2007年06月18日

「鈍感力」への違和感

えっと、またちょっと
ズポーツ館の方を中心に、ですが
しばし復活です。

それで、前々からちょっと
痛し痒しと思っていた事
表題に書いている事なんですが
最近また、ネットイナゴ問題? でも
そういう事を見かけたので
書いておこうと思いました。

鈍感力というのは
渡辺淳一氏のベストセラーですね。
要するに、
色々な「刺激」が多過ぎる現代では
「鈍感」なくらいの方が生きやすいよって、
様々な「小さい」事に、いちいち心動かさない
「鈍さ」を身に付けましょうよ
そういう意味合いなんだと思います。
(本、読んでないから知らない。
 あまり、この類いの本は読まないし・・・)

ただ、それが、現状では
「自分の耳の痛い事から耳を塞いでしまえる
 傍若無人さ」
的な意味合いで使われているように感じるんです。
そして
それが出来る人間こそが、今を生き抜いていけるんだ

良い意味でも、悪い意味でも
(嘲笑的な意味合いだったり、
 逆に開き直り的な意味合いとかで使われてる
 ような気がする・・・)
そんなふうに言われているように思える。


それって、なんか違うんでねぇ?


というのも・・続きを読む
ラベル:世情
posted by めたか at 23:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

トリックスター

中学時代の友人A君は、
本当に滅茶滅茶な人でした。
友人という程、仲の良い間柄でもなくて
クラブが同じだったのと
共通の友人が居た事で一緒に帰っていた
それくらいの人だったんですが・・・

私はその子が苦手でした。
だって、本当にハチャメチャというか
トンでもない事ばっかりする人だったから。
彼の奇行の数々は
その友人から随分と聞かされていたけど
ちょっと着いていけないって話ばかりでした。
(ここには書けないですね。
 潔癖なネット市民には信じられない
 事だと思うから。)

私と居る時も、
とにかく乱暴な事ばかりしていた記憶があります。
田んぼでカエルを捕まえては殺したり
畑に入って、木の棒を振り回し
栽培しているタマネギをなぎ倒して回ったり。
ただ
単純に殺すのではなく
なんっちゅうんですかね・・・
面白い殺し方をするんです。
(説明が難しいんですが・・・)
だから
酷いとか止めろよとかは思うんですけど
その場で見ると思わず笑っちゃう、という。
(だから、先の友人に聞いた奇行も
 ネタとしては面白かったりする・・・)

そういう友人でした。

##
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ラベル:生命倫理
posted by めたか at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月13日

最近考えてる事

また随分、更新がご無沙汰になっています。
今回は「文章を簡潔に」というのはせずに
最近、考えてる事をつらつらと書いてみます。

最近はまたちょっと「読書モード」なんです。
なんで
最近あまりネットをしてないのは
自炊してるのもありますけど
本を読んでるってのも、あります。
それは
仕事の事とか、なんやかんやで思う所あったり
していまして・・・

で、
そんな本の中には
またビジネス書なんかもあったりして。
それで色々と考えていたりして・・・

えっと
こういうビジネス書とか、仕事の仕方とか、
「ビジネスマンを啓発する本」の類いに関しては
私の心の奥底にある想いってのは
ずっと変わらないまんま、なんですよ。
それは一言で言えば
「けっ!」
なんですけども。

特に、21世紀に入って以降
こういう本が本屋に沢山並べられている
って光景から私が感じるのは

現在の「勝ち組/負け組」の時代に
自分(だけ)は
「勝ち組」の方に乗ってやるぞ!
(もしくは「乗りましょう!」)


そういうメッセージなんです。
それって何だかなぁ・・・
って思う訳で。


そういう「何だかなぁ」って想いは
私がこのブログで書き続けてきた事だったと
思っています。
だから
それはもう、私のずっと変わらない通低音でしょう。

ただ
その「何だかなぁ」ってだけじゃぁ
ダメなんだろうなって事。
そういう事も、
ここで何度か書いてきましたね。
それで
色々と模索し続けているんだって。


でも
最近また、別の想いも出てきているんです。
それは・・続きを読む
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2006年05月19日

愛国心より普通にモラルを教育すべき

別に愛国心があろうがなかろうが
普段の生活において周りに迷惑をかける事は
まぁ無いだろう、と思う。

それより
マナーやモラルの欠けた人間が居れば
周りがホント、迷惑する。

だから
愛国心なんかより
マナーとかモラル、道徳や倫理と言ったものこそを
しっかりと教育する必要があると、思うんです。

ただ、
前にも書いたように
道徳や倫理って、
簡単に1つに答えの決まる問題じゃ、ない
って思うんですよ。
それだけに、1つの価値観を押し付ける教育
なんかじゃなく
様々な価値観を提示して考えさせる教育が
必要じゃないかなぁ、というのが
持論なんですけども。


多分
「愛国心教育」を支持してる人たちって
そういうモラルとかの問題を
「公共心」って事でまとめて
それを「愛国心」という概念で教育しよう
みたいな考え方なんでしょう。
でも
それだと、私の持論である
「モラルの多様さ」というのが損なわれる
ようになってしまいかねない。

私はその流れに抗いたいし、
私が「生命倫理」を少しずつでもやろうとしてるのは
そういう私の「抵抗」の1つなんです。


もっとも・・続きを読む
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2006年03月01日

荒川静香には

「今、一番したい事は?」の質問に

「しば漬食べたい」

って答えて欲しかった。
(携帯メールより)
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2006年01月17日

「問題を解決したい」って訳じゃなくて・・・

ちょっと遅レスですが、
zoniaさんの「聞いてもらいたい独り言」に
反応してみようと思います。

皆さんって、当然この問題を解決したいなあ
と思ってらっしゃるんですよね? 
メタな議論を楽しんでるだけって
わけじゃないですよね? 
いや、結局感想系blogのどこか一つでもが
関心を持って議論に参加しないと、
結局その議論の結果を広めることが
できないじゃないですか。
 (中略) 
それがどうも空しくてたまらないんですよ。
まあ、現状維持で無関心のままでいいから
ムラとか言われちゃうわけですが。
そしてその中でそれを変えようともがいてる
自分がなんだか独善的。


まず、本当にちゃんと「解決」するには
個人の努力じゃなく
ブログ提供会社がちゃんと啓蒙する責任が
あると思うんですよ。

だから
本気で「変えよう」と思うなら、
各ブログ提供会社に働きかけるのが
一番の早道だと思います。
(えっけんさんは、gooに対して
 そう言う事をしてますよね。)


でも。
私自身は、個人的には
「問題を解決しよう」という気は
あまりないんですよねー。
別に「メタな議論を楽しんでるだけ」でも
ないんですが。

無断リンク問題の時も同じ事を書いたんですが、
「他人をどうこうする」って事より
「自分がどうするか」って事を
考えていく方が良いって思うんですよね。
(他人に広く呼びかけるべき問題もあるけど
 この問題は、私にとってはそうじゃない。)

だから
私のトラックバック論は
基本的には、
自分の考えを表明して、自分の行動に理論武装している
というつもりです。
その上で、私はこうします、という宣言です。

つまり
私はこういう考えでトラックバックをする、
そして
こういうトラックバックを嬉しいと思っていて
こういうトラックバックは良く思ってない
だから
そういうものは削除しますよ
(今は承認制を取っているので
 「承認しない」になりますが。)
という事です。


改めて書きましょう。
私自身は、トラックバックは「言及通知」として
用います。
また、「言及通知」のトラックバックは無条件で承認、
リンクのあるトラックバックも、基本的には承認します。
(あまりに外れた記事に、無理矢理リンクしてるだけ
 なのは承認しないかもしれません。)
言及もリンクもないトラックバックは
基本的には承認しませんが、
面白いもの、私の記事に加えて読んでもらって
意味あるものって私が思えた者は
承認します。
(面白ければアリって事ですよ!
 ただ、そのハードルは高いですけどね。
 越える自信があれば、バッチコーイ! です。)


こういう、私の考えに賛同したり
影響受けたって方は真似して頂いて良いし
いや、自分はこう思うって人は
その人の考えでトラックバックをしてもらえば良い。
(ただ、受け取っても私の考えで処理しますよ。)
もちろん、
私自身が他の方の考えを読んで考えを変える事は
あると思います。
posted by めたか at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

「誤読の責任」はどちらにあるのか?

「読み手責任論」か「書き手責任論」か
そのような「用語」があるかどうかは知りませんが。

ネット上に限らず
「言論」というのをやっていると
自分の書いた文章を「誤読」されて批判される事が、
まま、あります。

その事について
「ちゃんと読まずに/読解せずに
 批判するのはオカシイ」
という批判もあります。
一方で
「誤読を招くような表現をした
 書き手にも責任がある」
という批判も、あります。

「誤読」は読み手と書き手のどちらに
責任があるのでしょう?


「読み手」には全く責任がない
とする人も、居ます。
曰く
「ネット上で全世界に発信しているのだから
 誤解されないように表現する責任がある」
とか
「ネットは単なる道具だから
 相手の意図を汲み取る必要はない」
とか。
そして、それが一般的だと主張する人も、居ます。

一方
「誤読するような人には
 人を批判する責任資格はない」
とする人も、居ます。
「相手の文意を読み取るのは
 批判する際の一般的なマナーだろう」
というのが常識だと言う人も、居ます。


ただし
私は、そのような「責任追及」は無意味だ
と思うんです。

大事なのは
「責任追及」ではなく「誤解を解く事」
ではないでしょうか?

互いに「責任」をなすり付け合う暇があれば
書き手・読み手の双方が誤解を解くように努力し合う、
その方が、
ずっと建設的だ、と思うのです。


そして、これは
「何の為にネットをやるのか」
の問題だと、私は思います。
「相手を言い負かす」事は目的と化してるから
『責任追及』という発想が
出てくるのではないでしょうか?
「相互理解」を目的としていたのなら
その前に「誤解を解こう」と考えるのが
当然の事でしょう。


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posted by めたか at 00:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

なんでクリスマスが・・・

今日、セブンイレブンに行ってみると、
店員が全員(韻を踏む)
サンタのコスプレをしてたんです
だけど
別にそれでプレゼントをくれるって訳でもなくて・・・

いやね、
別にクリスマスとかの雰囲気とかは嫌いじゃないですけど
でも、
商売っ気の強いのは、ダメなんですよ
別にクリスチャンでもないけどさ、
それって全然、キリスト教と関係ないじゃん、
単なる「拝金教じゃん!」ってね

だいたいさぁ・・・
今の日本じゃ、クリスマスって
「カップルで○○な日」って事になってるけども、
元々は「キリストが生まれた日」って事、でしょう?
だとするなら、
「カップルで○○な日」って、オカシイじゃん!
本当に「忠誠を誓って」考えるのなら・・・

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posted by めたか at 12:50| Comment(8) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月22日

プロスポーツの存在意義と高橋尚子

うーん、やっぱり
ソニーのCDの話、反応薄いなぁ。
・・・すんごい、ヤバい話だと思うんだけど。
メディアが取り上げないと「騒ぎ」にはならない
だけど
ソニーという、CMとかを沢山出してる企業に
都合の悪い事は報道されにくい・・・
って事かなぁ。(はぁ)
あ、どうも、めたかです。

ソニーBMGのrootkit CDの件については
相変わらず、HotWiredの独走状態が続いていて
(というか、翻訳記事ですし)
次の2つの記事は必読ですね。
ソニーCDが明らかにしたセキュリティー業界の本質的問題(上)
ソニーCDが明らかにしたセキュリティー業界の本質的問題(下)

本題、行きますが、
この話題は継続的に見ていくつもりです。


東京国際マラソンについての
高橋尚子選手の記事は
スポーツ館に、力の限りを尽くした記事を
鋭意、執筆中です。
なんで、こちらでは別の事を.

レース後の優勝インタビューは
「インタビュー」というより
ほどんど、高橋尚子選手の「演説」でしたね。
特に、次の部分。

夢を持つ事で
一日一日、充実して過ごせました。
陸上に関係なく、今、暗闇にいる人
悩んでいる人
一日だけの目標でも、3年後でも
何でも目標を持つ事で
一日一日が充実すると思います。
どうか 夢を持って一日を過ごして欲しい。
小学生、中学生はもちろん、
30代、そして中高年の皆さんにも
24時間の時間は平等に与えられたチャンスの時間。
精一杯、充実した時間にして下さい。
今日、皆さんのお陰で私は良い日になりました。


なんか、
この「演説」を聞いていて、
あぁ、Qちゃんはもう既に
そういうアスリートになったんだなぁ、
単なる勝負だとかなんだとか、とは別次元の
そういうアスリートになっちゃったんだなぁ
と思いました。


これまでも
このブログで「スポーツの持つ意味」ってのを
特に、野球の問題に絡めて
何度も書いてきました。
そういう事を、考える1つの契機じゃないかな
と思います。
(ここでは私は、もうくどくどとは書きません。
 過去記事の参考記事を列挙しますね。)

プロ野球の未来を描こう!
プロ野球はアマ野球に何ができるか
野球の未来のために
悲しいことなんかじゃない
室伏の怒り、日本の祈り
小出監督のHP「小出道場」開設!
こういう事が重要なのでは?

あと、近い趣旨で記事を書いておられた
大西さんの記事も紹介しておきます。
高橋尚子さんの魔法

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posted by めたか at 06:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

道路族の憂鬱(再掲)

(この記事の概要)
・最近の言論状況は
 みんなが被害者の立場から語っているように思う
・お互いの「被害者意識」をぶつけあっているだけでは
 建設的な議論は始められない

(この記事は昨年の2月頃、
 ホームページで公開した文章を再掲しています。)


###
今、「ムダな高速道路建設」で生計を立てている人は、
どういう気持ちでいるだろうか?


この文章は
私自身にとって、結構「いたい」ものです。
だから、特に途中までは、
読んでいて陰鬱な気分になるかもしれません。
ですが
それなりに重要な事が書けたと思いますので、
最後まで読んでいただけると幸いです。

「道路族」の憂鬱


国の財政がピンチで、
お金の無駄遣いをやめないといけない、
と言われるようになって随分経ったように思います。
そして、
特に、公共事業に対して、
厳しい目が向けられるようになりました。

公共事業は、
元々は必要な社会資本を整備するため・・・
って、言葉が堅いですね。
要するに、社会にとって必要な共有のものを作るため
のハズなんですね。
それと、
経済に対する意味もありました。
社会資本を整備する事で経済を活性化する事と同時に、
国や役所がお金を使う事で景気を活性化しよう、
という狙いです。
(これを、経済学の言葉で「乗数効果」と言うそうです。
 国が使ったお金が巡り巡って
 「何倍(何乗)」にもなって
 経済を活性化する、という意味みたいですね。)

しかし、
今の日本は、社会資本の整備は随分と進んできていて、
昔ほどは、多くの公共事業をする必要は
なくなってきているでしょう。
経済に対する効果も、
今の日本では疑問に感じられるようになりました。
「乗数効果」も、作られたものが経済の活性化に使われて
始めて意味がある訳で、
成熟した今の日本社会ではそれほど大きくないようです。
それでも、
「政治家が自分の地元にお金を落とすため」に、
あまり必要ではない公共事業が今でも随分と行われている、
と言われています。
特に、
公共事業を行う業者と政治家が結びついて、
献金をしたり、票集めをすることで、
「日本全体のため」ではなく
「そういう献金・票集めをしてくれる
 一部の人たちの利益のため」に
「ムダな公共事業」が行われ、
それによって国や役所の借金はますます増えてしまっている、
との事です。

特に「目の敵」とされているのが道路工事で、
この事は最近、大きな政治的問題とさえ
なっているのでご存じでしょう。
「ほとんど使われない、
 無駄な高速道路がたくさん造られる」
そのために、借金は減らずに増え続けるばかりです。
高速道路の使用料金も高いままで、
それでも採算の取れない道路がいっぱいある。
それでも「ムダな道路」が作られる事は
止まることはない・・・

この仕組みをなんとかしよう、という事で、
「構造改革」が謳われていますが、
実際には迷走を続けているようです。


まあ、ここまでは、
マスコミなどでしきりに言われている話です。


しかし、
実際に「ムダと言われる公共事業を行う業者」で働き、
「無駄な道路工事」で生計を立てている人は、
いっぱい居る
わけです。
そういう人たちは、
今、いったいどういう気持ちでいるのでしょう?
自分のやっている仕事が「ムダ」と言われ
それどころか国の借金を増やす元凶のように言われる。
自分たちが、まるで、
国家に寄生し日本を食いつぶしてしまう存在
のように言われる。
それは、どういう気分なんだろうかって。

そういう人たちの「気持ち」とか「意見」とかって、
メディア上で見たことが、残念ながらないんです。
また、身の回りにそういう仕事をしている人もいませんし、
だから、全然わからないんですね。
こういうご時世ですから、
そういう人たちも言いにくいって事もあるでしょうし、
メディア側もその言い分を取り上げようとはしていない、
のでしょう。
だけど、
このように一方的に悪者にされている側の人たちが、
どういう気持ちでいるのか、は、
非常に気になる、んです。


誤解しないで頂きたいのですが、
私自身、公共事業のあり方について見直すべきでない
と言いたい訳ではないんです。
私たちの税金が有効に使われず、
「一部の人たち」の利益だけに使われ、
その為に、税金や保険などの負担が増え、
金利も抑えられ、景気も一向に良くならない、
この状況には怒りすら感じています。
だから、
「本当に意味のあること」に、
私たちの税金が使われるための議論は
大いにするべきだと考えています。

だけど、
そういう「議論」によって
「切り捨てられる」側に立たされる人の心情に
思いを巡らせることは、意味のない事だとは思わないんです。

念押ししますが、だから「切り捨てるべきでない」
って意味じゃ、ないんですよ。
日本だけではないのかもしれませんが、
少なくとも日本では、
こういう「情緒的意見」が流れると、
実際の議論が飛んでしまいがちだと思います。
(例えば「反戦運動」で指摘したような事例、とか・・・)
ソレはソレ、コレはコレ、
ちゃんと切り離して考えるべきでしょう。
そうではなくて、
「一人一人の人間として、どうするべきか」を、
考えたいのです。

研究業界の話


実は、私が現在いる研究業界でも、
近いような事がないわけではないんです。

今、研究業界でしきりと言われているのは
「研究人材を流動化すべきだ」と言うことです。
世界的な激しい競争時代に入った科学技術研究において、
日本が世界と互して行くには、
今までのような硬直したシステムでなく
もっと柔軟に変動できるシステムにするべきだ、
例えば、新しい研究分野に選択的に人員を投下したり
「適材適所」に効果的に人員を配置できるように
もっと人が流動化するような仕組みを作るべきだ
って言う理屈です。

理屈は理解はできます。
しかし、
「流動化」させられる側の人間としては、
たまったものではないんですね。
だって、「いつまで経っても安定しない」って事、でしょ?
だいたい
「適材適所に効果的に人員を配置」などと言ってみても、
それを「配置する側」の、
つまり上のシステムが硬直化したままで、
「下」の人間だけを流動化させても、
きちんと効果的に機能するとは思えないですしね。
その中で不遇をかこす人がいっぱい出そうだ、って事が
「下側」の人間としては思える訳です。
そうでなくても
「理系の人間」は恵まれていないって思いは、
毎日新聞産経新聞が取り上げるように、あるわけですし。

・・・単に「愚痴」に捉えられそうですね。
(実はそう捉えられるように書いているんですが。)
これのどこが「近いような事」なのか。
説明します。

この「研究分野の事例」においても
「日本全体のため」にどうすべきか、という「正論」が
マスコミを賑やかしている訳です。
実際にその場に立たされる側の人間のことは
省みられずに。

もちろん、
こういう「正論」に対する「まっとうな意見」は
私自身、ちゃんとあります。
だけど、
それ以前に、その「議論」の当事者としての「痛み」は
間違いなくあるんです。

その「当事者としての痛み」に、
私たちはどのように向き合うべきなんでしょうか?

正体不明の被害者意識


ここまで読んで頂いて、
陰鬱な気分になった方、どうもスミマセンでした。
ここからが一番、語りたいことです。

ここまでの「議論」が陰鬱なのは
みんなが「被害者意識」で物事を語っているから
ではないでしょうか。

道路建設を批判する側の人たちも、
それに対し「地方の切り捨て」のような
反論をする人たちも、
どちらもが、被害者意識でしか
物事を語っていないように思います。

だけど
お互いの「被害者意識」をぶつけあっているだけでは、
建設的な議論は始められないように思うんです。

よっぽど恵まれた人でなければ、
多少の被害者意識は持ってしまう事は
あるんじゃないでしょうか。
それに対し、どう向き合っていくべきか・・・
「道路建設を仕事としている人たち」
の立場に立って想像してみることで、
このことについて考えてみたいのです。

そもそも仕事って・・・


仕事をする意味って、なんでしょう?
中学校の公民の授業で習ったことですが、
3つの意味があるそうです。
1つは、誰でも分かる、お金を儲けるため、ですね。
2つ目は、かっこつけた言い方をすれば「自己実現」のため
つまり、
社会的な立場を得たい、名誉がほしい、
人に認められたい、ために仕事をするんですね。
3つ目、あと1つ、
「こういう意味がないと仕事なんてやってられない」
と先生は言っていましたが、
それは「社会奉仕」です。

つまり
社会の役に立ちたい、人々によりよいモノを届けたい、
そういう気持ちがあるから仕事をするのだって。
もちろん、これは
「そうやって人に認められたい」のように、
2つ目の理由と不可分なトコロはあるでしょうけど、
純粋に「人の役に立ちたい」って気持ちは
誰でも多少は、あるんじゃないですか?

だとするなら、
やっぱり多少は考えると思うんです。
自分の仕事は、
社会にどのように役に立っているのだろうか?
社会の中で、どのような意味があるのだろうかって・・・

そう考えると、
今の「道路族」の人たちは、
悩ましい立場にいるなあ、と思います。

きっと、多くの人にとっては、
仕事に対する態度って、基本的には
「与えられた仕事を、いかに誠実にこなすか」
という事だと思うんです。
だけど、
こういう仕事の場合、
いくら、組織の中で誠実に仕事をこなしたとしても、
誇りを持つことは難しいかも、って。
頑張って丁寧に、良い道路を造っても、
それが使われずに借金だけが残る、
みたいに言われたとしたら、
それはとても悲しい事だなあって。

実は、他人事ではないんです、
研究者にとっても。
直截に「世の中の役に立っている」と思える研究って、
実は少なかったりするのね。
研究ってギャンブル的な要素が大きいので、
それが外れてしまえば
「役に立つ」ものではなくなる訳ですが、
だからと言っても、そういう研究もあって
「役に立つ」研究もあるんですから。
初めから「当たり」が分かってるのではありませんし。
「宝くじは買わないと当たる事はない」
って言いますよね。
また
「ギャンブルをするための下準備」
みたいな研究もいっぱいあります。
いや、実は多くの研究はそういうものなのかもしれない。
そういう研究もあってこそ、
「役に立つ研究」だってある訳ですが、
やっぱり少しでも「役に立つ」ことを、
やりたいですよね?

だから、
研究者仲間の間でも
「自分たちはイマイチ、世の中の役に立ててないね」
なんて話していたり、しますからね。
それだけに
「道路族の憂鬱」も、想像できない訳ではないんです。

それではどうすれば良いのか?
なんか、相変わらず「憂鬱な話」ですねぇ。
スミマセン。
「じゃあ、どうしろって言うの?」
と言いたくなる話でしょう。
・・・私、そんな偉そうな事言える立場じゃないんですが、
ちょっと「偉そうなこと」を言わせて頂きますね。


結局、腹くくるしかないんじゃないでしょうか。
自分が、どうしたいのか。
それだけしかないんだって思います。

自分は、何がしたくて、何を求めて、
仕事をしているのか?
それをちゃんと「自分自身の問題」として、考える。
恵まれない状況のせいとか、
社会のせいとかにしてしまわずに。

「自分の仕事が社会のためになってない」
とむなしく感じるなら、
それで、もし「どうしても社会の役に立ちたい」
と思うなら、
自分の仕事で、どうやって「社会の役に立てるか」
を、頑張って模索する。
道路だったら、
「使われない高速道路」ではなく、
地元の人たちにとって切実に必要な、
普通の道路を造るような会社で働くようにする、
とか。
(私は現場を知らないので想像で書いています、だから、
 とんちんかんな事かもしれません、スミマセン。)
もしくは、
そういう仕事の中で、
「自分なりの意味づけ」を行おうとするとか。

社会のせいとかにするのが、
悪いって思っている訳じゃ、ないんです。
社会を良くしようとするのは、必要な事のハズです。
(そうでないって人は、
 「北朝鮮で生きるのもかまわない」ですか?)
ただ、
「社会のせい」にしてしまうと、
問題が自分から遊離して「他人事」になってしまう
ように思うんです。
そうではなく、
「不遇な境遇」や、「酷い社会」の中で、
自分がどうしていくか、を、
「自分の問題」として引き受ける覚悟をする・・・

だから、
別の形での「腹の括り方」もあると思う。
例えば、たとえ社会の役に立たなくても、
「道路族の利権構造の中に殉ずる」
という生き方も、アリでしょう。
ただし、
その場合は社会から責められたり
寄生虫扱いをされる事も引き受けるべきでしょう。
その事を「被害者面」して語ってはイケナイ、
と思うんです。

私の話でいけば、
流動化が求められる研究業界の中で、
どう生きていくか、を、
腹をくくるしかないって事でしょうね。


偉そうに書いていますが、
それが自分はできているか、正直、自信はないです。
迷いながら、手探りで、やっているって感じです。
(その辺りの気分はこのHP作りの
 モチベーションに関わっている、かも・・・)
だけど。

何に対して言っている、かは分かりますよね?
「人間性を否定」はしないけど
「仕事に対する態度」は問われるんだ、
と私は思います。

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2005年10月25日

雑用を進んで引き受ける事の有用性について

(この記事の概要)
・「面倒な役」をやりたがらない人が多い
 けども、それは損な考え方
・雑用から学べる事が沢山ある
・「効率の良い事しかやりたくない」って
 何が「効率の良い事」かの自分の判断は正しいのか?
・雑用を進んでやる事で
 色々な事に速く動けるようになる


###
先日に書いた書評が
著者の結城さんに捕捉されちゃっためたかです。
や、「とても読み込ん」で紹介しないと
うちの読者の信頼を裏切る事になりますから・・・
(でも「ちゃんと読めてるって事」が
 著者さんからもお墨付きが出たって事で(笑))



で、本題です。
私は、特に一緒に仕事をする人とかに対して
「どれだけ進んで雑用をするか」
って事を見る習慣があるんですよ。
特に、新人さんとかは
ぱっと雑用に動けるかどうかってのを
見ちゃうんですよね。
そして、それが、その人の評価に
大きく影響したりします。


って事を書いたのは、ですねぇ。


圏外からのひとこと
「日本人はなぜ質問をしないのか」
という議論がなされていたんですけど、
そこで、ポイントかなって思う鋭い意見が
紹介されていたんですよ。

えっと。
そもそもの始まりはessaさんのこのエントリ
後、この辺のエントリも関係するかな。
興味のある方は、読んで下さい。

で、今回、主に考察したいのはこの記事。
質問をしない方が有利な社会なのかも

ポイントを簡単に書きますと。
公の場で質問とかをしていると
周りから面倒な役を押し付けられる。
だから
「黙っている方が有利」だとなって
質問に慣れてない人が再生産される・・・

って事ですね。
(上記まとめはめたかがやっています。)

鋭い指摘です。
確かに、そういう部分はありますねぇ。
だから
私はいつからか、授業が終わってから
後で質問に行くようになったんですけども。

ただ・・・
こういう考え方って
実は損をしている事も多いって思うんですよ。

・・続きを読む
posted by めたか at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日

絶望

本当に絶望したのなら
「絶望した」とも言わないはず
本当に絶望したのなら
何も言わずに命を絶つだけ

どんなにネガティブな表現でも
表に出す事は ポジティブな面がある
どんなに後ろ向きな言葉でも
口に出す事は 前向きな事なんだ

心の中に
鉛の塊がある
一人で抱えて生きていくには
少し重過ぎるから

お腹の中に
とけない固体がある
そのままにして歩いていくのは
少し気持ち悪いから

本当に絶望したのなら
「絶望した」とも言わないはず
本当に絶望したのなら
何も言わずに命を絶つだけ



#続きを読む
posted by めたか at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

「経済」をちゃんと勉強しよう!

村上ファンドとか楽天とか
株絡みで、色んな事が起こっていますよね。
ただ
経済の事をちゃんと知らないから
それについて、きちんと考える事ができない。

そんなふうに思っている人が
たくさん居るんじゃないかなって思います。

私も、そう思っています。

だけど、ですね。
私、思ったんです。

じゃぁ、ちゃんと勉強すれば良いじゃないかって。

このブログは一応
「学問ブログ」だって言っています。
だけど
単に学問の話題を扱うとか、
学問の説明をするって事ではなくて

「学問の本当の価値」ってのを
伝えたいって思っているんです。

だから
学問の内容を伝えるって事より
学問を、勉強する事の楽しさとか価値を
伝えていきたいって、思うんです。

なんで
私も、経済の事を勉強しますし
その勉強について、このブログで伝えていこう
って思うんです。

「経済の事は分からないから」
で、片付けずに
逃げずに!
「経済」についても、正面から取り組んでみよう
って、思いませんか?


あ、でも
ちょっと、もう一言だけ。
「学問」は「答え」をくれるもんじゃ
ないんですよ。
というか
そう勘違いしている人たちが多くて
ダメダメなんですけどね。
「学問」で知識だけつけて自分の頭で考えようとしない
そんな人、多いですから。
そうじゃなく
「学問」は、考える指針をくれる
それだけのものなんだって。
色々な事を、自分の頭で考えるために
「学問」を勉強するんだって事。
それは、間違って欲しくない、です。


(参考)
考えるって楽しい!

・・・・・続きを読む
posted by めたか at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

私にとっての、このブログの現状

ん?
メルマガ? 2ch ニュースサイト?
なんか、このブログが晒されたようです。
全く実害ないようなので
どーでも良いんですけども・・・
あ、どうもめたかです。

(でも、知ってる人は、
 こっそり教えて下さい。
 気にはなるんで・・・)


いやはや、でもね・・・
検索トラックバックなんかの
「対話になんないトラックバック」って
討論番組なんかでの不規則発言」と同じじゃないかな
って思うんですよね。
だって
「他人の言ってる事なんて、どーでも良くて
 ただ自分の言ってる事だけを
 聞いてもらえば良い」
って事でしょ?
・・・いかにもな「他人への批判」をする際は
自分が似たような事をやらかしてないか
自省した方が良いと思うなぁ。
(まぁ、ただ
 「そういうトラックバックに限って
  どうでもいいことばっかり言うし」
 ってのはその通り! だと思うけど・・・)

ま、良いんですけどね。


###
で、本題です。
(や、別の記事を用意していたんですが
 書き上げるのに時間がかかるんで、
 こんな内容です。「概要」も書かない。)

今ね、私自身、このブログが
面白くって仕方ないんですよ。
マジで。
今、自分のブログが、すげぇ面白いなぁ
って思っていまして。

それは、
「客観的に面白いだろう」って事ではなくて
(って、そーゆー気持ちもちょっとはあるけど)
自分にとって、面白いって事です。

なぜ、そう思ったか、と言うと、ですね。

このブログが、同じ事ばっかり言ってるな
って思ったから、なんです。
同じような事を、材料やら言い方、ニュアンスなんかを
少しずつ変えながら、
結局は同じ事ばっかり主張してんなって。

別に言い方をすると
「このブログで主張したい事」ってのの
焦点が合ってきたなって、思うんです。

今まで、自分は
このブログって、つかみ所のないブログだ
って思っていたんですよ。
だから
「どういうブログだ」って事を
説明しにくいなって。
(そういう事、何度か書いてますし)

だけど
確かに「一言で何ブログだ」って事は
言いにくいんですけども
でも、主張している世界観のようなものは
本当に、首尾一貫しているって思う。
ホント、気持ち良いくらいに首尾一貫してる。

自分自身の価値観ってのは
一貫しているとは思っていましたけど
でも
いざ、常時、文章を書くようにしてみると
「言いたい事」ってのが、こんなにも同じだなんて
さすがに思わなかった、ですね。
それは1年半近く、ブログをやって
始めて気がついたって言うかな・・・


ですから
自分自身が、このブログでこんな事をやりたい
って事については
本当に「迷い」が無くなりましたね。
や、細かな方針変更とかは、あるにしても
「言いたい事」って事は一貫しているんですから
それを伝えるためには、どうか?
というように、
判断する基準ってのができたって感じるんです。

そういう意味で
今、自分のブログが、面白くって仕方ないんです。


###
ちょっと前に
スランプだ」って書きました。
確かに、「文章」って点で言えば
スランプだなって思います。
そのスランプ状況は、脱してはいないかな。
だけど
スランプはスランプなりに
こういう事をやっていけば良いんじゃないか
ってのが、はっきり見えているんで
そういう意味では
別に「スランプのまま」でもかまわない
って思えてきたんですよね。

にも書いたけど
幸いな事に、言いたい事は一貫していますから
「上手く書けた」頃の文章を上手く再利用して
でもなんでも
なんとでもやりようがあるなぁって思っていて。

つまり
「上手い文章を書く」って事が目的じゃなくて
言いたい事を、いかに伝えるかってのが
目的な訳ですから
もう、そんな事は、どーでも良いんです。
posted by めたか at 23:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

松山千春と鈴木宗男

(この記事の概要)
・「世間」がバッシングしてるからって
 手の平を返す人は信用できない
・逆に「世間」が何を言おうが
 昔からの友人を支援する人は
 「人間として信用できる」って思う


###
最近しみじみ思う事ですが
たかがCMごときに
細かなキャラクター設定をするんじゃないよって。
あわよくばドラマ化/映画化でも
って魂胆が丸見えなんだよ。
浅ましいっ!

あ、どうも取り乱してスミマセン。
めたかです。



この記事はゴーログの次の記事
株は安いときに買え、人は困っているときに助けろ
に反応したものです。


最近、実家に帰って親と話していた時に
たまたま鈴木宗男氏の話になりました。
「なんであんな人が当選するのか分からない」
って話だったんですけども・・・
ま、それについてはともかく。*1
それで、鈴木議員を大々的に応援している
松山千春さんの事についても
「なんで、あんな人を応援するんやろう。
 昔からの付き合いがあるにしても、やで」
みたいな話になって、
それに対して、私はこんな事を言ったんです。

「だけど、
 周りがバッシングしているからって
 昔からの友達なのに、
 手のひらを返したような態度をする
 って方が、人間として信用できないって思わない?」


そう。
だから私は、鈴木氏を支持するって訳じゃ
ないんですが
松山千春さんのやってる事については
「人間としては間違ってない」って
思っているんです。

いや、それでも
「政治の世界で悪い事をやって人を
 社会的に影響力のある人が応援するのは
 おかしいんじゃないか」
って意見は、あるでしょう。
でも
松山千春さんとしては、数々の「疑惑」に対して
鈴木宗男氏に「本当にやってないのか」
と問いただして
本人が「絶対にやってない」と言うなら

私が松山千春の立場だったら、
それはもう、信じるしか仕方ないなって思う。


松山千春さんの立場からすれば
そりゃ「手の平を返した」方が楽に決まってる
んですよ。
もしくは、なるべく触れないようにする
とかね。
今の方が絶対、大変でしょう、批判も多いだろうし。

だけども
それでも「昔からの友達」に対し
そんな仕打ちはできなかったんでしょう。
それは「人間」としては、私は信用できるなって思う。


非常に「受け入れ難い」例で
語ってしまいましたけども
でも、
これくらい「刺激的な例」の方が
面白いでしょ(笑)


##だけど
posted by めたか at 21:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

全ては「意志」が決める

明日からまた
しばらく更新が休みになります。
どうも、めたかです。
連休明けくらいに復活しますが。
(コメントの返事とかもできないです)
あ、この記事は短いので
概要はなしです。


鴻上尚史さんの
天使は瞳を閉じて
に、こんな有名な台詞があるんです。
「『傷つけば傷つくほど優しくなれる』
 って言いましたよね。
 あれって本当ですか?」
「ウソだよ。
 傷つけば傷つくほど
 底意地の悪くなるヤツだって居るよ」

良く、言いますよね
「傷つけば傷つくほど優しくなれる」
って。
でも、そうじゃないって。
傷つく事で、意地悪くなるヤツだって
居るんですよね。
それが、真実だって事です。

でも
この台詞って
そういう「残酷な真実」を暴き立てる
厳しい台詞って感じないんです。
そうじゃない
とても優しい台詞だって、感じます。

それは、何故なんでしょう?


・・続きを読む
posted by めたか at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

ダメ人間ですわ・・・

(この記事の概要)
書きたくないっ(怒)



###
ドラマ『がんばっていきまっしょい!
最終回、楽しみました。
特別な事は、特に起こらなかった回ですけど
でも感動しました。
うーん、こういうの、弱いなぁ、私。
あ、どうも、めたかです。


巡回先あちこちでやってる
ニュートラの適正・適職診断ってのを
私もやってみました。


結果は、コレでした。

・・・恐らく、これより悪い結果は
ないんじゃないでしょうか。
外向性・内向性とも最低レベル
向いてる職業は「発見できませんでした」
ですからね(苦笑)

しかし、詳しく見ていっても
随分な言われようです。

どんな仕事にも自信が持てないタイプ
であり
これが本来の姿であれば、
 あなたにできる仕事は非常に限られてしまいます。

ですからね・・・

特に酷いなって思ったのは

あなたは現在とても疲れているか、
自信を失っているのでしょう。

おそらく、これは本当のあなたではないでしょう。
きっと、失恋中か仕事上のトラブル、
あるいは非常にイヤなことがあった
ばかりではありませんか? 
そうならば、1週間以上時間をおいて、
もう一度このチェックをしてみてください。
きっと別の診断結果が得られるはずです。


別に、そんな事はないんですけどねぇ。
全然、普通の状態なんですけど・・・
日を変えて何度かやってみましたけど
結果は同じ、でした。
(ふざけてやってない、ですよ。
 真面目にやりました。)

回復するまでゆっくり休んでみましょう。
思い切って旅に出るのもいいでしょう。

これからの長い人生のなかの1ヵ月や2ヵ月、
ゆっくり休んでみたってバチは当たりません。
心とカラダをしっかり休めて、
もう一度社会に復帰してください。


という事で、
いきなり「長期休暇」を申しつけられてしまいました(笑)
それでゆっくりと「社会復帰を目指せ」
そういう事みたいです・・・


恋愛も、なんかほとんど「人間失格」
って感じですね。
どんな人間かよくわからないので恋にも出会えないタイプ
ってねぇ。

こだわりも慎重さもなく、
気配りもやさしさも不足しているので、
恋愛関係にまで発展しないで終わるでしょう。
もう一度、自分の個性を見直してください。

すべてがネガティヴですから、
これはあなたの環境があなたに与えた悪影響でしょう。


すごいなぁ。
ここまで酷く言われてくると
逆にすがすがしい気分になってきます。
全てがネガティブ」ってね(笑)
そうなんだ。

という事で、
どうやら私は「ダメ人間」って事のようです。
ま、ね。
そういう自覚はありますよ(笑)
(だから「ニートって他人事とは思えない
 ってのは本当なんですよ。)



・・・で、これについての個人的な感想を追記に
posted by めたか at 00:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月08日

スランプについて

(この記事の概要)
・ここの所スランプで
 どうも思うような文章が書けていない
・こういう時こそ頑張ってあがいて
 書き続けていかないとね


###
眞鍋さんが
「ブログの1記事にかけてる時間が2、3時間」
という話が驚きを持って受け止められていますが
私、その理由がピンと来なかったんです。
でも、この記事で、その理由が分かりました。
つまり
「それだけ手間ひまをかけている」
って事、だったんですね。

・・・そうなんだ。

というのは
私も、それくらいの時間をかける事は珍しくないし
それどころか
もっと時間をかける事も、しばしば。

そうなのかぁ。それって相当
変な事なんだなって、
今更ながら思い知らされました。


というか、ですねぇ・・・

今週の小論文教室です。
表現者の味方2――スランプをのり切る

この文章は、是非、読んで頂きたいんですが。
(これに限らず、小論文教室は全てオススメ。
 いつも言ってる事ですけど。)

実は、今、私、スランプだと思うんです。

それは、ブログを書くって事において。
なんかね、思うように、上手く書けない、し
書けてない、って思うんですよ。

色々、忙しいからとか、思っていたんですが
気がつきました。やっと。
今、スランプなんだって。

そう、考えれば、
こちら、Seesaaに移ってきてから
スランプと言って良いかなって思う。
こっちに来てから、
あまり良い文章、書けてないですしね。
ブログ人時代の文章の方が、
明らかに出来が良い。

ブログを始めたばかりの
試行錯誤しながら色々な事に手を伸ばしていた
去年の春頃も
怒りと悲しみの中で、合併反対を叫ぶ続けた去年の夏も
ブロガーとして、最も脂ののっていた年末頃も
忙しいと連呼しながらも
たまーに濃い記事を書いていた今年の始めも

それなりに
「これは今でもオススメできるかな」
って文章が、いくつかあるんですよ。
でも、
こっちに来てからは、そういう文章って
インフォームドコンセントを説明したものだけ。
しかもコレ、昔の文章ですからね・・・

そういう意味で、
今はスランプなのかなって思っています。
でもまぁ、そういう時こそ
頑張って書かないと、ね。
(そーゆー意味では、今までちょっと
 あがき足りなかったかなぁ。)


って事で、「頑張りますわ」って文章、でした(笑)


##続きを読む
posted by めたか at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

悲しみを見つめる事だけが争いを癒す

さて、
センチメンタルな日曜日です。
日曜の夜になると、
そんな事を書きたくなる訳です。
(ま、今日は仕事だったんですけどね・・・)

ま、色々な争い事って、ありますよね。
それって、とても悲しい事だって思うんですけど。
それは、
客観的に悲しいってだけでなく
それぞれの当事者にとっても、
辛く悲しい事だろうなって思うんです。

だから、ホントなら争いなんて
したくないハズだって思うんですけど、
それでも争いをしてしまう
その因って、何なんだろうって・・・

例えば
今の自分から遠い事なので例に出しますけど
イスラエルとパレスチナの「争い」には
イスラエルの方にも
「悲しみ」ってのがあって、
それが、争いとか憎悪とかに駆り立ててる
って思うんですよ。
一方、パレスチナの方にも
「悲しみ」があり
それが、争いや憎悪に駆り立てる。
このままじゃぁ、
どちらかが滅びるまで、争いが終わる訳が
ないですよね。

多分ね、
それぞれの側が、「自分の」悲しみしか
見ていないんだと思うんです。
相手の「悲しみ」を見つめる事ができれば
それを認める事ができれば
なんかね、もっと、マシな展開はあるだろうって
思う訳ですよね。

そして、
第三者にとっても、この「争い」を見る時に
単に「そんなふうに争うのは悲しい事だ」
で終わるのではなく
それぞれの「悲しみ」ってのを
見つめていかないと
あまり意味あるものではないかもしれない
って思うんです。
もっとも
「悲しみを見つめた」からと言って
何が出来る訳じゃない
とは思うんですよ。
でも
「悲しみ」を見つめない(第三者の)言及って
なんにもならないって思う。
「悲しみ」を見つめた言葉だけが
争いを癒す事ができるだろうし、
それがなければ
何も進んでいかないのではないか・・・


イスラエル・パレスチナの事を
例にしましたけど
でも、他の色々な事も
「争い」って観点から見た時に
こういう視点って大事なのではないか・・・


最近、そんな事ばかり、考えています。
posted by めたか at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

私だけでしょうか?

袖々の更新がこんなんで申し訳ないんですが
指摘している人が居なさそうなので。
(って、あまりネット見てないから
 分からないんですけど・・・)

小泉首相や政府の、自民党造反議員に対する
恫喝、というか、刺客、というか・・・
そういうのって、
(そして、それに対する造反議員らのオタオタぶり、も)
要するに
「創○学会の組織票は応援しないぞ」
という「恫喝」のように思える
のは、私だけ?


要するに
今回の自民党内での色々って
今の自民党が、その組織票に対する依存度が
高くなっていた
って事を、示しているだけ、じゃないのかなぁ?
なんか
「郵政選挙」とかカッコいい事言ってるけど
私が個人的に、全然、それに乗れないのは
その辺の事情が、あるかなって思ってんすけど
そう思ってるのって、私だけなのかなぁ・・・
(つまり、亀井とか、あの辺の造反側の方だって
 もし、公明党と組織票が自分たちの味方に付くってなら
 もっと強気に出てるって気がするし。)
posted by めたか at 19:54| Comment(0) | TrackBack(2) | 我思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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