2006年07月03日

たまには詩でも・・・

紫陽花の詩

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2005年12月24日

サンタさんは居ないよ

クリスマス前って事で、
デリバリ版では
サンタさんネタで盛り上がってるみたいですね。
「親や周囲が仕掛けにどれだけ苦労していたか」
って話が中心のようですが。

私の親は
始めっからサンタさんの正体をバラしていました。
「今年は○○さんトコのおばちゃんがやってくれるから、
 会ったらお礼言っとくんやで」
みたいな感じで。
ロマンも何もあったもんじゃないですね。
だから
小学校の2年か3年であった
「サンタさんは居る/居ない」の言い合いも
その意味が全くわからなかったんですよ。
「居るも居ないも、親とか誰かが
 そういう『役割』をしてくれるってだけのものでしょ?
 サンタさんって・・・」
と思っていたので。
「大抵の親が『子供の夢を壊さないように』
 頑張ってウソをついている」
って分かったのは、もっと大人になってから、でした。

***

サンタさんネタで好きなのは
「バカドリル」の「相撲の決まり手」であった
・「サンタさんは居ないよ」って教える
って決まり手です。
相手がショックを受けて負けてしまうって・・・
(高見盛あたりなら通用するかも・・・
 って失礼ですね、私。)

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2005年05月03日

そして上々颱風

あの日あなたに出会わなけりゃ
どんな夢を抱きしめよう
(上々颱風『鳥の歌』より)



少し前ですが、
ラブジョイってバンドのライブを観てきました。
ラブジョイは京都のインディーズバンドで、
それほど有名なバンドではありません。
というか、
そんなに熱心に活動しているバンドではなくて、
ライブもたまーにあるだけですし、
CDはこの前、9年ぶり2枚目のアルバムが出たばかりです。
(そんなバンドですが、
 メンバーは蒼々たる人たちが揃っています。
 例えば、
 ベースは伝説のレゲエ・ダブバンド『ミュートビート』
 のベースだった松永孝義さんです・・・)

このバンドは、一度観ておきたいって
ずっと思っていました。
それは、ある雑誌のインタビューで
「上々颱風の「人の肩を抱くような」音楽に出会い
 志をともにしたくずっと思っている」
と語っていたから。
この人が、上々颱風というバンドに何を観たのか
それを確認したいって、思っていたんです。


###
上々颱風って、独特なバンドです。
それは、色々な意味において独特なんですが、
特に特徴的なのは、その活動形態です。

上々颱風が主にライブをやるのは、
コンサートホールとかではありません。
いや、コンサートホールとかでもやるんですが、
それよりも、地方の公民館だったり、
伝統的な芝居小屋とか、神社仏閣とか、闘牛場とか、
駅でのイベントだったり、
そんな「変」なイベントばかり、なんです。
・・・こう書いてると
売れないバンドとか芸人さんとかもやってそうですが、
上々颱風は、「敢えて」これをやってる感じ、なんです。
(だって、一応はホールで出来るバンドですからね。)

そして、
上々颱風というバンドも、
そんな「変なイベント」を喜んでやってるようなんです。
だって、ちゃんとした「コンサートホール」よりも、
地方のイベントなんかのコンサートの方が
ずっとライブの出来が良いんですもん。
(だから、その事を知ってるファンは
 地方まで「追いかけて行く」事になる・・・)

上々颱風は
なんで、こんな「活動」を続けているんでしょう。


###
上々颱風主義』という本があります。
上々颱風の特徴的な活動についてのレポが中心の本ですが、
この本のタイトルが注目なんです。

そう、この本の著者は、
こういう上々颱風のやり方は「思想」である
(「○○主義」のような)と言っているんです。
要するに、
ちゃんとした「思想」でもって、こういう活動をしているんだ
って。

この本の内容を見ていきましょう。
この本では、バンドのメンバーよりも、
上々颱風のコンサートを主催する人とかスタッフ
「地方で上々颱風を呼ぶ人」などにスポットを当てています。
それは
そういう人たちを描く事で、より「上々颱風のやり方」が
浮かび出るだろう、という著者の狙いなんですね。

上々颱風というバンドが
こういう人たちとの「繋がり」というのを
最重視しているようなバンドなんです。
「ホールコンサート」でのライブよりも
こんなイベントの方が楽しそうだったりするのも、
それが現れてると思う。
もちろん、
全く「商売っ気がない」訳じゃないでしょう、
でも、「お金よりも大事なものがある」って事なんでしょう。
お金は欲しい、でも、
そのためだけに音楽をやってるんじゃない、
自分を一番、楽しませるのは、面白がらせるのは
「お金」よりも、そんな人たちとの交流、
そこで「出逢う」人たちの笑顔なんだ・・・

そういう考え方が「上々颱風主義」だって事だと思う。
(だって、とても「売れようとしていない」ように
 見えるんだもん、このバンド・・・)


そんな考え方が端的に現れているのが
ビートルズの曲をカバーした『Let it be』でしょう。
ビートルズの『Let it be』は
「世界はそのままで良い」と言うような
言わば「悟り」のような曲だったと思う。
対して
上々颱風の『Let it be』はコミュニケーションの曲だ。
目の前の「あなた」に対し
「あなたはそのままで良いよ」と言って
そっと手を差し出すのです。
上々颱風はずっと、
あちこちのイベントで、そういう「コミュニケーション」を
してきたんだと思う。


多分、
ラブジョイのbikkeさんが言っていた
「上々颱風の「人の肩を抱くような」音楽に出会い
 志をともにしたくずっと思っている」
ってのは、
上々颱風のそういう音楽を、そういう姿勢を
指しているんだと思う。
それは、
この前観た、ラブジョイのライブでも
感じた事です。
音楽性は全く異なっていて、
「ハードコアバンドをバックに従えたフォーク」
って感じだったんですけどね。


多分
上々颱風は、こういう事を伝えたくて
特徴的な活動を行っているんでしょう。
特徴的な音を奏でているんでしょう。
(音については、また別の「考察」があるんですけどね。)


###
私自身の考え方とか思想とかも、
このバンドに大きな影響を受けてるって思います。
このバンドにイカれてしまった事で、
私自身の考え方も、大きく変わったような気もします。

私の「思想」は
「資本主義」でも「社会主義」でも「共産主義」でもない。
でも
「上々颱風主義」ってのは、
一番近いかもしれないなって思います。


上々颱風に関しては、
多分、その気になればブログ一月ほど更新できるくらいは
色々と書けるんですけどね。
また、折に触れて何か書く事はあるかもと思います。
posted by めたか at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もっと大きい自分になろう

スミマセン、急に思い立って
一昨日・昨日と四国香川に行っていました。
明日からの3連休、用事がありますので、
遠出できるのはこの2日だけだったんです。なので。
レポはまた、書きますね。移転先で。
(って、実はもう書いているんですが・・・)


いよいよブログ人ともお別れです。
今日、移転のための作業として、
移転先のブログを整備していました。
あとは、こちらに総括の記事を書いて移転です。

一年間、ブログをやってみて良く分かったのは、
自分の器量というものです。
実は、このブログのアクセスって、
最初は順調に伸びて行ったんですが、
途中から殆ど横ばいなんです。
もちろん、日によって、
話題とか、人気サイトからのアクセスなどによって
変動はありますけど、
大まかに見れば、そんなに変わってないんです。
(もっとも、年明け前からアクセス解析を外したので、
 その後のアクセスは分からないんですけど・・・)
多分、話題なんかは移り変わっていますから、
読者もそれなりには入れ替わってると思います、けど、
数としては、マックスはこの程度なんだなって。

それで思ったのは、
「これが自分の『器』って事なんだろうな」
って。

こんな事を書くのは何なんですが、
私、自分のブログの内容については自信を持っています。
だけど、
「私」という人間に関しては、自信ないんですよねぇ・・・
私が考えている意見とか思想なんかは
多くの人に知ってもらいたいと思うんですけども、
私という人間自身は、多くの人に見られちゃ困るな、
見てもらうような代物ではないなって思う。
だってねぇ、
器、小さいですもん。全然、器量がない。
許容範囲も狭いし、人間としての度量もない。
ケツの穴小さい人間ですしね。
感情のコントロールも上手くできない。
なんか、
もし、このブログを読んで私の事を「良い人」だなんて
勘違いしている人が居たなら、
それははっきりと「誤解だ」と申し上げたい。
と言いますのは・・・

私がブログを立ち上げる時に
(というか、本当は、その少し前にHPを立ち上げる際)
いくつか自分自身にルールを課したんです。
その1つは
・自分自身の「精神の調子が悪い」時はブログをやらない
というものです。
自分の精神状態が悪い時に、何か発信しても
経験上ロクな事はないのですよね。
自分の中で処理すべき、自分の鬱憤をぶちまけてしまったり、
とにかく、受け手に意味のない不快感を
起こさせてしまいがちなんです。
そうすると
ちゃんと伝えたい事も伝わらなくなってしまうと思うから。
(たまに「感情」をぶちまけてるように見える時もあります
 けど、それは一応ちゃんと考えて
 「一旦フィルターを通した」感情にしていますよ。
 「表現して意味のある感情」を出すようにしていますし。)
なので、
ちゃんとコントロールできない時は、
ブログをしないしコメントも控えるようにしています。
たまにコメントの返事が遅れる時は、
精神状態が優れないから、という理由の場合もあるんです。
ブログは見ていても
「ゴメンナサイ、今、ちょっと返事できる精神状況じゃない」
って感じで。
そうやって
「自分の欠点や弱点」を出さないようにして、
ブログをやっているから、だと思うんです。
(そう、だから、騙されてるんですよ(苦笑)
 モニターにもの凄い悪態ついてる時もありますから・・・)

でも、
そうやっていても、「その人間の器量」ってのは、
やっぱり、どこかしこかに現れるものなんでしょうね。
多分、今のアクセス数ってのが、
私の「器量」を表しているんでしょう。
いや、その時々に取り上げる話題とか、
ブログの「調子」とかで増減はあるでしょうけど、
マックスってのは、だいたいこれくらいなんだなって・・・

もちろん、
このブログにも、もっともっと改善点はあると思う。
だけど、
それよりも、多くの人に自分の考えを伝えようと思うなら、
まずは、私という人間が、
もっと成長する必要が、あるんじゃないかって・・・
それが、
ブログにも現れて、もっと多くの人に
私の言葉が届くようになるんじゃないかって考えています。
(それにね、
 自分の器量にないくらいにアクセスがあっても、
 自分が苦労するだけだろうって事も思いますし・・・)

私が考えている意見とか考え方とかは、
本当に多くの人に知ってもらいたいし、
多くの人に知ってもらう意味があるって自信だって、ある。
「人気ブログ」にだって内容では負けてないと思うし、
社会にも意味あるものだって自負もある。
でも、
それをちゃんと伝えるためには、
もっともっと頑張らなきゃねって・・・
私のブログを熱心に観て下さる方には
過剰にこのブログに期待して下さる方も
結構居てくださるんですが、
本当に申し訳ないんですが、今の私では力不足みたいです。
多分、期待して下さる方たちは、
私のブログの「内容」を良いと思って下さるんでしょう、
(そして、それは確かに私は自信を持っています)
だけど、
それを伝えるって意味では、
私は全然、力不足です。
そこは本当に、ゴメンナサイって。

でも。
人間って、成長するものだって思うし、
変わる事ができるんだって思う。
もちろん、
そんな簡単には人間って変わらない、変われないですよ。
でも、
本当に変わりたいって思うなら、そして、そう努力するなら
いくつになっても変わる事は出来るって思う。
(それに、これでも私も
 昔に比べれば随分と「成長」はしてると思う。
 昔は酷かった・・・)

そして。
人間にとって
「成長」し、「進化」する事にしか
希望なんてないと思う。
だってね、人間って、こんなにも愚かで未熟な存在ですもん。
世の中には、クソみたいな事も多いし、ね。
でも、
いつまでも、このままじゃないんだって事、
成長する事ができる、進化する事ができる
そう思わないと、
未来に希望なんて見れないじゃないかって・・・

そのためには、
まず、自分が変わらないと
自分がもっと、大きな人間にならないとね。

私がこのブログでは、
他罰的な風潮に対する違和感ってのを何度も訴えてきました。
「他人どうこうよりも、まずは自分がどうするか、だろう」
ってね。
でも、私にこんな事を言う「資格」があったのかどうか・・・
って事が、最近もありましたしね。
だから、もっと自分が頑張ろうって。


なんか、読んでる人にとっては、
意味不明な記事だったかもしれませんが、
とりあえずの「総括」として
私自身にとっては書かないといけない内容でした。
あと2本、ここに記事を書きます。
posted by めたか at 02:33| Comment(2) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月28日

[at]私がmixiをやらない理由

こんちわ。
尼崎の脱線事故でさえも「ゲーム脳」のせいにしてしまえる
森教授に乾杯。
どうも、めたかです。
いやはや、スゴいですね、
ゲームをやる人かどうかに関わらず「ゲーム脳」になるんだ。
(それは「ゲーム脳」とは言わないのでは?
 森脳って言うべきって意見もありますね^^)

今日、コンビニの棚にあった雑誌の表紙に
「あぁ、これが何か話題になってる
 青木さやかのセミヌードなんだ・・・」
と思って恐る恐る近づいてみると、長谷川理恵でした。
(トホホ・・・)
って、そんな事はどうでも良くて・・・


一応、私
一年以上(一周年、知らない間に過ぎてた・・・)
ブログを続けているんですよ。
毎日ではないですが、
かなりコンスタントに記事を書き続けてきて、
もう600以上も過去記事が溜まっているんですね。
その中には、それなりに良い記事も結構ある、と思う。
だけど
昔の記事を読んでもらおうにも、600もあると
読むの、大変ですし、
読み手の興味にマッチする文章を探すのも、大変。

って事なので、
過去記事整理用のページをホームページに作ろうかと
考えていたんですが、
それ、ブログでやっちゃえって思って、
「過去記事整理のためのブログ」を作りました。

まだ、全然整理していないので、
紹介はしませんが、
移転の際にはリンクを付けるつもりです。
その辺りの事は、連休中に少しづつ作業しようかなって。
(連休はカレンダー通りなので・・・)


さて、今日のお題
mixiに気をつけろ!
私の「心の元ネタ」の一人、吉村智樹さんのブログより。

mixi って、外からはどんな感じなのか、
分からないですよね。
だから、吉村さんの書いている事への是非はともかくとして
こういう情報とか見方とかも、
「mixi を冷静に見る」事に使えるって思うんです。

ただ、
この文章を読んで、改めて思った事があります。
今日はそれを、書こうと思います。

実は、だいぶ前の事ですが、
mixi ではない、別のSNSに
誘って頂いた事があるんです。
その時、SNS について色々と調べた上で
散々迷ったんですが、
結局、断ったんですよね。

その理由は、ですね・・・

SNS って、「公開」ではない、閉じた世界ですよね。
今、自分がやりたい事は、
そういう所で発信する事じゃないって。
あくまで「公開の場」で、「言論」をやりたいんだって。
だから、
「閉じた世界」に時間を使ってる場合じゃないって
思ったんです。
だから、せっかくのお誘いだったんですが、
申し訳ないですけど断らさせて頂いたんです。

実は、何度かちょこちょこ書いていますけど、
私は以前、メーリングリストにハマり込んだ事がありまして。
もうねぇ、ホントにハマっていて、
ML(メーリングリストって、こう略すんです。)が
楽しくって仕方がなかった。

吉村さんの上記記事を読んで
なんで、既視感を感じたんですよー。
昔ハマり込んでいたMLみたいだなぁって。

私もね、色々ありましたから。
MLが1つの現実でしたねー。
MLでの人間関係に一喜一憂していたし、
その中の一人と付き合ったりもありました。
人間関係の調整に疲れ果てて、
結果、MLを止めてしまったんですが・・・

って訳で、
ネット上でのクローズドな空間の
楽しさとか喜びとかしんどさとか、
ある程度経験させてもらったってのがあるんですよね。
(ま、mixi とMLでは違う部分はあるでしょうけど、
 近い所もいっぱいあると思うし・・・)
なので、私はそれを否定しない。
吉村さんには悪いけど
「そんな悪いものでもないよ」って事も、思うし。
(まぁそれでも、結構大変だよって事は、
 私も言っておこうと思います。)

なのですが、
mixi のようなクローズドなネットの楽しさを
否定しないのですが、
「私が今、欲しいのは、違う」なって。

やっぱりね、
私が今やりたいのは、あくまで「言論」なんですね。
ちゃんと公開の場で、
不特定多数に向けて自分の考えてきた事を
「世に問いたい」んです。
そこに、時間を使いたいって。


###
関係ありませんが、mixi で面白かった話。
mixiに偽ヒロシ出現?
mixiのヒロシはヒロシじゃない

ははは。
信じる方も信じる方だよなぁ。
mixi って結構、おめでたい人が多いのかなぁ。
posted by めたか at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月22日

歌い手が歌ってる目の前でタバコを吸うな!

今日はホントムカついたんで、これだけ更新。

小さいライブハウスで最前列で
タバコをチェーンスモーキンすれば、
ボーカルの喉に悪影響あってコンサートに支障をきたすって
なんで分からないかなぁ。
ボーカルの声が途中からホント出なくなって
「声の調子悪いなぁ、最後まで歌えるのかなぁ」
って思っていたら、
ゲストのチューニングの合間に、もの凄く遠慮がちに
「喉がこんなんでスミマセン、ご協力下さると嬉しいです。
 おタバコ、ご遠慮頂けたら、ありがたいんですが」
とお願いしていて・・・
どーやら最前列付近でチェーンで吸っていた人が
居たらしくて、
そりゃ、声も出なくなるわなぁ。
そしたらその人が
「俺はタバコを吸えないと死んでしまうんや」
って・・・(呆)
ボーカルの人、その人に必死に謝っていて・・・
それで止めたみたいで、
その後一度、後ろに来て吸っていたんですが、
灰皿持たずに来たもんだから
火を消さずに席に戻ってんの。
それじゃぁ、また煙がボーカルさんに影響するやん!

ホント、その人、何しに来たんだろ?
素晴らしい音楽を聴きに来たんじゃないのかなぁ。
最前列でタバコ吹かして歌う邪魔をする為に来たの?
ホント、わかんねぇよぉ。
確かに、このライブハウスはお酒を飲みながら聴く、
そういう所ですけども、
やっぱり、音楽を聴くってのが一番のハズで
(じゃなきゃ、後ろ行けよ!)
良い音楽を生み出せるように、少しは考えてもらいたいよ。
アンコールの時に、
ボーカルの人は再びその人に謝っていて、
ホント見ていられなかったよ。
その歌い手さんの歌声はとても魅力的で、
生で聴くのは初めてだったんですが、とても良かったのに、
中盤のボロボロになってしまったのが残念だし、
そのやり取りで、気分も害してしまいました。
はぁ。
posted by めたか at 23:24| Comment(3) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

人が死ぬことは悲しい事で・・・

今朝、あるMLで仲良くして頂いていた方の死を知りました。
仲良くと言っても、
ネット上とオフ会だけの付き合いだったんですけど。
(あるバンドのファンMLなので
 ライブがある度にオフがあるのです。)
でも、ネット友って、寂しいですよね、
死に際しても、葬儀に参加する事もできませんし。
リアルで知り合った方なら、そのツテで何かできるのですが、
私、その方のメールアドレスしか存じませんし・・・
(その方の死も、
 たまたまMLの事を知っていた同僚の方が
 MLのメンバーに知らせてくれたから
 知る事ができた訳で・・・)
でも、そういう間柄でも、
仲良くしていた友人の死は悲しい訳で・・・

今日一日、その方の事を考えていました。
最後に会ったのは、去年の10月だったな、とか、
その時はとてもお元気そうだったのに、とか・・・

別に、そうしたからどうって事でもないんですが、
私の気が済むかってだけの話ですが、
一日だけ、ブログの壁紙を替えます。
ホント、気持ちだけですけど・・・


人が死ぬ事は、悲しいことです。
でも、
人はいつか死ぬ。
生き物には寿命があるのだから、
死は避けられない・・・
それでも、どうして悲しくなるんでしょう。

今、桜の季節で。
桜って、散り際が美しいと思う。
そういう部分が、物悲しい花ですよね、桜って。
「散る」ことで、人を感動させるって
そんな存在だなって・・・
人間も、死ぬ事が決まっている存在なら、
この世を去る事で、
周りの人の心を動かしていく、
そういう事になっているのかな・・・
そんな事を、思いました。
posted by めたか at 00:38| Comment(4) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月02日

どうでもいいこと(ブログ人編)

どうでもいい歌、聴いてください。

どーでっも良いでっすよっ♪

エイプリルフール参加否決決議」とかいう
ブログ人の紛らわしいエイプリルフール記事


どーでっも良いでっすよっ♪

アイドル佐藤寛子による
初めてのデートで映画にいくならどっち? ホラー or ラブストーリー
とかいう、いかにも時代錯誤なぶりっ子丸出しの、質問
posted by めたか at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月28日

[at]目の前の花にさえも・・・

ちょっとバタバタしていて、
更新が滞っております。
あと、色々な所を見ていて、
なんか自分の書くべき方向性を見失いつつあって、
そういう時こそ「初心に返れ」ですよね。
なんで、こんな話を。


その日は朝から雨が降っていました。
私たちはそのとき、降りしきる雨を前に、
外に出るのをためらうかのように
出口付近でたむろっていました。
そんな中で、一人の女の子が声を上げました。
「あぁっ、あじさい!」
外にはあじさいが、色鮮やかに咲いていたんです。

その頃の私は、一人暮らしを始めたばかりで、
なんか色々とテンパっていて余裕がありませんでした。
毎日が、しんどかったです。

そんな状態だったから、
目の前に美しい花が咲いていたとしても、
目に入らなかった。
目に入ったとしても、花の美しさを楽しんだり
心を動かしたり、できなかった。

その女の子の歓声は、
私にその事を、気づかせてくれたんです。

自分自身に余裕がないと
目の前の花にさえも、心を動かす事ができないんだ。


###
最近の話で言うなら、
特に、「人権擁護法案」についてのあれこれを読んでいると
自分の言うべき事とか、
分からなくなってきちゃったんですね。
(この件に関しては、こちらのブログは必読だと思います、
 けど、少し難しいな。)
まぁ、こういう件についての自分なりのスタンスってのは
実はちゃんとあって、
だから、書こうとする方向性とかは分かるんですけど、
でもねぇ、
この件って、あっちこっちに「落とし穴」があるみたいで、
その「理論武装」のため色々と調べたりとかしているうちに、
なんかこんがらかってきてしまって、ですね。
「そんなわざわざ、ややこしい所に突っ込んでいかなくても」
みたく思えてきたりもして。
ちょっと自分のアクティビティー自体が落ちていますね。
(色々と忙しい事もあるし、
 勉強するための時間がなかなか取れない事もあり・・・)

でもね。
1つ、分かってる事があって。
それは、ずっと何度も何度も、何度も何度も
言い続けている事なんですけど、
表面的な事に囚われるのではなく、
その奥の、本質を見抜こうよって事なんですね。
それは
「自分にとって、本当に大切な事は何か?
 それを見失わないようにしようよ」
という事でもある訳で。

このブログの「メインテーマ」と言ってる
「学問と社会」って事も、
私は「学問は本質を見る事に『使える』ものだ」
って思うから、こだわっている訳で。
あと、
「笑い」というのも、視点の相対化って意味で、
「本質を見る事」に役立つって事もあるんですよねー。
(いやでも、笑い自身が「楽しい事」だってのも
 もちろん大きいんですけどね。)

だから、
私は、ここで紹介した女の子の歓声のような
文章を書きたいんです。
読んでいる誰かにとって、
忘れかけていた「本当に大切なもの」を思い起こさせるような
そんな事を、書いていきたいんです。

それを、忘れずにいたいなって。


###
だから、
自分の事ではないんですけど、
こういう話を知ると
なんか嬉しくなっちゃいますよね。
楽しい事を、その輪を、どんどん広げていけるような事、
そういう事に、私もかかわっていきたいなって
思いました。
posted by めたか at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月21日

コンビニ店員の礼儀がなってないとキレる柄の悪い客

不機嫌なジーン、今日で終わってくれると
キレイだったのになぁ、
私にはそっちの方が好みでした。めたかです。
今日は、地元で上々颱風のコンサートがあったんですが、
それを間際まで知らずに用を入れてしまっていました。
ガックシ・・・
その分、25周年記念の世田谷に遠征しようかなぁ・・・

さて。
今日、家に帰る前に、
もう食事所が空いていなかった事もあって、
コンビニで色々と買って帰ったのですが、
レジでおでんを入れてもらってる時に、
レジに居た客が急に店員にキレ始めました。
その内容を聞くに、どうやら店員が
「ありがとうございました」と言わなかった事にキレているらしい。
「なんだよ、その態度は」と怒って何度も繰り返し、
店員があっけにとられていると、
「商品渡す時は『ありがとうございます』だろうがっ!」
って・・・
それ聞いてすぐに、店員は「どうもスミマセンでした」
って謝っていたのですが、
「お前ら、ちゃんとバイト代受け取ってんだろーがっ!」
と何度も罵倒。
おまけに、私におでんを入れてくれている店員に対しても
「ちゃんとバイトの教育しておけよっ。
 しておいてやらないと可哀想だろうがよっ」
としつこく絡む
(その店員も明らかにバイトなんだけどなぁ、
 というか、こっちまで絡むと私に対する仕事ができなくて
 私、迷惑なんだけども・・・)
そうやって、散々文句言って出て行きました。

私は、それをただ眺めていて、
その後も何も言わずに普通にレジを済ませて出て行ったんですが、
内心は不快感でいっぱいでした。
それは、
私にも迷惑
(店員がおでんよそってる途中だったのに
 しばらく手を止めざるを得なかった、って意味で)
もありましたけど、そういうのが無くても傍で見ているだけでも、
不快だっただろうなって思う。


###
そりゃね、確かに店員の礼儀が、
なってなかったのかもしれない。
「客の権利」として、それに文句を言う権利があるのかもしれない。
ただね、
だからって、周りの客に迷惑かけたり不快にしたりするのは、
どーなのってのも1つ。
それと、
「たかがその程度の事で」ってのも、ありますね。
もっと酷い事があったなら、文句言えば良いと思うし、
むしろ言うべきだとも思う。
だけどさ、「ありがとうございました」と言わなかったくらいで・・・
(いや、一言文句言うくらいなら良いんですが。)

しかも、
店員が礼儀が悪いって事と、
この人が罵倒しまくったって事のバランスもね。
どっちの方が「酷い事」なんだって思う。
明らかにやられた事とやり返した事のバランスが取れてない。
やり返し過ぎって意味で。

あとね、
確かに「バイト店員の礼儀を正す」ってのは、
正しい事なのかもしれない。
でも、この人、全ての「礼儀がなってない店員」に対して
こうやってキレて正して回るのかなって。
そんな事は、ないよね、きっと。
だって、そんな程度に「礼儀のなってない店員」
なんていくらでも居るし
だから一々正していたら身が持たないでしょ。
(ホントに一々やっていたら、
 付近の商店で有名人になってると思う。)
きっと、たまたま虫の居所が悪かった所に、
こういう店員の態度に当たり、
キレてストレス発散したって所じゃないのかって。


でも・・・
こーゆー事、多いような気がしますねー。
ある人が悪い点があるって事を持って
一方的に「正義」を背負ったつもりになって、
何をやっても許される、みたいに振る舞う人たちって・・・
posted by めたか at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月10日

[at]『不機嫌なジーン』の雲行きが怪しい・・・

トホホ系ドラマとして、
生暖かく見守っていこうと思っていた
不機嫌なジーン』が、なんか微妙な展開を
し始めています。

まいったなぁ。
ちゃんと毎回、じっくり見てチェックする番組じゃなく、
ながらで見ながら、ほっとしよう
くらいの気持ちで見ていたのに・・・
なんか、私の「ど真ん中のテーマ」を付いてくる、とは・・・

順に、説明していきましょう。
今週の『不機嫌なジーン』で、主人公仁子が
大学の偉いさん? (陣内孝則)に
「外来魚は日本の生態系を潰さない」事を証明する研究をしろ
と言われて、
「研究者の良心として、そんな研究はできない」
と断る場面があったんですよ・・・

他にも、
オダギリジョー演じる勝田ってのが、
あの南原教授を恨んでいて、
その理由が「干潟を潰すのを支持する研究をしたから」
って感じみたいなんですよねー。
これが、物語の後半の「重要なキー」になるようなんですよ。

つまり、
この物語の「裏テーマ」が、研究倫理だった
って事なの?
って感じで、色々と考え込んでしまいまして・・・

確かにコレ、笑い話じゃないんですよねー。
そして、
実はこのブログで一番訴えたい問題が、
こういう「科学研究と社会の問題」なんですよねー。
『生命倫理』とか『研究倫理』とか・・・

一年以上前に、
マイナスイオン不買運動
という文章を書いたんですが、
それって実は、「研究者としての叫び」だったんですよね。
「こんな研究、させられたらたまんない!」っていう・・・
ホント、こういう「詐欺の片棒を担がせられるような研究」を
させられるって事、
冗談じゃないんですよねー。
企業研究者としては、上から「やれ」と言われると
断る事は、現実的には無理ですし・・・
それで、不承不承ながらやってる研究者、いっぱい居るんだろうな
って思っていますし。
(それを「解放」してあげよう、ってのが
 「マイナスイオン不買運動
 の狙いなんで・・・)


ま、今週の「不機嫌なジーン」での
「不可解な研究要請」に対しては、
こう言えば良いと思うんですけどね。

「研究はしますけど、どういう結果になるか、は、
 やってみないと分からないですよ。
 始めから結論のある『調査研究』なんて、
 その結論に合わせて『データねつ造』でもしない限り
 あり得ませんし、
 それはもう、『科学』ではありませんから・・・」
ってね。
もっとも、そういう「反論」が通用する相手じゃ、なさそうですが(苦笑)


って事で、関連話題を。
ヒトクローン:全面禁止宣言を採択 国連総会
これはねー、
アメリカが、自国では「宗教的理由」によって、
クローン研究ができないって事で、
それを他国にもさせないって「狙い」でやってる事
と私は解釈してるんですけど・・・
でも、生命倫理としては、重要な話題ですよねー。
posted by めたか at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

なんでテレビが・・・

昔は
「親の言う事なんて聞かなくて良い」
みたいなメッセージばかり発していたテレビが
最近では
「親子の絆」みたいな説教くさい事を言うようになったか?
の理由を邪推すると
・・・
・・













































消費者金融が最終的に追い込みかける先が



家族だから



じゃない?



・・・所詮、世の中、そんなもんよ・・・
posted by めたか at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月08日

[at]自分を変えられる人だけが、この世界を変えられるんです

今の頭の中の「8割」が花粉症、めたかです。
いやでも、
ちょっと花粉、収まってない?
それとも「前時代的花粉症対策」が功を奏している?
どうなんだろう?


本題に行きましょう。

これは、
金八先生第11話」において、
訪ねてきた第6シリーズの生徒・鶴本直に対しての
特別授業を元にしたものです。
この授業が本当に素晴らしいものでしたので、
ちょっと独立に記事にして、
ついでに言いたい事を言おうかなって考えです。
その回の金八先生については、
リンク先をご参照下さい。
(また、こちらのHPも参考になると思います。
 戸籍法や性同一性障害についての訂正もあります。)

###
まず、授業の場面と、その内容について描写します。

訪ねてきた鶴本直を3Bの教室に迎えた金八先生、
直から「明後日から男性ホルモンの投与が始まる」
と聞かされる。
「おめでとう」と言う金八に対する反応から、
直の不安な気持ちを感じ取った金八さんは、
直に特別の授業を開始します。

出席を、昔の3Bの生徒の名も読み上げながら、
鶴本直の所まで、順に上げていきます。
(これがね、なかなか良かったと思う。
 昔の生徒時代の気持ちに帰る、という意味で。)

で、ここからは金八節、ノンストップです。

3年前、私はこの教室で、
男女共同参画社会をテーマにして授業をやりました。
覚えていますか。
あの時私は、君にこう言いました。
君はここから一人、厳しい道を歩く事になる。
18歳になればホルモンの投与
(中略)
大変辛い手術が続くと思いますが、
でも、あなたが青年になっている頃には、
きっとこの国も、戸籍の訂正が認められる
優しい優しい国になっている。

あれから3年、世の中は大ーきく動きました。
昨年7月、戸籍法は改正され、
この国は君たちに1つ優しい国になりました。
では、何故、戸籍法は改正されたのか?
それは、直の前に、直と同じ苦しみを持つ人たちが
この世の中を変えたのです。
では、それで、この国は本当に人に優しい国になったのか?
違う、違うな。うん。
新聞を開けば、あるいはテレビを付ければ、
無力な子供たちに対する大人の虐待、
あるいは家を無くした少年少女が夜の街を彷徨い歩き、
薬物に身を染めています。
心を壊した青年は少女を誘拐し平然と殺害する、
そんな事件が相次いでいます。
それを見て「この国はもうダメだ、絶望だ、滅びるしかない」
そう嘆く人は居ます。
でも、彼らもまた、違う。違うな。
自分を変えようともせず、自分の不幸を人のせいにする
愚か者たちです。
直、君が行って、彼らに教えてあげなさい!
自分の苦しみを苦しみ抜こう!
自分の悲しみを悲しみ抜こう!
それでやっと、本当の自分になれるんだ。
直、
自分を変えられる人だけが、この世界を変えられるんです。

はい、直、出てきなさい。
出てきなさい。
はい、直は直になる為に、生まれてきたんです。
直の意味を考えましょう。
黒板にあなたの名を書いて下さい。
はい、あなたの名を、大きく書いて下さい。

はい、どうもありがとう。
はい、席に戻って下さい。
直には直と言う意味があります。
さぁ、直の意味を考えましょう。
はい、まず、この字、
読みは「なおす」あるいは「ただす」
熟語を、考えていきましょう。
まずは「正直」そして「素直」「率直」
別の意味では、はいまだありますね「直線」あるいは「直進」
では、次に、この字そのものを読み解いていきましょう。
この字はね、
目の前を壁に塞がれながら、凛々しく眉を上げ、
目を大きく見開いて、
本当の事、正しい事を見つめようとするその目の表情が、
この字になったんです。
他人が間違っていれば、それをただす。
自分がもし間違っていたら、自分をなおす。
正直で、素直で、率直な人の目の形が、
この字になったのです。
どうか、あなたは、この字のような人になって下さい。
私は、鶴本直が、好きでした。
今も、大好きです。
辛い事が、あるかもしれませんが、
あなたはずっと、鶴本直で居て下さい。

では、授業を終わります。
###

直の不安な気持ちを良く汲み取った
本当に良い授業だったなって思います。
(まぁ、もっとスゴい授業がこの後の回にあったんですが。)

後半の「直」という漢字の意味の部分は、
金八先生シリーズではお得意の「漢字の意味」を
説教に使うって奴ですね。
一番有名(というかソレしか覚えてないけど)なのが
「人という字はヒトとヒトとが両方から支え合ってる
 形を表している」
というもの。
これは、ご存知な方も多いと思います。

それより!
前半の
「自分を変えられる人だけが、この世界を変えられる」
ってのがねぇ、
もう、金八史に残る、名言なのではないか、と。
(その後の回でも、何度も出てきますしねー。
 この授業、直しか受けてないのにぃ(苦笑)
 車掌や伸太郎、
 しゅうの母親にまで「自分を変えましょう」って・・・)

ね、
この言葉、ホント、世界中の人たちに届けたいよ!
ってくらいです。

でもね、
こういう言葉を、都合良く、誰かに勝手に当てはめて、
説教に使う、というか、
誰かに「言う事を聞かせる」ために使うのって、
やっぱり、違いますよねー。
金八さんも、この後
「他人に言うだけじゃなく、自分も『自分を変えないと』」
って言って、
乙女ちゃんの彼氏を家に迎えた訳ですし(笑)

というか・・・

私が「他人に何か言うだけ」って言論が嫌いなのは、
そういう事なんですよねー。
なんちゅうか、
「それで、自分はどうするのか?」
って事が見えない言論って、
面白くないなぁって思っていますので。
大事なのは、「自分を変える事」でしょうって。

他人に対してどうこう言って
「他人を変えよう」とするよりも、
「自分を変える」って方が、早いと思いますし。
(というか、「自分で」できるのは、そっちでしょ?)

だから、
私自身も、このブログでは
「自分自身はどうするのか?」という事には
ちゃんと向き合った言葉を、出して行こうと思っています。


でもねぇ・・・
言葉って、(言葉に限らないのかもしれないけど)
自分に返ってくるものだと思うけどなぁ。
誰かに向けた言葉って
「自分はどうなんだ?」って返ってくる、
自分がタマタマできている事を他人に強要したとすれば、
その「事項」が返ってきても大丈夫かもしれないけど、
他の「自分ができない事」が、代わりに、
「タマタマそれができてる人」から
自分に向けられるかもしれない。
そういう形で「自分に戻ってくる」んだと、思うんです。

だからこそ
「自分を変える」ってのが、
「自分はどうするのか?」ってのが
大切な事だと、私、思うんですけども・・・
posted by めたか at 00:34| Comment(4) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月25日

[at]横綱審議委員会ってイヤーな感じ・・・

また、朝に慌てて書いています。
スマップの新曲って、前の曲に曲調が似てますよねー。
めたかです。

不機嫌なジーン、
視聴率低調みたいですねー。だいたい私の見るドラマって
視聴率低調なんですよ(笑)
でも、
それで「竹内結子の限界」とか言っちゃうのは
可哀想でしょう、だって、あんなドラマなんだもん。
基本的にドラマの出来がトホホなんだし・・・
(だから応援するって言ってるの!)
昨日の回も、そのトホホっぷりに輪をかけてきましたね。
良いんですよ! それが。
昔の草ナギ君みたいで・・・

あと、
団藤さんのコレは、論点を外してると思う。
(というか、論点をズラしてるのかな。
 それ「すりかえ」って言うんですよ!)
「発見があるかどうか」についても、
湯川さんの出してる論点と同じ事が言えますよ。
「今の紙メディアが『発見』のある記事を書けてる?」
ってね。
「何を『発見』と見なすか、についても、
 従来とか変わってきてるのではないか」
って仰ってる訳でね。
というか「何を『発見』と見なすか」なんて、
読者が決める事でしょう? 団藤さんが決める事じゃない。

もう1つ。
NHKの問題については、
こういう態度の人、多いと思う。
「議論」されてる方々は、意識された方が良いかなって。


で、本題行きますか。
今日はこのニュースを・・・

朝青龍の全勝優勝を評価 懸賞金の取り方には物言い

前々から思っていた事なんですが、
この大相撲の「横綱審議委員会」って、なんかイヤな感じ
だと思うんです。
いえ、
私は別に大相撲のファンじゃないし、
だから
大相撲ファンの皆さんがどう思ってらっしゃるか、
については、完全に外野なんですけどね。
なんで、
完全に「外野」から見てって話ですが・・・

別に「有識者」とかは、どうでも良い事で、
要するに「ファン」の立場の人間が、その目から
大相撲に色々な「注文をする」って場なんだと思うんですが
(ファンの声を吸い上げるってシステムかなって。)
その「ファン」の立場から言う事かって、
そーゆー事、思うんですよねー。
それって、親方連中が、ちゃんと言うべき事でしょ?
わざわざファンの声を借りて言わないとイケナイ事、
なのかなぁって。
この事も、すぐに協会が「厳重注意」とかすれば
良い話じゃないですか。

他にも、なんか、外国人横綱の、プレー以外の部分への
「苦言」とかが多いって印象があるんですけど、
それって、なんだかなぁって・・・

だから、
コレ、他山の石にしたいなって思っています。
外野の人たちからして、こんなふうに映ってはいないか、
それを意識していたいなって思うんです。

何を言いたいかって言いますと、
井川とか上原とかの「メジャー挑戦」の件に対して、
なんですが・・・
ちょっとまとまらないので、宿題って事にさせて下さい。
ただ、
この「横綱審議委員会」ってのが、
端から見ると私にはイヤな感じだなぁって事は、
表明しておこうと思うんです。
posted by めたか at 07:02| Comment(0) | TrackBack(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

[at]文章を書くのは難しくない、けど・・・

昨日今日は、ちょっと出かけていまして、
帰ってネットは見たんですが、
コメントの返事とかする前に寝ちゃいました。
今日も、駅伝がある事、すっかり忘れていて・・・
後でネットで色々と見ると、
どうやら京都が実業団のトップ選手を大人げなく集めて
勝ちにいったようで、
1区から独走で圧勝したみたいです・・・
ただ、
高校生の新谷って娘が実業団のトップクラスと
互角に走ったそうで、(1区4位)
それは観たかったなぁ。

さて、
今日はまぁ、まったりとしたネタで行きましょう。

出かけてる時に、
年末年始に帰省してる間に書こうと思っていた
「初日の出のために、そんなに早起きしなくて良い理由」
って文章を、
PC持ち出して書いていました。
文章自体は、かなり書けたんですけど、
図を入れないと理解が難しいなぁと思って、
それを書くのに時間がかかりそう・・・
でも、
まぁまぁ面白いのが出来そうです。
なんとか今月中に書き上げたいですねー。
新年ネタですから(笑)

あとは、
今、「絵文録ことのは」さんで
文章は難しいという観念を打破する必要性
ってエントリを出しておられるんですが・・・

私、実は昔は、そんなに文章って書いていなかったんですよ。
でも
「自分は文章が書ける」って、思っていました。
根拠なく。
だけど、
色々な文章を書くようになった時、
最初から、それなりの文章は書けたんです。
(今、このブログで書いてるより
 よっぽどちゃんとした文章を書いていましたよ、マジで。
 だって、ちゃんと念入りに推敲してたもん。)

文章を書く事は、
私も、難しい事じゃないと思います。
「絵文録ことのは」さんの記事で紹介している
幸田露伴の文章にあるよう
「文章は作りにくいものである」という前提観念が、
そういう苦手意識が、
文章を「難しいもの」にしちゃってるんだと思う。
だって、
私は、書きもしてない時から書けるって思っていたから、
そんな「苦手意識」なんてなかったし、
だから、最初から、それなりにちゃんとした文を
書けたんじゃないかなって思っていますもん。

ただね、
1つだけ、ただ1つだけ、
それなりにちゃんとした文を書くには必要な事が
あるかもなぁって思います。
それは「論理」です。

私は一応、大学では結構勉強した部類で、
そのお陰で、「論理」については相当鍛えられました。
多分、
「文章が書ける」って自信を持っていたのは、
「論理」について、自信を持っていたからかなって
今振り返ると、思うんです。

なんで、
今後のテーマとして
「論理」ってのに力を注いでいきたいなって思っています。
特に、数学の論理・形式論理についての解説が
まずは中心になるかなって考えてます。
だけど、
もっと包括的な、体系的なものにしていきたいので、
色々とご意見を頂けると嬉しいです。
(これも「知のインフラ整備」の一貫ですね。
 ホームページとブログ両方を使ってやってくつもりです。)

でも、その前に
上記の「新年企画」を先に仕上げないと(苦笑)

(うーん、
 全然「まったり」ネタじゃ、なかったね・・・)
posted by めたか at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月12日

辞めたくなったら辞めれば良い

昨日は寝落ちでした。
どーもスミマセン。めたかです。
大久保のデビュー、スゴいですねー!
こちらでゴールの動画が見れるそう(13日まで)なんで、
見たい方は是非に。

もう1つ雑談。
八光、それで良いのか?
ま、おめでとうございます。


さて、今日は、
ガ島通信さんの所で話題になっていた
「素晴らしき世界」さんの閉鎖の件について、
思う所を書いていこうと思います。
(というか、
 昨日書くつもりが寝落ち。)

まず、
経緯等については、
そのガ島通信の記事とそのコメント欄、
そこから派生して、
小倉弁護士の記事と
そこのmosamicさんのコメントを読んで下さい。
(順に、
 「大量のコメントが寄せられたときに
 「コメントスクラムへの対応
 特に、後の方の記事が必見だと思います。)


###
さて、
まず私が思うのは
「素晴らしき世界」さんの対応の是非と荒らし行為の是非は
切り離して論ずるべきじゃないかって事です。
というか、
いくら、マズい対応をしたからと言って、
閉鎖に追い込まれるような荒らしをされて当然、
みたいな論調には付いていけないと思う。
(もっとも、
 「素晴らしき世界」さんのされた事自体が
 大した事じゃないかどうか、の論点は、
 あるとは思います。
 ただ、良い事ではないでしょう、
 現に多くの人が「地雷踏んだかも」と
 恐る恐るこの話題を取り上げてたり、
 論評を避けてる事は、不健全だと思うし。)
なんか、
「イジメはイジメられっ子に原因がある」って意見と
共通なモノを感じるんです。
いや、確かに「イジメられっ子にも原因がある」
のでしょう、
だけど、それがイジメを肯定する理由になんてなりはしない。
いくら、その人に悪い点があるからと言って、
その相手に何をしても良いって事にならないと思う。

もっと極端な「たとえ話」を出してみましょうか。
近所で嫌われ者の一家があるとしましょう。
確かに、嫌われるだけの事はしているとします。
で、
その家が放火されて火事になった。
その時、
「嫌われる事ばっかりしているから放火されても当然だ」
と思いますか?

確かに、
嫌われるような事を、恨みを買う事をやってきたから、
放火されたりしたのかもしれません。
でも、
だからって放火して良いって事にはならないでしょう?

いや、
その一家のやってる「悪い事」については、
色々言っても良いと思いますよ。
でも、
それは、放火の事とは切り離して言うべきこと
ではありませんか?
しかも、
放火されて火事にあったばかりの人にそれを言うのは、
残酷過ぎる事だと思う。
まず言うべきは「火事のお見舞い」でしょう、普通は。
イジメについても同じだと思う。
イジメを通じて「イジメられっ子の原因」を改善する、
そのきっかけというか、教訓を得るのは良い事でしょう、
でも、
まずはイジメを止める事でしょう、
そういう「教訓」は、落ち着いた後にアドバイスしてあげる
ってのが、思い遣りある態度だと思うんですが。

だから、
「素晴らしき世界」さんの対応に対して
現状でアレコレ言う事は、
私はどうかと思うんです。
というか、今の「素晴らしき世界」さんには
何の意味もないでしょう。
もの凄く、残酷な事をしているんじゃないかって、
感じているんです。
(少なくとも、彼のされた事に同情を感じているなら、
 そういう「議論」はどうか、と思う。
 アドバイスがあるなら、
 もっと落ち着いてからしてあげれば良いと思うけど。)

もちろん、
「あんな事、大した事じゃない」って論点も、
あるとは思います。
それはそれで「強いですね」と思いますよ。
だけど、
少なくとも私は、そういう事
(大量の荒れた意見がコメントされるとか、
 実名を探して晒される、とか・・・)
はされたらイヤだと感じますし、
「意見によっては、そういう事をされても仕方ない。
 逆鱗に触れる事をしたんだから・・・」
って風潮はイヤだなぁと思っています。
それは、表明しておきましょう。


###
ただ、
ブログなんて、基本的に個人が好きでやってる事ですから、
個人の好きにやれば良いと思っています。
辞めたくなったら辞めれば良いし、
そこを無理に我慢しないとイケナイものではないでしょう。

また、
ブログって、個人が好きに「運営」すれば良いモノでも
あるでしょう。
書く内容も、自由だし、
コメントやトラックバックを、どう運営するかも自由、
その人がやりたいようにやれば良いんです。
(もちろん、自由と言っても完全に、じゃなくて、
 普通の制限はありますよ、法律犯しちゃイケナイとか、
 サービスを利用してるなら規約違反はイケナイとかね。)
だから、
コメント欄だって、その人が好きに運営すれば良いと思う。

mosamicさんが
>どんなに自分に不利なコメントがついても、
>削除するつもりはありません。
>ただの悪戯書や、自分以外への人を中傷するような
>発言に対しては削除も辞さない考えですが、
>それ自体も可能であれば残したいと思っています。
と言う態度でブログを運営されるのは
素晴らしいと思いますが、
他の人がそうしないとイケナイって訳じゃぁないと思う。
別に
「自分への反論は全て削除」って対応も、
ご自身のブログでやってる以上、別にアリでしょう。

ただ、
そういう対応をしているブログさんは、
「そういう対応をしている人の意見なんだ」と思われる、
(それで信用を失う)ってだけでしょう。
それ以上に「制裁」が必要だとは、
私は思わない、んですよねー。
(というか、
 その「制裁行為」の是非は、対応とは切り離して論じる
 ってのが、先に論じた事です。)

それに、
人間って、結構弱いものだと私は思ってるんです。
だから、
「大丈夫な時」だったらちゃんとした対応ができる人でも、
「弱ってる時」には、できない事も、あるでしょう。

だから、
そういう「非常時」に、ちゃんと対応できなかったからって、
その人を「見限る」ってふうには、
私は思いたくないんです。
いや、
自分だって、あんまし自信ないですしねー。
(だから、見限らないでね(笑))


いやでも、
「ブログなんて辞めたくなったら辞めれば良い」
って言っていますけど、
でも、
それって残念な事だなぁって事も、思うんです。
それは、
ブログやってる本人にとっても残念でしょうけど、
そのブログを楽しみにしていた読者にとっても
とても残念な事じゃないかって思うんです。

だから、
例えば、ガ島通信さんが「地雷」を踏んで
荒らしみたいになったら、
それで閉鎖とかになって欲しくないから、
自分が何をやれるか、を、真剣に考えると思う。
(やれる事なんて、そんなに無いのかもしれないですけど)
いや、
他にも楽しみにしているブログは他にもいっぱいある訳で、
そんなブログさんが、変なトラブルに巻き込まれたら
真剣に悩むと思う。
(という訳で、
 小島さんトコが変なトラブルに巻き込まれてるそうで、
 ちょっと心配しています・・・)
団藤さんトコが荒れた時、
何もできなくて申し訳ないって思ってますし。
(あの件も、
 団藤さんにも原因はあったでしょうし、
 対応も良かったとは言えないかもしれないですが、
 ああいうふうになるのはストレス大きいと思いますし。
 だから、現在のルール決めも
 「団藤さんがそう決めたのなら」って思っています。)
まぁ、ちょうど風邪ひいて何もやれなかった事で、
火に油を注がずに済んだかも、ですけどねー。


なんかね、
リアルの社会だったら、そうなんじゃないかって
思うんですよ。
自分の親しい人が困った事があったら、
少しでも何か力になりたいって思いますし。
(もちろん、やれる事なんて大した事ないんですけど、
 リアルの方でも、ね。)
で、
それって、ネットだって同じじゃないのかって
私は思うんです。
そう考えるのなら、
「素晴らしき世界」さんの対応を議論するってのは、
自分としては、あんまり好ましく見えないなぁってのが
あります。ハイ。


(だから、
 これを言っちゃうのは、どうかってのもあるんですが、
 もし私が自分と論争してるブログが
 荒らしにあって閉鎖とかになっちゃったら、
 どれだけ相手のブログに良い印象を持ってなかったとしても
 寝付きの悪い事になるなぁって思う。
 「自分だったら荒らしを止める事ができたのかも」
 って思っちゃいそうだし。
 だって、自分の意見の味方してる可能性が高い訳でしょ、
 その荒らしの人たちって・・・)


###
まぁ、
私自身「素晴らしい世界」さんは全然読んでいなかったので
万来堂日記さん絡みで一度取り上げた事あったけど。)
特に思い入れとかがある訳じゃ、ないんですけどねー。
でも、
少しでも読んでるブログだったら、
もっと私は怒っていたと思います。
posted by めたか at 02:12| Comment(2) | TrackBack(1) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月10日

ニート論議に思う事

昨今の「負け犬ブーム」って
新手の少子化対策ではないかって気がする今日この頃、
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
どうも、めたかです。


この文章は、前日に書いた
政治学生の拡声器とマスメディアについて
の続きとなる文章です。
(なんで、自分TB打ちました、)


昨年の年末頃に、
ブログ界ではニートに関する議論が盛んに行われましたね。
元々は、
切込隊長のこのエントリが発信源となって、のようですが、
自分も考える事は、ない訳じゃなかったんですけど、
どうも乗り切れないモノを感じていました。

と言いますか・・・

元々、ニートに関する議論ってのは、
あちこちで断続的にはされてきていたもの、だったんですね。
自分も関連した事書いた事ありますし。
それで、
圏外からひとことさん経由で
Freezing Pointさんもずっと読んでいて、
色々と考える事、あるんですけど・・・

ニートって事についての私の率直な感想としては、
万来堂日記さんトコのコメント欄にも書いたんですが、
「全く他人事とは思えないなぁ」って事なんです。
そういう部分もあるので、
多くの人が喜々として(って感じた、私は)
この問題を論じてる事に、
なんか痛みみたいなのを感じた訳で、
それが「乗り切れない」って感じていた原因だったりします。

教育問題の議論でも私がずっと言い続けた事でもあるんですが
結局のところ、自分には関係ない、無責任な立場で
適当に思いつきで議論してるだけって人が、
ちょっと多くて、それがスゴくヤだなぁって。
同じ事を、ニート議論にだって、感じる訳ですねー。
もっとも、
今回のニート議論には当事者の人も参加していて、
そういう人たちの文章は、深く考えさせられたんですが・・・


###
続き物だって言ってる
政治学生の拡声器とマスメディアについて」の論旨は
「言葉を発する向こう側に、
 ちゃんと『人間』が見えていますか?」
って事でした。
だから、
ニート議論の発火点となった切込隊長が、
実際にニートの人からのTBを受けて
こういうエントリを書くというのは、
なんだかんだでこの人、ちゃんと分かってるんだなぁ
って思った訳で。
引き合いに出して悪いんですが、
この隊長の態度に突っ込んだ
R30::マーケティング社会時評さんは全然分かってないって
そう私は思ったなぁ。
というのは、
別にリバタリアニストだとかそういう事じゃなく、
ちゃんとその先の人間に向き合うかどうか、って問題でしょ、
ニートの事を話している時に、
そこに居るニートの人に無関係って方が不自然な訳で。
(だから、
 「リバタリアニスト」だか「リベラリズム」だか、
 「ウヨ」だか「サヨ」だかの枠組みに思考が囚われてるから
 そーなるんですよーっ!)

(というか、
 別の所で言い訳で書いてる
 「切込隊長的ロジックを詰めるとこうなるはず」って何?
 隊長も大変だなぁ、勝手にこんな事言われるんだもん、
 私だったら責任とれないわー。)


###
ただ、
ニートってこんだけ人数が居るのでしたら、
身近に居てもおかしくは、ないですよね?
だから、
ニートの問題を考えるんでしたら、
そういう「身近にいるかもしれないニートの人」と
どう向き合って行くかって事も、
考えていった方が良いと思う。
というか、
そちらを考える方が、
より具体的には意味あると私は思うんですけど。

私?
私だったら、
その人と、どういう関係かにもよりますけど、
ニートって事はとりあえず置いておいて、
普通に付き合うと思います。
ニートというのは、あくまでその人の属性の1つにすぎなくて
だから、
他の部分で、例えば趣味が同じとか、
そういう部分で付き合うでしょうって。
いや、
家族とか特別な人何人かを除けば、
大抵の人はそうやって付き合ってる訳ですよね、普通。
そして、
自分がそうだったらと想像しながら考えると、
そう付き合う事は、ニートの人にも意味はあると思う。
何らかの形で「社会と繋がっている」って事が、
そういう人には大事だと思いますから、
自分がその1つのチャンネルだったら良いのでは、と。
とりあえず、
そういう事は考えるのですが・・・


2/24追記
コレ、「[ゴーログ]ニートな若者には佐野元春を聴かせよう!」にトラックバックします。
ちゃんと新しい記事を書こうとは思ったんですが、
その時間がありませんでしたので・・・
思うのは、
「ニートに元春を聴かせよう」というのは、
どこぞの大臣(武部だっけ?)の
「ニートは自衛隊に入れろ」と本質的に同じじゃないかって。
確かに、それで「抜け出すきっかけ」にする人は居るでしょう、
でも「万能な処方箋」な訳ないし。
ニートと一括りにされますけど、
実際にはそれぞれに「苦悩の理由」というのは異なる訳で、
そうやって勝手に一括りにしてコレをやれば良い、
みたいな態度こそが暴力的だって感じます。
そうではなく
ニートな人個人にどう向き合うか、こそが重要、というのが
この文章の趣旨です。
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2005年01月07日

みんな愛の歌に背つかれて;キリンジ『Drifter』評

この曲を始めて
歌詞を見ながら聴いたとき

わかっていたハズだけど
忘れてかけていた事
そのために失った大切なモノ
今までの いっぱいの悔恨で
胸がいっぱいになってしまった


私が 間違っていた・・・


キリンジって、
一見すると、単なる「都会的な洗練されたAOR」
って感じの音楽なんですが、
少しでも音楽に詳しい人なら、
その「あまりにも凝りすぎたコード進行」の巧みさに、
感心させられる
多分、そういう音楽として、
音楽ファンには認知されてるデュオだと思うんです。
だけど、
私は、それだけじゃぁないものを
感じていました。

特に、高樹さんが書く曲の方に顕著なんですが、
何かに、イラついているような、
そんな感じがしていたんです。
いや、
直接的に「怒ってる」曲なんかじゃなく、
すごく、美しい美しい曲なんですよ、
でも
・・・それが、過剰なんです。
過剰に美しく洗練されたアレンジ、
過剰に不協和音を挟み込みながらも
ギリギリで自然に保たれたコード進行、
そこに乗るメロディーが、
コードとのバランスを「微妙に崩しながら」
自然に、美しく流れる・・・
一方、歌詞は、
今では使われないような
古めかしい、難解な言い回しが使われたり、
タマに直接的にエロかったり、で、
耳に妙に引っかかるように作られた、
とにかく、練りに練って、凝りに凝って、
って曲なんです。
その「過剰さ」から、
何かに怒ってる、というか
イラついてる感じを、感じていました。

ただ、
この『Drifter』には、そういう過剰さは感じない
いや、
美しい曲だし、細部にまで心配られたアレンジや
美しいメロディー・巧みなコード進行は
相変わらず、なんですが。
でも、
なんか、もの凄く、素直に聴ける曲で。
そして、歌詞が
独特の言い回しが影を潜め
率直に心情を綴ったようなフレーズが積み重なる

そして、
そのフレーズが、いちいち私の胸に、突き刺さるのです。

 みんな愛の歌に背つかれて
 与えるより多く奪ってしまうのだ

キリンジが
「何かにイラついてる」って私が感じていた
その「何か」の正体って、
「欲望」を全肯定し助長するような今の風潮
だったのかなって
そんなふうに思ったんです。
こんな世の中じゃ、ラブソングさえも
欲望を助長するためのツールとして用いられている
(何故か?
 そうすると「資本主義が儲かるから」ですよね?
 だから
 メディアは「恋愛させたがってる」んです)

それは間違ってる
そんなんじゃない
本当に大切なものは、私がホントに欲しいものは
そう
分かっているのに、
流されて見失ってしまうんだ・・・
「田園の風景」が「砂漠」へと変わってしまう
心象風景は
あまりにももの悲しく美しくて
聴くたびに泣きそうになる

自分は
大切な人の心のうちにさえも
「乾いた風」を吹き付けていたのではないか?

もっと早く気づきたかったよ
もっと早く思い出したかったよ

この曲の歌詞では
「悔恨」と「静かな決意」が
穏やかな曲調に乗って綴られます。

 ボトルの水飲んで 誓いをたてるよ
 欲望が渦を巻く海原さえ
 ムーン・リヴァーを渡るようなステップで
 踏み越えて行こう あなたと

そういう美しいラブソングなんです。


Drifter/太陽とヴィーナス [MAXI]

Fine
(『Drifter』収録のアルバム)



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関係ないかもしれないけど、
高樹さん、この後しばらくして、結婚したんですよねー。
posted by めたか at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月05日

正月休みにしみじみ考えたこと

ハウルってぼちぼち並ばずに観れるんでしょうか?
めたかです。

正月休みは、本当にゆっくりしました。
ブログどころか、ネットの方も、
一度、ちょっとだけ繋いだだけで、
殆どしませんでした。
(箱根ネタについては、yaplogの方に
 携帯から投稿はしましたけど。
 でも、見て確認とかはしてなかった。)
ダイアルアップなんで、遅いしって事もありましたが、
それだけじゃなく、
ちょっと意識的に離れてみようって思っていまして。

ただ
PCはノートだけですが持って帰っていたので、
たまっていたメルマガは、ちらちら見ていました。
ほぼ日のデリバリ版も、
溜まっていたのを全部、読み終わりました。

最近のデリバリ版は、
地方の話とか、海外の話とかの
「住んでいる場所/活きていく場所」
の特集をしていまして。
それを、じっくり読んでいた訳です。

ほぼ日のデリバリ版って、
読者からのメールが元になって作ってるんですが、
そこで、そういう「場所」の特集をしていることで、
さらに読者の「場所」について語られるのが誘発される、
という連鎖が続いていて、
(つまり、
 たくさんの人にとっての「生きる場所」の話が
 ずっと語られていたって感じで。)
それらを読み進めながら、
なんか、しみじみしちゃいました。
こういうの、読みながら、
自分の「生き方」とかを見直したり、
若い人なら将来の進路とかを考える参考とかにも、
するのかもしれないなぁ、とか、
思ったりしました。

それで、思ったんですが、
「今のメディアって、
 こういう情報って、ないなぁ」って・・・

そう思った時に、
ここの所ずっと私が感じていた違和感とかの「正体」が、
なんか、はっきりと姿を現したように、感じたんです。


・・・って事で、
この後、しばらくの間は、
このブログは、正月に感じた「正体」ってのを表現する事を
目標としようって思っています。
結構、微妙な事なので、
表現するのが難しいな、ちゃんと伝えられるかなって
不安もいっぱいなんですが、
言葉を尽くして、色々と書いていこうと思っています。

と言っても、
別にもったいぶるつもりはありませんので、
色々と考えた事を、
まずはとりとめなく、箇条書きで列挙してみますねー。

・メディアって、何かにせき立てられてるかのように
 急ぎ過ぎているって思う。忙し過ぎるんです。
・そして、
 最近のブログ界(って括りも変ですが)も、
 そんな感じになってきている、と思う。
 ブログの世界も、なんか慌ただしくなってきてる。
・だから、私はちょっと、その流れから一歩引こうと思う。
・そうしないと「本当の意味でのメディアリテラシー」に
 ならないように思う。
・今のままのブログでは
 単に「従来のメディアに取り込まれるだけ」って感じる。
 それが「参加型ジャーナリズム」なのかな?
・というか
 「一般人も、メディアの「せき立てられた状態」に取り込む
  その為のツールとしてブログが使われる」
 みたいだと、ヤだなー。
・デリバリ版みたいな情報が、メディアからは流れない。
 ブログはどうなんだろう?
・それに、
 「他の大切な情報」とかも、
 流されて次の話題に移ってしまう、
 それは「メディアがせき立てられてるから」じゃないかな。
 (新潟の現状はどうか、とか・・・)
・メディアって、
 単に「話のネタ/人付き合いでの話題」を提供してるだけ、
 そういう役目が、今やメインじゃないのかなぁ?
 (って、これは前々から思っていた事ですが)
・ブログの議論が(例えば教育問題とかでも)
 どうしても「他人事の問題」として身勝手になっちゃうのも、
 単に「話題/ネタ」として議論してるだけだから、
 のような気がする。
 こういう部分にも
 「ブログがマスメディアに取り込まれてる」
 って感じる。


どうやって伝えようかって事を、
まるで意識しないで列挙してみたので、
なんか、ちょっとキツい感じの煽りっぽくなっちゃって、
消そうか、と思ったんですが・・・
でも、
あまりに本音そのまんまなんで、
残す事にします。
もっと色々な事は考えたんですが、
根っこの部分は、こんな感じでしょう。
あとは、それを補強したり広げたりする事が中心ですし。
それらについては、
今後、少しずつ、書いていきます。
なんとか、
上記「暴論っぽい箇条書き」の言いたい事が、
上手く伝わるように・・・
(でも、
 近い問題意識を持っていた人でしたら、
 これで充分、伝わるとは思いますけど・・・)
posted by めたか at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月30日

難しい事は言いたくないんだ

今年最後の記事です。
それなりに、思い入れ込めて
この文章を書きたいと思います。

イチローがまたもや松井師匠を非難」という記事を
H5さんが書かれているのを呼んで、
この元記事、読みたいなって思っていました。
というのは、
私がイチロー選手より松井選手を買っている理由が、
良く分かるんじゃないかなって思いましたので。

そうすれば、
日刊のHPで、ちゃんとウェブで読めたんですね、その元記事。
コレですが。
PART2:マスコミ嫌い今は違う、でも松井とは対極

私は、イチローさんは尊敬しているし、偉いと思っていますけど、
こういう考え方は、嫌いなんです。

それって
今年の始めに書いた事とも共通してるんですが、
「難しい事」とか「頭の良さそうな事」とか、
「偉そう」な事とかを言えば、尊敬されるって、
そういう風潮に非を掲げ続けたいってのがあります。

難しい事なんて、言いたくないんです。

そんな事より、
大切なのは「ちゃんと伝わる事」じゃないでしょうか。
難しい事を言って、
誤解されたり、敬遠されちゃぁ、しょうがないでしょう。
「尊敬される」ために、やってるんじゃない。
ちゃんと、内容を伝えたくて、やってるんですし。

それに、
「相手」が、どれだけ野球を勉強するか、とか
野球にどれだけ興味を持つか、とかなんて、
結局は「相手の問題」なんです。
自分が踏み込める問題なんかじゃ、ない。

「他人の問題」に
ずけずけと土足で上がり込んでくる人が
今の日本には多過ぎる、と思っています。

早川義男さんの言葉に
「考え方や生き方を人に押し付けてはならない。
 そんなに素敵なら嫉妬させてほしい」
って言葉があるんです。
私は、こういう考え方が、好き。

松井選手が
「野球を伝えるために努力していない」訳じゃないでしょう。
彼ほど、どんな質問にも真摯に答える人間は、
他には知らないです。
専門的な突っ込んだ話から、
女の子が好きかみたいなくだらない話まで。
ファンにも積極的に触れ合おうとしているし。
それに、
ファンの子供たちには「言うべき事は言ってる」んです。
大人に対しては「個人の問題」って事で踏み込まないだけでしょう。

もちろん、
イチローさんが「分かる人だけに伝えたい」と言うなら、
それはそれで「個人の問題」だと思います。
でも、
私は「松井選手のやり方」の方が好きだし、
自分のポリシーにも合っている。
イチロー選手が批判する筋合いの事ではないと思います。


###
あと、
最近、思っているのは
「簡単にカタルシスを提供したくないな」
って事なんです。
この辺、自分の中でちょっと葛藤はあるんですが・・・

今のブログ界で人気があるのは、
上手くカタルシスを提供できてるサイトかなって思ってるんですよ。
だけど、
私、それで良いのかなって思ってきていて。

というのは、
今の私は、「共感してもらいたい」というより

「考えてもらいたい」



って、より強く思っているんです。
それには、カタルシスって邪魔になるかもしれないって。

って事で、
最近の文章は、「カタルシス」って事からだんだん離れようって
意識して来てるんです。
多分、今後、ますます、その傾向は強くなると思います。

と言っても、
そうなると「難しくしない」って志からは
ズレてしまうかも、なんですよねー。
やっぱり「なるほど」ってカタルシスが「分かりやすさ」に影響しますから。
その辺のバランスをどう取るべきか
ってのが、
自分の課題なんですけどねー。


###

「知」

って

少しでも見晴らしの良いところへ行こう

という試みなんじゃないかなって思うんです。
それが、私の「知」に対する思いで。
色んな事を「知った」としても、
単に、色んな事が見えるようになるってだけで、
それで何もかもできる訳じゃないし、
「知識」を活かせるとも限らない。
(だから
 「知識を得、心を開き、自転車に乗れ」なんですが。)
でも、
少しでも色んな事が「見えた」方が、
やっぱり、より良く動けるハズだし、
何より「楽しい」事、「気持ち良い」事だと思う。

「知」って、その程度のものだと、思うんです。
posted by めたか at 13:33| Comment(2) | TrackBack(4) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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