2004年12月25日

「素敵な先生」って?

めたかです。
今日は寒いですね。
新潟は、雪とか大丈夫でしょうか。
(というか、さっきまた、小さい地震が新潟であったって出てた・・・)

しかし、
一場くん、出来ちゃった結婚ですか。
なんだかなぁ・・・
これだけ野球ファンに「トホホ」な気持ちに
デビュー前からさせてくれる新人さんってのも、
全体未聞ですよねー。
ある意味、楽しみです(笑)


で、
教育話、続いているんですが、
私のスタンスは、一貫していて
「最後は自分たちの問題にする」
って事です。
だって、
他人事の問題を外野からあれこれ言うって
無責任ですからね!

で、
今日は、「先生について」です。
これでどうやって「自分たちの問題」にするのか?
楽しみにして下さい(笑)


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ゴーログで紹介されていた
内田樹先生、授業の極意を極める
によると
「生徒の先回りをする」のが大事って。
なるほどなって思うと同時に、
「必ずしも、そうじゃなきゃイケナイ訳じゃ、ないのでは?」
って事も、思うんです。

というのは、
この前見た「めだか」最終回。
(ドラマの話かよっ! ってツッコミが入るかな?)
卒業式の後、
めだか先生、生徒一人一人に「贈る言葉」をしようとして、
でも、
感極まってできないってなった時に、
そうすると、
逆に、生徒一人一人から、めだか先生に「言葉」を贈られたんです。

ま、ドラマの話なんですけどね、
でも、
このドラマって、
「何もできない先生だっためだかが
 生徒一人一人に教えられて一人前の先生になっていく」
というものだった訳で、
それを象徴するシーンだったなぁって思っていて。

私ね、
そういう先生も、結構良い先生なんじゃないのって思うんです。
つまり、
別に「生徒の先回り」して、とかできなくても、
生徒から学び、一緒に成長していける先生ってのも、
良い先生だなって。


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私がポイントだと思う事、それは
「成長する」って事じゃないかなって思うんです。
河合隼雄さんも、確かそんな事を言ってたと思うんです
「教師って、常に成長していかないといけない職業だから」
って。

多分、
「生徒の先回りをしよう」って先生は、
そのためには常に成長していく必要がありますよね。
それが「良い先生」たらしめるんじゃないかなって。
同時に、
「生徒から学べる先生」ってのも、
いつも成長していける先生だと思うんです。

時代も移り変わり、生徒もどんどんと変わって行く、
その中で、
常に成長していこうって先生でないと、
やっていけないのかもしれないですね。

でね!
これって、別に先生に限らないんじゃないでしょうか。
どんな仕事をしていても、
いや、仕事じゃなくても、親とか、色々な役目でも
「成長」していかないと、イケナイと思う。

成長し、進化していく事にしか、
希望なんて、ないと思う。
色々と悲しい事とかイヤな事がある、この世界で、
一人一人が成長して行くって事にしか、
希望って、ないと思うんです。

だから、
今のままの自分では良い訳じゃない・・・
そう、自分に言い聞かせて、
先生に「成長する」事を望むと同時に、
自分たちも、成長して行こうとする事が、
大事なんじゃないかなって・・・


###
ちょっと関係ない話ですが、
教師志望の人に対して、私が良くする話を書きますね。

教師の仕事って、3つあると思うんです。
1つは「勉強を教える」
2つ目は「カウンセリング」
3つ目が「芸人」
前2つは、良く言われてる事でしょうから、
誤解されそうな3つ目を説明しましょう。

「芸人」って、
別に面白可笑しい事をやれって訳じゃ、ないんです。
そうではなく、
「生徒にネタにされる事を許容しないとイケナイ」
って意味なんです。

生徒にとって、
みんなに通じてみんなで盛り上がれる話って、
「先生の話」だと思うんです。
先生の物真似が出来る生徒って、クラスでヒーローになれましたし。
そういうのって、
大事だと思うんですね、生徒同士で仲良くなる為には・・・

だからって、特別な事をする必要がある訳じゃないんです。
でも、
学校を出たばっかりの若い先生とかじゃ、
嫌がる人もいるかなぁって思うので、
「それも仕事なんだよ」って事を、言うんです。


posted by めたか at 14:03| Comment(4) | TrackBack(1) | 受験・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月20日

やっぱり「子供は大人社会の鏡」だと思う

『チキンライス』って、
浜ちゃんじゃなく、松っちゃんに歌って欲しかったな。
だってこの歌詞って松っちゃんそのものでしょ。
めたかです。


さて、
の記事の最後に

「現在の教育に対するアツい議論」と言うと、
小島さんの記事に寄せられている多くのコメントには
触れる必要があるでしょう。

って書いたんですけど、
それを、こちらに書こうと思います。
(なんで、
 まずは小島さんの記事とそのコメント欄をご覧下さい。)

まず、
ちょっとヤだなって感じたのは、
なんか「父兄やPTAが悪い」って話になっちゃいそう
って事です。
そういう意図ではないでしょうけど、
でも、
「学校や先生を悪者にして」問題は解決しないように、
「父兄やPTAを悪者にして」も問題は解決しない
って思うんです。

いえ、
現に「父兄がこういう要求を学校にしてしまう」
現状はあるのでしょう。
ですが、
「それで父兄が・PTAが悪い」ってのではなく、
そういう要求をしてしまう因ってのを、
見つめていきたいなって思う訳です。

と言っても、
これ以上、深く分析するための「材料」を
私は持っていません。
なんで、
「今の社会を生きている人間」として感じている事を元に、
ちょっと独断で「現状分析」をしてみようと思います。


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私自身がその話を聞いて思ったのは
「世の中、それだけ余裕がなくなったのかなぁ」
って事なんです。

勝ち負けに対して大らかでいられなくなったのは、
「勝ち負けが全てではない」と感じられなくなった
からじゃないかなって、思うんです。
それは、世の中の傾向が、
そうなってしまってるって意味で。
社会が、勝ち組・負け組のような
「勝ち負けが全て」みたいな価値観が
支配的になってしまっているから、
学校現場の他愛のない「勝ち負け」すら
「シャレにならなく」感じられてしまう、
そう思えるんです。
(バブルがはじけた頃から、
 学校がこうなったってのも、
 この分析と合ってると思う・・・)

前に「子供は大人社会の鏡じゃないの?」と言った
1つの側面が、ここにも現れてると思います。
つまり、
昔だったら、たとえ「負け」ってなったとしても
「それだけが全てじゃないよ」って
思えたんじゃないかなって。
それが、そう思えなくなっちゃうほど、
余裕がなくなった
私にはこう、感じられます。

あとね、
学校や先生の方にも、
余裕というか、自信がなくなってきてるかもって
思いました。
私の頃だって、そんな事を言う親とか
政治家とかも、居たんですよマジで。
(共産党系だったかな。
 子供心に「つまんねー」って思ってたけど。)
でも、
そんな意見、学校がまるで相手にしなかった。
ちゃんと学校側が、「違うよ」って言えていたと思う。

それが言えなくなっちゃったって事は、
学校側も、
言えるだけの「根拠」みたいなのを
持てなくなっちゃったって事かなぁって。


###
ただね、
コレ書くと、誤解受けちゃいそうなんですが、
運動会とかで「負けて」傷つく生徒さんの気持ち、
私、わかるなって。
だって
私も運動苦手で、運動会とか苦痛だったからなぁ。

いやね、
こういう事を書いたのは、
さらに誤解を受けちゃいそうですけども、
なんか
「今は競争社会なんだから、
 子供の頃から競争させるべきだ」
みたいな意見っての、
ちょっとイヤだなぁって思うんで。
だってね、
それじゃぁ、教育現場が、
ますますギスギスしそうだし・・・

いやね、
私も「教育現場で競争すべきでない」
って考えじゃ、ないんですよー。
でも、
「教育現場にも競争を」って意見が
「今は競争社会なんだから、
 子供の頃から競争させるべきだ」
みたいな考えの元になされるのだとしたら、
ちょっと抵抗したいなって感じで。
この辺、上手く伝わるか、自信ないんですが・・・

要するにですね、
「教育」の理念の元になるのって、
「どういう世の中にしたいのか」
って事だと思うんです。

例えば
「激しい競争社会を生き抜く
 たくましい子供に育てたい」
のような「教育への希望」って、
「現在の激しい競争社会」ってのが前提としてある訳で。

それってどうなの?
ってのがあるんです。
いや、もちろん「適度な競争」はあるべきなんです。
でも、
「勝ち組/負け組」それが全て
みたいな最近の風潮って、嫌な社会だなぁって。


今の世の中ってのを考えると、
「勝ち負けで負けた子供」って、
私の頃なんかよりも、ずっと深く傷つきそうだなって
思うんです。
自分がそういう立場に立たされたなら
果たして耐えられるのかなって
運動会で負けてきた私は、思うんですよ。

だから
私も「教育現場に勝負や競争を排除すべきでない」
って思います。
でも、
「勝ち負けが全てじゃ、ないよ」
って事も、同様に伝えて欲しいなって思う。
そんな世の中であるように・・・


###
同時に、
「私たちの社会の問題」として見返りたい事があります。
それは
「父兄とか教育現場とかを、
 そこまで追いつめているものは何か」
って事です。
「勝ち負けが全て」って風潮に、
自分もどこかで加担していないか、
って事に、自覚的でありたい。
スポーツで言うなら、
勝負にも、もちろんこだわりますが、
それが全てじゃなく、
「初芝」の価値も認められるように・・・
そんな自分でありたいなって思う。


最後に、
純粋な勝負の世界で生きるサッカー選手の
大好きな言葉を。

「勝ったチームは、負けたチームにも幸あれ、と祈ること。
 プロでもアマチュアでも、これはキミたちがサッカーを
 続けていく限り、絶対に忘れちゃいけない約束だよ」

にも取り上げましたが、
 「ボールは丸い。だから、敗者にこそ幸あれ」より)


追記
ゴーログの「子供は大人を映す鏡である」にTBします。
いや、
ようやっと「大人社会の問題」として、
自分自身の問題として捉えられるようになったのは、
良い傾向だなぁ、とは思っているんですが、
もうちょっと踏み込んでって意味で、
この記事、意味あるかなって思うので・・・
posted by めたか at 23:57| Comment(10) | TrackBack(3) | 受験・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ゆとり教育」を少しだけ擁護してみる

新札・5000円の樋口一葉の顔、
ちょっと変じゃない?
めたかです。
今頃になって新札の話題してるんじゃないって。
でも、
初めて見たんで・・・


本題行きましょう。
前に私が書いた記事が、
ゴーログの記事でまとめに使われていましたね。
うれちい。
なんだかんだでミーハーなめたかです。

ただ、
「ゆとり教育」って、スゴい評判悪いんだなぁって、
改めて実感しました、ですね。
だけど、
「ゆとり教育」に大々的に賛意を表そうとは思わないんですが、
「ゆとり教育批判」に対しても、
なんだか賛同できないモノを感じてしまう、
そんな年頃です。
(って、どんな年頃なんだよ?)

なんで、
ちょっと「ゆとり教育」なるものを、
少しだけ擁護してみよっかなぁって思います。


###
「ゆとり教育」って、
別に、子供たちに、もしくは教育現場に「ゆとり」をもたらせよう
って話じゃ、なかったと思うんです。
そうじゃなくて、
そもそもは「従来の詰め込み教育批判」ってのが
根っこにあったハズなんですよねー。

「ゆとり教育批判」って、
まず、その「根っこ」の部分を踏まえてないんじゃないかって
思えるんですよー。
もちろん、全ての「ゆとり教育批判」が
そうだって事では、ないですけど、
でも、多くの批判って、
ちょっと戯曲的にまとめるなら
「子供を甘やかせ過ぎている、もっとビシバシ鍛えるべし」
みたいな論調って、感じるんです。

それって、なんだかなぁって、思うんですよ。
だってね、
それじゃぁ、自分自身が子供に戻って、そういう教育受けたい?
または、
「生涯教育」とかで、
自分がそういう教育をこれから受ける事になったとして
どう思います?
(いや、可能性として、ない話じゃ、ないと思いますよん)

やっぱりね、
「教育」を論じるのなら、
自分自身も「そんな教育受けたいな」って思うような、
そんな教育を、提供できるようにしよう
そういう視点で、論じて欲しいんですよ。
(そうすれば、戸塚ヨット肯定なんて、
 考えられないと思うんですけどねー。)

話を戻しましょう。
「ゆとり教育」って、
そもそもは「従来の詰め込み教育」への反省が
あったハズなんですよ。
暗記中心で、知識が活かされない、みたいな、ね。
で、
当時の教育課程の「量」では「詰め込み」をせざるをえない、から
その「量」を絞ろうってのが
「ゆとり教育」だったハズ、なんです。

私は、その理念自体は、間違ってないと思う。
だって、
「それまでの教育」では、その課程について、
ちゃんと理解してこなせているとは思えなかったから。
(はっきり言いますけど、
 分数の意味とか、ちゃんと理解できてる大人、
 どれだけ居ますかねー! いやマジで!)

ただ、
私は、「理念」自体は間違ってなかったと思うんですが、
でも、「方法」については、
間違いはたくさんあったかもしれないなぁ、とは思っています。
いや、
その「教育の課程」を
ちゃんと自分で比較検討した訳じゃないので、
あまり、ちゃんとした事は言えないんですが。
でも、
「批判」している論評については読んでいて、
肯けるものも、たくさんありましたから。

それで、
私が「今後やらないといけないこと」だと思ってるのは、
次のような事なんです。

・子供にどういう教育を提供するか、
 その「全体像」をちゃんと描くこと

その具体的な事としては、
2つあるかなって思っています。
1つ目は
「教育する『量』を減らす場合の取捨選択を示すこと」
2つ目は
「詰め込み以外の教育方法の提示」
この2つをきちんと示してこそ
正しく有効な批判であり、
提言でありうると思うんです。


で、
例えば
「ゆとり教育批判」をしている人の中には、
自分たちで試験的に
「新しい教科書」を作っている人たちも、居ます。
(『新しい科学の教科書』とか・・・)
こういう試みは、賛同します。
で、
「ゆとり教育」など、今の教育を批判する人たちは、
こういう「提言」的な事を、どんどんして欲しいって思うんです。

批判だけなら、易しいんですね。
でも、
ちゃんと「提言」しようとすると、案外に難しい事が、
分かると思うんです。
(そうすると、糾弾的な批判って減ると思いますし・・・)

木村さんで言うなら、
学校で税金のことを教えてほしい
と言うなら、
その為に、どういう事を教える必要があるか、
考えて、提言して欲しいって思うんです。
「税金のこと」を理解するためには、
社会のこういう仕組みとか成り立ちを理解する必要がある、とか、
算数ならこのレベルまで理解しておいて欲しい、とか。
それを踏まえた上での「提言」なら、
意味があるって思うんです。

ちょっと手前味噌なんですが、
私がホームページでやろうとしているのは、
こういう事なんですね。
まだまだ半端で、申し訳ないんですが、
「教育」って事についても、
1つの提言にはなってると思うんです。


###
長くなりましたので、まとめましょう。

・ゆとり教育は「詰め込み教育」の反省が元
・そのためには教育課程の「量」は減らす必要はある
・何を減らし何を残すか、を考え直すべき
・「詰め込み」以外の教育法の提示が必要

私の考えとしては、こんな所になります。
で、付けたしですが、
後の2つについては、(まだ未完ですが)
「基本となる事を中心に、国語・算数を重点おいて」
「理解を中心とした教育へ」
ってふうに考えています。

そして、
ついでに主張したい事として

・批判する際には、批判対象をちゃんと理解した上で
・批判だけでなく提言も行おう
・教育を語るなら「自分も受けてみたい教育」になるような提言を

って事を、言っておこうと思います。


###
さて、
「現在の教育に対するアツい議論」と言うと、
小島さんの記事に寄せられている多くのコメントには
触れる必要があるでしょう。

でも、
それでなくても長くなっちゃったので、
それは次の記事にしましょう。
posted by めたか at 23:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 受験・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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