ほぼ日で書いた
「
CCCDを知っていますか?」の最後に、
こう書きました。
>まず、私が今回、
>この問題についてほぼ日で取り上げたいと思ったのは、
>自分自身がCCCDの問題点について知らなかった、
>という事があるんですね。
>私だけでなく、周りに聞いてみても、
>知らない人が殆どだったんです。
>まず、その事についての危機感がありました。
>
>こういう事について、
>私たちはあまりに知らされてないぞ、と思ったんです。
>いったいマスコミやメディアは何をしているんだ?
>そういう疑問を投げかけたい、
>という事が動機として一つあります。
>
>だけど、一方で
>自分たちの方でも知ろうとしていなかった、
>というのもあるなあ、と。
>だって、今回も、ちょっと調べれば、
>色々な問題点がすぐに分かった訳ですし。
>今はインターネットがありますから、
>たいていの事は割と簡単に調べることができる訳で、
>マスコミやメディアの責任ってだけじゃいけないなって。
>最近教えていただいた話によると、
>音楽雑誌がこの問題をとりあげても
>全くといっていいほど反応がないそうなんです。
>そういう、「リスナー側の意識の低さ」も、
>反省点としてあるんですね、リスナーの一人として。
>
>だけど、やっぱりこのコンテンツを残そう、と思った
>一番大きい理由は、
>「こういう問題って、他にも私たちの周りに
> 多いんじゃないかな?」
>と考えたからなんです。
>
>つまり、
>私たちの与り知らぬところで、
>自分の関与しないままに、
>色んな事が決まっていってしまう
>そういう事って実は多いぞ、という事です。
>
>まあ、それが自分にとってあまり関係のない事だったら、
>別にかまわない訳です。
>だけど、
>音楽ファンにとっては、
>買った音源がちゃんと聴けるものかどうか、
>というのは、やっぱり大きな問題なんですね。
>だけど、このままいくと、邦楽は殆どがCCCDになって、
>普通のCDの方が珍しい、という事になりそうなんです。
>
>そういう
>「自分にも大きく関わってくる問題が、
> 自分と関係ないところで決まってしまって、
> しかもそういう事についてちゃんと知らないまま」
>という事は、他にもいっぱいあるように思うんですよ。
>社会や政治のことでもありそうですし、
>
生命倫理のコンテンツでもちょっと出てきましたね。
>「脳死が人の死か?」って事は、
>自分とは関係ないところで決まっちゃいましたし。
>そういう事たちについて
>「これで良いのだろうか?」
>って思うんです。
実は私、この文章については、
親しい人に
「これは政治についてのコンテンツだ」
って言っていたんです。
政治って、
別に国会とか政党とか、そういうのだけじゃない訳で。
広い意味で考えれば、
「これも政治でしょ?」って。
でも、
私たちって、実はこういう事、苦手なんですよね。
「私たち」って、
まれな例外を除いた多くの日本人って意味、ですよ。
こういう
「自分たちにも関わる社会的な問題」に対して、
自分の問題として考え、
主体的に働きかけていく
なんて事、なかなかできない。
でも、それで良いのか?
これこそが、
私の上記記事での最も大きな
「ラジカルな問題提起」だったんです。
でも、
話が「輸入権」となって、
本当に「政治の問題」となってしまいました(苦笑)
だけど、
今度はこーゆー問題になった事で、
「政治アレルギー」ってのが
大きな問題となってきたみたいです。
だいたい、
中心になって動いて下さった人々が
「本当なら政治になんて関わりたくなかった」
みたいな事を言っていたりするくらいですし。
批判ではないです、
そういう人々が動いていたんだって事です。
元々「政治なら任せて」みたいな人じゃなかった訳です。
だから、
今回の「運動」に距離を置いていた人には、
そーゆー「政治への苦手意識」から、って人も、
いっぱいいるように思うんです。
「いかがわしい」って目で見ている人も、
いるんじゃないかなぁ。
なんで、
今回は、そういう「政治アレルギー」について
考察したい、と思います。
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政治って、大雑把に言えば
「利害調整」だと思うんです。
全員にとって良い解決策が、いつもあるとは限らない。
あっちを立てればこっちが立たず
って場面は出てきてしまう。
そこで、どこで妥協するか、決めるのが政治。
で、
私たち日本人の感性って、
「自分の利益ばかりを声高に主張するのは行儀悪い」
ってものですよね。
だから、
政治に深く関わっている人は、
そういう「行儀悪い事をしている人」
って思っちゃうんでしょうねー。
政治団体とか、圧力団体とかも、
そういう「自分たちの利益を声高に主張する人たち」
と見なされて、敬遠されている、
政党とかも、
結局はそういう人たちと繋がってるもので、
政治家も、そういう「汚い人たち」なんだ・・・
こんな考えなんじゃ、ないでしょうか。
でも。
そうやって「利害調整の場」から逃げるって事は、
「自分の利益」を放棄するって事な訳で。
そうなると、
誰もそんな人の「利益」を代わりに守ってあげよう、
なんて人間はいない、でしょう。
そうすると、
政治的にどんどん「損をする」って事になるんですね。
ま、
「多少の損ならかまわない、甘んじて受ける」
って人もいるでしょうけどね。
そういう人が
「政治への無関心層」なんでしょう。
と言っても、
今の不景気の時代、そんな余裕はなくなってきているし、
年金とかを考えると、
そういう「損しても良い」って人の分も、
ある程度残してあげようってふうには、
ならなくなってきている時代、でしょ。
今、特に若い人が政治に無関心になってきていますね。
そういう事から、
特に若い人間が「損」をするように、
社会の仕組みができてしまっていると思う。
ね。
「利害調整の場」から逃げたなら、
損をするようになってるんですよ。
なんで、
「自分の利益ばかりを声高に主張するのは行儀悪い」
という感性は別に良いんですけど、
でも、過剰に得をしない、
損が許容範囲内になるように、
その程度には、「利害調整の場」にコミットしないといけない、
と思うんです。
まとめましょう。
「自分の利益ばかりを声高に主張するのは行儀悪い」
という「政治アレルギーの根っこ」の感情を
理解した上で、
でも、
少なくても多少の感心は持って、
見る・考えることだけはしておいて、
「許容範囲を超えた」って時に
すぐにコミットできるようにしておく、
という姿勢が大事なのではないか、
という事です。
「政治は嫌いだからなぁ」って理由だけで、
大切な場面でも後込みしてしまうのって、
もったいない! って思う。
その場合、
自分の「嫌いな理由」ってのを
深く内省してみてはいかがですか?
6月5日、追記
下のトラックバック先で、
こちらのわかりにくかったポイントをピックアップして
説明し直して下さってるので、
合わせて読んでいただければ、と思います。
(しかし漢字表記はひさしぶりだ→「目鷹」)
他の輸入権関連の記事も丹念に集めておられるので、
それも参考にして頂ければ。