2006年08月24日

改めて言う「知性」とは「自分を見る力」である

実は、ここ数日、コレと、その続きのコレを読んでいて
「うーん・・・」って考え込んでいたんですよ。
(これについては、気が向けば書くかも。
 ってこんな事書くと、まず書かないんだけども)

(でも、誰も今更、亀田ネタなんて
 読みたかぁないでしょ?)

ただ1つ、改めて思った事。
それを改めて、しかも、ちゃんと書こうと思った。

表題で言い尽くしているんですけどね。
前にもちょっとだけ書いてたけど
改めて、それをメインに。

というのも
他人になんか色々と言うってのが
あまりにも多過ぎるって思うのね。
って、
それも前に書いてましたか。
(というか、何度何度も書いてるね。
 私、同じ事しか言ってないのねホントに)

改めて
「知性は自分を見る力だ」
というのは、ですねぇ。

知性というのが強く働いている場面として
メタ」というのを挙げる事が出来ると思います。
何かに対し「メタ的な視点」を提供するような意見は
非常に知性的に感じられる、という意味で。

でも
最も「メタ的な視点」を向けるのが難しいのは
自分自身に対して、なんですよねー。
他人に対しては、他人事については
「メタ的」に見る事は、それほど難しい事じゃないでしょう。
だって
「メタ」って「外側の視点」と言える訳で
だから
他人の事については
「他人事だ」って思ってしまえれば
それを「外の視点」から見る事は、できる。
(まぁ、「メタ」って「外からの視点」ってだけじゃ
 なんですけどもね。
 その部分に「知性」ってのが必要なんでしょうけど)

でも
自分に対しては
「外からの視点」を持つってのは
そのままじゃぁ出来ないですよね。
だって、自分は自分だから、
どうしても「中から」になっちゃう。
それを「外から」見るには
それなりに工夫とかが必要、でしょう。

そのために
自分が今まで身に付けてきた知識とかを役立てる事ができる

それが、私にとっての

「知性的」


って事じゃないかって思ってるんです。


##続きを読む
ラベル:思想
posted by めたか at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

マイナスイオン不買運動

「マイナスイオン」という言葉を初めて見たのは
確か、
銭湯の入り口に張られていたポスターでした。
当時住んでいた京都には銭湯がたくさんあって、
その入り口に銭湯を広める(?)ポスターが
張っていたんですね。
ある時期、そのようなポスターに
「銭湯にはマイナスイオンが豊富にあります」
みたいな宣伝文句が
大きな字で書かれていたんです。
「マイナスイオンって何イオン?」
ってツッコミ入れてしまった。
というより、
銭湯って何か変なものを混ぜているのかなぁって、
気持ち悪く思った事を思い出します。

それから何年か経って、
メディアには「マイナスイオンを出す商品」
が溢れるようになりました。
「滝や噴水の近くや、森の中では、
 マイナスイオンが多く
 それが人に良い影響を(癒しとか?)与えるのだ」
と言うことで、
多くの「マイナスイオンを出す商品」が売りに出され、
「マイナスイオンという概念」が
何の疑問も持たれずにあっという間に
社会に広まってしまいました。

だけど、
真っ当な科学教育を受けていた人間なら、
「マイナスイオン」というものに、
何らかの疑問は持つものだと思います。
だって、
科学的に考えれば、何から何までおかしいもん。

「マイナスイオン」という用語自体、
まずおかしいんですよね。
「マイナスの電荷を持ったイオン」
なら普通は「陰イオン」
英語では「アニオン」って言いますし。
まあ、それでも私は、
その辺りの科学用語の使い方については
うるさくは言いません。
厳密な言葉の使い方を求めるために、
普通の人を科学から遠ざけるのは
愚の骨頂だと思いますし。
普通に考えれば「マイナスイオン」は
「マイナスの電荷を持ったイオン」で
誤解の余地がないと思いますので、
それについては良いでしょう。

だけどまず、この「マイナスイオン」が
「何イオン」なのか
、は、
聞いてみたく思います。
普通、負電荷を持つイオンには
塩素イオン、炭酸イオン、水酸化イオン、
硫酸イオン、硝酸イオン、などがあり、
それぞれ性質が異なります。
そのうちの、どのイオンの事を指しているのか?
「マイナスの電荷を持っているイオン」を、
電荷という点だけで
全てを一緒くたにして論じてしまうのは、
乱暴でしょう。
それなら、いかにも有害そうな負イオン、
例えば青酸イオンなんかも
「マイナスイオンだから体に良い」でしょうかね。
そ〜んな事は、さすがにないと思うのですけど。

それから、
この「マイナスイオン」って、
水中にあるものなんでしょうか、
空中にあるものなんでしょうか。
水中にイオンがあるのは当たり前ですし、
仮に空中なら、空中にイオンなんて、
安定に存在できるものなんでしょうか?
そういう事って、
少なくとも私の科学的常識の中にはない事なんですが。
それっておかしいんですかね?

だいたい、
「マイナスイオンを発するグッズ」って、
何なんでしょう?
イオンとは、分子や原子が電荷(電子が多い)を
やりとりする事で生じるものな訳で、
「マイナスのイオン」が発生すれば、
同じ量だけ「プラスのイオン」が発生するハズ
です。
つまり「マイナスイオンだけを発し続けるモノ」
なんて原理的におかしいと思うんですが、
その辺、どうやっているんでしょうね。

その他にも、疑問点はいっぱい出せます。
「負電荷を持ったイオンがヒトに良い影響を与える」
というのは、
そのメカニズムすら見当も付きません。
まあ、ヒトの体なんて
まだまだ分からないことだらけですから、
「未知なるメカニズム」はあり得るんでしょうけど、
だけど、この「効果」って、
どれだけ科学的な検証がなされているものなんでしょう?
科学的検証と言っても、
「マイナスイオンが
 いったい何イオンを指しているのか」
その実体が確定しないと意味を持たないし、
「効果の測り方」だって、
明確な指標があるものなのか、と考えると
非常に難しいだろうな、と思うのです。

(だから、
 今、学校の理科でイオンを教えている人は大変だろうな、
 と思います。
 変な誤解が広まっちゃってる訳で、
 それを払拭するのに労力を使わないといけない。
 って、実は最近、義務教育から
 イオンの項目って無くなったそうですね。
 マイナスイオンの広まりには、
 そんな所に原因があるのかも・・・)



だけど・・続きを読む
posted by めたか at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

[at]北京五輪の中止を要求しましょう

中国の「暴動」に対して、
日本でも、相当に中国に対する感情が悪化しているように思います。
まぁ、それは、しょうがない話だとは思います、けども、
私が一番懸念するのは、
その「悪感情」を、中国の人たち個人へ向ける事、
なんですよねー。
中国政府にいくら怒っても良いと、私は思うんですが、
中国の個々の人たちってのは、
ああいう「独裁政権」の、ある意味被害者とも言える訳で・・・

加えて、
「中国に対して断固たる態度で」とか言っても
あまり意味はないかなって事も思うんですよね。
付き合いを切る訳にはいかないですし、
日本のやれる事は、元々限られているでしょ。
日本と中国は、もはや経済的には常用なパートナーですし、
下手な事をすれば日本の経済に悪影響を与えかねない。

という訳で、
日本の私人である私たちがやれる「仕返し」って
筋論的に言って、正当性があるのって、
表題に書いた「北京五輪の中止要求」くらいじゃないのかな。
これだったら、
別に「日本の経済」には関係ないし、
筋論的に言っても
「こんな形の『外国人排斥』がまかり通る国で
 五輪を開いて大丈夫なの?」
って意味で、間違っても居ないでしょうし、
他国にも説得力はあるでしょう。

あと、
これを政府が言うとイヤらしくなりますけど、
民間の私たちがいくら言っても
別に「中国政府」が何か言える訳でもない。
民間の日本国民が、
世論を盛り上げたり、外国に訴えたり
(IOCなんかに直接メールしたりとか、
 できるかもしれないですね。)

だから、
私の主張は次のようになります。
「今回の事での『反中国』の動きについては
 全て『五輪中止要求』に集約させよう」
って事です。
それ以外の、下手な影響を与える事より、
こうするのが最も効果的じゃないですか?
(もちろん
 ODAというものもありますけど、
 これって日本の対中国の「切り札」ですから、
 こんな程度の問題に切るのはもったいないと思うし。)
「五輪中止要求」以外の、
例えば中国領事館に嫌がらせするとかは、
はっきり言って「利敵行為」をする「非国民」と
非難して、差し支えないと思います。

「ドキュン」に対しては
感情的に反応するのではなく、
知恵を働かさないと。


関連リンク
2005-04-13 先日向かいの部屋の
今回の「主張」には関係はありませんが、
この問題を考える上で、是非読んで欲しいブログです。


TB先
[ゴーログ]日本は護るべきスタンダードを持っているのか?


追記
この「中止要求」の目的は、
北京五輪を本当に中止させる事ではなく、
あくまで、中国に今のような馬鹿げた「反日運動」を
やめさせる事です。
そのこと、間違えのないようにと思います。
posted by めたか at 07:08| Comment(4) | TrackBack(3) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月08日

頑張れ! 中村紀洋

ファイティー君、とりあえず今年一年間のみ残留が決定だそうです。
ファイティー 今季限りの存続が決定
私は何もできませんでしたが、
とりあえず、球団はファンの人たちに
ちゃんと人間として向き合った決定をしたって事に、
少しほっとしています。
去年の騒動で何が悲しかったかって、
球団がファンに全く向き合わなかった事だった訳で、
今回のファイティー君のニュースを聞いた時に、
その時の悔しさとか寂しさとかが蘇ってきて、
日ハムファンでもないのに腹立たしく思っていたので・・・
日ハムって、
石原春輝君の件などから
一番ちゃんと「ファンに人間として向き合ってる」って
感じさせる球団だっただけに、
始めは「日ハム、お前もか?!」って感じてしまって。
そうでないってなった事も、ほっとしている原因ですけど。


それで、
今日はまた、別の事を。
この話題もかなり、遅ればせなんですが・・・
中村紀洋選手、マイナー(アメリカ)に残留する事
決意しましたね。
私は、中村選手がどんな結論を出そうが
応援するつもりでしたが、
でも、メジャーでいてまえ打線を見せつけて欲しいという
ファンとしての欲もあったので、
頑張って欲しいなって思います。

ただ、
始め、マイナー落ちのニュースの際に、
中村選手が日本復帰も検討すると言った事に、
多くの強い批判がありました。
もう、リンクは貼りませんけども、
「腐ってやがる」なんて事まで書いてる人も居て
(私は忘れないからね! その発言)
悲しかった。
ノリのファンとして、この批判に対しては、
ちゃんと反論しておこうと思います。


はっきり言いましょう。
あそこでノリを強く批判できる人間って、
必死で戦っている人間の気持ちの分からない、
他人との比較でしか物の考えられない人なんだと思う。
ノリがどんな気持ちでこの1ヶ月戦ってきたか、
それを慮れば、強く批判なんて
できないって思うんですよ。

結果を見れば、
はっきり言って、ノリは「ノーチャンス」だったって
言えるでしょう。
ドジャーズの内野で開幕メジャーに残ったのは
メジャー契約(マイナーに落とせない契約)の人間ばかりで、
つまり始めからノリの枠は、いくら打とうがなかったって
事みたいでしたから。
だから、
まずは「ノリが理不尽に感じるのは当然の話だ」
って事は、理解できるって思うんです。

もちろん、
ノリだって馬鹿じゃないですから、
自分の置かれている立場は、充分に承知はしていたでしょう。
でも、もし彼が
「だから、いくら打とうが開幕メジャーはない」
って思っていたら、必死に頑張れなかったと思うんです。

それでなくても、
ノリには不利な条件が重なっていました。
契約条件もそうですし、待遇も良くはなかった、
しかも、ピザの関係で出遅れざるを得なかった
(これはノリの責任ではなかったでしょう!)
そんな中で、慣れないメジャーの環境で
しかもボールも違う、ストライクゾーンも違う、
ピッチャーのクセも全然違う
(だいたい、知らないピッチャーばかりってのも有るし)
日本からメジャーに行った野手は
みんな苦労した条件の中で、(除:イチロー)
なんとか及第点と言える結果を残してきた訳です。

こういう状況だった訳ですから
「頑張っても無駄だろうけど、やるだけやってみるか」
みたいな中途半端な気持ちでは頑張れなかったと思う。
「状況は不利でも、自分のバットで結果を残して
 状況をこじ開けてみせる」
そう本気で思って、言い聞かせて頑張ってきたんだと思う。
周りからみれば不可能と思える事でも、
彼自身は決して諦めずに最後まで戦う、
それがノリなんです。
(そうやって成し遂げたのが2001年のリーグ優勝!)
それだけ本気で思ってやってきていたからこそ、
「結局それは無駄だったんだ」
って結果を、すぐには受け入れられなかったんでしょう。
「納得いかない」って爆発してしまったのも、
中途半端ではなく、
本気で「結果で状況を覆す」と思っていた証拠じゃ
ないですか?

そんなノリの気持ちを考えたら、
私は批判なんてできないなって思う。
というか、
必死でやってきたけど報われなかった、
そんなやりきれない気持ちの経験があるのなら、
批判しようなんて思えないんじゃないでしょうか・・・


もちろん、
こんな悲哀を味わってきたのはノリだけじゃないですね。
田口選手だって、似たような事はあったと思う。
それでも愚痴をこぼさず戦い続けています。
そりゃ、田口選手は立派だと私も思う。
でもそれは、田口選手が素晴らしいってだけの話で、
田口選手のようにできないから批判されるってのは
違わないですか?
(それだったら田口選手は素晴らしくもなんともないじゃん、
 普通って事じゃん?)
みんな田口選手のように普通にできるって言うのでしょうか?

田口選手に比べると、ノリは子供だと思う。
でも、
「しょうがないなぁ、子供だよなぁ。
 まぁ気持ちは分かるけど、もっと頑張れ」
とかだったらともかく、批判されないとイケナイ話ですか?
「腐ってやがる」とまで言われないとイケナイのか?
(まぁ、こんな台詞を書ける人って、
 必死に戦う選手に対する敬意のない人間でしょうけど。)
批判できるのは、
田口選手との比較でしか物が見れない人間なんでしょう。

だいたい、
その「日本復帰も検討する」って事も、
毎日の記事だとこうなっていますよ。

>中村は
>「成績を残してきたつもり。
> 大リーグは実力の世界ではないのか。納得がいかない。
> (日本復帰も)オファーがあれば考えたい」と話した。

(中略)

>試合後、努めて笑顔を見せた。
>「3Aに行くなら気持ち良く行きたい。
> でも、今は何が何だか分からない。
> 今日は悔しくて眠れないと思う」

要するに「納得できるかどうか」の話だって
言ってるじゃないですか?
こういう自分にとって理不尽に思える結果に、
どうしても納得できない、
それをぶちまけただけじゃないですか。

もちろん、
チーム運営って、全ての選手にとって納得できる
ってのは難しい事も多いですよね。
だから、誰かがそういう思いをしないとイケナイ場合もある。
ドジャースだって始めから
ノリに対して「ノーチャンス」ってつもりはなくて、
不動の抑えガニエの故障で投手枠を増やさざるを得なくなって
こうなってしまった訳ですし。
だから、
そういう思いをしてしまった選手の
モチベーションを下げないようにフォローするのが
マネジメントの役目でしょう。
(そして、
 翌日のノリの切り替えを見ると、
 ドジャーズはその辺はちゃんとやったんだなって思う。)


確かにノリはまだまだ、
セルフマネジメントって点ではまだまだ子供な部分もあるし、
不用意な発言も多いです。
ただ、少なくとも野球に対しては誠実に頑張る選手です。
批判するなら、そういう部分をちゃんと見て
批判して欲しいって思う。


参考:中西永輔徹底弁護
(一緒にすると申し訳ないですけども・・・)


追記
この記事、昨日のうちにだいたいは書き上げていたんですが、
今朝、公開するのを忘れていました・・・
posted by めたか at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月26日

[at]I Have a Dream(井川・上原問題総括)

アンガールズって広島ファンだったんですね。
めたかです。
(いや、ホントはこっちを貼っておく方が普通でしょうけど・・・)


ホント、前々からずっとずっと
この問題については書かないとイケナイなって
思ってはいたんです。
手帳にはこの問題についてのポイントが
汚い字で色々と書かれていますし、
色々な野球ブログでこの問題を扱ってる記事に
「頭の整理」とか称して、色々とコメントさせて頂いたり
していました。

メジャー志願者多発に想うこと

続・ジャイアンツ上原投手の移籍問題を考える??少し長めのコメント・レス

他にも、カネシゲタカシ監督の以下の文章は
参考にしていました。

メジャーを志す選手に文句が言いたい。

プロ野球を愛する者として、井川慶投手に真っ向から対立する。

「日本野球だって決してメジャーに負けていない」〜川上憲伸殿。僕はこの感謝を一生忘れません。

上原メジャー志願 「もう日本野球は、おる奴だけでがんばろうや」と思う僕

上原のポスティング問題と、選手サイン入りカード・ヤフオク転売問題の本質は同じかもしれない。


それで、
ここからは
「論点」を網羅するよりも、私がずっと考えていた事を
書いていこうと思います。
かなり独断の入った事を書いていきますので、
もっと「まとめ」的な事なら
カネシゲタカシ監督の下記記事を参考にして下さい。

上原メジャー騒動第1ラウンド終結。井川も上原もイチローも自分も、結局みんなこどもなのだろう。

まず、ですねー、
監督を含め、この問題について色々と書いておられる方々の
ご意見をある種ひっくり返してしまうような事を
書いてしまいましょう。
(もちろん後で、引き戻すのですが・・・)

私は、この問題について、
ファンの立場から選手に対して「理を説く」のは
ちょっと違うのではないか、と思っているのです。
確かに、井川選手も上原選手も、
客観的に言えば「我がまま」だと私も思う。
だけど、
ファンの立場から、選手にそうやって「説教」するのって、
違うのではないかなって思うのです。
(もっと言えば、
 球団の人間は、言うべきだとは思いますけども、
 「メディアを使って」言うべきじゃ、ないですよね。
 ・・・星野SDに対して言ってるのですよ。)

ファンが選手に対して言える事は、
「説教」とかではなく、泣き落としなんじゃないかって、
私は思っているのです。
そんなね、
ファンって、選手に対して「こうすべきだ」なんて
言える立場なんかじゃないって。
でも、
「行かないでくれ」って事は
そういう感情は、ぶつけても良いと思うんですね。
ファンが選手に対して出来る事って、
結局は、それだけじゃないのでしょうか。


でも、
この問題って、そんな簡単に割り切れる問題じゃぁ、
ないんですよね・・・


この問題が「難しい」のは
単にこの問題・選手のメジャー希望ってだけの問題じゃ
ないからだと思うんです。
そうではなく、日本のプロ野球全体の問題と
深く深く、関わっているから、ではないでしょうか。
その「日本のプロ野球全体の問題」って
去年の合併騒動でイヤでも突きつけられた訳で、
色々、ホント色々と考えさせられました。
きっと、選手の方々も、色々と考えたと思いますし、
「プロ野球の未来」のために、ストもし、
それを私たちファンも支持するって事がありましたよね。

ただ。
合併騒動や、その根底にある「プロ球団の経営問題」の陰には
「日本のプロ野球が
 メジャーの下部組織にされてしまうかもしれない」
という危機があると思う。
いや、実際にされつつあるんですよね、
選手の流出という事も、その1つですし、
「市場」としても、かなり食われてきています。
(実際、パリーグよりヤンキースの試合の方が
 テレビ放映が多かったりしますし・・・)
このままだと、日本のプロ野球がどんどんやせ細っていって
本当に「1リーグ、8チーム」とかでやらないと
いけなくなってしまうかもしれない、
ある程度、真面目に、この問題を考えた事のある人なら、
この危惧は決して冗談ではないとは思う。
(もちろん、
 「メジャーの下部」でも良いから、ローカルリーグとして
 生き残りの道を探るべきだって考え方も、
 あると思います。
 その是非についてはココでは問わず、先に進めますね。)

だから、
メジャー行きを希望する選手に対して、
「裏切り者」みたいな感情を持ってしまうのは、
こういう背景事情があるのではないでしょうか?
去年、日本の野球を良くするために、どうすれば良いか、を
いっぱい考えたんじゃないのって。
ファンと選手たち、一緒になって
闘ったんじゃないのって。
それは、なんだったの?
そう、思ってしまうのです。


いや、こんな「評論家ふうの言い方」ではなく、
もっとファンとしての生理に正直に言葉を吐きましょう。

野球ファンとして、
井川選手・上原選手の流出や、その件の言動について
どうしても認められないのは、次の1点なんです。
それは
「NPBよりメジャーが上のレベルのリーグである」という事。

この事を受け入れたとすれば、
彼らの「挑戦」を、心から応援できると思う。
もちろん、寂しい気持ちはありますよ、
でも、
好きな選手の「夢」を応援したいって気持ちもありますし、
だから、
最終的には「応援しよう」って気持ちになれるって思う。

だけど、
「日本のプロ野球よりメジャーリーグのレベルが上」って
認められないから、
認めたくないから、
だから、彼らの「挑戦」を支持できないんです。
支持してしまったなら、
「メジャーが上」って認めてしまう事になるから・・・
(この辺が、サッカーの事情との違いだと思いますよ。)
これを認めてしまったのなら、
先の
「日本のプロ野球が
 メジャーの下部組織にされてしまうかもしれない」
という危機が現実になってしまうって事も、思うんです。

そして、
実際に今なら、メジャーには負けてないって思いますよ。
その事は、これまでに実際にメジャーに行った選手たちが
示してくれたって思います。
今までにメジャーに行った選手は、日本のプロ野球のレベルが
メジャーに決して劣ってはいない、という事を示すために、
そういう気概で海を渡ったって思っています。
少なくとも私は、そういう気持ちで見送ってきました。
だから、
これからメジャーに行こうという選手自身が
「メジャーがレベルが上」と言ってしまっているのは、
とても辛いのです。
(清原選手が上原選手に
 「メジャーへ行って『たいしたことなかった』
  と言って帰ってきてほしい」
 とエールを送っていたのは、
 きっと私と同じ気持ちなんだって思う。)


ただし。
私は「日本のプロ野球のレベルはメジャーに負けていない」
って何度も言っています、けども、
それは「選手のプレーのレベル」の話であって、
それ以外の点については、まだまだ
メジャーに見習うべき事が多いって思っています。
というか、「それ以外の点」については
まだまだ、日本のプロ野球は「メジャーリーグの下」
なんですよね。
はっきり言って、ぼろ負けでしょう。
選手が気持ちよくプレーするための、
設備も、制度も、環境も、メジャーに劣っている訳で。
例えば
近鉄OB村田辰美さんは、
メジャー移籍希望の件について、こういう指摘をしているんです。
1月22日メジャーへなぜ急ぐか?
つまり、NPBとメジャーとでは、
選手の年金制度が格段に異なっているそうで、
それもメジャー流出の一因になっているのではって事ですね。

だから、
メジャーを希望する選手に「行くな」と言う事は、
こういう「制度や環境で遅れた球界に居ろ」と言う事なんだ
って事は、認識しておかないとイケナイのではって
私、思うんです。
そして、
こういう「日本の球界の悪い所」を改善していこうって
その事にファンも最大限協力していくぞって事も
セットで言わないと、説得力がないのではないかって
私、思うんです。
そうじゃないと、なんかフェアじゃないって。


だから、
私の意見をまとめると、次にようになります。
・メジャーを希望する選手をファンが引き止めるのは
 感情論であり、言ってみれば「泣き落とし」しかない
・そして、その上で、今の日本の野球界を改革する
 という夢とセットに語らないとイケナイ

で、
そう考えると、結構、高いハードルだなぁって思うんですよ。
だって、
相変わらず山積みの問題については、
残念ながら、あまり改善の兆しが見えていません。
だいたい、
最高責任者が全くやる気を持っておらず、
それなのに、その座に居座り続けて
います。
そのため、
改革のための「全体のグランドデザイン」が存在せず
全ての「改革」が小手先になってしまっていますし、
各者の利害が異なる事項を調整する手段もありません。
そして、
ファンは、その話し合いの埒外に置かれてしまっていて、
何もする事ができないでいます。


でもね・・・
ファンがここまで必死に、プロ野球の改革を考え望んだ事は
未だかつてなかったって思うんです。
今まで私たちは、ここまで真剣に
プロ野球の問題を、そして野球界の問題を
考えてこなかったって思うんです。
でも、
去年の合併騒動で、知ってしまったんですね、
このままでは、自分の応援しているチームが突然消え去る
みたいな「悲しい事」が、起きてしまいかねないって事を。
だから、
もう、ファンにとっては、こういう問題を真剣に考えないでは
いられないって思うんです。
そうじゃないと、
自分の大好きなものを、守れないかもしれないから・・・

そんなふうに思ってるだけで、大きな一歩なんですよ。
だって、
これまでファンは(一部の例外を除き)何も出来なかった
それは
何もできなかったのではなく、しなかった、んですよね?
でも今は、したいって思っている。
(だから、この企画にこれだけの人が集まってくるんだって思う。
 これはやっぱり、去年の騒動があったから、でしょう!)

それに、
私たちにはお手本も、あるんですよね。
もちろん、アメリカのメジャーリーグも良きお手本です。
でも、それだけでなく、
日本には「Jリーグ」という「お手本」だってある。
特に「ファンのあり方」という点なら、
Jリーグの方が、より参考になるって思うんです。
(もちろん、全てを真似しようって事じゃないんですよ。
 だけど、参考になる事は、
 いっぱいいっぱい、あると思う。)

確かに、メジャーの文化は素晴らしいと思う。
でも、
その「素晴らしさ」は、日本に生まれ育った私にとって
ジャストなモノではないなぁって事もあるんです。
例えば、
マネーボールは面白いとは思うけど、
でも、私の心を揺さぶるのは樽募金の話の方なんです。
「金持ちにのし上がって球団を持つ」という
アメリカンドリームな話より、
市民球団広島の話の方が、好き!
そういう「日本人である私」の価値観にあった
「日本人である私にとっての野球界」になって欲しいし、
その為に、やれる事はやりたいって思う。
メジャーやサッカーの良い点を真似ながら、
素晴らしい野球界を作ろうという「夢」を
模索していきたいって・・・


###
私には夢がある。
ジョージアの赤色の丘の上で、
かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が
同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。

表題に使ったのは、
アメリカ黒人公民権運動の指導者
マーチン・ルーサー・キング牧師の演説の一節です。
この一節になぞらえて、
井川選手・上原選手へのメッセージを書きたいと思います。


私には夢がある。
日本の野球界を、世界一の素晴らしいものにしたい、
という夢が。
私には夢がある。
その野球を通して、色々な人と笑い合える
そんな野球界にしたい、という夢が。
私には夢がある。
井川選手も上原選手も、
同じ夢を共有してもらえないでしょうか?


###
この文章は、井川選手と上原選手にメールしたいと思います。
あと、
関係ありませんが、古田選手にもトラックバックします。
この企画の事とか、色々知ってもらいたいですし。

最後に、関係ありませんが、
上原選手の胸に一番突き刺さるだろうと思うのは、
次のぼらさんのツッコミ記事です。
なめるな上原

これはすっかり盲点でした(笑)
根来コミッショナーの後任を推薦しようキャンペーン!
あの人物を挙げるとか、
発想が面白いですね。
posted by めたか at 00:03| Comment(3) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月09日

[at]眞鍋ブログこそが世の中を動かしていると思う

もう、頭ん中が「花粉症」だらけ、ですから、
ブログの名前も「花粉症と私」くらいに変えそうな勢いの
めたかです。
いやマジで、昨日も書いた通り
頭の中の8割は花粉症ですから・・・くしゅんくしゅん。
でも、
昨日は雨だったから、随分とマシでしたよ。
私、普段は雨なんて大っ嫌いなんですけど
この季節だけは、雨が少しだけ好きになりそうです(泣)

最近は私、花粉症対策の一環として
夜更かし控えよう運動実施中なので、
朝にブログ巡りする事が多いんですよぉ。
それで、
昨日の朝、眞鍋さんのブログを見て、
本当に元気が出たんですよ。
特に、
切込隊長が記者ブログを炎上させた事を喜々として自慢してる
のを読んで、ダークな気持ちになっていた所だったので、
それが、すっかり浄化された、というか・・・
ホント、読んで救われた気持ちになったんですよ。

だから、ですね、
眞鍋さんの
眞鍋が眞鍋ブログを考えた」に対して、
精一杯のエールを送ろうと思う。
というか、
「違うよ」って文章を、力一杯、書きます。
花粉症に支配された残りの2割の脳で、精一杯考えて・・・


もうね、
言いたい事は、タイトルで言い尽くしているんですよ。
眞鍋さんは
>自分のブログがここまで大きな反響を
>いただいていることに違和感を覚えることもあります。
って書いていますけど、
そして
>世の中をプラスの方向にほんの1ミリでも
>動かすことのできる熱いブログがどこかに存在していて、
>そういったブログこそ本当に評価に値する
>ブログなんだろうな、と
と書いていますけど、
違うよって。
眞鍋さんのブログこそが、
世の中を、動かしたんですよって、言いたいんです。

だって、
眞鍋さんのブログを見て
「ブログって、なんか楽しそうだな」って思った人が、
どれだけたくさん居る事かって。
もう、それだけでも
眞鍋さんのブログは、世の中を大きく動かしたんだって
私は思う訳です。


だいたい、
「世の中を動かす熱いブログ」みたいな、スゴいブログなんて
そういうものじゃないって思うんです。
今、ブログの内々の世界では
何やら「アルファーブロガー」とやらが
話題にあがっていますけども、
確かに、
面白いブログとか、色々と議論を巻き起こすブログとかは、
あると思いますけども、
でもね、
そういうブログが、「指導的な立場で牽引する」とか
そんなものじゃないって、思うんです。

例えば、
去年のプロ野球の問題での、世論の盛り上がりって、
誰か「指導者」みたいな人間って、居ました?
もちろん、
関西アレ野球ニュースとか、大きな中継点となったサイトは
いくつかあったと思います。
でも、
関アレさんトコでもカバーしきれていない所でも、
私の知る限りでも、
熱いやり取りがいくつもありましたし、
私が見ていなかった所でも、絶対にあったと思うんです。
(2chとか、私は全然見てなかったですし。
 見てなかったブログでそういう問題を扱っていて
 沢山トラックバックとかやり取りがあった事に
 後で知った事がありましたから。)
でも、
これらのブログたちって
「世の中を少しでも動かそうとした熱いブログ」
なんかじゃ、なかったんです。
そうじゃなくて、
単に野球が大好きで、
その大好きな野球が衰退してしまいそうな事態に
居ても立ってもいられなくなって、
そういう「思い」が、ネットで、ブログで繋がっていた
だけなんです。
その中から、色々な動きってのが生まれてきた・・・

その渦中に居た私には、そういう事が
リアルな実感を伴って、分かっているんです。


###
この文章は、
始めはR30さんのこの記事なんかに絡めて
もっと難しい事を書く予定だったんですよ。
実際、書きかけていましたし。
でも、
書いてるうちに
なんか、もうそんな事、どうでも良くなっちゃった。

ただ、
これだけは、言えます。
ブログって、とても楽しいものだと思うんです。
それは、
まぁ、ネット自体が「楽しいもの」なんですけども、
ブログって、これまでのネットの技術以上に
「人と人とを繋げるモノ」だと思いますから。
だから、
肩肘張らずに、楽しめば良いと思う。
眞鍋さんだって、
古田選手と予想外のやり取りになって、楽しかった、でしょ?
そういうものだって、私は思うんです。

そういうブログの
「人と人とを、これまで以上に繋げる事が出来る」
って機能が、
何か面白いモノを生み出す事がある、
そして、それが
「世の中をプラスの方向にほんの1ミリでも動かす」事も
ある・・・

そういう意味で、
ブログの楽しさを伝える眞鍋ブログって、
世の中に大きく貢献してるって、思うんです。
(そして、
 「繋げる」のではなく「拒絶する」事を
 喜々としてしてる人を
 アルファーブロガーとか言って持ち上げるって
 なんだかなぁって思う。)


えっと、
一応、最後に言っておきますけど、
私は、ネタや冗談、シャレとかは書きますけども、
お世辞や追従は絶対に書かない人間です。
なんで、
眞鍋ブログにおもねようと、この文章を書いたん訳じゃ
ないんです。
本当に、本気で思ってる事しか、
私は書かないので・・・

(あと、これはついでですが、
>もし明らかに相手の間違いだと確信しても、
>熱意を持って説得するほどの愛情をかけられない相手には
>意見しないし、
>大切に思う人には、その人なりに色々思い悩んで
>最終的にたくさんの引き出しを増やした上で
>間違いを正してほしいと思うので、
>あくまでも「自分の経験から感じること」としてしか
>話をしません。
 この部分は、スゴくまともだと思いました。
 そうですよねー?)
posted by めたか at 07:17| Comment(4) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月03日

[at]「どうして感情的にムカついてしまったのだろう?」の補足

最近のブログ人のトラブル対応は
見違える程、良いですね。
どうしちゃったの? って思うくらい・・・
(でも、良い事ですよね、それは。)
めたかです。
カテゴリ名検索も、いい感じです。

ちょっと前に書いた記事
どうして感情的にムカついてしまったのだろう?
に頂いたコメントに返事を書こうと思ったのですが、
スゴく長くなってしまいそうだったのと、
その記事自体が「誤解を招くもの」だったなぁ
と思いましたので、
その答えを新たな記事にする事で
ちょっと補足しておこうと思いました。


まず、
誤解しないで頂きたいのですが、
私は、この在日の方の会見に怒る事を
悪いと言ってる訳ではないのです。
というか、ごくごく自然な事だと思っていますし、
現に最初は、私も怒りました。
そして、
その在日の方の会見自体も「良くない事」って思っています。

ただ
私がガ島通信さんの最初の記事に反応したのは
「私は差別主義者になりました」というのが
違ってると思ったから、です。
その会見に怒ったから、と言って
「差別主義者になる」というのは間違ってる、と思ったから
もっと言えば
相手が「間違った事をしている」からと言って
自分もそれに対し「間違った事をして良い」って訳じゃない
そう考えているから、です。
(参考「辞めたくなったら辞めれば良い」)

話を蒸し返す事になってしまいますが、
ガ等通信さんの事について、
ちょっと、ここで総括させて頂きますね。
ちょうど「本論」で書きたい内容に関係しますので。

ガ島通信さんの「反応」は
差別ってモノが、どのように始まるのかって事の
重要な示唆になっている、と思いました。
前に『「差別」とは・・・』という記事を書いたのですが、
それとは別の側面で「差別」の心の端緒が
示された例ではないかなって。
(そういう例示にしてしまう事は
 非常に心苦しいのですが・・・スミマセン。)
なので、
私がガ島通信さんに望むのは、
この事を否定する事ではなく
「キレイ事」で覆い尽くす事でもなくて
(もちろん、正当化する事でもないのですが・・・)
ここから未来への何らかの「教訓」を見つけようと
して欲しいのです。
「差別」を良くない事だと考えておられるのなら、
自らに巻き起こった「差別の心」を内省し分析し、
その「差別の心」を乗り越えるためにはどうすれば良いか
そのために必要な「何か」を探して欲しいのです。
それはきっと
多くの人にとって、もの凄く意味のあるものになると
私は思うのです。


私の「どうして感情的にムカついてしまったのだろう?」も
及ばずながら、そういうモノを目指したんです。
私自身は「差別主義者になりました」のような事は
言っていませんから、
ちょっと違うとは思います。
でも、
ニュースを見た時には、同じように考えても
オカシクないくらい感情的になっちゃいましたし、
だから
ガ島通信さんの発言に「はっとした」のは
自分の目の前に自分自身が落ちかねない落とし穴が
ぱっくりと穴を開けている、と感じたからなんです。
「差別」と繋がる心っていうのかなぁ。
だから、
私のその心を、ちゃんと内省しておく必要があるって
思ったんです。

そういう前提で
どうして感情的にムカついてしまったのだろう?
を読んで頂ければ、少しは伝わるのかなぁって思います。


###
その上で、
先の記事を補足説明しておきますね。

例えば
私は非常に痩せているんですよ。
そんな私ですから
例えば「デブ」と言われたとしても、
恐らく何とも思わないです。
それは、全く「根拠のない冒涜」なんですが
それで腹を立てるって事は、ないと思います。
「不思議な事を言うなぁ」くらいしか思わないでしょう。

でも、
自分自身が思い当たっている事を悪く言われると、
怒りを感じるだろうと思う。
例えば、逆に「ガリガリ」とか言われちゃうと
傷つきますね。

それが
「当たってる所があると思ってるから」って意味です。


ただ、
「自分自身が該当しない事」でも
怒るかもしれないって例があるかなぁと思ったので、
もう少し、考察してみますね。

ちょうど、在日の方の話が発端ですので、
例として使わせて頂きますね。
私は全然、在日韓国・朝鮮人ではないんですよ。
なので
たとえ、私が「在日」って罵られたとしても、
やっぱり何とも思わないだろうなぁと思います。

だけど、
ひょっとすると、人によっては
自分は在日に該当しないのだけど
「在日」って罵られたら怒っちゃう人は、いるかもなぁ
と思ったんです。
そういう方は、なんでなんだろう、というのを想像するに、
きっと
「在日」って事に、特別なトラウマのようなモノを
抱いているのではないかなって思う訳で。
(というか、はっきり書けば
 そのうちの多くの方は「在日」に差別意識を持っている
 んじゃないかって思う。
 だから「一緒にされたくない」って思うのではって。)
それは、
私は「在日」って事なら何とも思わないんですが、
他の事なら「該当しないのに怒っちゃいそう」な事は
あるなぁと思いますし、
その場合について内省すると、そうかなって思いましたので。
(その具体例を挙げるのは、申し訳ありませんが
 ご勘弁下さいm(_._)m)

という訳で、
「根拠のない冒涜」だからって、必ずしも
腹を立てる訳じゃないって思うんです。
怒るには、他にも何か原因があるって私は思う。
ガ島通信さんトコへのコメントにも書いた通り
差別って
差別される側の問題ではなく、
差別する側の心の問題だと私は思うのです。


追記
くどいですが、
このように思う事が「悪い」って訳ではなく、
その「原因」を内省する事で、このような感情を
乗り越えて行く事ができるのではって考えているんです。
「感情」を否定するのではなく、
でも「感情」に左右されず、乗り越えて行く・・・
(そうしないと、感情に左右されたままでは
 いつまでたっても「悲劇」は終わらないと思う・・・)
その為には
この感情の「心のメカニズム」を知る事で、
感情に突き動かされそうになった時に
それを見返る事ができるって思いますので・・・
(まだ「内省」が甘いかもしれないですけどね。)


###
それから、sandmanさんに質問なんですが、

>少なくとも、金銭的リスクをなんら負うことなく、
>他人の金で先人や同僚の力を借りながら開発した成果を、
>全て自分のものであると主張するような盗人に
>言われる覚えは無い。
この部分ですが、
まず、どなたの事を指しているのでしょう?
件の都職員の方の事なのですか?
そして、
もし、そのような事実があるとして、
その事と、この判決の件についての彼女の問題発言と
何か関係があるのでしょうか?
関係がないのだとすれば、
それを勝手に関連づけるsandmanさんの行為は
私は問題あると思いますけど・・・
posted by めたか at 02:00| Comment(2) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月20日

[at]根来コミッショナーの後任を推薦しようキャンペーン!

この記事は
ゴーログの「BLOG of the Week」に投稿します!
いや、先ほど
「投稿としてのトラックバック」は普段はしない
と言った舌先も乾かぬうちに
早速投稿(笑)
いや、
この記事こそが
>「BLOG of the Week」に取り上げてもらいたいって
>思うくらい「多くの人に読んでほしい事を書いた場合」
なんです!

って記事を、以下に書きます。


###
習慣ベースボールさんで
スゴい記事を見つけてしまいました。

根来コミッショナー任期満了「ない」

これはつまり、
「根来コミッショナーが留任しているのは
 あくまで後任が決まってないからであり、
 後任さえ決まれば速やかに交代する」
って事な訳ですよね?

だったら、
速やかに後任を決めて頂きましょう!

なんで、
プロ野球ファンみんなで、
コミッショナーに相応しい人を、どんどん推薦しましょう。
「後任を探しているけど見つからない」
と言っている訳ですから、
代わりに探してあげるのです。
「見つからない」なんて言わせないように!

そして、
これを、プロ野球ファンの新たな「世論」にしていく、
ってのは、どうでしょう?
多くのファンが、より相応しい後任コミッショナーに
注目し、期待しているって事を、
そして、
その候補として、多くの「この人なら良いだろう」
という人が挙っている、という事、
これが「世論」として広まったなら、
オーナーの方々も、無視できないと思うんです。
また、
中にはご自身で立候補する人だって出てくるでしょう。
そうなると、ますます
「どうして辞めたがってる/やる気の無い根来氏を
 その人より選んでいるのか?」
って事に、なりませんか?
(でも、
 相応しくないって思う人なら、
 頑張ってブーイングしないとイケナイですけどね。)

去年、
プロ野球の問題について、ある程度、真剣に考えた方なら、
根来氏が「コミッショナーとして相応しくない」
って事は、充分に納得して頂けると思うんです。
なので、
それに賛成して頂ける方は、
どうか、この
「根来コミッショナーの後任を推薦しようキャンペーン!」
に参加して頂けませんか?
いえ、難しい事ではないんですよ、
あなたが「後任コミッショナーとして相応しいと思う人」
を、オーナーや各メディアなどに推薦して回る
って事を、大々的にしていくってだけです。
どうでしょう?
posted by めたか at 00:23| Comment(18) | TrackBack(26) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月09日

根来泰周コミッショナーの責任をちゃんとすること、全てはそれからだ!

どうも。
「議論百出系」ブログ
「at most countable」の管理人、めたかです。
いえ、そういう分類をして頂いてるトコがありまして・・・
でも、ちゃんと「百出」してるかなぁ?
あんまし議論、巻き起こってないと思いますけど^^;;

で、
それなら、一番「議論が巻き起こって欲しい事」でも
書いてみましょうか。
それは、
去年、一番力を入れていた「プロ野球の問題」についてです。

当ブログでは、
様々な角度からこの問題を取り上げていました。
ですが、
最も重要な問題としていたのが
「コミッショナーの問題」なんですね。
実際
根来コミッショナー解任要求」を提案し、
最も熱心に解任要求していたのが当ブログだったと
自負しています。

肝心の根来コミッショナーは、
選手会のストが止めれなかった事を受け
「売り言葉に買い言葉」って感じで辞任を表明しました。
それで、
みんなに「やっと辞めてくれる」と思われていたのですが、
「オーナー会議」に慰留されて
結局、うやむやのままに居座ってしまっています。

ただ、
なんとなく落ち着いてしまっているプロ野球改革ですが、
やっぱり私は、
コミッショナーの問題を、一番最初に論じないとイケナイと
今でも思っています。
去年の騒動の時に、
根来泰周コミッショナーがどういう言動をしたのか、
については、
しっかりと検討する必要があるし、
その上で、この人物が本当にコミッショナーに相応しいのか、
ちゃんと考え直す必要があると思うんです。

と言っても、
実は、この人の言動については、
もう私は語り尽くしているんです。
もう、この記事で全て言い尽くしているでしょう。

提案も大事だが運用も大事(根来泰周コミッショナー問題)

これでもう、
「この人物がコミッショナーに相応しいか」については、
充分に結論付いているって思っています。


###
何度も書いている通り、
当ブログは「何かを糾弾する事」への異議が
主要な主張の1つだったりします。
ですが、
「だから何でもなあなあにしよう」と主張している訳では
ないんですねー。
責任ある立場の言動については、
ちゃんとチェックする必要があるし、
議論だって巻き起こるべきでしょう。

コミッショナーは、
ちゃんとやるなら、プロ野球界の改革で最も重要な役職だと
私は思う。
イヤ、別に私の特別な意見じゃ、ないでしょう。
こちらの方の体験談を元とした意見を見れば、
コミッショナーという役割の重要性が理解出来ると思う。

そういう意味で、
プロ野球の改革を論じる上で、
一番最初に考えるべき問題、それが
「コミッショナー問題」だと思いますよ。
私はもう「やめろ」の一言なんですが、
そうじゃないって方も、とりあえずどうあるべきか、
議論する事は重要だと思います。

この記事は、
孤空の彼方へさんの
それでも根来氏について書かずにいられない

ピンフスポーツさんの
根来、辞めません

SEABLOGスポーツさんの
コミッショナーはあなたのものではない!
にTBします。
これらの記事も是非に目を通して下さい。
あと、
ピンフスポーツさんの記事では
落合監督「特例認めるな」井川をバッサリ
でコミッショナーについて書いてる事も必見です。
posted by めたか at 02:18| Comment(5) | TrackBack(4) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

「優しさや思いやり」があれば「100点満点」だよ

木村剛さんって、
ドンキホーテの事になると、冷静じゃなくなりますよね?
なんでなんでしょう?
めたかです。
いやね、
以前もドンキ絡みで変な庇い方してたよなって・・・


で、
これはまた、前の記事の「続き物」かなって。
というのは、
どうせなら「私が社会に対して望むこと」
ってのを、
ちゃんと明示しておこうって思いまして。

でも、
それはちょっと「教育」って事からは
離れちゃうかなって思ったので、
エントリを新しくしました。


###
私が今の社会に対して思っている事、
それは
他人への思いやりとか、優しさって事の価値が
どんどん失われてきているんじゃないかって
事なんです。

世の中、過当な競争社会って感じで、
どんどんギスギスした雰囲気になってきている。
「勝ち組」と「負け組」に分けられて、
自分が「勝ち組」になるように「負け組」にならないように、
それだけが大事になってきている。

ま、
これも大げさなんですけどね。
でも
「シャレにならなく」はなってきていると、思う。

そんな中で、
優しさとか、他人への思いやりとかは、
お人好しとか、キレイ事のように、
隅っこの方へ追いやられているって感じるんです。

私はそれに、抗って行きたいし、
そのために、一生懸命、言葉を紡いでいるんだって思う。

だって、
優しさとか思いやりのない社会なんて、
生きている価値がないって思いますから。
もし、生きていて、優しさや思いやりが感じられなくなったとしたら、
幸せなんて、感じる事は不可能だし、
生きてる意味なんて、ないって思う。
みんな
そんな世の中に、生きたいですか?

そんなの、イ・ヤ・だ!

私は、ある意味ずっと、
そんな事を言い続けてるんだって思う。
そこについては、ブレた事は、一度だってないです。


イトイさんが前に
「自分が届けてるのは一言で言えば『勇気』だ」
って言ってたんです。
なら、
私は
「自分が届けてるのは一言で言えば『優しさ』だ」
って、言いたいです。
(これは言い過ぎかな(笑))


###
だから、
「教育」って事についても、
色々と思う事はあります。
でも
本当に一番願っている事、それは

他人への思いやりのある人になってほしい

それだけだったりします。
もう、
それさえあれば、他がどれだけ劣っていたって、
100点だよって。


真面目に
「教育のカリキュラムとして願う事」
ってのは
「自分の頭でちゃんと考えられる人間になって欲しい」
とか
「1つの見方ではなく、
 様々な視点から物事を見れる人間になって欲しい」
とかだったり、します。
それは
・様々な視点や価値観が共存する社会
とか
・一人一人がちゃんと考える社会
ってのが
望んでいる社会だってのがある訳です。
でも、
本当に一番願っている事は、
「他人への思いやりあふれた社会」
なんですよねー。
ただ、
それって、教育に期待するこっちゃねーだろ(笑)
って思っていますので・・・
posted by めたか at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月14日

糾弾イヤンっ!

今、爆笑問題のススメで
「眞鍋さんはネット人気No.1アイドル」
だって(笑)
めたかです。
まぁ、そうですよねー。


それで、
太田さんのコラムを聞いて思い出したんですが、
今日(もう今日)って、忠臣蔵の討ち入りの日、だったんですねー。
で、
1年前、ホームページの「今日の一ネタ」ってトコに

「忠臣蔵って
 今だったらテロって事になっちゃうのかなぁ?」

って書いた事を思い出します。
はぁ、もう1年か。


本題行きます。
ちょい古い記事なんですが、
週末更新する気合いをなくしてたしなって事で・・・

紳助、罰金納付…女性側は引退要求、民事訴訟も示唆

紳助さんの事件に対して、
「被害者」の女性側が紳助さんに引退を迫ってる、
というニュースなんですが・・・

私は、この事件に対しては、
比較的、引いた視点で語ってきたつもりです。
どっちかを強く批判するって態度ではなく、ね。
(当ブログの該当記事
 ・気になるニュース
 ・ゆがんだ正義
 ・島田紳助・暴行事件を被害者の方から考えてみる
 ・「差別」とは・・・
 ・紳助事件の勝谷氏の対応とその周辺の論争について

でも、
このニュースに対しては、女性側の方を批判しようと思います。

女性側が、受けた被害に対して、
謝罪やら賠償やら、なんらかの「償い」を求めるのは、
それはそれで、やって頂ければ良いと思うんですよ。
ですが、
「引退」を迫るってのは、違うだろうって。

確かに、あなたは「被害」を受けたのでしょう。
それに対し、償いを求める権利は、あると思います。
でも、
それでもって、相手の「人生」を無茶苦茶にする権利まで
有していないんじゃないですか?
相手の「仕事」について、身の振り方についてまで、
口を挟む筋合いが、何故にあると言うのでしょう?

もう1つ。
紳助さんには、多くのファンが居ます。
また、
ファンとまでいかなくても、彼の芸を楽しみにしている人も
いっぱい居ます。
そういう人たちの「楽しみ」を永遠に奪いさる権利も、
あなたは持っているんでしょうか?

この女性は
「被害者である」という事を持って、
過剰な権利を振り回しているように思う。
私が始めに「被害者」とカッコで括ったのは、
ここまでやってしまうと、
もはや「被害者」とは言えないって事すら、思ってしまうから。
相手の「人間としての権利」を認めていない
そういう態度と感じます。
それじゃぁ、どっちが「加害者」なんだって?

あと、
これは、ここまで書くの、我慢してきたのですが、
紳助さんの仕事仲間の人たちが、
紳助さんを庇って言ってる事に、一々噛み付くのは
どうかと思う。
出川さんとかが
「紳助さんって、そんな無茶苦茶な事で怒る人じゃなかった」
とかって、
別にこの事件の事を言ってるのではなく、
これまでの事を言ってる訳で、
そういうのまで目くじら立てるって、
「被害者は傷ついてる」とか言って封じ込めようなんて、
言論の自由を阻害してるって思う。
だって、こんなん、名誉毀損になんて、ならないでしょ?


###
これって繰り返し書いてきてる事なんですが、
そんなに相手を、とことんまで追いつめて糾弾しようって、
その衝動って、なんなんだろう?
って思う。
そんな、さぁ。
「あなたは、間違わないの?」
って、聞きたい。
間違いは、許されないのだろうか。
取り返しは、つかないのだろうか。

そういうのって、病的だなぁって思う。

ま、
この件に限らないんですけど、ね・・・
posted by めたか at 01:51| Comment(3) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

根来泰周コミッショナーの「提案」とやらを振り返ってみる

師匠っ! 師匠っ!
はっ走らないで 下さーいっ!
・・・スミマセン。やってみたかったんです。
めたかです。

え、ちょっと前の話なんですが、
ゴーログの中の人からメールを頂きまして、

『月刊!木村剛』のトラックバック紹介コーナーに
私の記事を使わせてくれないかって話でした。
ま、当然ながら「どうぞお使い下さい」って返事したんですが、
その際「どんな事、書いた記事だっけ?」って事で、
その記事を読み直したんです。

提案も大事だが運用も大事(根来泰周コミッショナー問題)

感想としては
「あぁ、礒部の漢字が間違ってるなぁ」
くらいのものなんですが、
内容には、注目すべきものがあるぞって。

それは、ですねぇ・・・

根来コミッショナーが
「首をかけて提案」したとされる、以下の提案です。
(1)経営や経済の専門家ら7人程度で、
   新規加入球団審査委員会(仮称)を設置する
(2)オーナー会議の諮問機関として
   有識者による会議を設置する
(3)加盟料は預かり金とし、
   選手1年分の年俸合計の額とする

その時点でも、色々なツッコミはしていますけど、
どうですか、
この後、二ヶ月以上経った今、振り返ってみると・・・

「実現」したのって、3つ目、だけじゃん!

1つ目ですが、「新規加入の審査」は、
確か、巨人、西武、ロッテ、横浜の4球団が行ったんですよね。
なんですか、
「経営や経済の専門家ら7人程度の新規加入球団審査委員会」
って、どこに行ったんでしょう?
有識者会議、その後、全く何も聞こえてきませんけど・・・

しかも、
この根来泰周、未だにコミッショナーを辞めてないんですよね?
(岩隈の問題とか、色々あるのに何もしてないし)

やっぱりこやつ
「ほとぼりが冷めるまで」のポーズだったんだな、
辞意表明って。
「さっさと辞めろ」って、改めて言う必要が、ありますね。

誰か、
「根来辞めろ」バナーとか作ってくれないかなぁ。
自分で作れって。
(でも、バナーって、センスがモノを言うじゃないですかぁ。)
posted by めたか at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月04日

「差別」とは・・・

ダバディ氏が紳助さんの暴行事件について
書いてるって聞きつけて、
見に行ってみると・・・

(島田)紳助暴行事件…

うーん、なんか、話が変わってきてない?
ま、
誰もが我田引水っちゅうか、
自分の話したい、論じたい話題をしたがるものですけどねー。
差別、ですかぁ・・・
うん、また、メディアリテラシーとも関わる話、ですね。

だけど、
「差別」ってどういうものなのか、
ってのが、ちょっとあいまいなまま、話をしてるって感じました。
なんで、こういう話を。

またまた、具体的な話をし過ぎると
めぐりめぐって迷惑がかかっちゃうとイケナイので、
かなりぼかして書きますねー。

ある知り合い、市役所だったっけ、
そーゆー公的なトコに勤めていたんですが、
その人の地域って、いわゆる「非差別部落」があったんです。
で、
その人の勤務先は公的機関なんで、
「被差別部落の人を採用する枠」ってのが、あるんですねー。
知り合いの人は、その枠の人たちを
かなり嫌ってたみたいでして・・・

で、
その知り合いの人と話をしていたんですが、
ある職場の人の悪口になったんですね、
「こんな酷い人が居る」みたいな話をずぅーっと聞かされたんです。
その上で
「イヤやわー、だから部落の人って嫌いや」
って・・・

私、その時に分かったんです。
「あ、これが『差別』なんだなー」って。

つまり、
私の知り合いが、その「部落の人」の事を嫌う事自体は、
別に普通の事だと思うんですね。
人間、好き嫌いはあるし、
その「部落の人」が本当に酷い人かもしれないし。
だけど、
その「部落の人」が酷い人、嫌うような人だって事と、
その「部落の人」が、非差別部落出身である事と、
関係ない訳じゃ、ないですか。
それを、その属性に勝手に結びつけて嫌う、
・・・これが「差別」なんだなって。

例えば、
jastamomentさんが書いてる事
「たとえば父親の顔を見たくない、というのも一種の差別と言える」
ってのは、私は違うと思うんです。
それは、単に「嫌ってる」だけで。
でもね、例えば父親がある職種とかで、
「だから○○ってイヤなんだ」ってなれば、それは差別でしょう。

なんで、
えみっちいさんが差別と区別は違うって言うのも、
ちょっと違うかなって思う。
単に「蔑んで見る」ってだけじゃないと思うんで。

差別って、「偏見から生まれる」ものだと思う。
偏見じゃなく、単に事実だったら
(例えば、女性の方が一般に力は弱い、とかの話なら)
それは「区別」だって思う訳で。
でも、これが
「女性は論理的じゃない」みたいになれば、
それは「偏見」であり、それに基づいたものは
「差別」になるんだって思う。
・・・って思ったんですが、どうでしょう?

今、話題になっている
マスコミの人の横暴な行為についても、
それを「マスコミの人一般」に広げてしまうのは、
それは偏見だし、差別に繋がるのかもなぁって思います。


###
ダバティさんの書いてる事が
なんか違和感があるのは、
まず「差別」って、どういうモノなのかってのが曖昧なまま
語られてるから、じゃないかなって思うんです。
・・・詳細に分析はしていませんが、
なんか、2重構造があるように、感じています。
その辺をクリアにするために、
まずは、「差別」とか「偏見」という言葉の意味を
明確にしていく事を、始めてはどうでしょう。

ダバティさんの事を「外人だから」って目で見る人が居るのと同様、
ダバティさん自身も
「日本の芸能界は・・・」って目で何かを判断されてないでしょうか。

また、
単に「差別をなくそう」と標語的に言っているだけでは、
差別ってなくならないと思うんです。
差別をなくすためには、
まず「差別」の姿をちゃんと明らかにする事が、
重要じゃないかなぁって・・・
posted by めたか at 23:13| Comment(4) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月03日

宮内オーナーは全然わかってない! パート2

私のトコには未だに新札が来ません。
めたかです。
(何度もお金下ろしてみてるんだけど・・・)

総括シリーズ、最初は
「球界に残る癌」(苦笑)宮内オーナーを
ぼっこぼこにしましょう。

まず、
前回の宮内批判記事
反応を頂いていたのですが、
劇重で何も返せなかったので、
ここで。

宮内氏に対する「同情」については、
後で宮内氏をぼこぼこにしちゃうので、
その際に。
とりあえず、それ以外について書きますと。

メディアで争点となったかどうかはともかく、
ネット上では、多くの所で
近鉄やオリックスの「ファンに対する不誠実さ」は
問題視されていましたよ。
だから、それはまず、メディアの方の問題と言うべきでしょう。
(そういう意味もあって、
 今、メディアリテラシーの話題を突っ込んでいってるんですが。)
やっぱり、残念ながら、
メディアで取り上げられないと「世論」とはなっていきにくい、ですし。
ただ、メディアに同情的な事を言えば、
合併だけでなく、球界全体の問題に拡散した事もあって、
分かり易い「合併反対」
って事のみに、集約せざるを得なかったってのは、あるでしょう。

でも、それでも、
「オーナー達がファン不在で勝手な事をしている」
ってのが、
「オーナー達を批判する理由」として
大きかったと思います。
それは、メディア上でも。
だから
「争点化しなかった」訳でも、なかったのでは?
宮内氏にまで刃が向かなかったのは、
そこまで余裕がなかったってだけの話でしょう。

あと、
>ご本人「クソミソに貶す」と
>冒頭でおっしゃっている程には、
>優しさゆえか貶しになっていない感があります
と言って下さっていますが、
別に優しい訳じゃ、ないですよ。
ただ、
自分のスタンスとして
「誰かを一方的に悪者にしない」
(前にも何度書いています)
ったのがあるだけ、で。
自分としては、これでも最大限に批判しているつもり、なんです。


では、
材料として、マリンスポーツの風さんがアップしておられる
『週刊東洋経済』のインタビューを
ぼっこぼこにしましょう。
新規参入は迷惑。オリックス宮内会長激白

まぁ、良くもこんな暴論を
ぬけぬけと述べる事ができたものだなぁって思うんですが。
あなた、ご自身の立場、分かってるの?
って事、思っちゃうんですが、
それについては後回しにして、
とりあえず、彼の「論理」に付き合ってみますね。

まず、
最初の「たとえ」を、
無理矢理「フランチャイズ制」にしていますが、
もっと近いものが、あるでしょう、と。
他のプロスポーツリーグ、Jリーグとか、
アメリカの4大スポーツリーグとかは、どうなるの?
って言いたい。
わざわざフランチャイズに喩えなくても良いでしょう、と。
ここを、他のスポーツビジネスで考えないのが、
「すり替えの始まり」でしょう。
(だって、
 ファンが経営陣を批判する論拠として
 他のプロスポーツとの比較を使って来た訳ですから、
 宮内氏にとって、
 他のスポーツで考えるのは都合が悪いんでしょう。)

次。
1リーグ化については、良いでしょう。
「1リーグ制にして、巨人戦の分け前に
 あずかろうとしているように見えます。」
という(良くされてるだろう)批判に対して
「そうではない」と言いながら
「それが出発点だ」と言ってるトコが笑えますね。

中盤は、良いですね。
赤字、大変そうですねーってだけで。

裏金については、
に書いた事をコピペします。

>(オリックスは)全部調べさせたが、
>何万円くらいの許していただける範囲。
>私の知る限り怪しげな取引はゼロ。
・・・一応、
「一切の金品の受け取りを禁止」していたと思うのですが。
本当に「許していただける」かどうか、
「全部調べさせた」調査結果を公表されればいかかでしょうか。
率先して調査結果を公表したなら、
それは球界の改革に繋がると思いますよ。

これで言い尽くしてるでしょう。

で、後半、もう電波が入って来てるって言いたいくらいですよ。
暴言満載です!

−−三木谷社長とやり取りがあったのは事実ですか。

 そのことについて私は申し上げるべきではない。プロ野球の保護地域(本拠地の保護)は全体的のもので、お前のやっているところで俺にやらせろと言うほうがおかしい。質問の意味がわからない。

これ、読めば読む程味わいありますよ。
最後の「質問の意味がわからない」
サイコー!

次。
参入障壁批判に対して、参入を妨げる事を
「プロ野球のビジネスモデルの問題」
と正当化していますが、
それってつまり
「プロ野球全体で1つの組織」って考えるような感じでしょう。
だったら、
放映権の分配とか、
「全体のための事」だってやるべきなんです。
内部では「競争」と言っておいて、
外に対しては参入妨害して競争しないのは
理屈に合わないでしょう。
(まぁ、これは宮内氏より読売に言うべきですが。)

また、
「不透明でもいいのではないか。
 誰にも迷惑をかけていない。」
って言いますが、
かけてます。ファンが迷惑です。

つまり、
ファンにとって、新しく魅力的な球団が誕生する、
その機会を、不当に妨げてる訳です。
これが迷惑じゃなくて、何なんですか?

例えば、
音楽について、「演歌しか提供しない。」
ってなると、音楽ファンにとって迷惑でしょう。
「ロックとか、ポップスとかの参入を阻害」しておいて、ね。
宮内氏の言ってる事は、そういう事でしょう?

最後に
新規参入について「赤字なのに不思議だ」
と仰るのなら、
あなたんトコがお辞めになったらいかがですかって言いたい。
はっきり言いますが、
オリックスが球界から退場なさっても、
誰も惜しまないと思いますよ。

それは、
オリックスは球界ビジネスの失敗者だから
です!

なんかね、宮内オーナーの事を
優秀な経営者と持ち上げる人が多いんですが、
本業の事は分からないですが、
少なくとも球団経営に関して言うなら
はっきり言って、お世辞にも有能とは言い難いでしょう。

オリックスと同時に球界に参入した
ダイエーと比較してみると
オリックスの「球団経営の無能さ」が引き立ちませんか?
最初、割と順調に言ったのは、
阪急時代の遺産と、
「イチロー」という天才に巡り会えた幸運が
大きかったと言えるでしょう。
(それも、阪急時代からの遺産である
 三輪スカウトが居たから、でもあった訳で、
 その有能なスカウトも死なせてしまった・・・)
イチローが居なくなってからの惨状は、
目を覆う限りですよね。
人気面でも、実力面でも・・・

そういう「経営上の失敗者」が、
球団経営について偉そうに何か述べるって事自体、
私にとって笑止千万なんですよ。
自分トコが12球団一、失敗しているくせに、
何を言うか? って事ですよ。

私は、ダイエーに対しては同情的なんですよ。
ダイエーは、ファンを多く集めて実力も伴ってる、
大いに球界を盛り上げてる「成功例」と言えるでしょう。
そういうダイエーでも赤字だって言うのは、
それは、「球界を改革」しないといけないなぁって思う。
(まぁ、赤字の原因には色々な特殊事情はあるようですが。)
ダイエーが
「いくら頑張っても赤字体質なんだ」って言うのなら、
それで球界の高コスト体質を改善しようと言うのなら、
それは、説得力があります。
でも、
オリックスが、そんな事を言ったって
「その前に、そもそも、まともな球団にして下さいよ」
ってふうにしか、思わない。
一点の同情の余地も、ないですよ。

だから、
kazu-ctさんが宮内氏に同情的なのは、
ホント、分からないんです。
前にも「ライブドアよりオリックスの方が良い」
って書いておられたんですが、
オリックスのここまでの球団経営を見てきて、
それでも、オリックスに期待したいですか?
って思うんです。
posted by めたか at 22:27| Comment(2) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとうライブドア、これからもよろしく

残念ながら、参入ならなかったライブドアですが、
色々な事を考えるに、
野球ファンの一人として、ライブドアには感謝の言葉もありません。

考えてみれば、
私が、オリ近合併に反対しよう、
この流れに抗おうと覚悟を決めたのは、
ライブドアの買収表明があったから、なんです。
それは、
このブログの過去ログを見て頂ければ分かると思います。
(って、やたらと記事だけは多いこのブログの過去ログを
 読み直そうって人間は、私以外には居ないでしょうけど。
 ・・・自分では、読み直す事あるんですよ。)

ライブドアの姿勢に対し、疑問に思っていた事もありました。
(というか、長らく疑問は持っていました^^)
ライブドアの企業体質に不安を持ってもいました。
(トラブルの多さとか、情報公開の姿勢とか。
 ・・・しすぎるって点ですけどね。)
堀江社長のテレビ出演やスキャンダラスな話題に
ひいた事もありました。
だから、
当初の私のスタンスは
戦略的に利用しろ派だった訳で。

やっぱり、若い会社だって事もあるのかな、
野球との関わりが薄かった事もあるでしょう。
色々と軽率な面も、多々見られたなぁって思います。
堀江社長のプロレス発言とか、
TB送って下さったgiants-55さんご指摘のような事とかも。
でも、
それを言うなら、楽天だって数多くの失点があった訳で、
それでこんなにアンチを作っちゃってる訳ですからねー。
それは、お互い様どっちもどっち、でしょう。
(でも、私は一場の件については、特に問題視してますけど。
 だって、台無しですよ、球界改革が。)
だから、
私としては、ライブドアひいきについては
恩義を感じてるって事が、大きかったですねー。

あと、
何だかんだで、ライブドアに
だんだんと好感を持って来てる自分がいたりします。
稚拙だけど懸命さが伺える姿勢とか、
確かに情報管理はなってないけど、
それは逆に、変に情報を隠そうとしないという意味では良いかな、とか、
色々な事に首を突っ込む軽率さ(笑)とか、
何より、シャレが通じる社風とかに、
好感を感じてきています。
(だって、
 自分トコで「ホリエモン」なんて使ってるし、
 今日の速報だってこんなんですからねー。
 人によっては、こういうの毛嫌いする人も居るんでしょうが、
 個人的には好きです。)

って事なんで、
今回はダメでしたが、
堀江氏が今日言ってた「別の作戦を考えましたから」
ってのに、また期待しようと思います。
あと、
今のメディアリテラシー関連でも、
ライブドアと共闘する場面も出てくるかも、ですし・・・

この記事は、ライブドアへのエールって事で、
ライブドアニュースの堀江社長のコメント記事にTBします。
あと、
球界問題の総括シリーズ、
最初は「宮内オーナー問題再び」ですね。
書きそびれていた東洋経済のインタビューについて、です。
(一言で言うと
 「球団経営の失敗者が偉そうな事を言うな」
 ですけど。)
posted by めたか at 00:16| Comment(2) | TrackBack(3) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月30日

生命倫理の問題から「倫理(モラル)」について考える

「ブロガー新聞」(第4号)モラルについて考える
へのツッコミ・シリーズ、最終回です。
実は、この回への「投稿」の形でも
生命倫理の話」を書いていたんですが、
もっと「生命倫理」によった話を書いてみようって。
(それが「モラルって簡単じゃないよ」って話になるかなって。)


「脳死」は「人の死」と認めて良いか? の話



かなり前の話になるんですが、
駅前で署名活動をしている人たちが、
マイクで何かを言っていました。
ちょっと聞いてみると
「脳死は人の死と(法律で)認められた事」へ
反対しているみたいでした。

私は、脳死に対しては、
「人の死」として良いかどうか、は微妙だなぁって
思っています。
「何をもって人の死とするか」って、
非常に難しい問題で、
判断の分かれるところだなぁって。
従来の「三条件」(心臓停止、呼吸停止、瞳孔散大)
を「人の死」とするのは大丈夫でしょうけど、
脳死となると、微妙だなって。
例えば
身近な人が脳死になったとした時、
その人が死んだって思えるかっていうと
難しいだろうなぁって思いますし。

でも、
この駅前の署名活動には、
ひいてしまったんですよ。
というのは・・・

私自身は「身近な人の脳死を死と認めがたい」
と思っていますけど、
それを、他の人に押し付けようとは思ってないのね。

今ではもう、あまりニュースにはならなくなりましたけど、
脳死患者さんの中から、
提供しても良いと考えている人から、
臓器移植のために臓器を提供して移植するって事が
日本でも行えるようになりました。
それは、
「脳死」が「人の死」と法的に認められるようになったから、
できるようになった事な訳で。

「脳死を人の死と法的に認める」事に反対する人って、
こういう事にも反対してるって事だよなって。
つまり、
脳死を人の死と認め、臓器移植をしている人たちを、
法的にできなくしてしまえって話、でしょ?

それってどうなの?
って思う訳です。
つまり、
私自身は、脳死を人の死って、
心情的・感覚的に認められないって感じてはいるけど、
脳死を人の死と思って、
臓器を提供しようって人たちは、
それはそれで、素晴らしい事だって思うんですよね。
否定するつもりは、毛頭ない。
(そして、
 脳死を人の死って認めてる人も、
 認めてない人たちへ、それを押し付けてる訳じゃ、
 ないですよね?)


動物実験に対する反対運動



この話、実はあんまし書きたくないんですよねー。
結構、微妙な問題ではあるんで。
だから、さらっと書きます。
(でも、
 生命倫理の話が非常にやっかいだって事は、
 一番わかる話ではあるんで。)

日本では、まだまだマイナーですが、
欧米では、動物実験に対する反対運動って、
結構、力を持ってきているんです。

例えば、
色々な新しい薬を開発するために、
その効果を調べる意味で、
多くの動物実験を必要としています。
そのため、
多くの動物が「使われて」いる訳ですね。
それを「可哀想だ」って、
いや「動物の権利を侵害している」って言って、
やめるように働きかけている人たちがいるんですね。

簡単に書けば、
それが「動物実験反対運動」って事なんですが。

でも、
生物の研究に関わっている人間としては、
これって、困った話だなぁって思うんですね。
だって、
現状、動物実験がないと新薬って開発できないし。

まぁ、この話は、ここまでにしましょう。


他にもいっぱい、問題がある



他にも、
「生命倫理」って問題で語る事ができる話は、
いっぱい、いっぱい、あるんですよ。
もし良ければ、
私のブログの、右側の「カテゴリ」の中にある
「生命倫理」(上から15番目、下から9番目ですね。)
をクリックして頂ければ、
そのテーマで書いた記事を読む事ができますので、
読んで頂ければって思います。


この記事で言いたい事



で、
何が言いたいかって言いますと・・・

脳死の話にしても、
動物実験の話にしても、
難しいですよね。
簡単に答えの出る問題では、ないって。

私は、こういった生命倫理の問題について、
10年くらい、考え続けているんです。
それで、
付随して、倫理についても考え続けて、います。

でも、
それだけ考え続けても、
答えなんて、出ないんですよー。
難しい、やっかいな問題って感じてます。
だけど
一つ、分かった事がありまして、
それは

生命倫理のやっかいさは「倫理」のやっかいさだ

って事ですね。
倫理って事が、簡単ではないから、
生命倫理についても、簡単じゃ、なくなる。
そう、思うんです。

大西さんは
モラルに関しては複雑骨折」って言いました。
私は、思うんです、
「もっと皆、モラルについて「複雑骨折」ってなって欲しい」
って。
モラルって、実は
複雑骨折のような、「答えの出ない問題」だって思うんです。
その「やっかいさ」ってのを、
一人でも多くの人に、共有してもらいたいって願っています。
(というか、
 「一人でも多く、このやっかいな問題に巻き込んでやる」
 って感じかも(笑))
posted by めたか at 20:38| Comment(0) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月29日

タバコの問題からモラルについて考える

今回のブロガー新聞へのツッコミ
(すみませんねぇ)
の続き、であります。
今回、題材として出すのはタバコです。
タバコのマナーの問題から、モラルについて、
考察してみたいって事です。


本当にモラルは低下しているのか?



まず、
モラルの問題を話すとき、
「モラルは低下してきている」って事で話をされるんですよね。
大西さんとかもそうだし。
だけど、
私は、そんな単純な問題なのかなぁって思うんです。

例えば、
タバコのモラルって、昔はもっと酷かったって思います。
というか、
許されていたって言うべきでしょうかね。
単純に「禁煙の場所」が増えたって面も、あるとは思いますが。

私は喉が弱く、タバコの煙が非常に苦手です。
タバコの煙が原因で体調を壊す事も、度々です。
冬などは、煙を吸わされてしまうと
決まって風邪をひきました。
(今は、ビタミンCを大量に取って休めば
 ひかずに済むって発見したので大丈夫ですが)
そんな「タバコに弱い体質の人間」にとって、
最近は、随分と暮らし易くなってきたって思います。
確かに、
「禁煙の場所が増えて分煙が進んだ」事も大きいですけど、
タバコを吸う人自体に、
「吸わない人の多くにとって煙は迷惑なものなんだ」
って事が、浸透して来た事も大きいです。
(それでも、まだまだ酷い人、多いですけどね・・・)

昔は全然、気を使ってもらえなかったですよ。
それどころか、
「我慢するのが当然だ」って感じでした。
皆さん、どんな場所でも平気で吸っていましたからね。
それを嫌がる事自体が「失礼な事」とされていましたし。
(本当に煙に弱くて体調を崩すんだとしても)

こういう事例を知っている身としては、
「モラルが低下している」って言い分には、
承服しかねるものが、あるんです。
いや、
「現在のモラルの状況が良くない」ってのは、
その通りだと思います、
でも、
「昔だって、決して幸福な状態なんかじゃ、なかった」
って、思う訳で。

つまり、
「昔は、全体の価値観が一定していて
 モラルは良かった」
って事の裏に、
タバコの煙が苦手な人間のように、
「虐げられていた人」ってのが、
色々といたんじゃないかって思うんです。
例えば女性とか、弱い立場の人間が、
本当に思いやられていたのかって言うと、
大いに疑問な場面があったハズだぞって
思うんです。
(例を挙げるとセクハラとか・・・)

「価値観が多様ではなかった」
って部分の陰に、
「多様な価値観を押さえつけていた部分」
ってのは、なかっただろうか?
そういう疑問も、私にはある。
つまり
現在は、一様な価値観で押し付ける事ができなくなって、
多様な価値観が混在しているために、
(価値観が基となっている)モラルについても、
混乱した状況になっているだけだ
そう捉える事だって、できるような気もするんです。


一方の価値観でもう一方を裁くのは?



さて、
私はこのように、タバコが非常に苦手な人間ですので、
現在の状況は歓迎すべき事なんですけど、
でも一方で、
今の「嫌煙権運動」には、過剰なものがあるって指摘も、
否定できないなって思っています。
いや、
本当に迷惑なんですよ、タバコの煙。
なんで、心情的には共感できるんです、だけど、
あまりに喫煙者を悪者にし過ぎているなって。

確かに、
文句を言ってる喫煙者って、
単なるわがままって面も多いと思う。
ですけど、
それまで、その「わがままな価値観」が認められてきた
って事も、ある訳で。
それを急に否定するってのは、
「一方の価値観で別の価値観を否定する事」
じゃないかなって。
それだと、
「否定される側の価値観」にすれば、
抵抗するのはしょうがないんじゃないかって思うんです。


###
タバコを題材にモラルについて、
・昔の方が酷かったって側面

・別の価値観を否定する側面
について、述べてきました。
まぁ、この事例に関しては、
私のこの切り取り方自体が
「一方的な見方」でもあるとは思います。
でも、
モラルって事を言う際に、
なんか前提とされてしまってる事にも、
疑問を差し挟む事はできるって事は、
ご理解頂ければって思うんです。
posted by めたか at 20:09| Comment(5) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゆがんだ正義

今回のブロガー新聞
申し訳ないんですが、ちょっと「あれー?」って思ってしまいました。
私の記事も取り上げて頂いて光栄なんですけど、
どういう意図で取り上げているのか、
ちょっと量りかねるっつうか・・・

まあ、それは良いんですが、
早速入っているツッコミの中の

>えみっちぃさんの言葉を借りれば、モラルってのは、
>「善悪の判断は手前のモノサシじゃなく、
> 世間一般的なモノサシで測れよ」ってことですよ。
>という意図で用いられるので、つまり、
>「手前のモノサシじゃなく、世間一般的なモノサシで測れといいつつ、
> その世間一般的なモノサシってのは結局手前のモノサシでしかない」
>という、なんつうか、一人でボケとツッコミを兼任するような
>とんでもないことになっちゃってるんじゃないでしょうか。

って部分に、共感するんです。
なんっちゅうんかなぁ、
そんな「当たり前の価値観」ってのが、あるのかなぁ
って事で。

という訳で、
その系統の「ツッコミ」を、いくつかしてみようと思うんです。
まずは、時事ネタにちょうど良い話がありましたので。

島田紳助さん:「100%僕が悪い」と謝罪 10日間謹慎

この中の
>紳助さんは会見で、
>「僕の中のゆがんだ正義で手を上げてしまったが、
> 僕が完全に間違っていました」と頭を下げた。

の「ゆがんだ正義」って言葉に
スポットライトを当ててみようって思います。
(この事件については、
 別に思うところはあるんですが・・・)

まず、
朝日の記事によると、
紳助さんは、この女性を
>吉本興業の取締役を呼び捨てしたことなど
>発言や言葉遣いに「無礼な人」と思った
そうなんですね。
それで、注意しようと思って、そこからかっとなって
って事だそうですが・・・

一方、
女性の方の言い分では
>女性社員は社内の人間だったため、
>取締役をへりくだって呼び捨てにしたという。
だそうです。

双方の言い分をちゃんと聞いてないので、
少し危険ではありますが・・・
現状の報道だけから判断するなら、

紳助さんの持っていたモラルと、
この女性のモラルが、かなり異なっていて、
紳助さんのモラルによって女性を注意しようとして
起こってしまった事件

のように思えます。
(もちろん、
 「その後の対応」うんぬんでも
 色々と言う事はあるとは思います、けど、
 とりあえずは、「暴力を振るってしまった」ってトコまでの話で。)

こういう事って、
世の中に、結構多いように思うんです。

色々なブログの感想を見て回ると、
どっちかというと、紳助さんの方のモラルによって、
女性を批判している意見が多いようです。
だけど、
どちらのモラルが「正しい」のかって、
簡単に決めることのできる事じゃ、ないって思うんです。

それを、
一方的なモラルによって、異なるモラルを「裁こう」とする
それは、
紳助さんの言うように
「ゆがんだ正義」なんじゃないかって
私は思うんです。


なんかね、
「世間一般のモノサシ」って言葉からは、
その「一般のモノサシ」とは異なったモラルを持つ人を、
裁くような側面が感じられるんです。
だけど、
その「一般のモノサシ」って、本当に当たり前の事なのか、
正しい事なのか?
って事に、疑問を持つ姿勢は、保ち続けていたいと思うんですよ。

それが
「ゆがんだ正義」に陥らないために重要な事じゃないかって、
そんな事を、思いました、です。


本題と関係ない追記
吉本の木村さんって、何年か前に退社していますよね。
いや、急に思い出したんで。
だから「社内の人間だから呼び捨てにした」
って言い分、ちょっと変じゃないかなって。
退社した人間まで、呼び捨てに、するのかなぁ・・・
posted by めたか at 09:38| Comment(8) | TrackBack(6) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月26日

モラルとエシックス(倫理)??生命倫理への導入のために

他人の感情論を批判する人は、
自分自身が感情論に陥ってしまっている事に気づかないって事、
往々にしてありますよね。
めたかです。
まぁこれは、自戒も込めて言っているんですけど・・・


さて、
ブロガー新聞トラックバックテーマ
「モラル」ですので、
ついでに我田引水させて頂こうかなって。

モラルってのを辞書で引くと、
「道徳」と「倫理」ってのが、出てきます。
それで、
今、出ている方の話
(携帯のマナーとか・・・)は
どっちかというと「道徳」の方の話かなって思うんです。
でも、
「倫理」の方の話も、出してみようかなって思いまして。

というのも、
このブログをやる強い動機となっているテーマ
(で、実際には殆ど扱ってないテーマ)が
「生命倫理」なんです。
なんで、無理やりにでも、そっちに結び付けてみようかなって(笑)

と言っても、
「道徳」と「倫理」の違いって何かって言うと、
辞書を見ても、あまり分からないですね。
なんとなく
「道徳」の方が、日常的な事に関わりそうで、
「倫理」の方は、もっと一般的な、
いや、もっと言えば、哲学的、宗教的な意味合いがあるかもしれません。
なんで、
ここでは、それほど厳密に区別はせず

「道徳」をより抽象的にしたもの

くらいの意味でいきましょう。

で、
「生命倫理」っていう時の「倫理」には、
moralではなく、ethic 又はethics を用いるみたいなんですね。
そういう意味では、ちょっと
「モラル」からは外れるかもしれませんが、
まぁ、類義語ですので、オマケして頂くとして。

その「倫理」って、いったい何なんだろう?
簡単に書くと
・人間の言動において、何を正しいとするか、
 の判断基準であり、行動規範である
って感じになるんだと思うんですが・・・

ただ、
この「何を正しいとするかの基準」って、
人によって、また、文化によって、
随分と違いそうだなぁって思うわけで。
(って部分で、近い考え方かなぁって思ったので、
 リンクとTBします。
 「モラルの狭い伝播範囲」)



なんで、こういう事を書こうと思ったかと言いますと。

生命倫理って話をする際に、
「要するに、生命倫理って何なのさ」
って聞かれることが、結構ある訳ですね。
その「定義」を書くとすれば

生物の研究や技術に関する倫理的な問題

ってくらいになると思いますが、
でも、こう書いた時に
「それじゃぁ、倫理って何なのさ」
って、なるんですよ。

私は、
「生物の研究や技術」については、
ある程度、答えることはできると自負していますが
(もちろん、限界はありますけど)
「倫理」については、ちょっと答える自信は、ないんです。


なので、
「モラル」というテーマにおいて、
様々な具体的マナーを論じるのも良いですが、
「そもそもモラルとか倫理って、どういうものだろう?」
という事も、
問題提起してみようと思います。

参考に、
私がこのブログで書いた生命倫理の記事を
いくつかピックアップします。
倫理について考える、きっかけには、なるんじゃないでしょうか。

罪を憎んで人を憎まず
再び、生命倫理について
幸せーって、何だっけ? 何だっけ?
posted by めたか at 12:57| Comment(2) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モラルに任せるべき事、ルールで決めるべき事

ブロガー新聞トラックバックネタです。
今週の設定テーマ「モラル」について、なんですが。

モラルの話となると、
私としてはnetwindさんに出てきてもらいたいんですが、
(過去にこういう議論をしていましたので。
 あと、こういうのもあったし・・・)
休眠中みたいでして。
(元気ですかー?)

で、
どうせなんで、ブロガー新聞第3号で話題になった
携帯電話の話から、
モラルについてちょっと考えてみたいと思います。

で、
その中で紹介されていた
彰の介の証言さんの「医療現場と携帯電話」を
取り上げてみたいと思います。

とりあえず、全文を読んでいただきたいのですが、
ここでは一部を取り出します。

>現実には、携帯電話による
>こういった医療機器の誤作動で
>問題が起きたという報告が無いところを見ると、
>携帯電話が誤作動を起す確率は極めて低いのでしょう。
>しかし、私はそのデリケートさをよく知ってますから、
>携帯電話が誤作動を起こす可能性が
>0%でないのであれば、危険を冒してまで
>携帯の電源を入れておく勇気はありません。
>患者を自分の家族に置き換えてみれば、
>そんなことぐらいで死んでもらっては困るし、
>また、自分が加害者になりたくもありません。

これを読んで私が思った事なんですが。
本当に、携帯電話がそこまで有害なのだとしたら、
単なるマナーとかモラルの問題にはしないで、
ちゃんと規則として決めてしまえば良いって。
そして、
本当に携帯電話がペースメーカーに影響があるのなら、
電車の「携帯電話オフ車両」についても
「(マナーとして)お切り下さい」ではなく、
「お切り頂かない場合は車両を移って頂きます」と、
厳正な対処をすれば良いだけの話だって。

命に関わる事だとか、
そこまでいかなくても、何らかの「実害」のあることを
個人のマナーとかモラルに任せておくってのは、
無理があるんじゃないかって。
そういう事って、
ちゃんとルールとして決めておかないと
いけないんじゃないかって思うんです。

と、
こういう事を書くと
「規制の多い世の中は住みにくい」のような反論が
あるかもしれません。
でも、
「やってはいけない事」を、モラルの問題として言われるより
ルールとして決められる方が、
より「自由に振る舞える」って私は思う。
極論を言うなら、「人殺しはいけない」って事も、
モラルに委ねるべきだと思われますか?


もっとも、
私自身は、「携帯電話オフ車両」以外での携帯通話については、
ルールで決めるべきだとは考えていません。
それは、
「心臓ペースメーカー」という安全上の問題を除けば、
携帯通話に関しては「不快である」
って事にすぎない訳ですよね。
(で、
 安全上の問題を担保するために
 「携帯電話オフ車両」があると理解しています。)
そういう「快/不快」についての事は、
個人のモラルに委ねれば良いと思うんです。

つまり、
「モラル」とか「マナー」って、
「挨拶をしよう」みたいな、
「快/不快」に関わる事について、
規定するべきものだろうって思うんです。

モラルって、日本語では「道徳」になりますよね。
道徳って辞書で引くと、
「外的強制力としてではなく、
 個々人の内面的原理として働くもの」
とあります。
つまり、
道徳とは、個人の心の中の問題なんですよね。

マナーについて注意されて逆ギレする人は、
自分の心の中に立ち入られたって感じてるんじゃないかって
私は推測しています。
というか、
私自身、そう感じる部分もありますし。
人の価値観が多様になってきた現在では、
個人のモラルってのも、
多様になってきているとも言えるでしょう。

それだけに、
モラルに依って「人を裁く」ってのは、
難しい事だなぁって思う。
「携帯を使うべきでない」ってのを、
モラルの問題として言っていくのは、
困難になってきているって思うんです。

それだけに、
本当にやって困る事に関しては、
ちゃんと話し合ってルール決めしていく方が良いって
思うんですね。
その方が止めさせやすいし納得もしやすい。
(ルールが納得いかなげれば、
 ルールを変える話し合いをすれば良い、でしょう。)

ただ、
安全上の問題でもなく、実害も出ない事ならば、
「快/不快」の問題なら、
最終的には個人の問題って事にできると思うんですね。
「相手を不快にさせる事」の影響は、
個人で受ければ良い訳ですから。
(あの人、挨拶しないなぁ、とか。)
そういう事は、モラルに委ねれば良いって思うんです。


###
って事で、
あざらしサラダさんの『「問題提起」の今後ですが、』で
提示されている問題については、
私は次のように切り分けられるって考えます。

1、交通安全の問題(自転車を運転中の使用規制)
については、安全上の問題なので、
ちゃんとルール決めすべき
(これについては、
 ♪ほぼ同じ問題意識になりました。
 整理されてる事で良いと思います。)

2、周辺機器等の誤動作の問題(医療機器等に対する影響への対策)
については、
影響のある機械のある場合は、
ルールで禁止すれば良いと思います。
影響が良く分からない場合(心臓ペースメーカーなど)は、
人命に関わる事については、
ルールで「安全地帯」を作る(携帯電話オフ車両のように)
それ以外については、モラルで良いでしょう。

3、マナーの問題(電車内やホール内など大勢が集まる場所での使用への対策)
については、
基本的には個人のモラルですが、
コンサートホールの場合は、
「お金を払って音楽を聴きに来ている事への妨害」
と考えると、
実害が出ているとも言えますから、
「ルールで禁止」しても良いでしょう。
(守れない人は強制退去してもらう、
 くらいの厳格な処置をして良いと思う。
 まぁ、これは主催者の判断ですけどね。)


実は、
この「切り分け方」は万能ではないって思っています。
というのは、
「安全」のような分かり易い問題ならともかく、
それ以外の「実害」については、
あると言う人、ないと言う人、分かれる問題もあるでしょう。
(ホールの問題については、
 そうなるかもなぁって思う。)

そういう問題については、
「話し合い」しかないでしょうね。
posted by めたか at 03:09| Comment(7) | TrackBack(4) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。