルールがイヤなら入ってくるな」というのは
どうなの? って・・・

「荒らし」みたいなのは否定して当然です。
でも、
ちゃんと耳を傾けるべき事は傾けるってした方が
「開いているコミュニティー」だと思うし、
少なくとも私は、その方が好きですね。


(強調しておきますけど、
 これはあくまで「私の好み・趣向」ですからね。
 閉鎖的なのが好きって人を
 否定するつもりは、ないですけどね。
 ま、「なんでネットなの?」ってのは思いますけど。)



で、結論なんですが・・・


それで、
この記事の「結論」ですが
冒頭に「オフ会」の事を書きましたよね。
実は、それが「結論」なんです(笑)

知らない方のために簡単に「言葉の説明」をしますと・・・
「オフ会」というのは、
ネット上で知り合った人間同士で、リアルで(オフラインで)
飲み会なんかを行う事です。
ネットを介する「対話」は「オンライン」であり、
それを介さない、リアルで会うってのは
「オフライン」であるって事から、
そういう飲み会なんかを
「オフラインパーティー」とか「オフ会」とか
言っているんです。

私のつたないネット経験では、
オフ会こそがネットで一番面白く楽しい事だったり
するんですよねー。

ネットで気が合う人たちとの、美味しいお酒を飲む楽しさ。
また、ネットとは違った面を見せてくれる人とかもいて、
その楽しさも格別ですし。
ネットで知り合った仲ですから、
年齢の違った人たちとも「対等の仲間」として
話をできる事も、なかなかに無い経験ですしね。

だから、
ネットで関わり合う人に対して、
「いつか、この人ともオフ会で会うかもしれないな」
(まぁ、会わないかもしれないし、
 その可能性の方が大きいですけどね)
って事を考えのうちに入れておくと、
例えば酷い事なんて、言えないと思うんですよねー。

それに、
オフ会をすると「ネットの向こうに人が居る」という事を
実感を持って感じる事ができるようになるんですよ。
ある意味では、ネット上での(モニター上での)
「記号」にすぎなかったハズの相手が、
実際に、目の前に居る訳ですからね。

と言う事で
「オフ会をする」と言う事、
少なくとも、その可能性を念頭においている事、
それだけで、ネットへの関わりってのが
随分と「人間的」になるって
思うんです・・・

でも、
その上で大事じゃないかって事として。
その「オフ会」を、コミュニティー内部でやるだけじゃなく
それ以外の人とも「会う」可能性があるんだ
そう思っておく事が、大事かなって思うんですね。
「この人と会うかもしれないな」って人に対して
酷い事なんて、言えないじゃないですか。
ですから
反対意見をコメントしてくる人とも「オフ会をしよう」
って方が、面白いんじゃないかって、
思っていたりするんです。

(だから、
 ○○で暴れている××さん、オフ会に参加しませんか?
 私の所では、歓迎しますよ(笑))

#↑様々な影響を考えて、一部、伏せ字にしましたが、
#それぞれ、色々な固有名詞を入れてお楽しみ下さい。


あと、
この系統の話題なら、下記記事も面白かったですね。
リアルな世界とインターネットはどっちがリアル?



###追記部分はmo_uraさんへの「お答え」です。
posted by めたか at 22:30| Comment(15) | TrackBack(1) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

ほぼ日を読むのは基本

今週末(金曜・土曜)はブログの更新はできません。
一応、先にお知らせです。


ホントは、移転後すぐに書こうと思っていたんですが、
内容がまとまらなかった事と、他に書こうって事があったので
後回しになっていました。
でも、今日、書きます。

旧ブログのリンクでは、一番上に「基本」として
ほぼ日刊イトイ新聞を置いていたんですね。
今は、他のリンクとまとめていますが。
でも、
やっぱり「ほぼ日」が基本だって考えは変わっていません。

と言っても、
難しいんですよね、ほぼ日を「解説」するって。
なんで、
イトイさん自身の「解説」を借りる事にしましょう。

ほぼ日刊イトイ新聞の本

インターネット的

まず、上の方の本は、文字通りほぼ日のドキュメント本。
イトイさんが何を考えてほぼ日を始めたのか、
インターネットに何を見たのか、
どういう試行錯誤をしたのか・・・
などが赤裸々に語られます。
(これは、ホントに赤裸々としか言いようがないくらい。
 「流行っていたイトイ、流行らなくなったイトイ」って
 そこまであからさまに書かなくったって、ねぇ。)
ここでの「試行錯誤」の記録は、
ネットで何か創造的な事をしようという人にとっては
本当に財産になるものだと思う。

というか、
マジで思っていたんですが、
「ネットジャーナリズムの産業化」って事を
論じていた方々は、
どうして、ほぼ日の事を考察に入れなかったんでしょう?
とりあえず、ネットでの大きな成功例と考えられるのに。

(もっとも、
 ほぼ日の「成功」は、糸井重里という「天才」が居て
 の事だとは思いますけどね。)

で、下の方の本は、
もっと「インターネット」に特化した本ですね。
イトイさんがインターネットに何を見たのか、
インターネットについての「哲学的な分析」と言えます。
イトイさんの分析では、
インターネットの「特質」として
リンク・フラット・シェア』の3つの鍵がある、
(逆に、そういう特質を持ったものなら、
 別にネットでなくても「インターネット的」である
 と規定しています。)
これは、ネットというものの本質を突いた分析だと思う。

どうしてイトイさんが、こういう
「インターネット的な世界」に未来を見たのか、
それは、ここに新しい「人と人との繋がり方がある」
事を見たから、でしょう。
でも、それは実は「全く新規なモノ」ではなく、
昔からあったハズの、しかし失われつつあるモノで、
それを「取り戻す」ための道具として
インターネットを見ている・・・

ある意味では、そういう事も言えるのではないか、と
私は思っても居るんです。

これ以上の話は、
上記2つの本を読んで頂くか、
それより、実際に「ほぼ日」を読んで、感じて頂くのは
一番良いと思います。
今のオススメは、
定番の「小論文教室」(毎週水曜更新)
「エハイク」(毎週火曜更新)
「声に出して読めない日本語」(毎日更新)
「言いまつがい」(毎日更新)
あたりは当然として、
定期的に「毎日連載」になる
「新宿二丁目のほがらなか人々」
「社長に学べ」(特に任天堂社長・岩田さんのはスゴい)
なんかは、読み応えありますよ。
もちろん、他にもいっぱいあって、
私も読んでいないモノにも面白いものもある事でしょう。
ですが、
「どれ読んだら良いか分からない」って方は
参考にして頂ければって思います。


###ここからは関係ないはなしですが・・・
posted by めたか at 23:53| Comment(10) | TrackBack(1) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月14日

インターネットと「バカの壁」

え、この記事を書けるのは、
sandmanさん、有芝まはる(ryさんのお陰です。
どうもありがとうございます。

で、その教えて頂いた記事を。
ネットに「新聞」を作る意義?
この記事の中で紹介されている
『インターネットは民主主義の敵か』という本に、
インターネットは
自分の好みに合う意見・ニュースばかりを聞いて
自分とは違う立場の人と対話する場が利用されなくなる
という視点が書かれていて。
(それで、
 それは民主主義に有害だろうって。)

同じ事、私もずぅっと、感じていたんですよ。
で、
特にブログは、その傾向が強いなぁって思っています。
だから、
危ないよなぁって・・・

前に
今さらながら『バカの壁』という記事で、
>ウェブでの言論状況について、
>書こうと思っている事が、
>この『バカの壁』に関連しそうだって思ったので。
と書いた
「ウェブでの言論状況」って、
こういう事を言うつもりだったんですよ。

そもそも、
人間って、自分にとって都合の良い意見の方を、
主に聞いて、
都合の悪い意見を遠ざける傾向がある訳で、
インターネットって、
その傾向を強めてしまうよなぁって。

それこそが
「インターネットはバカの壁にならないか?」
って事なんです。


###
この「バカの壁」書評シリーズについては、
中途半端に止まってしまってるんですが、
(そして、続けるモチベーションは無くしちゃってます)
そこの最後で
「科学的」って事を、書いているんですね。
『バカの壁』から科学の話
それでね、
前の記事で「情緒」について書いているんですが、
その「情緒」って事に流され過ぎてしまうと、
どうしても
「バカの壁を助長」する方向に、言ってしまうのではないかって、
思うんですよ。

「論理」って事を説明するのは難しいんですが、
割と「論理」って、「情緒」に流されやすいんですよね、
だって、
「論理」って、実はどのようにでもいじる事ができるから。
なんで、
「情緒と論理」を対比させる事が間違ってると思うんです。
そうじゃなく、
対比させないといけないのは、
「情緒と科学」じゃないのかなって。

そういう意味で、
「科学って、こういうものなんですよ」
って事を伝えようという、私の役割って、
大事なんじゃないかって、思っているんです。


(その「対比の問題」の一つになるのが、
 生命倫理じゃないかって思ってるんですが、
 それについては、また書こうと思っています。)

(あと、
 「論理についての解説」も、
 ホームページの方に予定しているんですが、
 いつ書く事になるでしょう・・・)
posted by めたか at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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