すでにブログ界では大騒ぎのこの件。
ネットからしばし離れている身としては
すっかり乗り遅れてしまっていますが。
批判するだけなのは簡単ですし、
せっかくなので
この「日本ブログ協会」に対して
建設的な提言をしてみましょう。
元ネタはこの記事。
・公職者ブロガー化法案
(圏外からのひとことより。
この人もはてなの人になってしまった。)
日本ブログ協会は、
これをやれば良いんじゃないでしょうか。
ブログの啓蒙というなら
「お上」が率先してブログをやるべきって事で
様々な公的機関の管理職に
ここでブログをさせ、ある程度の更新を義務付ける。
いやマジで
「公的な機関」なんだから、
こういう事はやれなくはない、でしょうし
会の目的からも外れてないと思うんですが、
どうでしょうか?
#続きを読む
2006年03月02日
2006年03月01日
荒川静香には
「今、一番したい事は?」の質問に
「しば漬食べたい」
って答えて欲しかった。
(携帯メールより)
「しば漬食べたい」
って答えて欲しかった。
(携帯メールより)
2006年02月19日
2006年02月09日
2006年02月07日
激忙しっす・・・
まじで、忙しいです。
2月いっぱいまで、忙しいです。
半ば過ぎから、ネットを観る事すらできない日々も
あったりしますので・・・
このブログの更新は、不定期になる予定です。
(暇をみて更新しますけども)
気長にお待ち下さい。
(というか、見捨てないでね(笑))
2月いっぱいまで、忙しいです。
半ば過ぎから、ネットを観る事すらできない日々も
あったりしますので・・・
このブログの更新は、不定期になる予定です。
(暇をみて更新しますけども)
気長にお待ち下さい。
(というか、見捨てないでね(笑))
2006年02月02日
トラックバック観の違いは距離感の違いではないか?
今、ほぼ日で
イトイさんと佐藤可士和さんの対談をやっていて、
そこで「距離の話」が出ているんですよ。
それでふと思った事なんですが。
トラックバック観の違いは
「文化圏の違い」で分類されたりしれますけど、
もっと言えば
(ネット上での)他人との距離感の違いが
あるんじゃないかって。
検索トラックバックとか、大量のTBを送ってる
そういう人たちって
「トラックバック」だけのやり取りで
(しかも言及し合わないで)
良しとしている人たちなんでしょう。
それはつまり
トラックバックを送りあうくらいの距離感が
その人たちにとって、ちょうど心地よい
っていう。
大量TBに違和感を感じてる人たちって
そういう距離感に
違和感を感じてるって面が
大きいんじゃないかなって思ったんです。
(異論もあるかもしれないですが、
どーでしょう?
とりあえず、意見を投げてみます。)
イトイさんと佐藤可士和さんの対談をやっていて、
そこで「距離の話」が出ているんですよ。
それでふと思った事なんですが。
トラックバック観の違いは
「文化圏の違い」で分類されたりしれますけど、
もっと言えば
(ネット上での)他人との距離感の違いが
あるんじゃないかって。
検索トラックバックとか、大量のTBを送ってる
そういう人たちって
「トラックバック」だけのやり取りで
(しかも言及し合わないで)
良しとしている人たちなんでしょう。
それはつまり
トラックバックを送りあうくらいの距離感が
その人たちにとって、ちょうど心地よい
っていう。
大量TBに違和感を感じてる人たちって
そういう距離感に
違和感を感じてるって面が
大きいんじゃないかなって思ったんです。
(異論もあるかもしれないですが、
どーでしょう?
とりあえず、意見を投げてみます。)
2006年02月01日
クイック書評・プチクリ!―好き=才能!
クイック書評第2弾は、
何度かこのブログで触れたこの本です。
『プチクリ!―好き=才能!』
始めに、
あえて著者が強調してないネガティブな事を書きます。
「プチクリ」をしていくには
他に、生きていくための職業を持たないといけません。
「プチクリ」だけをやって楽しく生きていく
って事ができる訳ではなくて、
他に、
ひょっとすると本人にとっては辛いかもしれない
「生きていくための仕事」というのを
やらないとイケナイ訳です。
その「仕事」に自分の時間の大部分を取られてしまって
残りの少しの時間で「プチクリ」をする事になる
そういう事は、
まず抑えておかないとイケナイと思います。
身も蓋もない書き方をしてしまえば
『プチクリ』というのは
クリエイティブというのは
仕事にするよりも趣味でやっていく方が
お気楽で良いよ
ってだけの話だとも言えるでしょう。
しかし
著者の岡田斗司夫さんは、
「それだけの話」を
とても楽しい、輝けるものとして
描く事に成功しています。
それどころか
「才能=好きな事だ」として
誰もが「(プチ)才能」を見つけ育てる方法論を
解説もして
「表現する事」に、背中を押しているんです。
「プチクリ」というキャッチーな言葉と
付随するコンセプトを発明し
「趣味で何か作ったりする」事を
前向きな方向に一歩進めている。
また
忘れてはいけないのは
著者がこういう事を提唱できるだけの環境が
揃ってきた、という事もあるでしょう。
同人マーケットの成熟に加え
ネットの普及によって
「趣味のクリエイティブ」が「発表」できる場が
整ってきたと言えます。
ブログの隆盛なんて、その最たるモノでしょう。
他にも「アツい事」を語りたくなる本ですが、
それは過去に2つほど書いていますので、
それを紹介する事で本稿を締めます。
・ブログは「メディア」である
・クリエイティブは何の為に・・・
何度かこのブログで触れたこの本です。
『プチクリ!―好き=才能!』
始めに、
あえて著者が強調してないネガティブな事を書きます。
「プチクリ」をしていくには
他に、生きていくための職業を持たないといけません。
「プチクリ」だけをやって楽しく生きていく
って事ができる訳ではなくて、
他に、
ひょっとすると本人にとっては辛いかもしれない
「生きていくための仕事」というのを
やらないとイケナイ訳です。
その「仕事」に自分の時間の大部分を取られてしまって
残りの少しの時間で「プチクリ」をする事になる
そういう事は、
まず抑えておかないとイケナイと思います。
身も蓋もない書き方をしてしまえば
『プチクリ』というのは
クリエイティブというのは
仕事にするよりも趣味でやっていく方が
お気楽で良いよ
ってだけの話だとも言えるでしょう。
しかし
著者の岡田斗司夫さんは、
「それだけの話」を
とても楽しい、輝けるものとして
描く事に成功しています。
それどころか
「才能=好きな事だ」として
誰もが「(プチ)才能」を見つけ育てる方法論を
解説もして
「表現する事」に、背中を押しているんです。
「プチクリ」というキャッチーな言葉と
付随するコンセプトを発明し
「趣味で何か作ったりする」事を
前向きな方向に一歩進めている。
また
忘れてはいけないのは
著者がこういう事を提唱できるだけの環境が
揃ってきた、という事もあるでしょう。
同人マーケットの成熟に加え
ネットの普及によって
「趣味のクリエイティブ」が「発表」できる場が
整ってきたと言えます。
ブログの隆盛なんて、その最たるモノでしょう。
他にも「アツい事」を語りたくなる本ですが、
それは過去に2つほど書いていますので、
それを紹介する事で本稿を締めます。
・ブログは「メディア」である
・クリエイティブは何の為に・・・
2006年01月31日
クイック書評・花を売らない花売り娘の物語
短い書評シリーズ、一発目は
本来なら『秋のビジネス書・書評シリーズ』
でラストに取り上げる予定だった本です。
なので、
当然、強くオススメな一冊です。
『花を売らない花売り娘の物語』
人って基本的に
「より良き未来」を希望するものだ、と思う。
諦めたり絶望してる事はあっても
心のどっかで「より良き未来」を
希望してるんじゃないでしょうか。
もっとも、
その「より良き未来」ってのが人によって異なるから
色々な衝突なんかがあるんですけども。
この本の著者は、
IBMのマーケティング部門で働いていた
マーケティングの専門家です。
なので、この本も
マーケティングの歴史から「これからのマーケティング」
という流れを解説している本です。
でも
この本は、マーケティングの進む方向を
分析し解説している本というより
マーケティングを通して、
著者が見ている「未来像」を語った本だと私は思う。
「分析の本」ではなく「志の本」
と言うべきじゃないでしょうか。
でも
この本を読むと、それは必然じゃないか、とも思う。
なぜなら
マーケティングとは、あくまで「お客さん」を
扱うものだから。
「お客さん」は、自分が「良いもの」と思えないものに
お金なんて払わない、でしょう。
そういったものを集めた集合たるマーケティングは
人々の「未来への希望」というものを
投射したものになるはず、だから。
その上で
この本が素晴らしいと私が思うのは
人々の「未来の希望」を分析しよう、とするのではなく
自分から「未来の希望」を提示している姿勢です。
そう。
「誰か」が考えてる事を探るよりも
「自分が」思う事を提示する方が
はるかに大変だし、しかも尊いものじゃないか
と思うんです。
(また、その提示している事にも
共感するところが大ですし。
というか、
私がこのブログで訴えてきた事と
共通する部分も多いと思います。)
##続きを読む
本来なら『秋のビジネス書・書評シリーズ』
でラストに取り上げる予定だった本です。
なので、
当然、強くオススメな一冊です。
『花を売らない花売り娘の物語』
人って基本的に
「より良き未来」を希望するものだ、と思う。
諦めたり絶望してる事はあっても
心のどっかで「より良き未来」を
希望してるんじゃないでしょうか。
もっとも、
その「より良き未来」ってのが人によって異なるから
色々な衝突なんかがあるんですけども。
この本の著者は、
IBMのマーケティング部門で働いていた
マーケティングの専門家です。
なので、この本も
マーケティングの歴史から「これからのマーケティング」
という流れを解説している本です。
でも
この本は、マーケティングの進む方向を
分析し解説している本というより
マーケティングを通して、
著者が見ている「未来像」を語った本だと私は思う。
「分析の本」ではなく「志の本」
と言うべきじゃないでしょうか。
でも
この本を読むと、それは必然じゃないか、とも思う。
なぜなら
マーケティングとは、あくまで「お客さん」を
扱うものだから。
「お客さん」は、自分が「良いもの」と思えないものに
お金なんて払わない、でしょう。
そういったものを集めた集合たるマーケティングは
人々の「未来への希望」というものを
投射したものになるはず、だから。
その上で
この本が素晴らしいと私が思うのは
人々の「未来の希望」を分析しよう、とするのではなく
自分から「未来の希望」を提示している姿勢です。
そう。
「誰か」が考えてる事を探るよりも
「自分が」思う事を提示する方が
はるかに大変だし、しかも尊いものじゃないか
と思うんです。
(また、その提示している事にも
共感するところが大ですし。
というか、
私がこのブログで訴えてきた事と
共通する部分も多いと思います。)
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2006年01月29日
また書評、書いていきます
アマゾンの不具合も直ったようですので
これから書評をいっぱい書いてく予定です。
また
年の初めに「文を簡潔にする」宣言をしたので
書評でも同じ挑戦をします。
書評は書きたい内容が多いので
良い練習になりそうです。
(また、最近短く書けてないし。)
今、読んでいるのは
『甲子園への遺言』という本。
おりがみさんの記事を読んで読みたい
と思っていた本でした。
まだ私は読んでる途中ですので、
どういう本かは、おりがみさんの記事を。
きっと、読みたいと思う事でしょう。
え? こんなんで「短い」のは反則?
これから書評をいっぱい書いてく予定です。
また
年の初めに「文を簡潔にする」宣言をしたので
書評でも同じ挑戦をします。
書評は書きたい内容が多いので
良い練習になりそうです。
(また、最近短く書けてないし。)
今、読んでいるのは
『甲子園への遺言』という本。
おりがみさんの記事を読んで読みたい
と思っていた本でした。
まだ私は読んでる途中ですので、
どういう本かは、おりがみさんの記事を。
きっと、読みたいと思う事でしょう。
え? こんなんで「短い」のは反則?
2006年01月26日
ドラマ「アンフェア」はメタ「サスペンスドラマ」か?
今クルーのドラマでは
『アンフェア』と『時効警察』の2つ
(あと、たまに『西遊記』)
を観てるんですが、
『アンフェア』が実は結構「メタ」なドラマなんじゃないかなぁ
と思ったので、記事にしてみます。
ネタバレ的な事は書くつもりはなくて、
どんなドラマかは公式ページで観て頂くとして、
私がひっかかったのは・・・
まず
「推理小説/サスペンスドラマ」という括りが有り
その「推理小説」に対して
「フェア」か「アンフェア」か、
という評価があるんですよね。
「フェアなドラマ」というのは
ちゃんと読者・視聴者に犯人が分かる
手がかりを与えていて
それらの手がかりから犯人を「推理」する事ができる
そういうドラマという事です。
逆に「アンフェアなドラマ」というのは
読者・視聴者に
「推理に必要な情報が与えられていないドラマ」
という事になりますね。
なので
「アンフェアなドラマ」は
読者や視聴者から抗議される訳です。
こういう
「ドラマ・小説がフェアかどうか」という評価は
ドラマというものを「メタ」な視点から
観ているものと言える訳ですね。
それで、
「推理小説がフェアかアンフェアか」
という事が、
ドラマの中で言及・説明されてる訳ですよ。
そうなると
それを観ている視聴者は
「このドラマはフェアかアンフェアか」
って見方も、するようになりますよねー。
なにせ
このドラマのタイトル自体
「アンフェア」
って言うんですから。
当然、作り手側も
そういう「観られ方」をする事は分かっていて
想定して話を作っている訳ですよね。
つまり
読み手の(メタな)「見方」を取り込んで
作っているだろう、と。
かなり、複雑な「自己言及」の輪が
出来ている
そういう面白いドラマだなぁって思いました。
それ以外でも
ドラマの中に、色々と細かな
「メタと自己言及の輪」が散見していまして。
今、起こってる「事件」自体が
「予告殺人小説」という
「メタ仕掛け」の設定になっていて
そこに色々な台詞をひっかけて、
そこで出来る「メタな見立て」を
取り込んだり、裏切ったりしながら
ドラマが進んでいくって形になっているようです。
(推定にしているのは
まだドラマは始まったばかりで
どう進むか分からないから、ですよ)
最近の推理小説って全く読んでなかった
んですけど
今の推理小説って、こんなメタな事を
やってるんですかねー。
それとも、この小説が特殊なのかな?
ま、ともかく
楽しみに観る事にします。
(ちゃんと全回、観る事ができるか
分からないんですけどね・・・)
『アンフェア』と『時効警察』の2つ
(あと、たまに『西遊記』)
を観てるんですが、
『アンフェア』が実は結構「メタ」なドラマなんじゃないかなぁ
と思ったので、記事にしてみます。
ネタバレ的な事は書くつもりはなくて、
どんなドラマかは公式ページで観て頂くとして、
私がひっかかったのは・・・
まず
「推理小説/サスペンスドラマ」という括りが有り
その「推理小説」に対して
「フェア」か「アンフェア」か、
という評価があるんですよね。
「フェアなドラマ」というのは
ちゃんと読者・視聴者に犯人が分かる
手がかりを与えていて
それらの手がかりから犯人を「推理」する事ができる
そういうドラマという事です。
逆に「アンフェアなドラマ」というのは
読者・視聴者に
「推理に必要な情報が与えられていないドラマ」
という事になりますね。
なので
「アンフェアなドラマ」は
読者や視聴者から抗議される訳です。
こういう
「ドラマ・小説がフェアかどうか」という評価は
ドラマというものを「メタ」な視点から
観ているものと言える訳ですね。
それで、
「推理小説がフェアかアンフェアか」
という事が、
ドラマの中で言及・説明されてる訳ですよ。
そうなると
それを観ている視聴者は
「このドラマはフェアかアンフェアか」
って見方も、するようになりますよねー。
なにせ
このドラマのタイトル自体
「アンフェア」
って言うんですから。
当然、作り手側も
そういう「観られ方」をする事は分かっていて
想定して話を作っている訳ですよね。
つまり
読み手の(メタな)「見方」を取り込んで
作っているだろう、と。
かなり、複雑な「自己言及」の輪が
出来ている
そういう面白いドラマだなぁって思いました。
それ以外でも
ドラマの中に、色々と細かな
「メタと自己言及の輪」が散見していまして。
今、起こってる「事件」自体が
「予告殺人小説」という
「メタ仕掛け」の設定になっていて
そこに色々な台詞をひっかけて、
そこで出来る「メタな見立て」を
取り込んだり、裏切ったりしながら
ドラマが進んでいくって形になっているようです。
(推定にしているのは
まだドラマは始まったばかりで
どう進むか分からないから、ですよ)
最近の推理小説って全く読んでなかった
んですけど
今の推理小説って、こんなメタな事を
やってるんですかねー。
それとも、この小説が特殊なのかな?
ま、ともかく
楽しみに観る事にします。
(ちゃんと全回、観る事ができるか
分からないんですけどね・・・)

