2005年03月02日

【きょうろぐ】初心者のための変化球講座(メカニズム編)

近畿地方、来週にとうとう、悪魔がやってくるようです・・・
めたかです。

実は、
選手紹介の記事を書いているところで
「これは、ピッチャーの球種についても説明した方が良いな」
って事は、思っていたんです。
なんで、
「選手名鑑」フォローのための用語講座
の方に、球種解説の記事をTB飛ばすつもりだったんですが。

でも、先、越されちゃいました。
初心者のための変化球講座

そういう訳で、
だいたいのメジャーな球種については
説明して頂きましたので、
こちらでは、「変化球のメカニズム」について、
ちょっと解説してみたいと思います。
(これで、あなたも野球マニアへの第一歩だぁ!
 なーんて。)

1.タイミングの重要性
2.ボールが変化するメカニズムの基本
3.「ストレート」とはどんなボールか?

1.タイミングの重要性



まず、最初に理解して頂きたいのは、
「バッターがピッチャーの球を打つ際の
 タイミングの重要性」
なんです。

ピッチャーは、140キロものスピードのボールを投げる訳です。
もの凄いスピードで、
投げてからキャッチャーが捕るまで1秒かからないくらいなんです。
そんなボールを打たないとイケナイのですから、
ピッチャーが投げてから打ち始めては間に合いません。
前もって打ち始めておいて、
ボールがバッターの前にちょうど来る時に
バットを振る事ができるように、タイミングを合わせている訳です。
そして、それはちょうど、
ピッチャーの投球動作に合わせて打ち始める事で
タイミングを合わせるのが普通です。

なので、
このタイミングを上手くズラしてやれば、
バッターに上手く打たせない事ができる訳ですね。

変化球は
ボールを変化させる事で打ちにくくする
というだけでなく、
ボールのスピードを変化させる事でタイミングをズラす方法
という事も、できると思います。
「緩急が大事」というのは、
そういう訳なんですね。
(速い球と遅い球の、球速の差が大きいピッチャーほど
 打ちにくい、と言えます。)


2.ボールが変化するメカニズムの基本



さて、それでは
「変化球のメカニズム」について、です。

例えば、
まっすぐ前に進んでいるボールが、
左回り(反時計回り)に回転していたとしましょう。
その時に、
ボールには左向きに力がかかるのです。

その「ちゃんとした理由」は、
流体力学という難しい学問の話になりますので、
正確ではありませんが、
ここではイメージを説明を説明する事にしますね。

左回りに回転するボールでは、
右側では、ボールの進む方向と同じ方向に回転しているので、
その分、空気とたくさんぶつかる事になります。
一方、
左側では、ボールと進む方向と反対に進むように回転していますね。
なので、その分、空気とあまりぶつからない事になります。

(ここに図・・・本来なら)

そうすると、
右側では、より空気の抵抗を大きく受け、
左側は、空気の抵抗が小さくなる。
そうすると、その分の差だけ、左側に力がかかる事に、なるんです。

イメージが沸きましたでしょうか。
よって、
左回りの回転をしているボールは、左側に曲がり、
(カーブ、スライダー、カットボールです。)
右回りの回転をしているボールは右側に曲がるんですね。

そして、
「変化球」というのは、基本的に全て
「ボールの回転によって、ボールに変化を与えるボール」
と考える事が、できるんです。
ただ、
実は、「それだけの問題ではない」んですよね。
それを理解するには、
「ストレート」について、もっと理解する必要があるんです。


3.「ストレート」とはどんなボールか?



実は
「ストレートこそが、最も凄い変化球である」
という人も、いるくらいなんですよ。
その理由を、これから説明しましょう。

ストレートは、単なる「真っ直ぐ行くボール」ではないのです。
実は、
ストレートには、上向きの回転がかかっています。

ボールに限らず、どんなモノでも
空中に放たれると、放物線を描きます。
(つまり、山なりの軌道を描くって事ですね。)
それは、物理法則で決まっているんですね。
重力ってモノが、ありますから・・・

なので、
どれだけ速いボールを投げたとしても、
ある程度は「山なり」の軌道を描く訳で、
バッターの所では、ある程度、落ちながら進む事になる。
(実際には空気抵抗がありますので、
 放物線より、もっと落ちる事になる。)

しかし。
ボールに上向きの回転を与えると、
先ほど説明しました理由によって、
「上向き」の力がボールに加わるんですね。
それによって、
「ボールの落ち」を少なくする事が、できるんです。

つまり
「ストレート」とは、

上向きの回転によってボールの「落ち」を少なくし
ほぼ真っ直ぐに行くようにしたボール

と言う事ができます。

また、
ストレートには、もう一つ「メカニズム」があります。

ボールが空中を進む時、空気の抵抗を受けて
速度が少しずつ遅くなります。
しかし、
「上向き」の回転を与えると、
その抵抗を減らす事ができるそうなんです。

よって、
ストレートは普通、「最も速いボール」になります。
よく
「伸びのあるボール」という言い方がされます。
「バッターの手元で伸びる」とか・・・
これは
「上向きの回転が速いボール」なんですよ。
上向きの回転が速いほど、
ボールの「落ち」も少ないですし、
速度も遅くなりません。
そうすると、
同じ速さで投げられたボールでも、
バッターの手元では、
「より速く」しかも「より落ちない」ボールになるんです。
バッターの予想よりも「速く」「落ちない」事によって、
手元で急に速く、しかもホップするように見えてしまう、
それが「伸びるボール」の正体です。

さて、
ここまで理解すれば、
「フォークボール」の正体も、良く理解できます。

フォークボールは
ボールの回転を極力抑えたボールなんです。
そうする事で、
ボールは放物線を描いてバッターの所では
自然と「落ちる」事になりますし、
空気抵抗ももろに受けますので、
手元でよりブレーキがかかる事になります。
(それによって、「落ちる割合」も増える事になる。)

そういう意味では
「フォークボール」こそが「最も普通のボール」と
言えるかもしれないんですが、
まぁ、普通にボールを投げれば上向きの回転がかかるんですよね。
「回転をかけない」方が難しい投げ方なんで、
非常に特殊な投げ方をする必要があるって事なんです。

(実は、
 フォークボールも、少し、上向きの回転がかかっています。
 ナックルボールは、本当に回転がなさそう、
 って思っているんですが、
 どこかのテレビ番組でスーパースローとかで
 検証してくれないですかねぇ?)

このあたりの事が分かっていれば、
色々な変化球も、基本的にその応用ですから、
話を聞けば、理解できると思います。
(例えば
 「カットボール」は、上向きに少し左向きの回転を加えた
 「斜めに回転しているボール」なんですねー。)


参考:野球(変化球編)??曲がるボールの秘密??
(書き終わってから見つけてしまいました・・・)
posted by めたか at 23:33| Comment(2) | TrackBack(1) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月25日

[at]論理シリーズ・第一幕まとめ

皆さん、昨日は何の日でした?
そう、セント・ババイノキ・デー」でしたね。
男性の方々、プロレスのビデオを女性にプレゼントしました?
本命には、「猪木vsアリ戦」か「桜庭vsホイス戦」を
送るんでしたよね?
どうも、めたかです。
(あ、この辺の話です)
うーん、なかなか、進まないなぁ、作文・・・
って事で、
ちょっと気晴らし代わりに書いた原稿です。
(こういう「堅い」文章の方が、さらっと書けちゃう。
 なんだかな・・・)


ここしばらく、シリーズにしていた
「論理についての考察シリーズ」
とりあえず今日、第一段階のまとめをしてみようと思います。
間髪入れずに第二幕が始まりますけど、
それは、実際の数学の論理を説明する予定です。
(今の所、数学の論理はほとんど解説していないと思う。)
そうなると、
ちょっと付いてきてくれる人は少ないかも・・・
でも、
今の所まででも、結構役立つ事はありますので、
この辺で一度、まとめておこうって思いまして・・・

って事で、
この論理シリーズで書いてきた記事の一覧です。

「論理」は実は、難しいものではない

この文章は、論理に対する苦手意識を取り除いて頂く事を
目的としたものでした。
ポイントとしては
・論理とは、ある考えを多くの人で共有するために用いるもの
という事で、
だから、易しいものでないと、その役目を果たせないのだ
という事でした。


「論理」とは「順番」である

この文章では、「論理」の包括的な定義を目指しました。
それこそが
「論理とは順番だ」という、思い切った言い切りです。
この定義によって
様々な「論理」を同じ基準で考える事ができるようになる、
だけでなく
先ほどの「論理は難しくない」という主張にも
繋がってきます。
要するに
「なんだ、単に順番の事なんだ、論理って」って思えば
そんな難しく考える必要がないでしょうって意味で、ですね。


論理には色々ある

そして、この文章では
「論理とは順番である」という定義を実際に用いて
様々な論理について考察していきます。
どうして「色々な論理」があるのか?
それは
「順番がちゃんとしているか」を判断するのが人間であるから
というのがポイントでした。


論理には「国語的論理」と「数学的論理」がある

この文章は、ちょっとこれまでの流れとは外れていまして
「数学的論理」についての解説になっています。
数学的な論理では、
論理の「構造/枠組み」についての理論なんですね。
中身は関係ないって、
そういう事を解説した文章でした。
これは、第二幕への導入のつもりだったのですけどね、
でも、
ここでも「重要なポイント」はありまして、
それは
「中身に関係しない理論だから
 どんな中身にも当てはめる事ができる」
って事なんですね。
だから、「数学の論理」を知っておくのは絶対良いよって。


論理に必要なのは「注意力」と「疑問を持つ心」である

で、最後に
実際に「おかしな論理」について、
ここまでに説明してきた事で考察してみたってのが
この文章。
その上で、ちょっとした教訓めいた事も書いていますが、
大事なのはその「教訓」なんかでは全然なくて、
論理には色々ある」でのポイント
・「順番がちゃんとしているか」を判断するのが人間
って事が、どのように現れているか
実際に「オカシイ論理」を、どうして「ちゃんとした順番」と
判断してしまうのか、の例を考察しているのが、
ここでのポイントです。


ここまでの解説で、
「論理」について、色々な事が考える事が
できるようになっているって思うんですね。
例えば、
文章を書くのは難しくない、けど・・・」で
「文章を書くには、論理があった方が良い」って
書いたんですが、
それは
 ちゃんと順番を守って事項を並べる事ができれば
 文章は分かりやすくなる
って事だって、分かりますよね。
また、
論理と情緒」や
インターネットと「バカの壁」」で
>「論理」って、「情緒」に流されやすい
って事を考察しているのですが、
それは
論理には色々ある」でのポイント
>「順番がちゃんとしているか」を判断するのが人間
を押さえていれば、
「情緒によって(本当ならオカシイ)順番を
 ちゃんとしているって判断してしまう」
ってふうに理解できます。


さて、それで、
「情緒とかに左右されずに『順番がちゃんとしてる』
 ってのを判断する方法」
として、今後「数学的論理」について解説していく訳です。
それが「第二幕」になる、予定です。
posted by めたか at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月22日

[at]論理に必要なのは「注意力」と「疑問を持つ心」である

レギュラー・・・
めたかです。


さて、久々の「論理シリーズ」です。
では、前々から予告していた鳥越さんの記事の問題
解説しましょう。

「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」

この「論理」にオカシイ点はあるのか?
って事を検証するのですが・・・

鳥越さんは
>競合他社と当社は会社の内部事情も違うんだから
>他社がやっているからといって
>当社もやることの理由にはならない・・・
>当社にとってIT導入を必要とする
>事情を明らかにしない限りは
>競合他社の事情だけで決めることはできない・・・・
と指摘しています。
確かに、こういう「論点」も、検討する必要はありますね。

でも、
それ以前に、この「論理」には、致命的に欠けている点が
あると私は思っています。
それは・・・

競合他社は、ITを導入する事で
業績が上がっているとか、業務が大幅に改善されている
などの「大きなメリット」があったのだろうか?

そういう部分があって、初めて
「当社もITを導入する」という事が検討課題に上がるって
思うんです。
つまり
「競合他社が(ITを)導入している」
という事と
「当社も(ITを)導入するべき」
という事は、「論理的に繋がらない」と思うんですね。
それを繋げるには
「競合他社が、業績を大きく上げている
 (それで当社が取り残されかけている)」
とか
「競合他社が、業務を大幅に改善している
 (それで、今後の競争に大いに不利になりそうだ)」
と言った事項がなければならないでしょう? って。
(その上で
 他社と当社の内部事情の違い、などを検討する事に
 なるのではないかなぁ。)

でも、ですね。
いわゆる「日本的社会」においては
「周りがみんなやっている」
から
「自分もやる(やらないといけない)」
というのは、
説得力のある論理に、なってしまっているように思うんです。
「○○君も持っているから私も買って」みたいな。

「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
これが、論理的にオカシクないと思ってしまう訳は、
多くの日本人にとって、
そういう「周りと合わせる」という考え方が
染み付いているからじゃないかなって思うんですね。

前に
「論理にも色々ある」って話で
「多くの人にとって『ちゃんとした順番』と思う
 そういう『判断』が共有されていたなら、
 その人たちの間では「共有できる論理」に
 なってしまう事もある」
というような事を書いたのですが、
その重要な具体例が、これなんですね!

多くの日本人にとっては
「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
のような「論理」が、当たり前のものとして
まかり通ってしまっているのは、
こういう事情なんじゃないのなかぁって。

だから
「常識」とか「当たり前に思う」とかって
「論理」を検討する事には、
却ってマイナスだったりするみたいですね。
だから、
「論理」って事については、
「注意力」とか「疑問を持つ心」ってのが
重要になるのなかって、思います。
「その常識は本当なのかな」って
疑問に思えないと、常識に流されてしまう訳で。

と言う意味で、
今日の教訓。
「論理に必要なのは注意力と疑問を持つ心」
常識を疑い、本当に「論理的に繋がっているか」を
疑問を持って検討する事が、大事なんですね。


###
まぁ、とは言っても
「周りがやってるから自分(たち)もやる」
というやり方で、上手く行ってきた部分もあるから、
こういう「日本的なやり方/考え方」が
ずっと残ってきた訳ですよね。
つまり
「周りがみんなやっている」

「自分もやる(やらないといけない)」
の間の『繋がり』も、全くない訳ではないのでしょう。
それはきっと、こういう事なのでしょう。

要するに
「周りと同じ事をやれば上手く行く」場合と
「周りと違う事をする方が上手く行く」場合が、
あるのだと思います。
例えば
競争でも、多くの人が「勝ち組」に入る事ができるものなら
「周りと同じ事をやれば上手く行く」のでしょう。
でも、
「勝つのが一人(もしくは一部の人間)だけ」
の場合は、周りを出し抜かないとイケナイ訳でしょう。
そんな時には「周りがやってるから自分もやる」
なんてやってると、上手く行く訳がない。
つまり、そういう事なんでしょうね。
(他にも
 「仲間はずれを作る/生け贄を決める」みたいな
 「一部の負け組を決める」ような場合も
 「周りと同じ」という戦略は生き残りに最適でしょう。)

こんなふうに
「どんな場合に『繋がり』があって
 どんな場合は『繋がりがない」のか」
を検討する事が、論理的に考える場合に重要になるんですね。
このやり方を「場合分け」って言うんですが、
それはまた、ずっと先に数学の論理の解説で説明しますね。
ただ、
このように、「論理の繋がり」をきっちりと検討する事が
「論理的に考える」際の基本になるんだって事を
知っておいて下さい。
posted by めたか at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月14日

[at]論理には「国語的論理」と「数学的論理」がある

めたかです。
緊急うそニュースです。
2月24日を「セント・ババイノキ・デー」と制定し、
男性から女性へ、プロレス格闘技のビデオDVDをプレゼント
して愛を告白する日とする事に決まったそうです。
「女性から男性への告白の日」だけあるのは不公平だ、
と、男女差別を無くす団体からの勧告により、
この日が制定される事になりました。
お返しの日は、一月後の3月24日になりますが、
どのような日になるか、は、まだ未定です・・・

いやですねぇ、
ろぷさんのこの記事
> 女性はチョコが大好き(な人が多い)んですけど、
>男性はチョコがそれほど好きでもない(人が多い)って事
>なんですね。
>だから、
>ひっくり返してみるなら、
>例えばプロレスのビデオをプレゼントして
>男性が女性に愛を告白する、
>みたいな感じがするんですね。
ってコメントを残したんですよー。
そこから思いついた事なんですが・・・


本論、行きましょう。
あ、明日はこの「論理シリーズ」休みです。
代わりに別の事を書こうと思っていますので・・・


前回は、
論理には、色々あるって話をしたのですが、
それで済ませてしまうと発展性がないので、
もう少し、その「色々ある」ってのを突き詰めてみましょう。

その「色々ある論理」ってモノの中で、
ちゃんとした「論理」としては、
国語的論理」と「数学的論理」が、あると思うんです。

国語的論理というのは、
「読む力」とか「書く力」と言った「言葉を扱う事」に
つながる論理だと思うんですね。
一方、
数学的論理ってのが、私が今後解説しようとしている事
なんですが、
簡単に言うと
「論理の構造/枠組み」についての話なんですね。
つまりは「内容なんてどうでも良い」ってモノなんです。
一方、
「国語的な論理」というのは
「言葉の意味」ってのと深く関わる訳で、
つまりは「内容に関わる話」になる訳です。
(ま、これも随分乱暴な区分けなんですけどね。)

「国語的論理」については、私は詳しくないので、
とりあえず、スルーさせて頂きます。
(どなたか解説して下さい。)
で、「数学的論理」ですが・・・

前に「数学の本質は抽象的思考」と書きました。
要するに
様々な事の『共通の性質』のみを抽出して考える
という事、なんですよね。
そして、「論理」について「抽象化」して考えるなら、
その「中身」については、
時と場合によって大きく異なる事になる訳です。
だから、
「中身・内容」と関係ない「構造/枠組み」の部分のみを
抽出し、考察する訳です。

そんな「中身に関わらない」で、
何か意味のある「考察」が出来るのかって、
疑問に思う人も居る事でしょうねー。
でも、できるんですよ!
(それについては、先の「解説」をお楽しみに!)

それに、
「中身に関わらない」事ですから、
どんな「中身」についても当てはめる事ができる訳なんです。
つまり、
それだけ「汎用性のあるもの」になってるんです!

私が
>数学の論理こそが、最も汎用性のある論理だと
>信じています
って書いたのは、そういう事なんです。


###
あ、また鳥越さんの記事についてスルーする所だった。
今日は、この記事についても書きますね。

第867回 ニッポンの学力 論理的に考える力に弱さ


この記事では、
東京理科大の次の入試問題が取り上げられています。
『背理法とは何かを20字以上100字以内で説明せよ」
背理法というのは、
数学の論理の代表的なものの1つなんですが、
それを「言葉で説明せよ」という問題、ですね。
記事では、こういう問題を出した意図なんかも
説明されているんですが・・・

ただ、
私はこの問題を、悪問だと思いますね。
それは、ですねぇ・・・

「数学の試験」って、そもそも「数学の論理力」を問う
そういう試験だと思うんですよ。
でも、この問題は「国語の力」を問う問題でしょう?
要するに
「数学的論理力」と「国語的論理力」を混同してしまってる
そんな問題だって思うんです。

「数学の論理力」と「国語の論理力」は
別に鍛えないとイケナイものだって思うんですねー。
「日本語の書く力」ってのは、
確かに必要で重要なものだと思いますけど、
それを「数学の試験」で問うってのは、
あまり感心はしないですねー。
(まぁ、数学を勉強するのにも、
 「国語力」が必要なんだって意思表示の意味合いも
 あったんでしょうけど・・・)

多分、
この問題が解けなかった受験生の中にも
数学の問題を解くのに背理法を使いこなせる学生は、
たくさん居ただろうと思います。
そして、
「数学のテスト」では、そういう能力を問うべきって
私は思います。
(国語力は「国語のテスト」を課せば良いと思う。
 まぁ、受験科目が多いと受験生が逃げて行くって面も
 実はあって、その辺で苦労しているんでしょうけど・・・
 東京理科大は、国語の試験、なかったと思うし。)


参考:記号論理学
   形式論理学


###
次回は、鳥越さんの記事にある
「競合他社がITを導入しているので、
 当社も導入しなければならない」
って問題(どこに論理のオカシイ点があるか?)を
考えたいと思います。
もし良ければ、この問題、ちょっと考えてみませんか?
posted by めたか at 23:55| Comment(2) | TrackBack(1) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月13日

[at]ベン図とカルノー図

最近の記事リストを見ると、
だんだん、内容がブログの名前に追いついてきてるなぁ
って思っているめたかです。
ま、そのうちまた、崩れますけど(笑)


後々のために、
「ベン図」と「カルノー図」について、
説明しておきましょう。

その両者とも、「集合」を考える際に用いる図で、
図で集合に入る/入らないを考える時に便利なものです。

まず。
ベン図ってのは、こういうものです。


これは分かりやすいですよね。
2つの集合「A」と「B」があって、
それぞれに入るものを円(袋)の中に入れ、
入らないものを外に置く、という事ですね。
そして、
両方に入るものは、図の赤い部分に入る事になる訳です。


一方、
カルノー図ってのは、こういうモノです。


これは、直感的には分かりにくいかもしれませんね。
でも、それほど難しくはありません。
集合Aについて、入るか入らないか、を縦の列で区別する
具体的には、
入る方を左側に、入らない方を右側に置きます。
(上にバー;横棒が引いているのは
 「その集合に入らないもの全て」という意味になります。)
そして、集合Bについての入る入らないは横の行で区別、
つまり、
入る方を上側の行に、入らない方を下側の行に置きます。

ベン図と比較すると、その意味が分かりやすいでしょう。
ベン図の赤い部分:両方の集合に入る部分、が
カルノー図の赤い部分にあたるんですね。
他も同様、同じ部分を同じ色に合わせています。
両方の集合に入らない部分は白で、
これは、ベン図では外側のふちの部分、
カルノー図では右下の部分になります。

つまり、
この2つの図は、実質同じモノを表しているんです。

だったら、
直感的に分かりやすいベン図の方を使えば良い訳で、
カルノー図の存在意義って分かりにくいかもしれません。
でも、
集合について、色々と考えて行く場合に、
カルノー図を使う方がやりやすい事が、多々あるんですよ。

カルノー図の「利点」は、
全てを並列に表示しているって事なんですよ。
集合に入る方も、入らない方も、同じ重み付けで表している。
この事が、
特に、「入らない側」を考える場合に、
重要になる事があるんです。

例を挙げましょう。
「A」を「陸上の生き物」
「B」を「動物」という事にしましょう。
そうすると、
「A」に入らない方は「水中の生き物」って事に、
「B」に入らない方は「植物」って事に、なりますよね。
この両方を、同じくらい「重要」に考える場合、
ベン図だと、
「水中の生き物」や「植物」を考える場合に、
考えにくくなっちゃう、んですよ。

ベン図は確かに、直感的で分かりやすいんですけど、
その「直感的」な部分が邪魔になる場合が
ある訳なんですね。
だから、
「カルノー図」の使い方に慣れて行く事は
「数学の論理」に慣れる第一歩になると思います。
少しずつ、慣れていきましょうねー。


参考・「集合」とは・・・
posted by めたか at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月12日

[at]論理には色々ある

この「論理についての解説」シリーズ
論理について、色々と解説していこうって話でして、
その中でも、
私自身にとって一番馴染みのある「数学の論理」の解説を
中心にしていくんですが、
でも、
それだけでは、ないんですね。
このシリーズは、実はかなり野心的な企画でして、
「論理」ってモノを、包括的に捉えるってのを
やってやろう、というモノなんです。
もっとも、
そういった「論理」の基本と言えるのが
「数学の論理」なんですが・・・
(包括的な解説ってのを目指しているから
 「論理とは順番」って緩い定義を採用したんです、実は。)

って事で、
今回は「論理にも色々ある」って話です。


まず、今回から3回分は、
ほぼ日の鳥越さんの連載「あのくさ こればい!」の
次の記事を元ネタにさせて頂きます。
第867回 ニッポンの学力 論理的に考える力に弱さ
いえ、この記事を参考にした訳ではなくて、
この記事を元に色々と考えた事
(そしてほぼ日にメールした事)を元にするって意味です。


前回の解説では
「論理とは順番である」と言いました。
つまり、
ちゃんとした「順番」に並んでさえいれば
色んなものが「論理」と言えたりする訳ですね。

なので、
多くの人には「順番がおかしい」とか
「こんなのが次に来ない」って思えるものでも、
ある人たちには「ちゃんとした順番だ」って思っちゃう、
そういうモノも、あったりするんです。

前々回
「論理とは、
 物事を誰にでも間違いなく同じ様に伝えるためのもの
 もしくは
 誰もが同じ様に考えるために使うもの」
なんですが、
この「同じ様に伝えたい/考えたい人たち」
というのが、ある範囲の人たちなら、
その人たちの間で共有できる「論理」というのも
あったりする訳なんですよねー。

前にこのブログで書いた
インターネットと「バカの壁」
という文章で、
「論理って情緒に流されやすい」
とか
「論理って実はどのようにでもいじる事ができる」
って書いたんです。

それは、こういう事です。
普通なら
「こんなものが次の順番に来ない」ってモノでも、
そこに「情緒」の裏付けがあった場合
「ちゃんとした順番」に思えてしまう事が、あるんです。
だから、
同じ「情緒」を共有できてしまう人たちの間で
それ以外の人には理解できないような「論理」が
まかり通ってしまう事が、あるって事なんです。

例として適当かどうかは分からないのですが、
他に良い例が思いつかないので
(良い例があれば教えて下さい)
こんな例を挙げてみましょう。
ナチスドイツの「ユダヤ人虐待」の論理は、
今から考えると理解できないモノだったと思うんですね。
でも、
「ユダヤ人への反感」という「情緒」を共有してしまっていた
その当時のドイツ人には
「ちゃんとした論理」として通用してしまった
という事なのでしょう。

このように
「論理」というのは「ちゃんとした順番」でありさえすれば
良い訳で、
そして、順番が「ちゃんとしている」かどうかを判断するのは
人間な訳ですから、
多くの人間にとって、その判断が共有できてしまえば、
色々な「変な論理」ってのが通用してしまうって事なんです。


実は
今の現状では、「数学の論理」の方こそが
多くの人にとって「ちゃんとした論理」と
判断されないかもしれないって思っています。
私は、数学の論理こそが、最も汎用性のある論理だと
信じていますけど、
それが、多くの人にとって共有されていないって思う。
(そして、情緒に流された「論理」の方を
 ちゃんとしてるって思っていそう、なんですよねー。)
そういう意味で、
私のこの「論理についての解説シリーズ」の狙いは、
より多くの人に「数学の論理こそが汎用性のあるモノ」
って理解して頂く為にやっているんですね。
なんか、
便宜的で恣意的な「論理」が幅を利かせ過ぎているって
常々思っていますので・・・
(今、この解説を急いでいるのは
 「急がないと」と思わせる事が頻発してるから、なんです。
 というか、
 今、ネット上でもてはやされてる人たちに
 「ちゃんとした論理」じゃない論理を多様してるのを
 目にしてしまっているので・・・)


今回は、
先の鳥越さんの記事

全く触れませんでしたね。
まぁ、次回は出てきますので。
(それに、今回の話も、本当にほぼ日に書いたメールに
 書いてあった事を元にしているんですよ!)
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2005年02月11日

[at]「論理」とは「順番」である

めたかです。
また、花粉が少し出てきたみたいですね。
今週は花粉が少なくて、症状が軽かったのですが、
また昨日くらいから、ちょっと出てきています。
ヤバいなぁ。
今日くらいから大量に来るって話だったんですが、
まだ、少ないみたいですね。
いざ、大量に来てしまったらどうなるんだろう?
不安ですが、
私は私の対策をちゃんと続けて行くしかないしねぇ・・・


さて、好評なのか不評なのか、さっぱり分からない
「論理の解説」シリーズですが、
ま、辞めろと言われない限り続けようと思います(笑)

論理とは何か?
端的に言ってしまいましょう。

「論理」とは「順番」です。

えっ? と思う方もおられるかもしれません。
でも落ち着いて考えると、納得できると思うんです。

例えば
「論理的に説明する」というのは、
辞書的に言えば
「物事をちゃんと筋道立てて説明する事」
ですし、
「論理的に考える」というのは、
「何かをちゃんとした筋道で考える事」
となります、でしょ?
これは、言い換えれば
「物事をちゃんとした順番に並べて説明する/考える」
って意味ですからね。

昨日、説明したように
「論理とは、
 物事を誰にでも間違いなく同じ様に伝えるためのもの
 もしくは
 誰もが同じ様に考えるために使うもの」
でしたよね。
そのためには
物事をちゃんとした順番に並べてやる必要があるんですね。

だから
「論理がおかしい」というのは、
この順番がおかしいって事なんですね。
順番の並び方がおかしかったり、
順番が飛ばされてしまっていたり、
次に来るハズのないものがきてしまっていたり、
順番の「枝分かれ」や「合流」なんかが考慮されてなかったり
その「枝分かれや合流の切り替えポイント」が
おかしかったりする、場合に
「論理がおかしい」って言う訳です。

#ここでちょっと、注意するポイントが出てきました。
#「論理」って、一直線のものだけじゃ、ないんですね。
#一直線だと、その「順番の並び」は易しいですが
#色々と枝分かれしたり合流したり、も
#当然あるんですね。
#その中で、ちゃんとした順番に沿っているか、
#というのが「論理」になる訳です。

コンピュータ、特にプログラミングなんかを
勉強した事のある人なら、
「順番」の大切さはご存知だと思うんですね。
コンピュータの世界では
順番がおかしいと無茶苦茶になってしまいますから。
コンピュータというのは、実はもの凄く頭が悪くて、
一から十まで、何から何まで全て説明してあげないと、
何もできない奴なんですね。
だから、
コンピュータプログラムでは、
少しでも順番がおかしかったり飛ばしてしまったなら、
無茶苦茶になってしまう。
(そういうのを「プログラムのバグ」という訳です。)
そして、
そんなバカなコンピュータにも、ちゃんと伝わるように
厳密に、完全に、有無を言わさないまでにした論理が
「数学の論理」なんですよ。


って事で、
明日に続くんですが、
今日は、この「論理」シリーズでの肝と言うべき事が
出てきました。
「論理とは順番」なんだって思えれば、
「論理」を何か難しいものだと抵抗感じている人も
なんだ、そんなものかと思えるんじゃないでしょうか。
そう、論理って、そんな大したものじゃぁ、ないんですよ!
posted by めたか at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[at]「論理」は実は、難しいものではない

小倉さん、戦ってるなぁ・・・
めたかです。

今週末は、元々は「新春特別企画」のその3を
公開する予定だったんですが、
どうも、この企画、反響はイマイチ(どころかイマ3くらい)
だったので、
もう凍結してしまおうと思っています。
(まだ原稿は書いてないし)
で、
今週末は、「論理についての解説」を、やってみよう、と。
元々、HPに書く予定だったのですが、
なかなか、筆が進まず・・・
なんで、
ブログで少しずつ書いてしまおう
(HPには、それを元にまとめよう)
って考えています。
いや、元々「どういう事を書くか」は
頭の中にはあったんですよ。
それを、どう説明しようかなぁってだけで・・・
なので、
説明は稚拙かもしれないですけど、
その辺は、分かりにくい点は突っ込んで頂ければ、
いくらでも説明させて頂きますので。

では、スタートしましょう。
まず、今日は導入から。
いきなり「名言」が飛び出すかも、しれません。


「論理」というと、身構えてしまう人も多いかもしれません。
「論理」は難しい、と思っている人、
きっとたくさん居る事でしょう。
しかし、それは違うのです。

論理って、
そもそも万人に扱えるべきモノなのです。
論理って、
ある考えを、他の人にも間違いなく同じように伝える、
共有するために使われるものなんですよ。
ですから、
本来的に「易しい」もので、あるハズなのです。
「難しい」論理って、欠陥品と言えるかもしれない
そういうものなんです。

そうは言っても、
これまでいっぱい「難しい」論理に出逢ってきたぞ
と思われるかもしれません。
でも、
それは実は「論理」が難しい訳じゃなくて、
そもそも難しい事を扱うために論理が使われていた
のではないかなって思います。
その「難しい事」を、多くの人が同じように考えるために、
そのために使われているのが「論理」ですから。
その「難しい事」は
「論理」がなければ、多くの人で共通に扱うのは
不可能と言えるかもしれません。
逆に
易しい事なら、そもそも「論理」なんて
必要ないかもしれません。
だから、
「論理」は、必然的に「難しい事」を扱うために
使われる事が多くなり、
それで「難しい」と誤解されているのだと考えています。
(まれに「論理」自体が難しい事は、あると思います。
 でも、それは先述した通り
 「欠陥ある論理」と言えるでしょう。)


###
ま、でも
ここまで書いてる事は、実は「理想論」にすぎない事は
分かっています。
「易しい」事項で「論理」の扱い方を見たとしても、
「論理」を使い慣れていない方には難しく感じる事でしょう。
それは、あくまで「慣れていない」から、なんです。

例えば、
自転車って、乗り馴れている方にとっては
非常に簡単に乗れる乗り物ですよね。
だけど、
全然、乗った事の無い方にとっては、
乗るのが難しいって方も多い事だと思うのです。
(もちろん、すぐに乗れる方も居ますけども)
論理にも、
同じ側面があると思っています。
私は、論理を使い慣れていますから
「論理自体は難しいものではない」という事は
わかっていますけど、
論理を使い慣れていない方には、
すぐには難しく感じる事でしょう。

また、
易しい事項で「論理」を扱った場合
「そんな易しい事で、何故そんなややこしい事をする必要が
 あるのだろうか?」
と思うかもしれません。
これも、
自転車の喩えで考えると良いでしょう。
自転車も「短い距離」で練習している間には、
そんな短い距離でわざわざ自転車を乗る必要性はないですね。
でも、
自転車があれば、なければ(歩くのなら)行く気にならない
遠い所まで、出かける事ができるようになります。
論理も、同じなんですね。
「易しい」事項で使い慣れていけば、
「難しい」事項を扱うための論理も理解できるようになり、
「難しい」事を考えたり理解するのに
役立つようになるんです。

さて、
明日は「論理」とは、そもそも何か、の話にいきます。
posted by めたか at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月07日

[at]新春特別企画、その2更新

お約束通り(って、誰も待ってないかも・・・)
3週連続更新予定の「新春特別企画」の「その2」を
今日、アップします。

南中時刻の間隔が季節により異なるメカニズム
(初日の出にそれほど早起きしなくて良い理由・その2)

先にアップしていた「その1」の続きです。
「その1」は、導入って感じのモノだったんですが、
今回の「その2」は
「メカニズム説明の本ちゃん」と言うべき部分です。
ただ・・・
もうちょっと、図をたくさん用意した方が
親切かなって思っています。
(ただ、図を作るのって、大変なのよ・・・)
分かりにくい点、質問、感想など、
ここのコメント欄に書き込んで頂くと、嬉しいです。

あとは、
「その3」に続くんですが
(ちなみに、原稿は全く書いていません!)
「その3」は、まぁオマケみたいなモノですからね。
今回の話こそが、メインですので。

でも、
同じメカニズムで、
「夏至よりも7月の方が日が沈むのが遅い」
って話も説明できるんですよねー。
そういう意味で、身近な話だと思うんですけど・・・
posted by めたか at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月27日

[at]首都大学東京(クビ大)の未来を勝手に想像してみた

国際連盟を作ったのは新渡戸稲造
っての、トリビアに投稿しようかなぁ。
めたかです。
いえ、今「ガゼビア」ってあるじゃないですか、
これもちゃんと「ガセビアの沼」に沈めて頂けるかなって。

えっと、
先に言っておきますが、この記事は「おちょくり系」です。
マジで反応されても
「スミマセンねぇ」としか言えませんのでご了承下さい。
でも、
こういう姿勢とか、笑い・風刺が
浮かび上がらせるものってあると思うんです。
(なーんてね。)


###
石原都知事主導で新たに出発する
新大学「首都大学東京」(略称「クビ大」)が
どんな大学になるか、勝手に想像してみました。

まず、
生徒はみんな、全寮制になるでしょう。
男性は丸刈り、女性は三つ編みが義務化されます。
最近の大学では珍しいですが
制服も指定されます。

都知事の意向で、
年に2回、全校生徒が揃って靖国神社に参拝します。
これを批判されると知事は
「キリスト教系の大学は礼拝とかがあるだろう
 (から問題ない)」
と返します。

学長の強い指導によって、
大学への本の持ち込みが禁止されます。
本を読まなくてどうやって勉強するか、との問いには
「ボランティアや自衛隊にでも入れば良い。
 実体験から学んで欲しい」
と答えます。

教官の目玉は、戸塚宏氏。
体育教師として三顧の礼で迎えられます。
戸塚宏さんですから、当然、アレしかできません。
体育は選択制ですが、
「ヨット」の響きに優雅なモノを感じて選んだ生徒は
大変な事になるでしょう。
(体育教師だけじゃなく寮長に、という話もあります。)


・・・こう冗談で書いていても、
1つくらい、ホントに実現してしまいそうなのが怖いです。

(参考記事:首都大学東京の光と影
posted by めたか at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月15日

[at]閉じてるコミュニティーと開いてるコミュニティー

杉田かおる結婚の一報を聞いた
東スポディスクの第一声は
「あびる優のコメント取って来い」と見た。
めたかです。

結婚式の模様は某テレビ番組で
って言ってたので、
「ロンドンハーツか?」って思ったんですが、
金スマだったんですね。
で、付けてみたら
杉田かおる出演でよー分からんドラマ(コント?)
やってたんで、
観るの、やめました。
で、
まだ全部見てなかった先週の金八を
慌てて観ていたんですが・・・
今日の放送前に全部観る事はかないませんでした(泣)
(それで今週の観るのヤなので、
 今週も録画・・・)

それなので、
今日は、また別の事を書いていきましょう。


###
ちょっと前のキムタクのCMで
こんなのがあったの、覚えているでしょうか?

「世の中には2種類の人間が居ると思うんだ。
 閉じてる奴と、開いてる奴。
 今の俺は・・・開いてんのかなぁ?」

キムタクが閉じてるか開いてるかは分かりませんが、
この「閉じてるか、開いてるか」っての、
私の中では結構、重要な基準だったりするんだなぁ。

今日のゴーログでは
ブログはコミュニティーだ」って事を書いておられました。
確かに、それはそうだと思う。
ただ、
それが、どういう性質の「コミュニティー」なのか、
ってのは、考えた方が良いと思うのです。
そう、
表題で書いた
「閉じてるコミュニティーか、開いてるコミュニティーか」
これ、大事だと思うんです。

例えば、
「BLOG of the Week」の件については、
著作権の観点から問題視されていた訳ですね。
(これについては、
 「絵文録ことのは」さんの
 「木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々
 が論として最もしっかりしていると思います。
 また、
 それを受けて、「Unforgettable Days」さんが
 「「週刊!木村剛」の「転載」問題を考える」で
 木村氏側からの妥協案を提案されています。)
これらの意見を「関係ない第三者からの意見」とするのは、
「閉じてる」態度ではないかと、私は思うのです。
そして、
もし「これに賛成する人だけでコミュニティーを」
と考えておられるなら、
その「コミュニティー」は「閉じたコミュニティー」に
なってしまうのではないか、と私は思う。

木村さんは、ご自身のブログの周辺コミュニティーを、
そのような「閉じたコミュニティー」にしたいのでしょうか?

ゴーログの、このトラックバック・ルールは、
ネットの常識と言う点からすれば、
かなり特異だと言う事みたいですよ。
その「周囲からすれば特異な事」を
それまで大丈夫だったから、という事で、固執し、
批判する人を排除するとするなら・・・

それは、
周囲から断絶した「閉じたコミュニティー」を
作り出す事に、なってしまいませんか?


言いがかりに過ぎない批判に対しては、
無視するなり、毅然と対応するなり
すれば良いと思う。
それは、当然の事でしょう。
ですが、
「絵文録ことのは」さんの「意見」も、
「Unforgettable Days」さんの「提案」も
(やや苦言も混じっていますけど・・・)
耳を傾けるべき所が多い意見だと、
私は思うんです。
全てを聞き入れる必要は、ないでしょう、
でも、
改めるべきは改め、周囲との融和を図る事は
「開いたコミュニティー」にしていくには
必要な事ではありませんか?

過去の全てを否定する必要は、
私はないと思います。
過去は過去で、それは意味があったでしょう。
でも、
周囲からの良い意見についてはどんどん取り入れて、
改善を続けていく事は、
どんな事でも、必要な事だと私は思うんです。

木村さんは、それがやれる人だと、私は思っているんですが。


自分にとって耳の痛い意見を聞くのは、
難しい事です。
心に余裕のある時でないと、できない事でしょう。
新年から重責を担う事になった木村氏には、
その余裕は少ないかもしれません。

ですから、
慌てて答えを出す事を、要求しようとは思っていません。
落ち着いて、余裕のある時に、
少しずつ考えていって下されればって思います。
ただ
「コミュニティー」と言うなら、
どういうコミュニティーにしていきたいか、
その志だけは、心において頂ければ、と願います。


###
キムタクの言う意味と合ってるかはわかりませんが、
人間には、「閉じてる時」と「開いてる時」がある。
つまり、
周囲からの意見が聞ける状態の時と、聞けない状態の時。
人間って、そんなに強くないから、
いつでも「開いてる時」ではないと、私は思っている。
だから、
キムタケさんには、どうか
「開いてる時」にゴーログをやって頂ければ・・・
と思うんですが。
(って、上手い事まとめたつもり(笑))


あと、蛇足ですが、
私のブログでも「過剰な糾弾傾向への異議」は
ずっと唱え続けていました。
でも、
それは「隗より始めよ」で、
自分から率先してやるべきだと私は思っています。
周りに「自分に対して大目に見てね」
と言うための論理では、
説得力が無いと思っているんです。
木村さんにも、是非そうして欲しいなぁ。
自分がそうして行ったのなら、
自然と周りも「寛容な態度」で
接してくれるようになりますよ♪
posted by めたか at 00:20| Comment(5) | TrackBack(4) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

一番美しい言葉

もう眠いけど、あと一つ、今日中に書いておきたいって思って。
(というか、前の記事を一番上にして一日置きたくないってだけ・・・)

珍しく映画の話。
って言っても、映画館で見たんじゃなくて、
深夜にテレビで放映してたのを観たんですが
「毎日が夏休み」
確か、佐野史郎と、サッカー奥選手の奥さんが主演だった映画です。

内容は、詳しくはレンタルでもして観て下さい。
リストラ(じゃなく左遷だったっけ?)された父親と
登校拒否の娘の物語だったんですが・・・

この映画で
「なんて美しい言葉なんでしょう」
って、主人公を有頂天にさせた言葉が

君が必要だ

だったんです。

私、思ったんですよ、
「君が/あなたが、必要です」って、一番美しい言葉じゃないかなって。
だって、
誰かに必要とされる事って、
スゴく嬉しい事だし、
力づけてくれる・勇気づけてくれる事だから。
誰かが自分を、必要としてくれるってだけで、
きっと、自分一人の場合の、何倍も頑張れるって思います。


###
本当は、この言葉に寄せて書きたい事があったんですが、
それは又の機会にします。
ただ
私の思う、「一番美しい言葉」って
これじゃないかなって・・・
posted by めたか at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月05日

スポーツビジネスで儲かるのはメディアミックス

祝! ホリエモン、ベストジーニスト(笑)
いや、どーでも良いんですけどね。

いや、真面目な話ですが。
未だにライブドアや楽天に対して
(特にライブドアに対して)
「売名行為」だとか「2、3年で球団を手放す」とか
言ってる人たちが結構いますので、
それに対する反論を、少し変わった態度からしてみます。


楽天・ライブドアはどういう企業か



まず、楽天・ライブドアがどういう企業なのか、
を確認しましょう。
というのは、この両企業を「単なるネットベンチャー」と捉えて
「IT企業が遊びで球界に手を出してる」
みたく言っている人が、いますので。
いや、
確かにこの2社はIT企業、ネットベンチャーですが、
でも、別の捉え方もできるんです。
って事を上手く説明している記事がありましたので、
そちらを紹介しましょう。

Googleと楽天・ライブドアを比較することに意味はあるか?
Amazon、Yahoo!、eBayと楽天は何が違うのか
(「梅田望夫・英語で読むITトレンド」より。
 ミーハーなんでTB打っていますけど気にしないで下さい)

簡単に言えば
この2社は
「ネットを主たる舞台とした生活密着型サービス産業」
なんだって事です。

話をもっと分かりやすくするために、
梅田さんも例に挙げていたセブンイレブンで考えてみましょう。
セブンイレブンは、より良いサービスを提供するために、
高いIT技術を持っていて使っている、
その「技術力」は、IT企業と言って良いくらいかもしれません。
しかし、
セブンイレブンは「ITを売ってる」のではなく、
あくまで「サービス」を売ってる訳、ですよねー。

楽天やライブドアについても、
技術がITというより、よりネットワークの方に因っていて、
舞台もネットが主なんですけど、
「技術」を売るというより、「サービス」を売る、
生活密着型サービス産業の系譜に連ねる会社だって
そういう分析です。

そう考えると、
この両社がプロ野球に参入する事は、
ごく自然な判断だって捉えられる
梅田さんはそう結んでいます。


読売はなぜ球界で力を発揮できたのか?



さて、次は別の角度から考えてみます。
読売って、なんであんなに偉そうなんでしょうね、
プロ野球の世界で。
いや、そりゃぁ、そうでしょう、
お金持ってるから、ですよねー。

じゃあ、
なんで読売はそんなにお金を持っているんでしょう。
読売だけ、あんなにお金を湯水のように費やして
しかも、黒字なんですもんね。

それは、「テレビの放映権料」があるから、でしょう。
でもそれじゃぁ、
なんでTBSは横浜で同じ事、やらないんでしょう?

それは、
「横浜戦でやっても視聴率が取れないから」
つまり、
「横浜に全国区の人気がない」って事、
それはつまり、
巨人には全国区の人気があるから、
(最近は陰りがあるにせよ・・・)
で、それは、
巨人戦が今までずっと全国放送されていたから・・・
その積み重ねによって、ですよね。
「全国放送をする事で人気が出て、
 それによって、より、放映する旨味が出る」
という好循環によって、
「巨人にお金がたくさん入ってくる仕組み」ができた
(で、その「遺産」を食いつぶしてるのが渡辺恒雄氏
 ってのが私の分析なんですが、それはまた。)

こういう仕組みを
「メディアミックス」って言うんですよね。

つまり、
「読売が野球界でこれだけ力を持っている」事は、
「スポーツビジネスで儲かるのはメディアミックス」
って事を示しているって言えるのではないでしょうか。

で、
これからの「メディア」といえば、何と言ってもネットでしょう。
だから、
楽天やライブドアは、
インターネットで「メディアミックス」の手法をやろう、
それで野球で儲けようって事を、
考えているって推測できる訳ですね!

(実際にライブドアの人間が近い事を言ってるのが、
 これなんですよね。)

もちろん、
こういう話とは別に、楽天やライブドアが
球界に参入して良い企業なのか、
野球の未来を託すべき企業なのかって事は、
ちゃんと見定めないといけない、って事は思います。
また、
ちゃんと球団経営を行う能力があるかって事も、
判断しないといけません。
メディアミックスをやろうったって、
すぐに儲けが出せるようになるのは難しいでしょうから、
それまで耐えれる体力があるか、も疑問でしょう。

だけど、
「何十年も、何十億もの赤字を垂れ流す球団」
という前提で、
「無理だ」って言うのは、いい加減やめませんか?
って思います。


最後にニュースを。
キーナート氏、楽天GMに就任
正直、楽天絡みのニュースでは、
個人的には不愉快なものが多かったんですけど、
これはいいニュースだと思います。
キーナート氏、良いチョイスなのではないかな。
財界の大物を集めるより、よっぽど説得力がある人事でしょう。

楽天に対して、
「ライブドア潰しの、現オーナー達の手先」
的な捉え方が良くされていますよね。
まあ、真実は分からないですけど、
でも、この記事で考察してきた事から、
楽天だって、メディアミックスを利用した球団経営の旨味を
分かってるって思うんです。
だから、
「さっさと撤退」みたいな、世論をわざわざ敵に回す事は、
考えてないって思うんです。
逆に
今のオーナー側に貸しを作って参入したんだから、
良いようにさせてもらおう、くらいの
したたかな気持ちでいるんじゃないでしょうか。

まあ、
球界以外の動きとかを見ていると、
ライブドアの方が発想力はありそうかなって感じはあるんで、
(報道機関ライブドアってのはびっくりしましたし)
できれば両方に参入して欲しいなって思います。
広瀬さんは
「両方に、三つ指付いてでも参入してもらうべきだ」
って言っていましたし。
だから、
片方、切られたとしても、
諦めないで欲しいなって思っています。
posted by めたか at 23:24| Comment(3) | TrackBack(1) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月17日

そして誰もいなくなった・・・

プロ野球、ストなんですね。
今、飲みから帰ってきたばかりなんで、
詳細は知らないし、読む気もしません。
(せっかくいい気分なのにって事で。)
まあストは、「そうだろうなぁ」だったので、
ストじゃなかった方が驚いていたと思います。

で、
詳細がわからないストの話は良くて、
まずは単なる小ネタです。

今、ライブドアと楽天が参入を表明していますよね。
ライブドアが仙台、楽天が神戸って事で。
それに対して
「選手がいないじゃないか」という事を、
機構側は言っております。
でも、それについては
「合併両球団のプロテクト漏れ選手を獲得」
という事で、
優遇すれば良いんではないかって話が、
機構側以外の、世間一般から言われていますよね。

それで、
選手会の今の「勝ち取るべき成果」が、
(この両者の来期からの参入は当然として)
「合併球団の選手たちに自由を」
って事でしょう。
つまり、
新球団に行きたいって選手はいけるようにしようよ
って話で。

そして、
元バファローズの選手がみんな希望して、
新球団に入ってしまえば、
「別の形としてバファローズが存続したようなもの」
は作れるんじゃないかって事なんですけど。

でも。

参入球団は2つあるのねー。
で、
楽天の方は、神戸でやるって言っている。
合併球団は、神戸と大阪両方で、中途半端だ。
BWは、震災の事もあるから、
「神戸の球団でないと意味が無いぞ」
って選手たちが考えたなら・・・

元バファローズの選手たちはみんなライブドアに、
元BWの選手たちはみんな楽天に
入ってしまう事も考えられます、よねー!

そうなると・・・・

合併新球団には、選手は・・・

そして、誰もいなくなった・・・



(スミマセン、それだけ、書きたかったんで。)
posted by めたか at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月01日

大仏さまのはなくそ、その後

今日は更新できるかどうか・・・
ってのがあるので、朝に。

前に大仏のはなくそのニュースについて
ネタにしたんですが、
そうしたら、
椋箚記さんからトラックバックが返ってきていまして、
これが面白いので、
トラックバックは、かなり古い記事に入っていて、
あまり読まれないかもって事で、
新たな記事でも紹介しようと思います。

大仏さまの鼻くそ、再考

面白いなぁって思ったのは、
「僧侶なのだから、
 対立姿勢より話し合いをしましょうよ」
って考え方ですね。
なるほどー、
確かに、
仏教ってそういう宗教なハズですもんね。

ただ、
東大寺とかは、今では
信仰の対象というより
観光資源という側面の方が強いでしょうから、
それだけに
「商標」っていう「経済活動」では、
利益が相反するし、
しかも法律が絡んでくると、
こういう対応もしょうがないのかなぁって、
それは思いますね。

それ以外では、
椋箚記さんの仰ることは、そうだなぁって思いました。
さらにリンク先の法華宗の僧侶の方の意見は、
理念としては分かるけど綺麗事だなぁって。
(だって、
 少なくとも東大寺側に話し合いをしようという
 姿勢は感じられないし・・・)

あと、
業者の肩を持てば、
これだけニュースになって話題として取り上げられた訳で、
その宣伝効果という点では勝ちでしょう。
もちろん、
この後の戦略としては、リニューアルの方が良いかも、ですが。
(大仏さまの爪の垢ってのは、どうです?)
posted by めたか at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月24日

とりあえず簡単に「メタ」について

前に書いた「偽善と偽悪」を取り上げてくれた方がいまして、
その記事の中で
「ついでにメタを説明してくれ、メタを。」とありましたので、
簡単ですが、「メタ」を説明してみようと思います。
(と言っても、
 とっても難しい概念なので、
 あまり分かりやすくできないかも。
 また、機会を改めてチャレンジするつもりですけど。)

メタって、日本語では多分
「形而上」ってなると思います。
意味としては、
「システムの外からシステムについて見る・言う・働きかける」
って感じかな。
って、分かりにくいと思うんですが・・・

一例を挙げると。
議論をしていて、
そもそものテーマではなく、
「お前の議論の仕方は間違ってる」みたいな、
「議論の方法」について論ずるようになるってのは、
「メタ議論」になります。

ウェブを見ていると、
議論の旗色が悪くなってくると
「メタ議論」の方に話をズラすって事例は
結構見ることができますよ。

もっと色んな具体例を見ると、
なんとなく分かってくると思うんですが、
今日のトコロはこんなもんで、勘弁して下さい。


でも、
偽善と偽悪」は
個人的にも気に入ってる考え方なので、
こういう反応を頂いたのは嬉しかったです。
posted by めたか at 14:51| Comment(2) | TrackBack(0) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月16日

卵は立つのだ!

えっと、今、探偵ナイトスクープを観ていたので。

卵は立つんですよ。
これ、有名な話で。私は「科学的とはどういうことか」(板倉聖宣著)という本で知ったんですが。
この本、すごく良い本なので、オススメしておきます。


しまった。慌てて記事を差し替えたら、関係ないトラックバックを送ってしまった。まあ、自分の記事だったのが不幸中の幸い(泣)
posted by めたか at 23:35| Comment(0) | TrackBack(1) | うんちく・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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